それぞれの成果と、変わらない約束
ヴァルドに呼ばれて食堂へ移動してから、しばらく経つ。
料理は既に並び終わり、温かな湯気を立てているが、真由さんは一向に姿を見せなかった。
「旦那様、奥様が来られませんがいかがいたしますか?」
ヴァルドの問いに、指輪のサイズを測りに行った時の真由さんの様子を思い出す。
あの様子なら駄目だろう。
没頭して、時間の感覚ごと吹き飛ばしているはずだ。
「待つだけ無駄だ。リナには悪いが下げてもらって、食べやすいサンドイッチとリュネ草コーヒーを用意してくれ。俺が鍛冶場へ行く時に持っていく」
「かしこまりました」
真由さんのあれは、一種の病気みたいなものだ。
昔から集中しすぎると食事も睡眠も後回しにして、気付けば何時間も作業を続けている。
無理に中断させれば不貞腐れるし、口も利かなくなる。
それだけならまだいいが、後々まで引きずるから面倒だ。
触る神に祟りなし。
本人が区切りを付けるまで待った方が早い。
「ヴァルドも覚えておいてくれ」
「奥様のことでしょうか?」
「ああ。集中している時は無理に止めるな。食事だけ用意しておけば、そのうち戻ってくる」
ヴァルドは少し驚いたような顔をした後、小さく頭を下げた。
「承知いたしました」
軽く昼食を済ませると、ヴァルドからサンドイッチとリュネ草コーヒーが乗ったトレイを受け取った。
真由さんの分だ。
温かいうちに持って行った方がいいだろう。
調合室へ向かう廊下を歩きながら、小さく息を吐く。
扉の前で足を止めると、中から微かに器具の触れ合う音が聞こえてきた。
「真由さん、入るぞ」
返事はない。
扉を開けると、案の定だった。
真由さんは作業台へ向かったまま、午前中の続きに没頭している。
こちらへ視線を向ける様子もなく、手元の素材と器具だけを見つめていた。
まあ、知っていた。
入る、と声を掛けて反応がない時点で無駄なのだ。
この状態になると、本人の意識はほとんど作業へ持って行かれている。
トレイを近くへ置き、サンドイッチを一つ手に取る。
頃合いを見て口元へ運ぶと、真由さんは視線を動かさないまま口を開いた。
もぐ。
もぐ。
もぐ。
もぐ。
四口でサンドイッチが消えた。
ちゃんと噛んでいるのか少し不安になる速度だが、とりあえず食べはしたらしい。
「リュネ草コーヒーもあるぞ」
「あー、うん……」
返ってきたのは空返事だった。
今渡しても零すだけだろう。
カップは手の当たらない場所へ置いた。
一段落して顔を上げた時、目に入るくらいがちょうどいい。
さて。
ここから先は本人が我に返るのを待つしかない。
部屋を出る前にもう一度だけ振り返る。
真由さんは相変わらず作業台へ向かったまま、こちらを見る気配もなかった。
サンドイッチは食べさせたし、飲み物も置いてある。
今できることは終わりだろう。
静かに扉を閉めて調合室を後にする。
廊下を歩きながら耳を澄ませても、聞こえてくるのは遠くの生活音だけだった。
この様子なら、しばらくは作業に没頭し続けるはずだ。
鍛冶場へ近付くにつれて、金属を打つ乾いた音が聞こえてきた。
一定の間隔で響く音は重く力強い。
既に作業は始まっているらしい。
扉を開けると、炉の熱気が肌を撫でた。
作業台の向こうではハルグリムが金床へ向かい、赤く熱した金属を打っている。
俺の姿に気付くと、鎚を止めてこちらを見た。
「来たか」
「ああ。待たせたか?」
「いや。ちょうど始めたところだ」
ハルグリムはそう言いながら金属を炉へ戻した。
周囲には地金や工具が整然と並べられている。
どうやら準備は一通り終わっているようだった。
俺も作業用のエプロンを身に着けながら炉へ視線を向ける。
「旦那様、準備できたなら始めるぞ」
ハルグリムに呼ばれ、作業台の前へ立つ。
並んでいるのは銀の地金と工具、それに小さな坩堝だった。
まずは銀を溶かし、指輪の元になる塊を作る。
炉の熱は想像以上に強く、坩堝の中で銀が赤く染まりながらゆっくりと液体へ変わっていく。
前回の玉子焼き機とは違う。
大きな物を作るのではなく、小さな狂いも許されない細工仕事だ。
「焦るな。流し込む時に慌てると失敗する」
「ああ」
型へ流し込んだ銀が冷えて固まるのを待ち、今度はそれを叩いて伸ばしていく。
ここで早速苦戦した。
力加減が難しい。
強く叩けば歪み、弱ければ形が変わらない。
何度も炉で熱し直しながら叩いていくが、真っ直ぐ伸ばしたつもりでも少しずつ曲がっていく。
「曲がってるな」
「分かってる」
分かっている。
だから困っているのだ。
修正したと思えば別の方向へ曲がり、気付けば予定よりずっと時間が掛かっていた。
ようやく形になった棒を今度は丸めていくが、こちらも簡単ではない。
頭の中では円にするだけだと思っていたのに、実際には片側が潰れたり反対側が膨らんだりして綺麗な輪にならない。
「指輪なんて簡単だと思っていた」
「最初はみんなそう言うもんだ」
「玉子焼き機の方が楽だったな」
「比べるもんが違う」
ハルグリムは笑ったが、俺は笑えなかった。
その通りだったからだ。
なんとか輪の形にした後は継ぎ目を繋ぐ作業に入る。
ロウ材を挟み、慎重に熱を加える。
しかし慎重だったつもりでも加減を誤った。
継ぎ目だけを溶かすつもりが周囲まで熱が回り、せっかく作った輪が歪に崩れていく。
「止めろ」
慌てて火を離したが遅かった。
「……駄目か」
「ああ」
綺麗な円だったものは見る影もなく潰れている。
失敗だ。
大きく息を吐きながら銀を見下ろす。
真由さんなら『経験値になったから無駄じゃない』と言うだろう。
確かにその通りだ。
だが悔しいものは悔しい。
再び銀を溶かし、一からやり直した。
二回目は継ぎ目の熱が足りず接合に失敗した。
三回目でようやく綺麗に繋がり、次の工程へ進める。
芯金へ通し、少しずつ叩きながら真円へ近付けていく。
ここでも力加減が難しい。
少し叩けば形が変わり、叩きすぎれば広がる。
指定されたサイズを確認しながら何度も測り直し、歪みを修正していく。
「これでどうだ」
「まだ少し歪んでる」
「そうか」
言われてみれば確かに僅かに歪んでいた。
再び芯金へ通し、慎重に叩いて整える。
額から汗が流れ落ちる頃には、ようやく納得できる形になっていた。
「悪くない」
ハルグリムの言葉に少しだけ肩の力が抜ける。
だが作業はまだ終わっていない。
今度はヤスリで表面を整え、内側の角を落としながら指当たりを良くしていく。
荒かった表面は少しずつ滑らかになり、磨きを重ねるたびに銀色の輝きが増していった。
最後に布で磨き上げると、鈍かった光は鏡のような光沢へ変わる。
「まだだ」
ハルグリムは細い工具を手に取り、指輪の内側へ小さな穴を二つ開けた。
スペルジェムを埋め込むための加工だ。
位置を確認しながら慎重に削り、深さを揃える。
そこへ魔法攻撃力微上昇と魔力効率微上昇のスペルジェムを固定すると、銀の指輪が淡く光を帯びた。
「これで完成だ」
ようやく手のひらへ乗せられた指輪を見つめる。
小さな指輪だ。
だがここまで作るのに何度失敗したか分からない。
玉子焼き機も手こずったが、指輪作りはまた別の難しさがあった。
力ではなく精度。
誤魔化しの利かない細工仕事だ。
「長かったな」
「初めてならそんなもんだ」
「そうか」
完成した指輪を改めて眺める。
苦労した時間を思えば、小さな達成感があった。
真由さんなら喜ぶだろうか。
その顔を思い浮かべると、自然と口元が緩んだ。
「渡してこい」
ハルグリムの声に頷く。
「ああ」
扉を開けると、真由さんは作業台の前で小瓶を並べていた。
昼間に見た時のような張り詰めた様子はない。
器具も片付け始めている。
俺に気付くと、真由さんは机の上の小瓶を一つ手に取った。
「瑛太さん、これ……」
差し出されたそれを受け取る。
鑑定すると、MP回復薬(小)Cランクと表示された。
机の上へ視線を向ける。
同じものが他にも並んでいた。
「三本か」
「うん。HP回復薬の時は一本だけだったけど、今回は三本できたの」
言葉は短いが、声には満足そうな響きがある。
昼前からずっと籠もっていただけの成果はあったらしい。
机の端には失敗した分と思われる小瓶も並んでいる。
相当な本数を作ったのだろう。
「錬金は上がらなかったけど、調合はLv3になった」
「頑張ったな」
手の中の瓶を見ながら頷く。
「一本は後で試すのか?」
「うん。訓練場で魔法を使った後に飲んでみるつもり」
真由さんは机に残った小瓶へ視線を向けた。
「どれくらい回復するか見てみたいから」
作るだけでは終わらないらしい。
真由さんらしいと言えばらしい。
それらを収納箱へしまう様子を眺めてから口を開く。
「その前に少し付き合ってくれ」
真由さんが顔を上げる。
「何かあるの?」
「礼拝堂へ行く」
少しだけ不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。
真由さんは片付けの手を進め始める。
作業台の上を整え、残りを収納箱へしまい終えると立ち上がった。
「行こうか」
並んで調合室を出る。
夕方の廊下は静かだった。
隣を歩く真由さんは、時折小さく口元を緩めていた。
調合の結果がよほど嬉しいらしい。
階段を上がり、廊下を進む。
並んで歩く足音だけが静かな屋敷へ小さく響いていた。
礼拝堂へ入ると、夕方の静かな空気が迎えてくれた。
昼間の訓練で何度も訪れた場所だが、今は誰もいない。
差し込む光が長く床へ伸びている。
「礼拝堂で何かあるの?」
真由さんは祭壇の方を見ながら首を傾げた。
「ああ」
短く答え、祭壇の前まで歩く。
真由さんも隣へ並んだ。
ここまで来ると、妙に落ち着かない。
鍛冶の炉に向かう時より、よほど据わりが悪かった。
ポケットから木箱を取り出す。
「これを渡したかった」
真由さんが目を瞬く。
木箱を開くと、中には銀色の指輪が収まっていた。
しばらく言葉が出なかったらしい。
視線が指輪へ釘付けになっている。
「これ……」
「作った」
短く答える。
ハルグリムに教わりながら何度も失敗したことも、思った以上に難しかったことも言葉にはしない。
真由さんは黙ったまま指輪を見つめていた。
「どうして指輪?」
その問いに、真由さんの左手へ視線を向ける。
前の世界では当たり前のようにそこにあったものが、こちらへ来てからは無くなったままだった。
「前の世界で着けていただろう」
それだけ言う。
だから作った。
理由はそれで足りた。
真由さんは自分の左手へ視線を落とした。
「それと効果もある」
木箱から指輪を取り上げる。
「魔法攻撃力微上昇と魔力効率微上昇だ。スペルジェムを埋め込んである」
調合を続けるなら役に立つ。
そう付け加えると、真由さんは小さく頷いた。
まず性能が気になる辺りは、いかにも真由さんらしい。
そのまま左手を取る。
一瞬だけ肩が揺れたが、手は引かれなかった。
薬指へ視線を落とし、ゆっくりと指輪を通していく。
採寸した時の感覚は間違っていなかったらしい。
銀色の輪はぴたりと収まった。
左手を持ち上げる。
細い指に銀の輪が光っていた。
自然と息が漏れる。
やっと戻ってきた。
そんな気がした。
そのまま薬指へ口付ける。
真由さんの体が僅かに震えたが、それでも手は引かれなかった。
唇を離し、もう一度指輪を見つめる。
見慣れたはずの光景なのに、胸の奥が少しだけ熱くなる。
「これで、元通り……」
前の世界で失ったものが戻った訳じゃない。
それでも、隣に真由さんがいて、同じように並んで歩いて、また左手に指輪がある。
それだけで十分だった。
しばらく言葉はなかった。
真由さんは左手を胸の前へ持ち上げ、薬指の指輪を見つめている。
夕日を受けた銀色の輪が小さく光った。
やがて指輪へ触れるように右手を添える。
「……ありがとう」
それを見つめる横顔は穏やかだった。
前の世界の物ではない。
同じ指輪でもない。
それでも構わなかった。
真由さんはもう一度薬指へ視線を落とし、小さく笑った。
「大事にする」
「ああ」
短く答える。
礼拝堂の中は静かだった。
聞こえるのは二人分の呼吸だけ。
ふと、真由さんが指輪から視線を上げる。
「訓練場、行こうか」
薬指をそっと撫でながらそう言った。
「ああ」
並んで礼拝堂を後にする。
夕暮れの光の中で、銀色の指輪が淡く輝いていた。
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