今夜の宿と、屋台通り
丘を下りきると、街門の前には長い列ができていた。
荷馬車を連ねた商人らしき一団、背に大きな荷を担いだ旅人、剣を腰に下げた冒険者風の若者たち。
行き交う人々の服装も種族も様々で、見ているだけで目が忙しい。
獣人らしき耳を持つ男性が荷馬車を引き、その横をドワーフらしき小柄な人物が並んで歩いている。
少し離れた場所では、フードを目深に被った旅人が地面に腰を下ろし、荷の紐を結び直していた。
陽が高くなるにつれ、列の周りには土埃と汗の匂い、それに馬の匂いが混じって漂ってくる。
横を通り過ぎていく旅人が、ちらりとルクスの大きさに目を留め、それからエルフの耳へ視線を移した。
驚いた様子はあっても、声を上げるほどではない。
少なくとも、騒ぎになるほど珍しい光景ではないらしい。
馬車の車輪が石畳をこすり、荷物同士がぶつかる音があちこちで響いていた。
待つ間、ルクスが落ち着かない様子で耳を動かしていたが、ガイルが軽く首元を撫でると、すぐに大人しくなった。
列がゆっくりと進み、やがて順番が回ってくる。
門番は槍を携えた壮年の男で、こちらを一瞥すると片眉を上げた。
「珍しい組み合わせだな。エルフが二人に、傭兵風の男。連れてるのは……随分でかい犬だな」
「従魔だ。心配ない」
ガイルが短く答える。
門番はルクスをもう一度見てから、視線を私たちへ戻した。
「エルフが森から人を連れて出てくるなんぞ、珍しいな。なんの用事だ」
「俺は二人に雇われてる。この二人は変わり者のエルフの夫婦でな。人の街を見てみたいって言うから、観光で連れてきた」
立て板に水とはいかないまでも、淀みない口調だった。
門番はふうん、と鼻を鳴らして納得したような顔をする。
「身分証を」
「俺は元傭兵だ。冒険者じゃないからギルド章はない。この二人も森を出ないエルフだ。そもそも持ってない」
「なら、入街税。銀貨十七枚。三人分と一匹分だ」
ガイルが懐から革袋を取り出し、数えながら硬貨を渡していく。
銀貨が擦れ合う小さな音が、列の喧騒に紛れて消えていった。
思っていたよりあっさりと進んでいく手続きに、少しだけ拍子抜けする。
「クロイティルは初めてか」
「ああ、初めてだ。一つ聞きたいんだが、中級くらいの宿で、従魔も一緒に泊まれて、風呂がある宿を知らないか?」
門番は少し考えるように顎を撫でた。
「鳥の導き亭がいいだろう。まっすぐ行って、冒険者ギル
ドと商業ギルドを通り過ぎたら、二つ目の角を右だ。少し歩けば看板が見える」
「助かる」
一通り聞き終えたところで、ガイルが表情を少しだけ引き締めた。
「もう一つ、伝えておきたいことがある。黒の森の入り口付近だが、ゴブリンの数が増えてる。今日は一度じゃない、何度も群れに遭遇した」
門番の顔つきが変わる。
「本当か?」
「実際に抜けてきた者としての報告だ。森を通る奴には、念のため注意を促した方がいい」
門番は懐から板を取り出し、聞き取った内容を簡単に書き留めていく。
筆を走らせる音が、列の喧騒の中で妙にはっきりと聞こえた。
「分かった。巡回に伝えて、ギルドにも共有しておく」
それだけ言うと、門番は軽く頷いて私たちを通した。
街門をくぐった瞬間、空気の密度がまるで違うものに変わった。
石畳を行き交う人々の足音。
扉の開け閉めが立てる、乾いた音。
店先から漏れ聞こえる、値切るような話し声。
そして何より、風に乗って漂ってくる料理の匂いが、一気に鼻へ押し寄せてくる。
木材と革の匂い、何かの香辛料の刺激。
建物の隙間から差し込む光が、石畳の上に細長い影を落としていた。
思わず、その匂いの元へ視線が向く。
「気になるのか?」
瑛太さんが横で小さく言う。
「うん。でも、先に宿を決めないとね」
後ろ髪を引かれる思いを抑えて、私たちは教えられた道を進んだ。
冒険者ギルドと商業ギルドを通り過ぎ、二つ目の角を右へ曲がる。
道の両側には小さな商店が並び、布や陶器、見慣れない野菜を並べた店先を横目に歩いていく。
少し歩いた先に、鳥をかたどった木製の看板が見えた。
色褪せてはいるが、丁寧に彫られた鳥の意匠に、この宿の年月を感じる。
「鳥の導き亭、ここね」
扉を開けると、暖かな木の香りと一緒に、カウンターの向こうから小さな声が飛んできた。
「いらっしゃいま――」
声が途中で止まる。
カウンターに立っていたのは、十歳くらいの女の子だった。
「うわぁ……!すっごい綺麗な人と、かっこいい妖精さんだ!」
目を輝かせて身を乗り出す。
その勢いに、少し気圧されてしまう。
「ルイーズ、お客様に失礼でしょう」
奥から出てきたのは、エプロン姿の女性だった。
声には窘める響きがあったが、その視線もまたこちらへ釘付けになっている。
「本物のエルフさんだわ……こんなに間近で見るの初めて」
「お前もだろうが」
最後に姿を見せた男性が、苦笑しながら二人の肩を軽く叩いた。
奥の厨房からは、焼きたてのパンらしい匂いが漂ってきている。
「すみません、お騒がせしました。私はエド、宿の主人です。こっちは妻のクロエと、娘のルイーズです」
「真由です。こちらは瑛太さん、それとガイル、ルクスです」
名乗ると、ルイーズがルクスを見て目をまん丸にする。
「わんちゃんも泊まる?」
「……ルクスも一緒に泊まれますか?」
「もちろんです。裏庭も自由に使ってもらって構いません」
クロエが柔らかく答える。
部屋の割り振りを確認し、私と瑛太さんで一部屋、ガイルとルクスで別の一室を取ってもらうことになった。
「お食事はどうされますか?素泊まりでしたら、お一人銀貨八枚。夕食付きなら十枚、朝食もお付けになるなら十三枚になります」
エドが指を折りながら説明する。
私は瑛太さんと顔を見合わせ、すぐに頷いた。
「夕食も朝食も、お願いします」
「畏まりました。それと、ルクスさんの分は別途、銀貨三枚頂戴します」
ガイルが懐から革袋を取り出し、部屋代とルクスの分をまとめて数えていく。
銀貨が重なる音が、カウンターの上で小さく響いた。
「あの、お風呂は利用できますか?」
尋ねると、クロエが微笑んで頷いた。
「はい、十六時から二十一時までご利用いただけます。順番になりますので、少し余裕を持っていらしてくださいね」
「ありがとうございます」
門番に教えてもらった通り、ちゃんと入浴できる宿だと分かって、少しほっとする。
使い込まれているものの、綺麗に磨かれた鍵を受け取りながら、ようやく肩の力が抜けていくのを感じる。
二階へ案内された部屋は、それほど広くはないけれど、窓から通りが見下ろせる明るい部屋だった。
木製のベッドが二つ、小さなテーブルと椅子、水差しの置かれた棚。
屋敷ほどの調度品はないが、床も壁も丁寧に磨かれていて、居心地の悪さは感じなかった。
「悪くない部屋だな」
「うん。清潔だし、なんだか落ち着く」
荷物を軽く置いて、窓の外を眺める。
通りを行き交う人々の頭上には、洗濯物を干した紐がいくつも渡されていて、街の生活の匂いがそこかしこに滲んでいた。
落ち着いたところで、私たちは一階へ戻った。
先に下りていたガイルとルクスが、階段の下でこちらを待っている。
「旦那様、奥様、部屋はどうだった?」
「ええ、綺麗な部屋でした。ガイルたちの部屋は?」
「隣だから、間取りは同じだ」
ガイルが短く答え、ルクスも満足そうに尻尾を一度揺らした。
カウンターへ向かうと、エドとクロエ、ルイーズがまだそこにいた。
「あの、この近くで昼食が取れる場所はありますか?」
「でしたら、うちの食堂でも――」
「いろいろ食べたいなら、屋台通りがいいよ!」
クロエが言い終える前に、ルイーズが元気よく割り込んだ。
「屋台通り?」
「屋台通りは、この道をまっすぐ行って、市場の広場を抜けたところです。串焼きも、パンも、甘いものもありますよ」
「人も多いですから、荷物にはお気をつけて」
エドが付け加える。
親子のやり取りに、宿全体の温かさが滲んでいるようだった。
礼を言って外に出ると、太陽はもう高い位置にあった。
教えられた道を進み、市場の広場を抜けると、狭い通りの両側に屋台がずらりと並んでいるのが見えてきた。
焼ける肉の香り、パンの匂い、果物の甘い香り。
湯気を上げる鍋の前で、店主が大きな声で客を呼び込んでいる。
子どもたちが屋台の間を駆け抜け、笑い声が石畳に響いていた。
「すごい……」
思わず足が止まった。
瑛太さんも周囲を見回しながら、静かに息を吐いている。
軒を連ねる屋台は、思っていたよりずっと数が多かった。
干した果物を並べる店、揚げた芋のようなものを紙に包んで渡す店、香辛料の瓶を積み上げた店。
どこから食べ歩けばいいのか、目移りしてしまう。
まず目についたのは、串に刺した肉を炭火で焼いている屋台だった。
炭火の上で肉が転がるたびに脂が滴り落ち、パチパチと小さく爆ぜる音が響く。
その音と香ばしい匂いに引き寄せられて、自然と足が向いた。
「三本くれ」
ガイルが銀貨より小さな銅貨を出す。
店主は焼き上がった串を紙に包み、手早く渡してくれた。
一口かじると、表面はしっかりと焼き締まっていて、少し硬い。
塩加減は強めで、下味というよりは焼いてから振りかけただけのようだった。
それでも、歩き疲れた体には、この塩味がじんわりと染みる。
噛むほどに肉の旨みが染み出してきて、思わずもう一口欲しくなった。
「少し硬いけど、美味しいね」
「ああ」
足元でルクスが匂いに反応して、鼻をひくつかせていた。
「すみません、味付けしていないお肉、いただけますか?」
店主が快く一本用意してくれる。
差し出すと、ルクスは尻尾を振って一気に平らげた。
次に立ち寄ったのは、薄く焼いた生地に具材を挟んだ屋台。
鉄板の上で生地が焼ける音が心地よく響き、店主が手際よく具材を包んでいく。
炒めた野菜と刻んだ肉、ベルクレアと塩で味を調えたものらしい。
一口食べると、焼きたての生地の香ばしさと、肉汁を吸った野菜の甘みが広がった。
黒パンとはまた違う、もちっとした食感が新鮮だった。
「サンドイッチとは、また違う美味しさだね」
「食べやすいな」
短い感想だったけれど、瑛太さんの手が止まらない。
箱庭に戻ったら、リナと一緒に作ってみるのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、私も残りを口へ運んだ。
最後に見つけたのは、冷たい飲み物を出す屋台だった。
果汁を水で割ったもので、木のコップになみなみと注がれている。
一口飲むと、甘さと酸味が喉を心地よく通り抜けていった。
「昔と変わらないな」
ガイルがぽつりと呟く。
「聞いてはいたけど、食事になるものは、本当に塩味が中心なのね」
「流石に毎食だと飽きるな」
瑛太さんのその言葉に、小さく笑ってしまう。
塩、と一口に言っても、地球にはガーリックソルトやハーブソルトなど、色々な種類があった。
この世界でも、そういう工夫を加えられたら、屋台のレパートリーはもっと広がるかもしれない。
そんなことを考えながら、残りの飲み物を飲み干した。
空になった串やコップを店主に返し、屋台通りを振り返る。
賑やかな呼び声と匂いが、まだ背中の方から追いかけてくるようだった。
歩き始めると、人混みの熱気が少しずつ引いていくのが分かる。
「そろそろ、教会に行くぞ」
ガイルの声に、私は頷いた。
インベントリの中には、エシャール様から預かった手紙が入っている。
教会で誰に渡し、何を伝えられるのか。
考えても答えは出ず、胸の奥には小さな引っかかりが残っていた。
屋台通りを離れるにつれ、周囲の喧騒が少しずつ薄まっていく。
代わりに、建物の向こうから尖った塔の先端が見え始めた。
石畳の道は緩やかに上り坂へと変わり、人通りも少しずつまばらになっていく。
商店の看板や露店の並びが途切れると、代わりに石造りの落ち着いた建物が並び始めた。
どの建物も丁寧に手入れされていて、屋台通りとはまた違う静けさが漂っている。
足音だけが、やけにはっきりと石畳へ響いていた。
あれが、教会だろうか。
塔の先端は、歩くたびに少しずつ大きくなっていく。
エシャール様の手紙にあった一行を、頭の中でもう一度なぞった。
瑛太さんとガイル、ルクスを伴って、私たちは静かにその方角へ足を向けた。
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