薬草園の朝と、小さな先生
目が覚めると、窓の外はもう明るかった。
隣へ手を伸ばす。
触れたのは冷え始めた寝具だけだった。
瑛太さんはもう起きているらしい。
ベッドを降りて軽く伸びをする。
クリーンのスペルジェムを使い、身支度を整え、髪をまとめて部屋を出た。
玄関へ向かい、扉を開く。
ひんやりとした空気が頬を撫でた。
思わず深く息を吸い込む。
土の匂いがした。
朝露を含んだ草の香りが風に混じっている。
庭へ足を踏み出すと、朝日を受けた草が淡く光っていた。
葉先に残った露が揺れるたび、小さくきらめく。
遠くでは鳥の鳴き声も聞こえてくる。
気持ちの良い朝だ。
今日は早朝のランニングがない。
朝食まではまだ時間がある。
MP回復薬(小)の調合に使うメル草を収穫しておこう。
朝露に濡れた草を踏まないよう足元へ気を付けながら、薬草園へ続く道を歩く。
畑の方では朝からノームたちが働いていた。
背丈ほどもない小さな体で鍬を運び、水やりをし、忙しそうに動き回っている。
そのうちの一人が私に気付いた。
「あっ、おくさま」
声を上げた途端、近くにいたノームたちも一斉に顔を上げる。
「おくさま」
「たるとたたん、おいしかった!」
「ありがと」
あちこちから声が飛んできた。
どうやら先日作ったタルトタタンのことらしい。
元気な声に思わず頬が緩む。
「どういたしまして」
手を振り返すと、ノームたちは嬉しそうに笑った。
その中からリーフが駆け寄ってくる。
「おくさま、どこいくの?」
「薬草園です。今日はメル草を収穫しようと思いまして」
「あ、めるそう」
リーフの耳がぴくりと動いた。
「ぼくもいく」
作業の途中だったのではと思ったけれど、リーフは近くのノームたちへ何か声を掛けている。
しばらくして戻ってくると、当然のように私の隣へ並んだ。
「はやくいこう」
朝日に照らされた畑の横を通りながら、リーフと一緒に薬草園へ向かった。
薬草園へ着くと、リーフと並んでメル草の収穫を始めた。
朝露をまとった葉はひんやりとしている。
根元を傷付けないよう指先で摘み取り、籠へ入れる。
単純な作業ではあるが、同じ姿勢を続けていると意外と気を使った。
隣ではリーフが次々とメル草を収穫している。
私が一株摘み取る間に、リーフは二株、三株と籠へ入れていた。
慣れているのだろう。
手の動きに迷いがない。
私にはどれも同じに見えた。
葉の大きさに多少の違いはあるが、それだけだ。
品質の良し悪しなど見ただけでは分からない。
「リーフはどうやって見分けているんですか?」
そう尋ねると、リーフは近くのメル草を指差した。
「いろ」
今度は別の株へ手を向ける。
「あとは、はり」
「張りですか?」
「うん」
説明を聞きながら見比べてみる。
葉の色。
葉先の状態。
虫食いの有無。
リーフはそういうところを見ているらしい。
けれど私にはまだ違いがよく分からなかった。
「難しいですね」
「なれるよー!」
リーフはけろりと言って、また収穫を再開する。
その手元を見ていると、今度は別のことが気になった。
葉を傷付けることもなく、必要な部分だけを迷いなく摘み取っている。
私が慎重に作業している横で、リーフは自然な動きで収穫を続けていた。
「採るのも早いですね」
「さいしゅすきるあるから」
リーフは少し得意そうに胸を張る。
なるほど、と頷いた。
良いものを見分けるのは経験や知識。
上手に採るのは採取スキル。
同じ収穫でも、そこにはちゃんと技術があるらしい。
私はもう一度手元のメル草へ目を落とす。
教わった葉の色や張りを確かめながら、リーフと一緒に収穫を続けた。
メル草を収穫しながら、ふと思い出す。
そういえば採取スキルを取得していたはずだ。
手を止めて鑑定を使う。
<採取:Lv1>
まだLv1だった。
思わず苦笑しながら、再びメル草へ手を伸ばす。
錬金も調合もそうだった。
使わなければ上がらない。
これからポーション作りに使う素材も増えていくだろう。
自分で使う物なら、自分で採取して育てていく方が良さそうだ。
そこでふと隣を見る。
リーフは相変わらず手際良くメル草を収穫していた。
そういえばリーフはどのくらいなのだろう?。
「リーフ、鑑定してみても良いですか?」
「いいよー!」
あっさり許可が返ってくる。
鑑定を発動した瞬間、思わず手が止まった。
<採取:Lv10>
<農業:Lv10>
<園芸:Lv10>
<土魔法:Lv10>
<緑の手:Lv10>
それだけではない。
他のスキルも確認すると軒並みLv5以上になっている。
私より高い。
というより、私達よりよほどチートでは?
ノームだからなのか、リーフだからなのかは分からない。
けれど農業や採取に関しては間違いなく専門家だった。
「リーフ、この緑の手って何ですか?」
「んー?」
リーフは首を傾げ、それから近くのメル草を指差した。
「ぼくたちがおせわするとね、たくさんげんきにそだつんだ」
そう言いながら、慣れた手付きでメル草を摘み取る。
「おおきくなったり、げんきになったり」
どうやら植物の成長を助けるスキルらしい。
改めて周囲を見渡す。
薬草園の薬草も、畑の作物も元気に育っている。
今まで当たり前のように見ていた景色だったが、その裏にはノーム達の働きとスキルがあったのだろう。
感心しながらメル草を籠へ入れ、再び収穫を続けた。
教わった葉の色や張りを気にしながら収穫を続けていると、遠くから小さな足音が近付いてきた。
「おくさまー!」
振り返ると、一人のノームがこちらへ駆けてくる。
「ゔぁるどさまが、そろそろあさごはんだって」
どうやら迎えに来てくれたらしい。
「ありがとうございます」
空を見上げると、思っていたより時間が経っていたようだ。
カゴの中には収穫したメル草がしっかりと入っている。
今日使う分としては十分だろう。
「リーフもありがとうございます」
「うん!」
元気な返事を聞きながら腰を上げる。
収穫したメル草の入った籠を見下ろす。
思っていたより多く集まった。
今日の調合に使う分としては十分だろう。
籠をインベントリへ収納し、土を払ってエプロンを外す。
軽く畳んで腕へ掛けた。
薬草園を後にして屋敷へ向かう。
歩いている途中、お腹が小さく鳴った。
思わず苦笑しながら足を進める。
今日は何だろう。
玉子焼きだろうか。
それともスープだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、屋敷はすぐ目の前だった。
玄関を抜け、食堂へ向かう。
食堂の前まで来ると、ちょうど瑛太さんもこちらへ歩いてきた。
「あ、瑛太さんおはよう」
「ああ、おはよう」
待っていたヴァルドが一礼する。
「おはようございます、旦那様、奥様。朝食の準備が整っております」
そう言うと、ヴァルドは静かに扉を開く。
中から温かな香りが流れ出てきた。
「どうぞこちらへ」
案内されるまま席へ向かった。
今日の朝食はパンとスープ、サラダ、それに鶏ハムだ。
淡い桜色の断面は艶があり、表面もしっとりとしていた。
見ただけで上手く仕上がっているのが分かる。
昨日教えた通り、きちんとブライン液へ漬け込んだのだろう。
湯気の立つスープからは優しい香りが漂ってくる。
新鮮な野菜が盛られたサラダも彩りが良い。
腹の虫が鳴ったばかりだ。
急かされるように席へ着いた。
「「いただきます」」
まずはスープへ手を伸ばした。
木匙ですくい、口へ運ぶ。
優しい熱が口いっぱいに広がった。
鶏の旨味がしっかりと出ている。
柔らかく煮込まれた野菜からは甘みが溶け出し、朝の冷えた体へじんわりと染み込んでいった。
「朝から幸せ……」
「ああ」
瑛太さんもスープを一口飲み、小さく頷く。
次は鶏ハムへ手を伸ばした。
薄く切られた断面はしっとりとして艶がある。
一口食べると柔らかな食感と一緒に旨味が広がった。
「ちゃんとしっとりしてる。美味しい」
「塩分もちょうどいいな」
私も頷きながらもう一口鶏ハムを口へ運る。
しっとりとした食感を味わった後はサラダへ手を伸ばした。
瑞々しい野菜の食感が心地良い。
鶏ハムと合わせるとさっぱりとしていて、朝でも食べやすかった。
今度はパンをちぎり、スープへ浸す。
たっぷりと旨味を吸ったパンはふんわりと柔らかい。
噛むたびにスープが染み出し、鶏の旨味と野菜の甘みが口の中へ広がった。
「朝から収穫してたからかな。思ったよりお腹空いてたみたい」
「そうだろうな」
短いやり取りを交わしながら食事を続ける。
朝から動いていたせいだろうか、手が止まらない。
気付けば皿の上はほとんど空になっていた。
窓から差し込む朝日が食堂を明るく照らしている。
穏やかな空気の中、最後の一口を口へ運んだ。
食事がひと段落すると、ヴァルドが空いた皿を下げていく。
代わりに置かれたカップからは、香ばしい香りが立ち上っていた。
リュネ草コーヒーを一口飲む。
ほのかな苦味と香ばしさが口の中へ広がる。
朝食の余韻を味わいながらカップを置くと、ふと昨夜のことを思い出した。
「ヴァルド」
「はい、奥様」
「昨夜、礼拝堂へお供えした食事はどうなっていましたか?」
尋ねると、ヴァルドはすぐに答えた。
「私が確認した際には無くなっておりませんでしたので、早朝に下げております」
「そうですか……」
これまでは連日、綺麗になった食器だけが残されていた。
だから今回も同じだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
食べ忘れただけなのか、それとも何かあったのか。
少し気にはなるが、考えたところで答えは出ない。
明日は街へ向かう予定だ。
教会へ顔を出すようエシャール様からも言われている。
何か理由があるのなら、その時に分かるかもしれない。
そう考えながらリュネ草コーヒーをもう一口飲む。
温かな香りが鼻を抜け、食堂には穏やかな時間が流れていた。
もし少しでも楽しんでいただけたら、
続きも読んでいただけると嬉しいです。
よろしければブックマークで応援していただけると励みになります。




