指輪と、それぞれの準備
リュネ草コーヒーを飲み終えると、私たちは少しだけ食休みをした。
「魔力操作後すぐに調合するのか?」
「午前は材料の錬金からかな。午後からMP回復薬に挑戦してみる」
「そうか」
瑛太さんは頷いた。
「無理はするな」
「うん」
ちょうどその時、食堂へヴァルドが姿を見せた。
「奥様、旦那様。魔力操作のお時間です」
「わかりました」
「行こう」
私たちは席を立ち、ヴァルドの案内で礼拝堂へ向かった。
高い窓から差し込むステンドグラスの光が白い床を照らし、澄んだ神秘的な空気が満ちている。
今日もまずは三十分の魔力操作からだ。
目を閉じ、胸の奥へ意識を向ける。
そこにある温かな流れをゆっくりと掬い上げるように巡らせる。
以前は存在を感じるだけで精一杯だった魔力も、今では少しずつ扱えるようになってきた。
流し過ぎず、滞らせず、一定を意識しながら体の中を循環させていく。
礼拝堂の中は静かで、聞こえるのは衣擦れの音と、時折ヴァルドが様子を確認する足音だけだった。
慌ただしかった思考も少しずつ落ち着き、魔力の感覚へ集中していく。
そうして三十分が過ぎる頃には、魔力の流れも朝よりずっと滑らかになっていた。
「では次の訓練へ移ります」
ヴァルドの声に目を開く。
「本日からはキャンドルを二つ同時に灯す訓練を行います」
私は軽く背筋を伸ばした。
これまでは一つの灯りを安定して維持する訓練だった。
どうやら今日から次の段階へ進むらしい。
まずは一つ目を出した。
「キャンドル」
目の前の空中へ小さな灯りが現れる。
炎のように揺らめくそれは、昨日よりも安定していた。
「一つ目は問題ございません」
ヴァルドが頷く。
私はそのまま二つ目へ意識を向けた。
一つ目を維持したまま、さらに魔力を引き出す。
「キャンドル」
ぽっと二つ目の灯りが生まれた。
だが次の瞬間、私は思わず顔をしかめた。
二つ目だけが明るい。
一つ目より明らかに光量が強く、存在感が大きかった。
「奥様」
ヴァルドが静かに声を掛ける。
「出力が強過ぎます」
「やっぱりですか……」
「はい。二つ目を出そうとすると必要以上の魔力を流しておられます」
言われてみれば心当たりはあった。
失敗しないようにと思うほど力が入ってしまうのだ。
「今後は魔力を細く出すことを意識なさってください」
「細く……」
「糸を引くように、です」
私は一度灯りを消した。
再び一つ目を出す。
維持する。
そのまま二つ目へ魔力を流す。
だが灯りは小さく揺れただけだった。
次の瞬間には消えてしまう。
今度は弱過ぎたらしい。
思わず小さく息を吐く。
多過ぎても駄目。
少な過ぎても駄目。
ちょうどいい加減がまだ掴めない。
「奥様は出せないのではありません。加減が課題でございます」
ヴァルドの言葉に苦笑する。
確かにその通りだった。
何度か繰り返していると、ふと隣の瑛太さんが視界に入る。
二つの灯りはしっかりと浮かんでいた。
だがよく見ると、二つ目の灯りがわずかに揺れている。
少し明るくなったかと思えば、今度は少し暗くなる。
消えることはないが、安定しているとも言い難い。
「旦那様は出力不足ではございません」
ヴァルドが言った。
「ですが安定性に欠けます。一定量を流し続けることを意識なさってください」
「ああ」
瑛太さんは短く返事をし、再び灯りへ意識を向ける。
「お二人とも順調に上達しております」
ヴァルドは私たちの灯りを見比べた。
「奥様は魔力を出し過ぎる傾向がございます。旦那様は制御へ意識が向き過ぎております」
私は少し納得した。
確かに私は力任せになりがちで、反対に瑛太さんは慎重だ。
同じ訓練をしていても課題は違うらしい。
礼拝堂の静かな空気の中、私は何度も灯りを生み出した。
魔力を細く流す。
一つ目を維持する。
そのまま二つ目を灯す。
二つ目が大きくなり過ぎたり、逆に消えてしまったりする。
それでも少しずつ感覚は掴めてきた。
そうして試行錯誤を続けているうちに、残りの三十分もあっという間に過ぎていった。
「本日はここまでです」
ヴァルドの声に、私は浮かべていた灯りを消した。
「奥様は出力の調整を意識なさってください」
「はい」
「旦那様は安定性でございます」
「ああ」
「お二人とも順調に上達しております。焦らず続けていきましょう」
私たちは頷いた。
◇
礼拝堂を出ると、真由さんはそのまま調合室へ向かった。
MP回復薬の作成だったか。
午前中は素材の準備を行い、午後から調合をする予定だと言っていた。
俺は図書室へ向かう。
街へ行く前に確認しておきたいことがあった。
先日、ハルグリムと作った玉子焼き機。
あれのおかげか、鍛治スキルがLv2になっていた。
作れる物も少しは増えているかもしれない。
図書室へ入り、生産職関連の棚へ向かった。
鍛治、木工、皮工、細工師。
並んだ本を順番に見ていく。
その中で一冊の本が目に留まった。
初心者向け装備作成入門。
何気なく手に取り、ページをめくる。
短剣、ナイフ、バックル、金具。
初心者向けの装備が並ぶページを眺めていると、ある項目で手が止まった。
指輪だ。
転生してから、真由さんの左手薬指には何もない。
元の世界では当たり前のようにあったものだ。
だからと言って真由さんが気にしている様子はない。
だが、俺は少し気になっていた。
明日、街へ行く。
夫婦だと分かる印があれば余計な面倒も減るかもしれない。
それに、作れるなら作ってやりたい。
俺は指輪の項目へ視線を落とした。
基本となる銀の指輪は鍛治Lv2から作成可能らしい。
玉子焼き機を作ったことで条件は満たしている。
さらに読み進めると、追加効果についての記述が目に入った。
付与そのものは錬金術師の領域。
だが、スペルジェムを埋め込むことで装備へ効果を持たせることができるらしい。
もし本当に作れるなら。
真由さんが使う物だ。
どうせなら少しでも役に立つ方がいい。
だが、本の内容だけで判断するのは危険だった。
実際に作れるかどうかは別問題である。
俺は本を閉じる。
まずは聞いてみるか。
図書室を出て鍛冶場へ向かった。
昼前だからか屋敷の中は静かで、窓から差し込む光が廊下へ長く伸びている。
鍛冶場へ近付くにつれて、金属を打つ音が聞こえてきた。
カン。
カン。
一定のリズムで響く音は聞き慣れたものだ。
扉を開くと熱気が流れ出てくる。
炉には火が入り、赤く染まった鉄が置かれていた。
その前でハルグリムが槌を振るっている。
俺に気付いたのか、ハルグリムが顔を上げた。
「旦那様か。どうした」
短い問い掛けに、俺は手に持っていた本を持ち上げた。
「少し聞きたいことがある」
ハルグリムは近くの台へ槌を置き、汗を拭いながらこちらへ歩いてくる。
俺は開いたままの本を差し出した。
「指輪を作ろうと思う」
視線を落としたハルグリムは、指輪の項目を見ると小さく鼻を鳴らした。
「初心者向けのやつか」
「ああ」
玉子焼き機を作ったことで鍛治スキルはLv2になっている。
本の内容通りなら作れるはずだった。
だが、本に書いてあることと実際に作れるかどうかは別だ。
「作るだけなら問題ねぇな」
思ったよりもあっさりした返事だった。
「鍛治Lv2でもいけるのか」
「いける。難しいもんじゃねぇ」
そう言いながらハルグリムはページをめくる。
「ただし出来は素材次第だ。銀を使うなら銀。鉄を使うなら鉄だ。街で売ってるような高級品は期待するなよ」
それは当然だろう。
初めて作るのだから。
だが、作れると分かっただけでも十分だった。
さらに本へ目を落とす。
そこにはスペルジェムについての記述も載っていた。
付与そのものは錬金術師の領域。
だが、あらかじめ効果の入ったスペルジェムを埋め込むことで装備へ効果を持たせることができるらしい。
もし本当に使えるなら、どうせなら役に立つ物にしたい。
そう思いながらページを眺めていると、ハルグリムがこちらを見た。
「それで。ただの指輪じゃねぇんだろ?」
見透かしたような言葉に思わず苦笑する。
「どうせなら役に立つ物にしたい」
「奥様用か」
「ああ」
ハルグリムは腕を組んだ。
「付与は俺の仕事じゃねぇ。だがスペルジェムを埋め込むなら話は別だ」
やはり可能らしい。
ただ、本を読む限り初心者向けの装備だ。
そこまで大きな効果は期待できないだろう。
「どの程度の効果になる」
「大したもんじゃねぇな」
ハルグリムは即答した。
「初心者向けの指輪だ。入れれても品質的に微上昇を二つってところだな」
やはりその程度か。
だが真由さんが使うなら十分だろう。
「奥様が使うなら――」
少し考え込んだ後、ハルグリムが指を立てた。
「魔法攻撃力微上昇」
続いてもう一本。
「魔力効率微上昇。この辺りだろうな」
確かに真由さん向きだ。
攻撃魔法を使う機会はまだ少ない。
それでも今後を考えれば無駄にはならないだろう。
魔力効率も錬金や調合で役立つはずだ。
「……作るか」
自然と声が漏れた。
ハルグリムは口元を歪める。
「その前にサイズだ」
言われて気付いた。
指輪は作れば終わりではない。
真由さんの指に合わなければ意味がない。
俺は思わず額へ手を当てた。
「測ってくる」
「待て」
ハルグリムは作業台の引き出しを開けると、中を探るように手を動かした。
そして次の瞬間、小さな金属の束をこちらへ放り投げてくる。
「おっと」
慌てて受け止める。
細い輪が鎖で繋がっていた。
「リングゲージだ」
指輪など作ったことはないが、これならサイズを測れそうだった。
「測ったら戻ってこい。材料はこっちで見繕っといてやる」
「助かる」
ハルグリムは軽く手を振ると、もう興味を失ったように炉へ向き直った。
俺はリングゲージを懐へしまった。
まずは真由さんの指のサイズだ。
鍛冶場を出ると、その足で調合室へ向かった。
真由さんならここにいるはずだ。
扉の前で軽くノックをする。
「真由さん」
返事はない。
聞こえていないのかと思い、もう一度声を掛けた。
「入るぞ」
それでも返事は返ってこなかった。
扉を開けた瞬間、思わず苦笑する。
やはりか。
真由さんは作業台へ向かったまま、こちらに気付く様子もない。
手元では錬金術が続いている。
素材を確認し、記録し、また錬成する。
その動きに迷いはなかった。
視線を巡らせると、黒板には文字がびっしりと書き込まれている。
素材の品質。
成功率。
錬成結果。
昨日上がった錬金スキルの検証だろう。
机の上にも紙が何枚も広がり、数字や考察が細かく書き込まれていた。
完全に入り込んでいるな。
こうなると何を言っても無駄だ。
何かにのめり込むと周りが見えなくなる。
昔からそうだった。
呼び掛ければ返事はする。
だが後で聞いても覚えていない。
本人に悪気はない。
ただ目の前のことへ全部意識が向いてしまうのだ。
俺は小さく息を吐いた。
「悪いが左手を貸してくれ」
「ん」
返事と同時に左手が差し出される。
やはり聞いているようで聞いていない。
俺は懐からリングゲージを取り出した。
薬指へ一つずつ通していく。
少し大きい。
こちらは小さい。
何個か試したところで、ちょうど良いサイズが見つかった。
数字を確認して紙へ書き留める。
「ありがとう」
「うん」
視線はこちらへ向かない。
手はもう次の作業へ戻っていた。
目的は果たした。
たぶん数分後には、このやり取り自体覚えていないだろう。
俺は苦笑しながらリングゲージを懐へしまい、邪魔にならないよう静かに調合室を後にした。
鍛冶場へ戻ると、ハルグリムは既に材料を並べていた。
「測れたか」
「ああ」
懐から紙を取り出して渡す。
ハルグリムは数字を確認すると頷いた。
「問題ねぇな」
そう言いながら紙を作業台へ置いた。
視線の先には銀の地金と工具が並んでいる。
俺も作業台へ近付いた。
指輪作りは初めてだ。
だが不思議と不安はなかった。
作れるかどうかではなく、どう作るかを考えている自分がいる。
その時、鍛冶場の扉が叩かれた。
「旦那様」
聞き慣れた声だった。
振り返ると、扉の向こうにヴァルドが立っている。
「昼食の準備が整いました」
思ったより時間が経っていたらしい。
「わかった。今行く」
「かしこまりました」
ヴァルドは一礼して去っていった。
俺は作業台へ視線を落とす。
真由さんの指のサイズは分かった。
材料も揃っている。
これで準備は整った。
あとは作るだけだ。
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