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歳の差夫婦が整えて、生きる食卓〜料理とものづくりで暮らしを整える、歳の差夫婦の異世界スローライフ〜  作者: 望月 小鳥
転生編

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19/28

甘い香りと、月明かり

 礼拝堂を出ると、廊下の空気がわずかに冷えていた。

昼間より灯りの数も減り、足元の石畳がほんのり暗い。

もう、夜が近いらしい。


 食堂の扉を開けると、ヴァルドが定位置に控えていた。

テーブルの上には食器が二人分、きちんと整えられている。

向かい側の椅子には、瑛太さんが先に座っていた。


「待たせた?」


「いや」


 短く返って、こちらへ視線を向ける。


 椅子を引いて腰を下ろした。

テーブルの中央には黒パンとサラダ。

それぞれの前には、まだ湯気の立ったスープ皿が置かれている。


 淡い黄金色のスープが、灯りを受けて静かに揺れていた。

昼からずっと火加減を見ながら取った清湯スープだ。

その香りが、食堂の空気にゆっくり溶けている。


「いただきます」


 二人で手を合わせ、スプーンを取った。


 口に含むと、旨みが静かに広がった。

鶏ガラだけじゃなく、ベルネ(長ねぎ)オルニア(玉ねぎ)ジェルナ(生姜)の香りも一緒に溶け込んでいて、舌の上で重なっていく。

仕上げのサルディア塩が、全体をちょうどいいところへ収めていた。


「……うまい」


 瑛太さんが短く言う。


 私も一口飲んで、ほっと息をつく。


「ちゃんと引けてる」


 煮出す時間を丁寧に取った甲斐はあった。

下処理から始めて、灰汁を取り続けて、漉して、また火にかけて。

リナと一緒に手を動かした時間が、この一杯に入っている。


「次にリナが一人で作るときも、ここだけは丁寧にって伝えておかないと」


「教えたのか?」


「手順は全部、一緒にやりましたよ。ああいうの、見てるだけじゃ分かりにくいですし」


「それはいいな」


 瑛太さんがスープを一口飲み、少し間を置く。

向かいから見ていると、ゆっくり味を確かめているのが分かった。


 文句も、追加の感想もない。

けれど、手は止まらない。


 それで十分だった。


 しばらく、食べることだけに集中した。

スープを飲み、サラダを取り、黒パンをちぎる。

言葉が少なくても、沈黙が重くないのは昔からそうだった。


 食べるものがあって、向かいに人がいる。

それだけで、食卓として成立する。


 黒パンをちぎりながら、ふと口を開く。


「書斎はどうでした?」


「ハルグリムに勧められた本を三冊読んだ。鍛冶場で鉱石の標本を手に取りながら確認していたら、鑑定で出てくる情報が変わっていた。本を読む前は名前と硬度くらいしか出なかったのが、ランクまで出るようになった」


 少し間があった。


「鑑定を自分に使ったら、鍛冶が二になっていた」


 読んだことが、そのままスキルに繋がったということだろう。

私は思わず手を止めた。


「へぇ……そこまで分かるようになるんだ」


「ああ。鉱石は品質で用途が変わるからかもしれない。鍛冶は純度や硬度で結果も変わるだろうしな」


「言われてみれば、調合素材はランクって出ないよね」


「薬草は効能や状態を見てる感じだな。用途そのものが違うんだろ」


 なるほど、と小さく頷く。

確かに、私が見るのはいつも、"どんな効果があるか""食べられるか""調合に使えるか"、そういう情報ばかりだった。

同じ鑑定でも、見ている方向が違うらしい。


「私も今日、錬金と調合と鑑定、全部二になったよ」


「……地道にやり続けた結果だろ」


 それだけ言って、瑛太さんがサラダに手を伸ばす。

さっぱりした味が、スープの後によく合う。


 私もサラダを取りながら、明日の段取りを頭の片隅で整理した。

ポーションを作る前に、まずは素材の精製から始めないといけない。

固形果実甘露に、精製スライム液、メル草の粉末。


 頭の中で手順を並べながら、もう一度スープへ視線を落とした。

淡い黄金色の表面から、湯気が静かに立ち上っている。


 鶏の旨みと野菜の香りが、食後の空気の中にゆっくり残っていた。


 スープ皿を傾けて、最後の一口を取る。

底まで飲んでしまいたかった。


 食べ終わったところで、ヴァルドが静かに近づいてきた。


「デザートをお持ちしてもよろしいでしょうか」


「リュネ草コーヒーも一緒にお願いします」


「かしこまりました」


 ヴァルドが一度下がる。

空いた皿を引き、フォークとナイフを片付けていく手際は、相変わらず静かで無駄がない。


 少しして、ポットとカップ、小皿が二つテーブルへ並べられた。


 甘い香りが、ふわりと広がる。


 タルトタタン。

フリージルームで冷やしていたものを、切り分けた一切れだ。

キャラメルソースが薄く固まり、リンナの断面が艶やかに光っている。


 改めて見ると、なかなか悪くない仕上がりだった。


 瑛太さんがそれをじっと見てから、フォークを入れた。


「……甘い」


「生地とキャラメルとリンナ、全部に甘みがあるからね。リュネ草コーヒーと合わせると、苦みがちょうど合うと思うよ」


 私もフォークを入れる。

しっとりした生地の奥で、焼いたリンナがほろりと崩れた。


 キャラメルの甘みが広がって、最後にタルト生地の香ばしさが残る。


 今日作ったものが、ちゃんと美味しい。

それだけで、少し疲れが引いていく気がした。


 カップを両手で包む。

温め直したリュネ草コーヒーから、焙煎した香りがふわりと立ち上った。


 一口飲む。

苦みの中に、どこか丸みがある。


 タルトタタンの後に飲むと、口の中が静かに整っていった。


「……苦いな」


「ブラックだからね。砂糖入れる?」


「いや、これでいい」


 瑛太さんがもう一口飲む。

カップを持つ手が落ち着いていて、嫌がっているわけではないのが分かった。


「地球のコーヒーとは違うが、悪くない」


「タンポポの根っこから作ってるから、香りが少し違うんだよ。豆があれば本物のコーヒーも飲めるんだろうけど、まだ見つかってないから。でもリュネ草コーヒーはこれはこれで好き。朝に飲みたくなる味」


「明日の朝も出るか?」


「作り方は教えたから、お願いしたら出してくれると思うよ」


「そうか」


 デザートの間、会話はそれきりになった。

フォークの音と、カップを置く小さな音だけが静かに続く。


 同じものを食べて、同じものを飲んでいる。

それだけのことが、不思議と落ち着いた。


 瑛太さんがカップを置いたのと、私がほぼ同じタイミングで皿を空にする。

窓の外はすっかり暗くなっていて、食堂に灯るランプの光だけが空間を満たしていた。


「ごちそうさまでした」


 手を合わせる。

向かいで、瑛太さんも静かに手を合わせた。


 温かな余韻を残したまま、席を立つ。


 食堂を出たところで、ふと思い出したようにヴァルドへ声を掛けた。


「そういえば、お風呂って使えます?」


「はい。すぐにご用意いたします」


「よかった……」


 思わず漏れた声に、自分でも少し笑ってしまう。

クリーンがあれば体の汚れは落ちる。

それは分かっている。


 でも、頭の片隅にずっとあったのだ。

お風呂に入りたいな、と。


 クリーンで綺麗になるのと、湯船に浸かるのは、全然別の話だ。

体が清潔になることと、疲れが抜けることはイコールじゃない。


 お風呂は命の洗濯、という言葉があるけれど、本当に言い得て妙だと思う。

こういう時間がないと、人はたぶん息が詰まる。


 ヴァルドに案内されて、廊下をひとつ挟んだ先の扉を開けると、湯気がふわりと流れ出てきた。


 猫足の浴槽に、乳白色の湯が張られている。

窓の外には満月が出ていて、森の輪郭を白く縁取っていた。

窓辺にはキャンドルとランタンが並んでいて、浴室の中を柔らかく照らしている。


 思っていたより、ずっといい浴室だった。


 瑛太さんに先に入るよう促されて、遠慮なく甘えることにした。


 お湯に足を入れると、じわりと熱が広がった。

肩まで沈むと、張っていた力がゆっくり抜けていく。


「……転生しても、全然チート感ないんだよなぁ」


挿絵(By みてみん)


 ぽつりと独り言が漏れた。


 瑛太さんと一緒に来られたのは嬉しい。

ちゃんと食べて、ちゃんと眠れている。


 でも、楽ができるわけじゃない。

毎日地道に動いて、覚えて、失敗して、少しずつ積み上げていく。


「見た目以外は……地味なんだよねぇ」


 湯気の向こうへ向かって、小さくぼやく。


 訓練で使った筋肉が、少しずつほどけていった。


 窓の外で、満月が静かに森を照らしている。

知らない夜の空なのに、月だけはどこか見慣れた顔をしていた。


 目を閉じて、しばらくそのまま湯に身を預けた。


 浴室を出る頃には、張っていた力もだいぶ抜けていた。


 寝室に戻ると、部屋の中は静かだった。

ランプが一段落とされていて、薄暗い。

ベッドに目をやると、瑛太さんがすでに横になっていた。


 寝ている。


 近づいてみると、規則正しく穏やかな寝息が聞こえた。

昨日はあまり眠れていなかったから、今日は疲れたのだろう。


 訓練をして、書斎で本を読んで、鍛冶場まで見に行っていた。

そのわりに顔には出さなかったけれど、体は正直だ。


 起こさないように、そっと布団の端を持ち上げて横に入る。


 瑛太さんの首元に顔を近づけると、かすかに香りがした。


 知っている香りだ。


 姿は変わった。

声も、少しだけ変わった。


 なのに、この香りだけはどこか昔のままな気がする。

不思議だと思う。


 体が変わっても、こういうのは残るんだろうか。


 昔から知っている、落ち着く香り。


 そっと、鎖骨へ唇を落とす。

それから静かに腕を回して、目を閉じた。


 瑛太さんの寝息が、すぐ近くにある。


 それだけで、眠れる気がした。


もし少しでも楽しんでいただけたら、

続きも読んでいただけると嬉しいです。


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