鍛冶場と、はじめての錬金
森から戻ると、外の光がちょうど真上にさしかかっていた。
スペルジェムで汗を落として、廊下を歩く。
訓練の疲れは脚に残っているが、森の中にいたときの張り詰め方は抜けていた。
体がようやく屋敷の空気に戻ってくる。
パントリーへ向かうと、リナがちょうど棚の整理をしているところだった。
「奥様、お帰りなさいませ」
「リナ、少し一緒にパントリー見てもらってもいいですか? ガイルの間食のことで、材料確認したくて」
「かしこまりました」
棚を見回しながら、頭の中で候補を絞っていく。
訓練中に手軽に取れるもの。
重すぎず、腹持ちがそれなりにあるもの。
鶏胸肉に目が止まった。
「リナ、鶏胸肉ってどのくらい残ってますか?」
「フリージルームに相当数ございます。消費が早くないので、まとめてお使いいただける状態です」
それなら問題ない。
ブライン液に漬け込んで、湯に落として蓋をして放置するだけでいい。
火加減の調整も要らない。
リナ一人でできる。
「これなら作り置きもしやすいと思って」
羊皮紙を取り出して、手順を書き始めた。
「サルディア塩とセルナ糖を水に溶かしたブライン液に鶏胸肉を漬けておいて、あとは湯に落として蓋をしておくだけです。火を止めてから五十分くらいそのままにしておけば、中まで火が通ります」
「火を止めてから、ですか?」
「そうです。ぐつぐつ煮続けると、胸肉ってすぐ固くなっちゃうので」
リナが羊皮紙を受け取り、一度読み返す。
「薄く切って出すのが合うと思いますけど、好みでそのまま渡しても大丈夫です。手で割けば食べやすいので」
「承知いたしました」
「ガイルに口に合うか、一度味見してもらってください。薄ければ、サルディア塩を足してもらってもいいので」
リナが小さく頷いた。
棚を一通り見回して、パントリーを出る。
廊下を歩くと、食堂の方から昼食の香りが漂ってきた。焼けた香草の匂いに混じって、温かな塩気のある香りが流れてくる。
その香りに引かれるように食堂へ向かうと、昼食はすでにテーブルに並んでいた。
黒パンが、表面をきつね色に焼かれていた。
切り口に刻み香草のベルクレアが塗られていて、焼けた香草の香りと、溶けたベルクレアの匂いが食堂に広がっていた。
スープは透き通った塩味で、器の底に薄切りの野菜が沈んでいた。
瑛太さんがすでに席についていた。
目が合うと、軽く顎を引く。
「お待たせ」
向かいに腰を下ろして、手を合わせる。
黒パンを手に取り、一口齧った。
外側がカリッとして、中がふんわりとしている。
ベルクレアの塩気と香草の風味が、噛むたびに広がった。
「おいしい」
思わず声に出た。
スープを一口飲む。
塩がきれいに効いていて、後味がさっぱりしている。
訓練で動いた後の体に、するりと入っていく感じがした。
向かいで瑛太さんが黒パンを持ち上げ、少し見てから食べた。
「悪くない」
短い言葉だったが、手が止まらないのが分かった。
しばらく、食べることだけに集中した。
スープを飲み、パンをちぎり、また飲む。
言葉が少なくても、間が重くならないのは昔からそうだった。
食事が落ち着いたところで、口を開く。
「食後に鍛冶場へ行こうと思ってるんですけど、一緒に行く?」
「何か頼むのか?」
「玉子焼き用のフライパン作ってもらおうと思って。この世界に無いみたいだから」
瑛太さんが少し間を置いた。
「形は?」
「13.5cm×16.5cmくらいで、浅めのものが欲しくて。卵を三〜五個くらい使って焼く大きさでさ。説明しながら見せた方が早いと思って」
「……分かった」
手を合わせてから、二人で席を立った。
食堂を出て、石造りの廊下を歩く。
昼の屋敷は静かで、窓から入る光が床へ長く落ちていた。
奥へ進むにつれて、空気が少しずつ変わっていく。
微かに熱を帯びた空気と、鉄の焼ける匂い。
鍛冶場の近くだと分かる。
扉の前まで来ると、内側から金属を擦るような硬い音が聞こえていた。
瑛太さんが先に扉を押し開ける。
熱気と金属の匂いが来た。
ハルグリムが作業台の前に立っていた。
手元を見ずにこちらへ視線を向ける。
「奥様が来るなんて珍しいな」
「ちょっとお願いがあって来ました。この形の調理器具を作ってほしいんですが」
羊皮紙を取り出し、その場で図を描いて差し出す。
長方形のフライパン、浅い側面、持ち手が一本。
線は粗いが、形は伝わるはずだ。
ハルグリムが受け取り、しばらく眺めた。
裏から表へ、それからもう一度表へ。
何かを測るような目だった。
「長方形か。なんでこの形にする?」
「卵を巻きながら焼くためです。丸いと端へ流れて、形が決まりにくくて」
「卵を、巻く」
繰り返したまま、視線は図に落ちている。
興味なのか疑念なのか、判断がつかない間があった。
「薄く焼いた卵を、端から巻いていく料理なんです。何度か重ねるので、切ると断面が縞みたいになるんですよ」
ハルグリムが顔を上げた。
「それは美味いのか?」
「甘くしても、塩気を利かせても合いますし、冷めても食べやすいんです。切り分けると断面もきれいなので、料理の彩りに使いやすくて美味しいですよ」
ハルグリムが図に視線を戻した。
指先で角の部分をなぞって、側面の高さを測るように見ている。
「銅でいいな。熱の通りが均一になる」
「お願いしたいです。あと、一つ聞いてもいいですか? フライパンに、くっつかなくなるような付与ってありますか?」
ハルグリムが少し間を置いた。
「調理用滑面処理の付与ならジェムがある。完全じゃねぇが、卵も離れやすくなる」
「それでお願いします」
油ならしの作業が要らないなら、しばらくはベルクレアで玉子焼きが作れる。
頭の中で段取りが一つ片付いた。
ハルグリムが羊皮紙を作業台の端に置いて、瑛太さんへ目を向けた。
「旦那様が作れ」
瑛太さんが少し間を置いた。
「俺がか?」
「銅板の裁断から始める。成形、接合、錫引き、研磨、最後に柄を付ける。手順は多いが、焦るな。一つずつ教える」
それだけ言って、ハルグリムが銅板を取り出した。
厚さを確かめるように指で弾き、作業台へ置く。
「まず採寸からだ。旦那様、こっちへ」
瑛太さんが一歩前へ出た。
ハルグリムが採寸の道具を手渡しながら、淡々と説明を始める。
その横顔を少し見てから、私は一歩引いた。
二人の間に余分な人間がいる必要はない。
ハルグリムの声と、金属を置く小さな音が続いている。
瑛太さんは黙ってハルグリムの手元を見ていた。
分からないところで手を止める。
ハルグリムが短く言葉を足す。
それだけのやりとりが、淡々と積み重なっていく。
邪魔するものが何もない時間だった。
「できたら持ってきてください」
声をかけると、瑛太さんが少しだけこちらへ顔を向けた。
短く頷く。
それだけで十分だった。
私は鍛冶場を後にした。
廊下へ出ると、鍛冶場の熱気が少しずつ背中から遠ざかっていく。
代わりに、屋敷の静かな空気が戻ってきた。
窓の外では、昼の光がゆっくり傾き始めている。
午後の時間だった。
次は調合だ。
鍛冶場で使う音とは違う、静かな集中が必要になる。
調合部屋の扉を開けると、水色のランタンが静かに部屋を照らしていた。
作業着の羽織を身につけ、手袋をはめる。
ハルグリムが用意してくれたものだ。
袖口が邪魔にならない作りになっていて、腰のベルトに小瓶を数本差した。
黒板の前に立つ。
昨日書き出した手順が残っている。
まず固形果実甘露から作る。
セルナ糖と果実水を鍋で煮詰めて、錬金で水分を飛ばす。
次に精製スライム液。
未精製スライム液を錬金で不純物を取り除く。
最後にメル草粉末。
乾燥したメル草を錬金で細かく砕いて均質化する。
順番は決まっている。
作業台の前に立って、まず自動書庫を呼び出す。
頭の中に、読んだページが広がった。
セルナ糖と果実水を弱火で煮詰めながら、ヘラに魔力を細く一定に流し込む。
混ぜる・煮詰める・魔力を込める、この三つを同時に保ち続けることで素材の分解と再構築が起きる。
液体が半量以下になるまで煮詰めてから仕上げる、と書いてあった。
セルナ糖と果実水を量って鍋に入れ、火にかけた。
ヘラに魔力を流しながら、弱火でゆっくり混ぜ始める。
均一に、一定に。
意識しながら続けていたが、途中で手元から魔力がぶれた。
鍋の中が、一部だけ急に色が変わった。
「鑑定」
固形果実甘露・失敗(魔力不均一・焦化)。
一口、指先で触れて舌に当ててみる。
苦い。
甘みより苦みが勝っていた。
「……苦い」
誰もいない部屋に、独り言が落ちた。
黒板の前に移動して、チョークを取る。
手順通りにやった。
なのに、魔力がぶれた。
頭で理解していることと、手が実際にできることの間に、まだ差がある。
鍋を洗い直す。
二度目。魔力の流れを意識して細く絞り、ヘラを動かす速度も落とした。
煮詰まるにつれて、液体が少しずつ粘度を増していく。
手応えがある。
「鑑定」
固形果実甘露・未完成(水分過多)。
まだ水分が残っている。
もう一度ヘラで魔力を練り込むと、今度はわずかに焦げた匂いがした。
見ると、端の部分が茶色くなっていた。
「はぁ、焦げた」
また黒板の前へ戻る。
本には液体が半量以下になるまで、と書いてあった。
煮詰めが足りなかったのか、それとも追加で魔力を足したのがまずかったのか。
鍋をもう一度洗う。
三度目だ。
火加減をさらに落として、ヘラに魔力を細く一定に流しながら、底からゆっくりすくい上げるように混ぜ続ける。
液体が半量以下になるまで、焦がさず、ぶれさせず、ただ待った。
全体が均一に固まっていく感触があった。
「鑑定」
固形果実甘露・Fランク(錬金素材・調合素材)。
小瓶に移しながら、もう一度表示を確認する。
Fランク。
「ランクあるんだ」
誰もいない部屋に、独り言が落ちた。
鉱石に品質ランクがあるのは瑛太さんから聞いていた。
錬金素材も同じらしい。
ということは、ランクが上がるほど調合の結果も変わるのかもしれない。
自動書庫を呼び出して確認すると、錬金素材のランクはSS・S・A・B・C・D・E・Fの順で、素材の純度と魔力の均一度によって決まる、と書いてあった。
調合に使う素材のランクが高いほど、回復薬の効果も上がる。
つまり、Fで作ったポーションと、Cで作ったポーションでは、効果が違う。
「……なるほど」
琥珀色の固形が、瓶の底に収まっている。
完成はした。
でも、これはまだ底辺だ。
鍋を洗い直して、もう一度始めた。
二回目もF。
三回目もF。
手順は同じだ。
なのに、魔力の均一度がどこかでぶれる。
五回、十回と繰り返すうちに、少しずつ感覚が変わってきた。
ヘラを通して流れる魔力の細さ、速度、鍋全体への浸透の仕方。
頭で理解していたものが、少しずつ手に馴染んでくる。
十五回目でEランクが出た。
思わず小さく息をついた。
二十回を超えたあたりで、一度だけ感触が違った。
魔力が均一に、滑らかに広がっていく感覚。
ぶれない。焦げない。
「鑑定」
固形果実甘露・Cランク(錬金素材・調合素材)。
「できた!」
瓶を光にかざす。
琥珀色の固形が、均一な透明感を持って底に収まっていた。
FとCでは、見た目からして違う。
黒板に「Cランク・固形果実甘露」と書き留めた。
まだ一つだ。
でも、感覚は掴めてきた気がする。
次は精製スライム液だ。
自動書庫を呼び出す。
精製の項を開くと、頭の中にページが広がった。
不純物を分離させるには、魔力を素材全体に均一に浸透させる必要がある。
急激に魔力を流すと素材が変質する。
魔力を足したり引いたりするのではなく、一定量を保持し続けることで、不純物が自然に分離していく。
手順は分かった。
訓練でドロップした小瓶を取り出す。
水色のとろりとした液体が、光を受けて揺れている。
フラスコに移して、魔力を細く、一定に流し込み始めた。
液体の表面が細かく震えた。
不純物が分離していく感触がある。
順調だ、と思った次の瞬間、フラスコの中身が急に濁った。
「え……鑑定」
精製失敗・素材変質。
フラスコを傾けて中を確認する。
液体が白く濁って、底に沈殿物が出ている。
廃棄するしかない。
黒板の前へ戻る。
手順通りにやった。
なのに変質した。
一定に保っていたつもりが、どこかでぶれていたのか。
それとも、一定の量そのものが多すぎたのか。
もう一本、取り出す。
今度は魔力の量をさらに抑えて、ゆっくり流し込んだ。
途中まで順調だった。
液体が透明度を増してくる。
このまま保持し続ける。
足さない。引かない。
しかし、ある時点でまた濁った。
「あぁぁ、難しい」
二本目も廃棄した。
また黒板の前へ戻る。
一定に保っている、つもりだ。
でも濁る。
魔力の量なのか、保持する時間が足りないのか、それとも素材への浸透の仕方そのものが違うのか。
自動書庫をもう一度開いても、今の自分では読み取れていない何かがある気がした。
三本目。今度は途中で止める。
「鑑定」
半精製スライム液(不純物残存)。
完全ではないが、変質はしていない。
黒板の前に戻って、半精製の状態でも調合に使えるか本を確認した。
使えない、と書いてある。
完全に精製しなければ意味がない。
作業台に肘をついて、少し間を置いた。
残りの小瓶はまだある。
ただ、同じことを繰り返しても結果が変わるかどうか分からない。
手順は読んだ。
理解もしている、つもりだ。
それでも上手くいかない。
視線が、インベントリの端で止まった。
スライムの死骸が入っている。
ガイルには「使えない」と言われた素材だ。
でも鑑定には「様々な用途に使用可能」と出ていた。
精製の練習台にするには、むしろちょうどいいかもしれない。
インベントリから出すと、ぬるりとした感触が手袋越しに伝わった。
少し間を置いてから、ビーカーへ移す。
「鑑定」
スライムの死骸(モンスター素材・様々な用途に使用可能・食用化)。
固形なら変化も見やすいはずだ。
魔力を、糸を引くように細く絞って流し込む。
すると、ビーカーの中がゆっくりと変わり始めた。
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