転生準備 その1 <エシャール目線>
真っ白な部屋は、いつ見ても落ち着かない。
床も壁も天井も、何もかもが白。
影すら薄く、空気の温度さえ曖昧で、ここでは時間という概念すら希薄だ。
私はその部屋の隅で、ロッキングチェアを揺らしていた。
ギィ……ギィ……と軋む音が、やけに大きく響く。
視線の先には、並んで横たわる男女――真由さんと瑛太さん。
ようやく、ここまで辿り着いた。
地球という星を覗き続けて数十年。
幾人もの候補を見送り、幾人もの「惜しい」を切り捨て、慎重に選び抜いた。
だからこそ、落ち着かない。
胸の奥がそわそわして、椅子を揺らさずにはいられない。
失敗は許されない。
これは、クラウディスの未来に関わることだ。
――いや、それだけではない。
私は、この二人を気に入っていた。
観察しているうちに、気に入ってしまったのだ。
ギィ……ギィ……。
その時、瑛太さんの指がわずかに動いた。
「……っ」
次の瞬間、彼は顔をしかめて呻いた。
「うっ……背中が痛い……」
ゆっくりと上体を起こし、首を回す。
目を開き、そして固まる。
真っ白な空間。
どこまでも続く白。
床の感触さえ、現実味がないのだろう。
無理もない。彼は地球の常識で生きてきた人間だ。
口をわずかに開き、瞬きを繰り返す。
混乱が、そのまま表情に出ていた。
私は咳払いをひとつして、穏やかに声をかける。
「初めてのことですので、少々強引な導き方になってしまいました。体の痛み以外に問題はございませんか?」
だが、届いていない。
正確には、聞こえてはいるが理解が追いついていない。
「……ん?ここは……何だ」
低く呟くような声。
焦りを押し殺しているのが分かる。
私は内心でため息をついた。
やはり、真由さんが先に目覚めるべきだった。
瑛太さんは、異世界や転生といった概念に馴染みがない。
瑛太さんは周囲を見回し――ふと、振り返る。
背後に倒れている真由さんに気づいた瞬間、表情が変わった。
「……真由さん」
声が低く、沈む。
次の瞬間、彼は床を滑るように駆け寄り、その身体を抱き起こした。
「どうした……真由さん……」
強く、しかし壊さぬように抱きしめる腕。
守るべきものを見つけた男の、それだった。
私は目を細める。
やはり、この二人で正しかった。
必要なのは料理の技術だけではない。
文化は、安定した生活の上にしか根付かない。
この人は、守る。
守るためなら、どんな場所でも踏みとどまる。
真由さんのまぶたが、ぴくりと動いた。
目覚めが近い。
私は静かに告げる。
「真由さんは、まもなく目を覚まされます。落ち着いてください」
その言葉で、ようやく瑛太さんがこちらを見る。
鋭い視線。
値踏みするような目。
「……あんた、誰だ」
声は低い。
だが、明確な警戒がある。
「ここはどこだ。なぜ真由さんが倒れている」
一拍。
「説明してもらおうか」
圧がある。
感情に任せて怒鳴るのではなく、状況を押さえ込む声だ。
(ああ……完全に警戒している)
私は言葉を選ぼうとしたそのとき、真由さんの目が、カッと開いた。
そして――
「瑛太さん、うるさい」
瑛太さんは一瞬だけ動きを止めた。
抱きしめられていた真由さんは、髪をかき上げながら体を起こす。
寝起きのまま周囲を見回し、そして私を見る。
視線が合った瞬間、ようやく空気が動いた気がした。
私は背筋を伸ばし、名乗る。
「私の名はエシャール。クラウディスを治める女神です。お二人に異世界転生の依頼をするため、こちらにお呼びしました」
二人が揃って固まる。
瑛太さんは眉を顰め、真由さんは口をわずかに開いたまま。
「大丈夫ですか?」
真由さんが慎重に口を開く。
「はい……大丈夫ですけど、どうして私たちなんですか?」
私は頷き、説明を始める。
「私は地球を長く観察していました。
クラウディスという世界を創りましたが、食文化の発展が遅れているのです。
料理人や研究者、様々な候補を検討しました。」
一拍。
「ですが、才能だけでは駄目です」
瑛太さんが目を細める。
「才能がある者ほど、変化を急ぎすぎる。私が望むのは革命ではありません。日々の生活に入り込む、緩やかな変化です」
真由さんが小さく頷く。
「食卓が、少しずつ良くなるような」
そして続ける。
「クラウディスは危険もある世界です。だからこそ、一人ではなく支え合える関係が必要でした。夫婦という形が、最も適していたのです」
真由さんが呟く。
「つまり……食文化を広げるために転生、ということですよね」
「はい」
私は頷く。
「生活の中で、少しずつ広げてほしいのです」
瑛太さんが口を開く。
「……俺たちは、どうなる」
短く、核心だけを問う。
「望む年齢で転生できます。病は持ち越しません。寿命も選択した種族に準じます」
そして、少しだけ間を置く。
「お二人の寿命を揃えることも可能です」
空気が変わる。
真由さんが小さく息を吐く。
「……瑛太さん、どうする」
瑛太さんは少しだけ視線を落とし、静かに言った。
「俺は、真由さんが行くなら行く」
それだけ。
真由さんが苦笑する。
「それ、ずるい」
けれど声は柔らかい。
私は確信する。
この二人なら大丈夫だ。
真由さんが顔を上げる。
「分かりました。ただし、条件があります。無理はしないし、命の危険は避ける。食文化は生活の延長でやります。」
私は即座に頷いた。
「承知しました。それが私の望みでもあります」
そして静かに微笑む。
「それでは――これからのことをお話ししましょう」
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