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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜〜料理とものづくりで紡ぐ、異世界スローライフ〜  作者: 望月 小鳥
クロイティル編

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34/43

黒の森を越えて、はじめての街へ

 目が覚めると、部屋の中はまだ薄暗かった。

窓の外は白み始めたばかりで、鳥の声がぽつぽつと届いてくる。

起き上がって時計代わりの魔道具を確かめると、六時になる少し前だった。


 隣ではまだ瑛太さんが眠っている。

規則正しい息遣いを少しの間だけ聞いてから、私はそっとベッドを抜け出した。

床に足をつけると、ひんやりとした感触が眠気を静かに追い払っていく。


 クローゼットの前に立ち、扉を開ける。

掛けられていたのは、エシャール様から頂いた黒いコートだった。

腰のあたりを紫の刺繍が縁取り、裾に向かって同じ模様が流れるように広がっている。

ベルトには小さなポーチが付いていて、中には試験管型のポーションがいくつか収まる仕組みになっていた。

白いワンピースの上からコートを羽織り、腰のベルトを締める。

最後にロングブーツへ足を通すと、思っていたより歩きやすかった。


 姿見の前に立って、自分の格好を確かめる。

見慣れたはずの顔なのに、装いが変わるだけでずいぶん違って見えた。

異世界に来て五日。

ようやく、今日から違う一日が始まるのだと、鏡の中の自分を見て実感する。


 衣擦れの音に気付いたのか、瑛太さんが目を覚ました。

半身を起こし、寝癖のついた髪のまま、こちらへ視線を向ける。


「準備できたのか?」


「えぇ」


 私が頷くと、瑛太さんもベッドを出た。

支度は早い。

黒のシャツに黒のコートを羽織り、肩当てのベルトを締めていく手つきに迷いがなかった。

腰のホルスターへ短剣を差し込むと、いつもより纏う空気が引き締まって見えた。


 支度を終えて向き合うと、瑛太さんが一瞬だけこちらを見て、小さく頷いた。

何も言わなかったけれど、それだけで十分だった。



                    

 部屋を出て玄関へ向かうと、すでにガイルとルクスが待っていた。

ガイルは革鎧の上へ赤い裏地のマントを羽織り、腰には道具入れ、背には大剣を負っている。

普段より旅支度を整えた姿は、これから街へ向かうのだという実感を強くさせた。

ルクスは青いマントと鞍袋を身に着けたまま私たちの足元へ寄ってきて、鼻先を軽く擦りつけた。


「最後に確認だ。忘れ物はないな」


 ガイルが短く言って、瑛太さんと私を順に見る。

腰のポーチと、コートの内側にあるポケットをもう一度確かめてみる。

ポーションもスペルジェムも、渡された通りの位置に収まっていた。

瑛太さんも黙って自分の装備へ視線を落とし、小さく頷いていた。


 ガイルの一言で、玄関の扉が開かれる。

外にはすでにヴァルドとリナ、ハルグリムが並んで待っていた。


「行ってらっしゃいませ、旦那様、奥様」


 ヴァルドが深く一礼する。

リナも同じように頭を下げ、ハルグリムは腕を組んだまま小さく顎を引いた。


「行ってきます」


 答える声が、思ったより硬くなった。

それに気付いたのか、リナがふわりと微笑む。


「お気を付けて。お戻りをお待ちしております」


 その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。


 屋敷を振り返ると、朝の光を浴びた石壁が静かに佇んでいた。

この数日間で、随分と見慣れた景色になっていたらしい。

一泊二日とはいえ、ここを離れるのは初めてのことだ。

そう思うと、少しだけ名残惜しさが胸をかすめていく。

それでも、いつまでも見ていられるわけではない。

私は前へ向き直り、一歩を踏み出した。


 森へと続く小径(こみち)を、三人と一匹で歩いていく。

朝露に濡れた下草が、ブーツの先を柔らかく濡らした。

木々の隙間から差し込む光が、地面へ細かい模様を落としている。

歩くたびに葉擦れの音がして、どこか遠くで鳥が鳴いた。


 森の教会は、初めて訪れる場所だった。

やがて木々の合間に、白く古びた尖塔が見えてくる。

苔むした石段を上ると、扉の向こうにひんやりとした空気が満ちていた。


 教会の中は、外の喧騒が嘘のように静まり返っている。

高い天井から差し込む光が、床に描かれた大きな魔法陣を柔らかく照らしていた。

幾重にも重なる幾何学模様が、淡い光を帯びてゆっくりと明滅している。

その光景に、思わず息を呑んだ。


「ここが……」


「転移の陣だ。魔力を通すと発動する」


 ガイルが説明しながら、陣の中央を指し示す。

促されるまま足を踏み入れると、瑛太さんが隣に並んだ。

ルクスも当たり前のように陣の端へ収まる。


「少し変な感覚がするが、目を閉じてればすぐだ」


 ガイルの言葉に頷き、私はそっと目を閉じた。


 次の瞬間、体がふわりと浮くような感覚に包まれる。

重力の感覚が曖昧になり、光の粒が瞼の裏を通り過ぎていくのが分かった。

草木の匂いが一瞬遠のいて、代わりに冷たく澄んだ空気が鼻を掠める。

耳の奥で、風のような音が微かに響いた。


 ほんの数秒のことだったと思う。

足の裏に地面の感触が戻ってきて、私はゆっくりと目を開けた。


 視界に映ったのは、先ほどとはまるで違う景色だった。

見上げると、木々の枝が複雑に絡み合い、日差しをわずかにしか通していない。

空気は湿り気を帯びていて、土と苔の匂いが濃く漂っていた。

教会にいたはずなのに、いつの間にか深い森の中に立っている。


「……本当に、移動したんですね」


 思わず呟くと、隣で瑛太さんも同じように辺りを見回していた。

表情はいつも通り動かないけれど、その視線の動かし方に、微かな緊張が滲んでいる。


「ここが黒の森の隠れ家だ。奥まで転移してきてる」


 ガイルの声が、岩壁に低く反響した。

辺りを見回すと、洞窟の中はひんやりとした空気に満ちている。

壁の一部には淡く光る苔のようなものが張り付いていて、足元をぼんやりと照らしていた。

土と岩の匂いに混じって、微かに水の気配がする。


 初めて踏み入れる洞窟の中は、箱庭のどことも違う空気をしていた。

張り詰めたような静けさの奥に、何かが息を潜めている気配がする。

不安がないと言えば嘘になる。

それでも、隣を歩く瑛太さんの足音を聞いていると、少しずつ落ち着きを取り戻していく自分がいた。


 ガイルを先頭に、瑛太さんと私がその後ろへ続く。

ルクスも後ろに並んで、奥から入り口の方角へ歩いていった。

しばらく進むと、行く手が徐々に明るくなってくる。

岩の隙間から差し込む光が増えるにつれ、外の気配が近づいてくるのが分かった。


「着いたぞ。朝飯にする」


 ガイルの声に、詰めていた息が少しだけ緩む。

洞窟の入り口――外の光が差し込む場所まで来ると、木漏れ日越しに森の緑がのぞいていた。

これから始まる一日の長さを、私はあらためて思った。


 洞窟の入り口に近い場所には、すでに簡素な焚き場があった。

ガイルが手早く枯れ枝を組み、火魔法で火を熾すと、じんわりとした熱が辺りに広がっていく。

腰を下ろすと、ひんやりとした岩肌の冷たさが服越しに伝わってきた。


「これが、当面の荷物だ」


 ガイルが背負っていた荷袋を下ろし、中身を広げていく。

初心者向けの冒険道具一式、色違いのスペルジェムがいくつか、革袋に入った硬貨、保存食が数日分小分けにされていた。


「食料は数日分だ。念の為持っておけ」


「はい」


 一つずつ手に取って確かめながら、頭の中で今日一日の流れを組み立てる。

瑛太さんも黙って荷物を見ていたが、スペルジェムを一つ手に取ると、光にかざすようにして眺めていた。


「せっかくだし、これ食べようか」


 私はインベントリから、昨日作っておいたサンドイッチを取り出した。

布を開くと、ローストビーフと野菜の断面が朝の光に鮮やかに映える。

瑛太さんとガイルに一つずつ手渡すと、それぞれ迷いのない手つきで受け取った。


 一口かじると、パンの香ばしさの奥からベルクレアの風味が広がり、そこへローストビーフの旨みが重なった。

冷えていても十分に美味しい。

瑛太さんも黙々と食べ進めていて、その手が止まらないのを見ると、少し誇らしいような気持ちになった。


「冷めても味は落ちねぇな」


 ガイルも一つ頬張りながら言う。

飾らない言葉に、思わず頬が緩んだ。


 食事を終える頃には、体の芯まで温まっていた。

荷物を手早く分け合い、ポーチやインベントリへ収めていく。

準備を終えると、ガイルが立ち上がって剣を担ぎ直した。


「よし、行くぞ。俺が先頭、旦那様と奥様が並んで、ルクスが一番後ろだ」


「はい」


 言われた通りの並びで、洞窟を出た。

外に出た瞬間、木々の緑と朝の光が一気に視界へ飛び込んでくる。

土と草の匂いが濃く香り、鳥の声が遠くから響いていた。


                    


 森の中を進む足取りは、思っていたよりも慎重なものになった。

下草を踏む音、枝が揺れる音。

一つひとつの気配に、自然と神経が向いてしまう。


「前だ」


 ガイルの短い声に、視線を上げる。

茂みの奥から、白い毛並みに小さな角を持った兎が姿を現した。

一角兎だ。


「落ち着いて狙え。額の角の下、そこが急所だ」


 ガイルの指示に頷き、私は魔力を練った。

掌の先に水が集まり、狙いを定めてウォーターボールを放つ。

ウォーターボールは兎の額をわずかに逸れたが、瑛太さんが放ったウィンドショットの一撃が正確に急所を捉えた。

兎はその場に崩れ、静かに動かなくなる。


「悪くない。旦那様は狙いが正確だな」


 ガイルは感心したように頷き、兎の傍らへしゃがみ込む。


「来い。解体を教える。今のうちに覚えとけ」


 言われるまま近づくと、ガイルが手早く角と革を分けていく手本を見せてくれた。

毛皮の下から現れる肉の色、骨の位置、刃を入れる角度。

一つひとつ丁寧に教えてもらいながら、私も刃物を握る。

慣れない手つきで角を外し、革を剥ぐ作業は、思っていたよりも時間がかかった。

それでも、最後まで自分の手でやり遂げると、じんわりとした達成感があった。


「上出来だ。街で売れば、多少の小遣いにはなる」


 ガイルの言葉に、少しだけ胸を張りたくなる。

瑛太さんも黙って見ていたが、こちらへ小さく頷いてくれた。

その小さな頷きが、何より嬉しかった。

                 

 それからも、道中では何度か魔物と遭遇した。

茂みの陰から現れたスライムは、瑛太さんの一撃であっさりと弾け散る。

弾力のある体が魔法を受けて震え、透明な体液が飛び散った瞬間、独特の匂いが辺りに広がった。


 森を進むにつれて、遭遇する魔物の種類が少しずつ変わっていった。

最初は一角兎やスライムばかりだったのが、次第にゴブリンの姿を見かける頻度が増えていく。

緑がかった肌に粗末な武器を持ったゴブリンは、群れで襲ってくることもあった。


「前方、三体」


 ガイルの声に、隊列が自然と引き締まる。

瑛太さんが短く息を吐き、魔力を練る。


「遠距離からだ。俺が前に出る」


 ガイルが剣を構えて前へ踏み出す。

私も慌てて魔力を練り、狙いを定めてウォーターボールを放った。

けれど焦りが手元に出たのか、放った水球はゴブリンの体を逸れ、後ろの木の幹に当たって弾けた。

飛沫が飛び散り、木の皮がわずかに湿って黒ずむ。


 外した瞬間、狙われていたゴブリンがこちらへ向かって突進してきた。

足がすくんで、次の魔法を練る手が一瞬止まる。

距離が詰まっていくのが、やけにゆっくり見えた。


 その時、茶色い影が横から割り込んだ。

ルクスだった。

低く唸りながらゴブリンの前へ躍り出て、鋭い爪で薙ぎ払う。

悲鳴じみた声を上げてゴブリンが怯んだ隙に、瑛太さんのウィンドショットが正確に胴を貫いた。


「っ……ありがとう、ルクス」


 声が震えた。

すぐそばまで迫られたことに、心臓がまだ早鐘を打っている。

ルクスはこちらを一瞥すると、何事もなかったように鼻先を軽く寄せてきた。

その仕草に、少しだけ息が整っていく。


 残る二体には、ガイルと瑛太さんがすでに動いていた。

ガイルの剣が一体の胴を薙ぎ、悲鳴とともに崩れ落ちる。


 もう一体が、瑛太さんへ向かって武器を振りかぶった。

私はもう一度魔力を練った。

さっきの失敗が頭をよぎったけれど、今度は狙いを外さないようにと、深く息を吸ってから狙いを定める。

放ったウォーターボールが、正確にゴブリンの側頭部を捉えた。

体勢を崩したところへ、瑛太さんの一撃が追い討つ。

断末魔の声が森に短く響いて、すぐに静寂が戻った。


 肩で息をしながら、私は自分の手のひらを見つめた。

狙いを外した感覚も、今度は捉えた手応えも、まだ指先に残っている。

それでも、いつまでも立ち止まってはいられない。

深く息を吸い、もう一度前を向く。

戦いのたびに緊張で体が強張るけれど、瑛太さんとガイル、そしてルクスがいてくれることが、何よりの支えになっていた。


 その後もゴブリンとの遭遇は、二度、三度と続いた。

数が増えるたびに、ガイルの表情がわずかに険しくなっていく。


「ッチ……街に着いたら、衛兵に伝えとく必要があるな」


 ガイルが小さく舌打ちした。


「何かあったんですか?」


「森の入口にゴブリンが集まってる。何かあったな」


 それ以上は詳しく語らなかったけれど、その一言が小さな引っかかりとなって胸に残った。

それでも足を止めるわけにはいかない。

私は気持ちを切り替えて、前を向いた。


                    


 木々の間隔が少しずつ広くなり、差し込む光の量が増えていく。

森の匂いに混じって、遠くから土埃と煙の匂いが流れてきた。

微かな人の声や車輪の音も、風に乗って届き始める。


「もうすぐだ」


 ガイルの声に、詰めていた息が緩む。

最後の木々を抜けた瞬間、視界いっぱいに広がる景色に、思わず足が止まった。


 なだらかな丘の向こうに、石造りの城壁に囲まれた街が広がっている。

屋根の連なりの合間から、いくつもの煙突が細く煙を上げていた。

遠目にも賑わっているのが分かる、活気のある街並みだった。


「あれが、クロイティル……」


 声が自然とこぼれる。

知らない世界に来て、初めて箱庭の外に広がる景色を目にしていた。

不安も緊張も消えたわけではないけれど、それ以上に胸の奥が高鳴っている。


「あれが街か」


 瑛太さんが隣で呟く。

表情は変わらないけれど、その目は真っ直ぐに街の輪郭を見つめていた。


「うん。やっと着いたね」


「ああ」


 短いやり取りの中に、ここまでの道のりが確かに積み重なっている気がした。

森を抜けた風が頬を撫で、街の方角から微かな喧騒が届いてくる。

ルクスが小さく鳴いて、先を促すように歩き出した。


 私たちはその後を追うように、丘を下り始めた。

もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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