女神エルーシャは今日も地球を覗き見て
女神エシャールは、まだ新米だった。
神々の世界では、女神や男神は自然発生する存在ではない。
神の子として“作られ”、幾百年、幾千年という気の遠くなる時間修行し、力を蓄えた者だけがようやく一つの星を作れるようになる。
それは神にとっての【成人の儀式】のようなものだった。
自分の世界を創り、生命を宿し、文明を芽吹かせ、その行く末を見守る。
星を持つことは栄誉であり、祝福だ。
星は、神の人格を映す。
優しい神の星は穏やかで、苛烈な神の星は荒れ狂う。
星の住人の幸福も悲劇も、すべては創造主の設計の延長線上にある。
だからこそ、初めて星を作る前に、若い神々は先達の神に教えを請う。
エシャールも例外ではなかった。
彼女は星々を巡り、幾多の世界を見せてもらい、幾多の神々の助言を聞いた。
そしてその旅の中で、何度も耳にした言葉がある。
地球を見よ。
地球は、神々の間でも有名だった。
繁栄と滅亡を繰り返し、文明が芽吹くたびに戦争を起こし、技術を加速させ、そしてまた崩れ落ちる。
美しい文化を作りながら、同時にそれを踏みにじる残酷さを併せ持つ。
奇妙なほど矛盾した星。
エシャールはその星を覗き込み、胸の奥がざわめくのを感じた。
生命とは、文明とは、幸福とは何なのか。
答えのない問いを抱えながら、彼女は兄や姉の元を訪れた。
最初に会ったのは兄だった。
屈強で、気性は荒いが、根は面倒見の良い男神。
彼は地球を眺めながら、腕を組んで笑った。
「地球が参考になるぞ、エシャール。」
その声は、どこか楽しげだった。
「色んな種族が繁栄して、戦争で技術を発展させて、死んでいく。
あそこはな、一定以上技術が発展すると滅ぶように作られてるんじゃないかって思うほど、同じ末路を辿る」
エシャールは眉を寄せた。
「それは、どうして……?」
「理由は簡単だ。技術は便利だが、欲望を増幅させる。欲望は争いを増やす。争いは滅亡を早める。
地球はその循環が異常に早い」
兄はふっと口角を上げた。
「だから俺の星では技術を制限している。文明は中途半端なところで止めてある」
「それなら争いも減ったのですか?」
エシャールがそう尋ねると、兄は鼻で笑った。
「いや、争いは止めていない」
「え……? 何故ですか?」
「国を発展させるため、生きるためには切磋琢磨が必要だ。思考せず、与えられた物を食すだけなら家畜と同じだろ」
兄は地球の戦場を指さした。
燃える街、泣き叫ぶ人間、銃声、爆音。
その惨状を見ているのに、彼の声には冷静さがあった。
「争いが悪だとは限らない。競争は文明を育てる。痛みがあるから、守ろうとする。失うから、手に入れようとする。そうして進むんだ」
エシャールは、言葉を失った。
兄の星は、平和ではない。
だが、滅びもしないように調整されている。
そこには、神の設計思想が確かにあった。
次に訪れたのは姉の女神のところだった。
彼女は優雅で、美しい衣を纏い、まるで花畑そのもののような雰囲気を纏っていた。
姉は、地球を見て目を細めた。
「地球は参考になるわ。技術もそうだけど、文化と芸術が素晴らしい」
姉の指先が空をなぞると、地球の音楽ホールが映し出された。
舞台に立つ歌手。
踊る人々。
絵画や彫刻。
「音楽、絵、舞台、ダンス……本当に素敵よ人間って。壊れやすいのに、こんなにも美しいものを生み出すのね」
だが姉は、次の瞬間少しだけ悲しそうに笑った。
「それすらも戦争に利用する愚かさがある。でも、それはどの星の人類もそう。仕方ないわ」
エシャールは姉の横顔を見つめた。
「姉さまの星は、平和なのですか?」
「いいえ。私の星には“魔王”がいる」
姉は微笑みながら言った。
「文化を壊す魔王と、それを守る人類に分けて作ったの。文化や芸術の発展には破壊も必要。でも、それを人間同士でやる必要はないでしょう?」
姉の星には、破壊者という役割が与えられた魔王が居た。
争いの主たる原因を外敵という形に変えることで、文化が内側から腐り落ちないようにしたのだ。
その発想は、兄とは違う方向性で合理的に思える世界。
さらに別の神、年老いた男神にも会った。
彼の瞳は深く、星の光すら吸い込むような暗さがあった。
「平和だけでは世界は死ぬ」
彼はそう言った。
「嫉妬も憎悪も嫌悪も、悪いと言われる感情を全て廃した。戦争も飢餓も競争もない、幸福な世界を作った」
エシャールは息を呑んだ。
それは理想の楽園に思えたが……。
「それなら、素晴らしい星になったのですか?」
しかし老神は、首を横に振る。
「生物は飽きる。幸福に慣れる。慣れた幸福は刺激を失う。彼らはより強い幸福を求め、狂った」
老神は目を閉じる。
「最終的に、死を幸福と勘違いした。死ねば永遠に幸福を得られると信じたのだ。世界は、幸福を求めて死滅した」
その言葉は、静かな呪いのように響く。
エシャールは身震いした。
平和を作れば救えると思っていた。
だが平和は、停滞を生み、停滞は飢えを生む。
飢えは、狂気を呼ぶ。
彼女は帰路に就きながら、考えた。
考えて、考えて、考え抜いた。
そして彼女は、初めて自分の星を作った。
星の名はクラウディス。
クラウディスは平坦ではない世界にした。
感情があり、正義があり、悪がある。
光があるなら影もある。
喜びがあるなら悲しみもある。
だが人が増えすぎれば、世界は疲弊する。
それは地球を見れば明らかだ。
だから生存競争を設けた。
人間だけではなく魔物も生み、互いの数が調整されるようにした。
科学技術は制限した。
だがその代わりに、スキルを与えた。
剣を振るう者には剣の技が、癒しを求める者には治癒の力を。
さらに、種族も多彩にした。
人間、獣人、妖精、竜人、ドワーフ、エルフ。
外見も価値観も違う者が混ざり合えば、文化や芸術はより豊かになるだろう。
争いはある。
だが争いがあるから、守るものが生まれる。
守るものがあるから、歌が生まれる。
歌があるから、絵が生まれる。
絵があるから、物語が生まれる。
エシャールは、自分の作ったクラウディスが好きだった。
好きだったのだが――。
ある日、彼女は天上宮殿の窓からクラウディスを覗き込み、首を傾げた。
「……何故でしょう?」
そこには市場があった。
肉が売られ、野菜が売られ、香草が並び、魚もある。
魔物の素材さえ、加工されて並んでいる。
食べ物は豊富だ。
地球よりも、むしろ種類は多い。
……だというのに。
「食文化が、あまり発展していかないですね」
地球には、あれだけ美味しそうなものがある。
甘い菓子。香り高いスパイス。
油で揚げたもの。発酵させたもの。
焼き、蒸し、煮込み、炙り、燻し、漬け。
クラウディスの料理は、数百年ずっと似たようなものだった。
塩で焼いた肉。
硬いパン。
塩味の煮込みスープ。
地球で言えば中世程度の食文化が、そこで止まっている。
「科学を制限したから?それとも、常に魔物の脅威があるから?」
エシャールは唸った。
「お砂糖はあるし、うーん、味の素のようなものならスキルで作れると思うのですが……」
スキルで塩も砂糖も作れる。
香りを付けることもできる。
火を操り、温度管理だってできる。
なのに、料理の発展だけが妙に遅い。
それはまるで、文明が伸びようとする力を、何かが押さえつけているようだった。
エシャールが「う~う~」と悩み続けていると、背後から柔らかな声がした。
「どうしたの、エシャール?」
振り返ると姉の女神がいた。
彼女は相変わらず華やかで、花の香りを纏っている。
エシャールは思わず泣きつくように言った。
「お姉様! クラウディスの食文化が何故か発展しないんです。食材は豊富なのに、料理がずっと同じで!」
姉は少し驚いたように目を瞬かせ、すぐに笑った。
「ああ、なるほど。食文化はね、技術だけじゃ育たないの。必要なのは“執念”と“余裕”よ」
「余裕……?」
「常に命が脅かされていると、人は料理を“楽しみ”として見られない。栄養を取るための作業になる。」
姉は指先を軽く振り、地球の一地域を映した。
「地球の日本を参考にするといいわ。」
そこには、湯気の立つ白米、味噌汁、焼き魚、漬物が並んでいた。
さらに、寿司、天ぷら、ラーメン、洋菓子、和菓子。
季節ごとの料理。
祭りの料理。
家庭の味。
姉は言った。
「あそこは多文化共生で、作るのも食べるのも好き。食に対する情熱が強い。真似するには最適よ」
エシャールは目を輝かせた。
「でも、どうすれば?」
姉は少し悪戯っぽく笑った。
「良い人を見つけたら、自分の星に招くの!」
「招く……地球の人間を?」
「そう。彼らは転生や魔法、異世界の概念を物語として知っている。理解が早い。変なやつを招かない限り安全よ」
エシャールはうなずきながらも、少し怖くなった。
人を招くということは、神が運命に介入するということだ。
自分の世界へ異なる世界の魂を招く分、責任も伴う。
だからこそ慎重に選ばねばならない。
エシャールは、それから数十年という時間をかけて探した。
地球を覗き、様々な人間を見た。
料理人、研究者、旅人、軍人、主婦、学生。
稀に”この人だ”と思っても、兄や姉のお気に入りで既に別の星へ招かれる予定だったり、あるいは他の神の星へ招かれた者が暴走して大惨事を起こしたりした。
だから、慎重に。
慎重に、慎重に。
あまり異世界の物語に詳しすぎず、過激な革命を起こさず、緩やかな変化をもたらしてくれそうな人物。
すぐに花を咲かせなくていい。
派手な改革もいらない。
種を蒔くだけでいい。
そうして探していたある日、エシャールは一組の夫婦を見つけた。
地球の小さな家。
台所から漂う香り。
鍋の蓋を開けて湯気を浴びる女性。
その女性の腰に腕を回し抱きついている男性。
「仕事お疲れ様、今日も大変だったね」
「……疲れたな。今日の晩飯は何だ」
「味噌汁と生姜焼き」
女性は話しながらも鍋を混ぜる手は止めない。
男性は「美味そう」と、どこか嬉しそうに笑っている。
エシャールは微笑んだ。
「良い雰囲気の夫婦だな~」
奥さんは多趣味だった。
RPGが好きで、読書が好きで、料理が好き。
滅多に怒らないが怒らせると凄く怖い。
旦那さんはFPSが好きで、動物が好きで、アウトドアが好き。
そして何より、歳の離れた奥さんが大好きだった。
エシャールは二人を眺めながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。
この二人なら、クラウディスでも生きていけるだろうか?
互いを支え合い、笑い合い、喧嘩しながらも、日々を積み重ねていけるだろうか。
そして奥さんは料理が好きだ。
作ることを楽しみ、食べる事も好き。
きっとクラウディスの食材に目を輝かせ、魔物の肉すら「これ、どう調理したら美味しいかな」と考えるだろう。
旦那さんも、外に出ることを恐れない。
魔物がいる世界でも、案外楽しそうに狩りをし、焚火を起こし、笑うかもしれない。
エシャールはふわりと微笑んだ。
「終わりの時には、声をかけてみましょう」
神の目には、人間の寿命は短い。
だが、短いからこそ輝く。
「私の世界で第二の人生、食文化を広げる冒険をしながらスローライフな生活してみませんか?って」
そう言って誘う自分を想像する。
彼らが受け入れてくれたら嬉しい。
断られたら、そっと見送ろう。
無理やり連れて行くことはしない。
それだけは、神として守るべき誓いだ。
エシャールは、今日も地球を覗き見る。
台所で湯気に包まれる奥さん。
リビングで食事をしながら、構い過ぎて怒られても懲りない旦那さん。
時に喧嘩をし、時に笑い合い、眠る前には同じ布団に入る二人。
幸福がそこにあった。
エシャールは願った。
彼らがクラウディスに、新しい風を運んでくれますように。
神の宮殿の窓辺で、エシャールは静かに笑った。
新米女神はまだ知らない。
食文化とは、ただ美味しいものを作ることではない。
それは、生きる意味を積み重ねることだ。
そしてそれは、時に戦争よりも、魔王よりも、世界を強くする。
食文化は偉大なのだ。
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