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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜料理とものづくりで暮らしを整える、歳の差夫婦の異世界スローライフ〜  作者: 望月 小鳥
転生編

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20/26

夜の配り物と、使用人たちの食卓

 洞窟の前まで来ると、中からざわざわとした声が聞こえた。


 リナがトレイを両手で持ち直す。

上には布をかけた丸いものが二つ。

甘い香りが、夜の空気にじわりと滲んでいる。


 ヴァルドが扉を軽く叩いた。


 コン、コン。


 すぐに返事が来た。


「だれー?」


「リナです。奥様からお裾分けをお届けに参りました」


 扉が勢いよく開く。

リーフが顔を出し、その後ろから大小さまざまな頭がひょこひょこと覗いた。


 リナがトレイの布をそっと外すと、一瞬、静かになった。

キャラメルソースが艶やかに光るタルトタタンが、二つ並んでいる。

甘い香りがふわりと広がった瞬間、どっと声が上がった。


 ノームたちが押し合いへし合いしながら覗き込んでくる。

リーフが目をまん丸にして、タルトタタンに顔を近づけた。


「たべていいの?」


「はい。奥様からリーフたちにと」


 その一言で、洞窟の前が一気にざわめいた。


 リーフが皿とナイフを取ってきて、ヴァルドが丁寧に切り分ける。

ノームたちが我先にと並んで、それぞれ皿を受け取った。


 一口かじると、しばらく誰も喋らなかった。

甘くて、とろりとしていて、最後に香ばしい匂いがふわっと残る。

その感触が分かったとき、あちこちから声が上がった。


「すごい、あまい」


「とろとろしてる」


 リーフが皿を両手で持ったまま、しみじみと言った。


「おくさま、すごいね。まいにちごはんもつくって、おかしまでつくれるの?」


 周りのノームたちが、口いっぱいに頬張りながらこくこくと頷く。


 しばらくして、リーフが得意げに声を上げた。


「たくさんお仕事がんばったら、またもらえるかもよ?」


 その言葉に、ノームたちがぱっと顔を上げた。

目が輝いている。

明日からいっぱい働く、と口々に言い合いながら、また皿へ視線を落とす。

その様子が、どこかおかしかった。


 ヴァルドが静かに一礼した。

リナも軽く頭を下げる。


「ごゆっくりどうぞ」


「ありがとー! リナ! ヴァルドさまも!」


 リーフが元気よく手を振った。


 二人が洞窟から離れていくと、後ろからわいわいとした声が追いかけてくる。


「もういっこたべていい?」


「ちゃんとわけてよー!」


 そんな声が重なって、やがて夜の空気の中に溶けていく。


 リナは少しだけ足を緩めて、そのまま前を向いた。


挿絵(By みてみん)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 主人たちが寝室へ引き上げてから、キッチンにようやく使用人たちの時間が戻ってきた。


 リナはクッキングストーブの前に立ち、大鍋の蓋を持ち上げた。

夕食の残りの清湯スープだ。

火にかけて温め直す間、鍋の底からじわりと香りが立ち上がってくる。

鶏の旨みと、ベルネ(長ねぎ)ジェルナ(生姜)の香りが混ざり合って、キッチンの空気にゆっくり溶けていく。

残り物を温め直しただけなのに、これだけの香りが出る。

リナは鍋の前に立ったまま、少しだけ手を止めた。


「お待たせしました」


 リナがスープを皿によそい、テーブルへ運ぶ。

黒パンとサラダを添えて、一人分ずつ丁寧に置いた。


 ヴァルドはすでに席についていた。

ガイルとハルグリムが顔を上げる。


「「「いただきます」」」


 三人で手を合わせた。


 ハルグリムがスープを一口すすって、動きを止めた。


「……なんだこれ」


 誰も答えなかった。

ヴァルドもガイルも、スープに視線を落としたまま静かに飲んでいる。

三人とも、似たような顔をしていた。

言葉にする前に、口が止まる、あの顔だ。


 ハルグリムがもう一口飲む。

それからスプーンを置き、皿をまじまじと見た。


「塩だけでこんな味が出るのか?」


「奥様が下処理から時間をかけて煮出されたものです。急ぐと白濁する、とおっしゃっていました」


 リナが静かに答える。


「……手間だな」


「はい。ただ、その手間が味になります」


 ガイルが一口飲んで、少し間を置いた。

もう一口。

味を確かめるというより、確認しているような飲み方だった。


「こういう味は、初めてだな」


「鶏の旨みだけでなく、野菜の甘さも一緒に出ています。漉すまでに一時間半ほどかかっていました」


「一時間半」


「灰汁を取り続けて、漉して、また火にかける。私も隣で手を動かしておりましたが、どの工程も省けるものではありませんでした」


 ハルグリムが少し黙って、もう一口飲んだ。


「……それで、この味が出るのか」


 答えというより、独り言に近かった。


 ハルグリムがパンをちぎって、スープに少し浸してから口へ運んだ。

黙ったまま噛み、ゆっくり飲み込む。

それからもう一口、スープを飲んだ。

何も言わなかったが、皿の減り方が早かった。


 ガイルがサラダに手を伸ばす。

ヴァルドは黒パンをちぎって、静かに口へ運んだ。

しばらく、誰も口を開かなかった。


 食器の触れ合う小さな音だけが続く。


 その静けさの中で、ヴァルドがゆっくり口を開いた。


「旦那様がリュネ草コーヒーを明朝も出せるか確認されていました。リナ、明朝はコーヒーもお願いします」


「かしこまりました。今日、手順を一通り一緒にやりましたので」


「リュネ草コーヒー? なんだそれ」


 ハルグリムが顔を上げる。

聞き慣れない名前に、眉が少し寄った。


「奥様が今日作られた飲み物です。リュネ草の根を焙煎して煮出したものです」


「飲めるのか、そんなもの?」


「旦那様と奥様が今夜召し上がっていました。後ほど皆さんにもお出しします」


「へぇ。まあ、出てきたら飲んでみるか」


 興味があるのかないのか分からない返事をして、ハルグリムはまたスープへ戻った。


 スープを飲み、黒パンをちぎり、サラダを取る。

キッチンの中に、フォークの音と小さな咀嚼の音が続いた。

三人が同じものを食べている、それだけの時間だった。


 落ち着いたところで、ハルグリムが口を開いた。


「旦那様、鍛冶場来てたぞ。昼過ぎ」


 ヴァルドが手を止めて、ハルグリムの方へ向き直った。


「鉱石の標本を一つひとつ手に取って鑑定してたんだが、本を読んでからだと目の動きが違う。最初はただ眺めてただけだったのが、途中から指で表面を確かめるようになってた」


「確かめる、というのは具体的にどういった様子でしたか?」


「硬度とランクを見てたんだろ。本で読んだことと、実物を照らし合わせてた。旦那様は理論派だな」


 ハルグリムが言い終えて、黒パンを一口噛んだ。

その口調には、少しだけ感心したような響きが混じっていた。


 ガイルが静かに口を開く。


「訓練でも似た動きをする。最初から全部出そうとしない。まず確かめてから、次を考える」


「焦らないってことか」


「ああ。前の体の使い方と今の体が噛み合ってないのは分かってる。それでも乱れない。どこかで折り合いのつけ方を知ってる奴の動きだ」


 ガイルの声は淡々としていた。

けれど、その視線は訓練場での動きを思い返しているようだった。


 ヴァルドが静かに頷いた。


「スキルも鍛冶がLv2に上がったと伺っています。書斎で三冊読んで、鍛冶場で実物を確認した、その結果だそうです」


「三冊で二か」


 ハルグリムが低く言う。

少し間を置いてから、サラダにフォークを向けた。


「読むだけじゃ上がらん。実物と繋げたから上がったんだろ。……筋がいい」


 それ以上は言わなかった。

ハルグリムが誰かを褒めるときは、だいたいそういう言い方をする。

それで十分だということを、この場の全員が知っていた。


 少し間があいてから、ハルグリムがヴァルドへ視線を向けた。


「一つ、頼みがある」


「なんでしょう?」


「旦那様から奥様が錬金と調合を始めるって聞いてな。作業用の羽織を用意しておいた。明日の朝、奥様に渡しておいてくれるか?」


 ヴァルドが静かに立ち上がり、ハルグリムから羽織を受け取った。


「かしこまりました。確かにお預かりします」


 ヴァルドが羽織を丁寧に畳んで、脇に置いた。

ハルグリムが皿を持ち直して、スープを一口飲む。

少しの間、食器の触れ合う音だけが続いた。


 ガイルがスプーンを置いて、口を開いた。


「明日の訓練のことを話しておく」


 ヴァルドが向き直る。


「早朝はランニング。朝食のあとに瞑想を挟んでから、森へ行く」


「今日と同じく森ですか?」


「ああ。今日は魔法スキルの感触を確かめた。明日はスペルジェムを使って、もう一段階踏み込む」


「承知しました。スペルジェムについては、訓練用のものを明朝までに用意しておきます」


「助かる。それでいい」


 ガイルが短く頷いて、スープを一口飲んだ。

少ししてから、思い出したように口を開く。


「さっぱり食えて、動いた後でも腹に重くないものって、奥様なら知ってるか?」


 ヴァルドが静かに答えた。


「承知しました。明日の朝食の際に奥様へお伺いしてみます」


「頼む」


 ガイルはそれだけ言って、視線を落とした。


 ハルグリムが皿を押しやって、腕を組む。

少しの間、誰も口を開かなかった。

キッチンの中に、咀嚼の音と、ランタンの火が小さく揺れる気配だけが続いた。


 やがて食事もひと段落して、皿の上に残っていたパンも少なくなっていく。


 リナが席を立ち、コーヒーの準備に取りかかった。

少しして、ポットとカップが四つ、小皿がテーブルへ並べられた。


 タルトタタン。

奥様たちにお出ししたタルトタタンの残りを、一切れずつ取り分けてある。

リーフたちへのホール二個には手をつけていない。

キャラメルソースが薄く固まり、リンナの断面が艶やかに光っている。


 甘い香りが、食後の空気にゆっくり溶けていた。


 リナがポットを持ち上げ、リュネ草コーヒーをカップへ注ぐ。

焙煎した香りが、ふわりとキッチンに広がった。


「どうぞ」


 ヴァルドがカップを持ち上げ、一口飲んだ。

苦みの中に、丸みがある。

続けてもう一口飲む。

眉一つ動かさなかった。


 ハルグリムがカップを一口飲んで、顔をしかめた。


「……苦っ」


「砂糖がございます」


 リナが小瓶を差し出す。

ハルグリムが遠慮なく二杯ほど入れて、もう一口飲んだ。

今度は顔がわずかに緩んだ。


「砂糖入れてようやくだな。ヴァルドはそのまま飲めるのか?」


「苦みは気になりません。香りが面白い」


「変わってるな」


 ガイルも黙って砂糖を足している。

一口飲んで、少し眉が上がった。


「悪くないな」


 ハルグリムが鼻を鳴らして、タルトタタンにフォークを入れた。

一口。

動きが止まる。

咀嚼しながら、ゆっくりと目を細めた。


「……美味いな」


「タルトタタンというデザートだそうです。奥様が今日の午後に作られました」


「菓子か。こんな菓子、見たことないぞ」


 キャラメルの甘みと、焼いたリンナのやわらかさが重なる。

最後に、タルト生地の香ばしさが静かに残った。


 ハルグリムがもう一口、今度は少しゆっくりと食べた。

さっきまでの勢いが、静かに収まっていく。


「奥様は菓子まで作れるのか?」


「こちらの世界では初めて作られたそうです」


 ハルグリムが少し間を置いた。

フォークを持ったまま、小皿を見ている。


「……初めてで、これか」


 それ以上は言わなかったが、その後のフォークの動きが丁寧になった。


 ガイルも静かに食べている。

コーヒーを一口飲んで、タルトタタンを一口。

何かを言うわけでも、顔を上げるわけでもない。

ただ、手が止まらなかった。


「勉強になります」


 リナが小さく言った。


「何が?」


「全部です」


 ハルグリムが鼻を鳴らして、コーヒーをもう一口飲んだ。

砂糖を足したカップを両手で包むように持ち、湯気を眺めている。

文句を言いながら、ちゃんと飲んでいた。


 キャンドルの灯りが、テーブルの上を柔らかく照らしていた。

フォークの音が一つ、また一つ。


 主人たちの眠る屋敷の夜は、まだしばらく続く。


今回は使用人側とノーム側のお話でした。

タルトタタンとリュネ草コーヒー、夜食テロ回になった気がします。

書いていたら甘いものが食べたくなりました。


もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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