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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜〜料理とものづくりで紡ぐ、異世界スローライフ〜  作者: 望月 小鳥
転生編

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30/43

リナと作る、特別な夕飯

 MPポーションの検証を終え、私たちは訓練場を後にした。

明日までに間に合ったという安心感が、遅れて胸の奥へ広がっていく。

失敗を重ねて、ようやく三本。

決して多くはないけれど、何もない状態で街へ向かうわけではなくなった。

それだけで、肩の力が少し抜ける。


 夕暮れの風は昼間より涼しく、頬を優しく撫でていった。

隣を歩く瑛太さんは、いつも通り静かだ。

けれど、ときどきこちらへ向く視線に気付く。

疲れていないか。

無理をしていないか。

言葉にしなくても、気に掛けてくれているのが分かった。


「じゃあ私、夕飯の準備してくるね」


「ああ」


「瑛太さんは?」


「鍛冶場の片付けをしてくる」


「そっか。じゃあ後でね」


 瑛太さんと別れ、私は屋敷へ向かって歩き出した。

明日は、いよいよ街へ出る。

その前に、瑛太さんとゆっくり夕飯を食べておきたい。

少しだけ特別な料理を作って、明日へ向かう気持ちを整えよう。

そんなことを考えながら、夕暮れの石畳を進んでいった。


 扉を開けると、リナが後片付けを終えたところだった。

布巾を畳み、調理台を整えている。

夕食の準備は、まだこれからという様子だった。


「お帰りなさいませ、奥様」


「ただいま、リナ」


 明日は黒の森を抜けて、宿を取って、教会へ行く。

初めて箱庭の外で過ごすことになる。


 不安がないわけじゃない。

まだ、この世界へ来て五日ほどしか経っていないのだから当然だと思う。


 それでも、準備は少しずつ整ってきた。

HPポーションもある。

MPポーションも、今日ようやく完成した。

瑛太さんが作ってくれた指輪もある。

明日への緊張を少し和らげながら、瑛太さんとゆっくり食事をしておきたかった。


「今日は少しだけ、特別な夕飯にしようかなって思って」


「特別な夕飯ですか」


「えぇ。前の世界では、誕生日とかクリスマスとか、そういう日に作ることが多かった料理なんです」


 リナが静かに首を傾げる。


「どのようなお料理でしょうか」


「ローストビーフです。お肉を焼いて、ゆっくり休ませながら中まで火を通す料理なんですよ」


「初めて聞くお料理です」


「美味しくできますから、楽しみにしていてください」


「あと、カルナ(にんじん)のグラッセと、マッシュモルガ(ポテト)も作ろうかなって思ってます。黒パンと、簡単なサラダも添えたいですね」


「かしこまりました。必要なものをお持ちいたします」


 必要な食材を思い浮かべながら、二人でパントリーへ向かう。

時間停止の掛かった空間は、相変わらず静かだった。


 ローストビーフ用の牛肉を取り出し、カルナ、モルガ、セルナ(キャベツ)ガルニル根(ニンニク)オルニア(玉ねぎ)ブロセラ(ブロッコリー)を籠へ入れていく。

ベルクレア(バター)、サルディア塩、ペルザスパイス(コショウ)セルナ糖(砂糖)も忘れずに手に取った。

最後に黒パンを用意して、必要なものを一通り揃える。


 食材を抱えて厨房へ戻り、作業台の上へ並べていく。


 まずは牛肉の下準備から取り掛かる。

布で余分な水分を拭き取り、全体へサルディア塩とペルザスパイス、ガルニル根を擦り込んでいく。

手のひらで押さえるたび、肉の表面へ少しずつ香りが馴染んでいった。

最後に乾燥させた香草を散らし、しばらく休ませる。


 その間に、リナにモルガを洗い、皮を剥いてもらう。

薄く、均一に皮が剥かれていく様子は見ていて気持ちがいい。

無駄な動きがなく、私が牛肉の下準備を終える頃には、必要な分がすっかり揃っていた。


 やっぱり、リナに手伝ってもらえると助かる。


 私はカルナへ包丁を入れる。

皮を剥き、火の入り方が揃うよう大きさを整えていく。

角を少し落としておくと、見た目も柔らかくなる。


 切り終えたカルナを木皿へ並べると、鮮やかな橙色が夕方の光を受けて穏やかに輝いていた。


「グラッセ、というお料理は初めてです」


「私も特別な日にしか作らなかったですよ。久しぶりです」


「楽しみです」


 小鍋を用意し、切り揃えたカルナを移し、セルナ糖とベルクレアを脇へ置いた。

まだ火には掛けない。

先に他の準備を進めることにする。


 次はサラダ用の野菜だ。


 セルナを千切りにし、ブロセラは小房へ分ける。

オルニアは薄く切って、水へさらす。

強い香りが少しだけ和らぐと、全体が食べやすくなる。


 リナはその横で湯を沸かし、ブロセラを軽く下茹でしていた。

時間を掛けすぎない。

鮮やかな緑色が残る程度で引き上げる。

湯気と一緒に、青々しい香りが立ち上った。


「本当に手際がいいですね」


 思わず口にすると、リナが小さく首を振る。


「奥様のお手伝いをしているだけです」


「いや、私一人だったら倍くらい時間が掛かってますよ」


「そのようなことはありません」


 必要な器具も、置く場所も、いつの間にか整っている。

私が次を考えている間に、リナはもう次の準備へ移っていた。

やっぱり、一緒に料理をすると助かる。


 モルガを適当な大きさへ切り分け、大鍋へ入れる。

火に掛けると、小さな泡が底から立ち始めた。


 その頃には、牛肉も程よく室温へ戻っている。


「そろそろ焼きましょうか」


「はい」


 厚手の鍋を火へ掛ける。

じんわりと熱が広がるのを待つ。

焦らない。

十分に温まるまで待ってから、牛肉を静かに置いた。


 次の瞬間、じゅわっと大きな音が厨房へ響く。


 香ばしい匂いが、一気に広がった。


 焼ける肉の香り。

香草の青い匂い。

溶け出した脂の甘さ。


 夕食の時間が近付いていることを、鼻が先に教えてくれる。


「いい匂いですね」


「うん。これだけでお腹空いてきます」


 肉を動かしすぎないように待つ。

表面がしっかり焼けてから向きを変える。

側面にも、丁寧に火を入れていく。


 赤かった表面が、少しずつ深い褐色へ変わっていった。


 リナは黙って、その変化を見ている。

説明を求めるというより、音と香りを覚えているようだった。


 全面へ焼き色が付いたところで、火から下ろす。


「アルミホイルがあれば楽なんですけどね」


「あるみほいる、ですか?」


「前の世界の道具なんです。今日はタオルで代用します」


 厚手の清潔なタオルを広げ、肉を包む。

さらにもう一枚重ね、余熱が逃げすぎないよう整えた。


 火を止めても、料理は終わらない。

ゆっくり休ませる時間も、火入れの一部だ。

その間に、私たちは次の料理へ取り掛かることにした。

モルガが柔らかくなるまでの間に、サラダを仕上げていく。


 水気を切ったセルナを大きな器へ移し、下茹でしたブロセラを加える。

薄切りにしたオルニアも混ぜ合わせると、緑と白が穏やかな彩りを作っていた。

味付けは重くしない。

ローストビーフが主役だから、口の中を整えてくれるくらいがちょうどいい。


 リモナ果汁を少しだけ絞り、サルディア塩を軽く振る。

木匙で下から持ち上げるように混ぜると、爽やかな香りが立ち上った。


「さっぱりしていて、食べやすそうですね」


「お肉が続くと重たくなりやすいですし、このくらいが好きなんです」


「なるほど。組み合わせまで考えられているのですね」


「昔、何度も作ってるうちに、自然とこうなった感じですね」


 前の世界では、クリスマスや誕生日になると、よくローストビーフを作っていた。

特別な日だから少し頑張る。

でも、準備している時間そのものも楽しかった。

その感覚は、世界が変わっても不思議と残っている。


 ぐつぐつという音が聞こえ、鍋へ視線を向ける。

モルガは十分に柔らかくなっていた。


 湯を切り、しばらく蒸気を飛ばす。

余分な水分が残ると、仕上がりが重たくなる。

熱いうちに木の器へ移し、潰していく。


 最初はごろごろとしていた塊が、押すたびにほぐれていく。

そこへベルクレアを加えると、甘く柔らかな香りがふわりと広がった。


 少しずつ混ぜ、練りすぎないよう手を動かす。

滑らかさを残しながら、モルガ本来の食感も消しすぎない。

手の感覚だけを頼りに、ゆっくり整えていった。


「これくらいかな」


 木匙ですくい上げると、柔らかく形を変えながら落ちていく。

重すぎず、軽すぎない。

思っていた通りの仕上がりだった。


 リナが覗き込む。


「とても滑らかですね」


「瑛太さん、意外とマッシュモルガ好きなんですよ」


 そう口にすると、リナが少し目を瞬かせた。


「旦那様が、ですか?」


「そう……。前の世界でも、お肉料理の時はよく食べてましたよ。派手な反応はしないんですけど、気付くと先になくなってるんですよね」


 思い出して、自然と笑みが零れる。


「では、少し多めにご用意いたしましょうか」


「そうですね、その方がいいかも」


 リナは真面目に頷き、盛り付け用の器を一回り大きなものへ替えた。

その判断の早さに、思わず笑ってしまう。


「ありがとう」


「いえ、当然のことです」


 次はカルナのグラッセだ。


 小鍋へ火を入れる。

強すぎず、弱すぎず。

ゆっくり煮含めるように熱を加える。


 セルナ糖が溶け、カルナの甘い香りと混ざり始める。

橙色だった表面へ、少しずつ艶が乗っていった。


 鍋を静かに揺らしながら煮汁を絡めていく。

崩さないよう、余計な力を入れない。


 最後にベルクレアを少し加えると、香りが一段柔らかくなった。


「綺麗ですね」


「ちゃんと艶が出てくれて良かった」


 明るい橙色が、夕暮れの厨房の灯りを受けて静かに輝いている。

ローストビーフの深い色合いと並べれば、きっと良いアクセントになるだろう。


 その頃には、休ませていた肉も落ち着いていた。


 タオルを開くと、ふわりと香りが広がった。

肉汁と香草の匂いに、焼いた表面の香ばしさが混ざっている。

熱が穏やかになったことで、さっきよりも柔らかな香りになっていた。


「いい感じね」


「はい。香りも落ち着いております」


挿絵(By みてみん)


 包丁を入れ、薄く均一に切り分けていく。

一枚切るごとに、断面の赤みが現れた。


 火は入りすぎていない。

それでいて、生でもない。


 思っていた以上に綺麗な仕上がりだった。


「綺麗に仕上がりましたね」


「えぇ。良かった」


 胸の奥から、小さな安堵が広がる。


 MPポーションも、夕食も、何とか形になった。

明日へ向かう準備が、一つずつ整っていく。


 切り分けた肉を大皿へ並べていく。

少し重ねるように置くと、花びらのような形になった。


 中央へマッシュモルガを添え、脇へカルナのグラッセを並べる。

白いマッシュモルガと鮮やかな橙色、その隣に並ぶローストビーフの深い赤が皿の上で綺麗な対比を作っていた。

質素ではあるけれど、明日を前にした少し特別な夕食らしい。


 黒パンは表面だけ軽く焼き直す。

熱が入るにつれて香ばしい匂いが立ち上り、独特の深い風味が厨房へ広がっていく。

前の世界のパンとは違うけれど、この香りには少しずつ慣れてきて、今では結構気に入っていた。

噛むほど味が出る、少し力強い香り。


 ローストビーフとも相性が良い。


「明日のお昼用に、サンドイッチも作っておきたいですね」


「街へ向かう途中で召し上がるのですか?」


「ううん、宿に着く時間も分からないですし、少し用意しておけると安心かなって思って」


「かしこまりました」


 切り分けたローストビーフを数枚取り分け、セルナとブロセラも少しだけ残しておく。

薄く切った黒パンへベルクレアを塗り、野菜と一緒に挟んで形を整えた。


 簡単なものだけれど、移動中に食べるには十分だ。

布で包み、そのままインベントリへ収納する。

時間停止が働いているから、明日になっても作りたてのまま取り出せる。


 何も分からない場所へ向かうからこそ、こういう準備が少し安心に繋がる。

まだ転生して五日ほど。

不安はあるけれど、少しずつ暮らしの形も整ってきているような気がしていた。


 盛り付けを始める前に、リナ用を切り分けてお皿へ移す。


「リナ、味の方お願いします」


「かしこまりました」


 ローストビーフを一枚口へ運び、ゆっくり噛み締める。

少し考えるように間を置いてから、小さく頷いた。


「柔らかく仕上がっております。香草の香りも程よいですね」


「良かった。久しぶりだったので、少し心配してたんです」


 続いて、マッシュモルガを一口。


「こちらも優しい味わいでございます」


 最後にカルナのグラッセも確かめてもらう。


「甘さもちょうど良いかと思います」


「なら大丈夫そうですね」


 試食を終え、二人で盛り付けへ移る。

ローストビーフ、カルナのグラッセ、マッシュモルガ、サラダ、黒パン。

料理が並ぶと、厨房の空気まで少し華やかになった。


「奥様、盛り付けはこちらでよろしいでしょうか」


「うん。すごく綺麗」


「ありがとうございます」


「礼拝堂へ持っていく分、取り分けますね」


「かしこまりました。私は食堂の準備を進めておきます」


「お願いね」


 ローストビーフに、マッシュモルガ。

カルナのグラッセと黒パン、サラダを一人分ずつ皿へ盛り付け、静かにシルバートレイへ載せていく。

器同士が触れ合い、小さな音が厨房へ響いた。


「じゃあ、行ってきますね」


「はい。戻られる頃には、食堂の準備も整っているかと思います」


「ありがとう」


 立ち上る湯気を見つめながら、私はシルバートレイを持ち上げる。

厨房の扉を開くと、夕暮れの柔らかな光が廊下へ長く伸びていた。


 器を揺らさないよう足元へ気を付けながら、私は礼拝堂へ向かって歩き出した。


 静かな礼拝堂へ足を踏み入れる。

祭壇の前では、いつものキャンドルが穏やかな光を灯していた。

炎ではなく、魔力で生み出された柔らかな灯りだ。

夕暮れの薄暗さと混ざり合い、礼拝堂全体を優しく包み込んでいる。


 祭壇の前へシルバートレイを置き、器を整える。

湯気がキャンドルの光を受け、ゆっくりと揺れていた。


「明日、街へ着いたら教会へ行きますね」


 小さく声を掛け、祭壇へ視線を向ける。


 昨日の夕食は、そのまま残っていた。

手紙が置かれていたこともある。

何かあったらどうしようと、少しだけ身構えてしまう。


「……何もないですよね?」


 静かな空間へ、ぽつりと呟きが落ちる。


 返事はない。

変わらず、キャンドルだけが穏やかに揺れていた。


 少しだけ肩の力を抜き、私は頭を下げる。


「それじゃ、行ってきますね」


 礼拝堂の扉を閉める。

屋敷の方から、ローストビーフの香ばしい匂いが微かに流れてきた。


 瑛太さんも、そろそろ鍛冶場から戻ってきている頃だろう。


 今日は、明日へ向かう前の最後の夕食だ。

せっかくだから、ゆっくり味わいたい。


 私は少しだけ歩く速度を速め、暖かな灯りの待つ食堂へ戻っていった。


もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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