92話「それがデケン皇帝の実子として生まれた、私の使命」
ジャルファ王子の政敵、デイビッツ王子。
彼はジャルファより七つ年上の二十七歳で、デケン皇帝の次男だ。
デイビッツ王子を一言で表すなら、黒い巨大な類人猿。
その剛毛は髭と一体化し、七尺五寸の背丈は筋骨で肥大している。
そんな見た目にたがわず、デイビッツはデケン帝国でも随一の武闘派であった。
デケン皇帝の槍斬王の名を引き継いで、躊躇うことなく敵に突撃していく勇猛さを持っていた。
その戦績は、大戦小戦合わせて三十四戦無敗。積み上げてきた戦果は、ジャルファ王子を遥かにしのぐという。
ただしジャルファ王子とは違って、政務はからっきしだった。
戦場に出れば誰より勇敢に戦うが、平時は酒を飲み女を食らう傍若無人。
武勇に優れるが知略に欠ける、典型的な脳筋王子であった。
「俺は将来、オヤジのような偉大な漢になりてぇ!!」
「うむ、期待しているぞデイビッツ」
そんなデイビッツは、デケン皇帝から可愛がられた。
彼もまた心からデケン皇帝を敬い、崇拝していた。
「弱者を殺して、嬲って、炙って、奪い取れ! それが、デケン帝国に生まれた者に許された特権だ!」
「奪われたくなければ強くあればいい! 弱いことが罪、奪われることが罪! 奪う側にならない無力さが罪!」
力こそが正義。力で何もかもをねじ伏せ、蹂躙するのが男の生きざま。
父親想いのデイビッツは、デケン皇帝の在り方をそのまま体現していた。
そんなデイビッツを見てデケン皇帝も、笑顔を絶やさなかった。
「親父、攻め込む準備ができたぜ! 侵略理由はあとで考える!」
「ははは、忙しないヤツだのう。罠に気を付けるんだぞ」
皇帝の寵愛を受ける、武勇に優れた次男デイビッツ。
デケン皇帝も本心では、デイビッツを後継者にしたかったと思われる。
……しかし。
「皇帝、大変です。デイビッツ王子の軍が敵の罠にはまり、包囲されました」
「おお! それでどうなった?」
「乱戦の中デイビッツ王子は敵将を討ち取ったそうですが、被害は甚大です」
「ふぅむ……」
ただし、デイビッツは少しばかり脳筋が過ぎた。
敵が罠を張れば、百発百中で嵌ってしまう単細胞だった。
ただ本人の武力がずば抜けていたので、自分だけは無事に帰ってきた。
「親父、兵士が足りなくなった! 融通してくれ!」
「お前なぁ、こないだ送ったところだろう」
「悪いとは思ってる! だが、今いいところなんだ!」
自分の軍は壊滅、しかし敵将首は持ち帰り、領地は占領してくる。
毎回勝ってはいるが、敗北と同じくらい兵士は損失してしまう。
そもそも勝利とカウントしていいのか、デケン皇帝は頭を悩ませた。
「レジンよ。お前は、デイビッツをどう思う?」
「……閣下と比較しますと、少々、知恵の回らぬところが」
「だよなぁ」
デイビッツは、王子としては可愛かった。
武勇に関しては申し分がない。だが、少々頭が悪すぎる。
「デイビッツに参謀を付けてやろうと思う。レジン、推薦はあるか」
「我が息子レインは、まだ幼いながら賢明です。将来は、私をも超える参謀になるでしょう」
「そうか。ではそのレインを、デイビッツの参謀につけてやってくれ」
「分かりました」
そんなデイビッツの短絡さは、皇帝を悩ませた。
その武勇は、間違いなく怪物。若いころのデケン皇帝の比肩しても申し分ない。
ただ馬鹿すぎるし、兵も失いすぎるので、今は跡取りに指名できない。
だからデケン皇帝は、デイビッツにこう命じた。
「この子の言葉を、皇帝の言葉と思って聞くように」
「─────分かりました、オヤジ!」
レジンの息子、レイン。
弱冠十歳にしてデケン七英雄に名を連ねた、若き天才参謀である。
その小さな参謀を得た瞬間、デイビッツ王子は『覚醒』した。
「おお、すごい! レインの言う通りにしたら、楽に勝てたぞ!」
「お見事です、デイビッツ王子。殿下の勇あっての戦果でしょう」
「そうか、そうか。これも俺の手柄か!」
少年は幼いころから、父レジンに軍学を叩き込まれた。
そんなレインの軍略は冷酷無比であり、父レジンを超えると目されていた。
デイビッツの勇とレインの知が組み合わされば、向かうところ敵はなかった。
「オヤジ、聞いてくれ! また、デカい手柄を持ってきたぞ!」
「おお、そうかそうか。聞かせてくれデイビッツ!」
それはデイビッツの武力で強引につかんだ勝利ではない。
敵の裏を掻き、デイビッツの武力で完封した、まさに完全勝利。
彼はそんな戦果を上げるたび、皇帝の下に戻って自慢げに語った。
子犬のように尻尾を振って、褒めて欲しいと愛嬌を振りまいた。
馬鹿な子供ほど可愛いという。そんなデイビッツの土産話を、デケン皇帝はニコニコと聞き続けた。
「レイン、貴様もよくデイビッツを支えてくれたのう」
「……もったいなきお言葉です」
そしてデイビッツ王子には、もう一つの長所がある。
それは飼い主の言うことに、絶対に従うことだ。
デケン皇帝から、レインの言うことを聞くようにと命令された。
「レインよ。貴様の功績を表し、デケン七英雄の地位を授ける」
「光栄でございます、閣下」
だから二十歳近く年下の少年の言葉を、律儀に『皇帝の言葉』として扱った。
レインが七英雄の地位に至った時も、手放しで喜んで抱きしめた。
彼は年下に従うことに、何の不満も抱かなかったのである。
そんなデイビッツ王子は、東のチェイム戦線で戦果を上げ続けた。
圧倒的な武力と外付けされた知力で、敵国の大半を支配するに至った。
その侵略は、残虐で冷酷。
反抗的な者は磔にして首を晒し、幼子であろうと容赦せず殺した。
逃げることも罪として、国外逃亡した者の親族を処刑する法律を作った。
おとなしく降伏してきた地方貴族は妻子を取り上げ、人質に本国へ拉致した。
─────チェイム国内は、そんな地獄の様相を呈していた。
一方でジャルファ王子は、治政者としての才覚を発揮していた。
戦争にも参加し戦果を上げはするが、彼の本質は政治家と言えた。
彼の統治した領地はよく富み、民衆はジャルファ王子を慕って称えた。
領地を運営する能力に関しては、間違いなくデケンで随一。
今のデケン帝国国力は、ジャルファ王子の内政によるところが大きい。
それでいて、戦争も決して弱くない。
ジャルファ王子は持ち前の政治力を生かし、確実に勝てる戦力を動員し、敵を押しつぶす戦い方を得意とした。
彼はそのやり方で、サリパと戦うまで一度も負けたことはなかった。
この時点でデケン皇帝の後継者は、二人に絞られた。
すなわち知勇兼備の、ジャルファ王子か。
圧倒的武勇を誇る、デイビッツ王子かだ。
デケン皇帝から見て、二人とも明確な弱点があった。
ジャルファは頭は良いかもしれないが、戦争はそんなに強くない。
彼に国を任せたら将来、デケンが負ける可能性がある。
一方でデイビッツに任せれば、戦争には勝つだろう。
しかし彼の頭脳では、お飾りになって実権を奪われる可能性が高い。
日々、身体が弱っていく中で、デケン皇帝はずっと悩んでいた。
どちらを、後継者に指名しようかと。
─────逆に言えば。
ジャルファが戦争に強くさえあれば、皇帝の悩みはなくなる。
「見せかけでいい、アイギスランド戦線で圧倒していると報告を送りましょう」
ジャルファ王子は、自身の立場をよく理解していた。
戦争に強くありさえすれば、後継者に指名されるのは自分だと。
「何としてでも、皇帝から『正式に』後継者だと指名を得れば勝ちなのですから」
デイビッツ王子の性格上、皇帝の遺志には逆らわない。
ジャルファ王子が後継者になれば、不満はあれど従うだろう。
「アイギスランド戦線を最も押し込んだタイミングで、皇帝に寿命を迎えていただきましょう」
そしてジャルファ王子は既に、皇帝の医官を掌握していた。
皇帝を弱らせるタイミングも、殺すタイミングも、コントロールできるのだ。
デケン皇帝の生殺与奪の権限は、既にジャルファが握っていた。
「そうすれば、皇帝の座は正式に私のものに……」
レジン元帥の心証は、十分に稼いだ。
アイギスランド戦線での活躍で、戦争の強さを示した。
あとはこの戦果を以て、後継者に自分を指名させるだけ。
デイビッツ王子の軍は、鬼神のごとき強さだ。
正面から戦争すれば、勝てない相手などいないだろう。
しかし皇帝位が、正式に『ジャルファ王子に譲渡』されれば。
きっとデイビッツは年下のジャルファに、逆らわず従ってくれる。
皇帝位さえ握れば、後はジャルファ王子の政治力で、反乱を起こさせなければいい。
さすればデケン国内は、内戦で分断されることなどない。
─────誰の血も流さずに、現デケン皇帝の『完全否定』を実現できる。
「平和な国を。優しいデケンを。もう二度と戦争なんておこさせない、調停者してのデケンを!」
「ジャルファ王子……」
「誰も泣かせない、誰も傷つかせない、私はそんな国を作りたい!」
デケン皇帝を完全否定し、秩序を持った政治を敷くこと。
それを実現することが、殺された/殺してしまったジャルファ王子の家族の弔いだった。
「分かってるよ、安心しろ。俺は死ぬまで、その理想に付き合ってやる」
「……アガロン」
「俺の頭はお前だ、ジャルファ王子。この龍鎧の力、存分に使ってくれ」
デケン国内で、そんなジャルファ王子の想いに同調する者は少なくなかった。
王宮の医官や侍女だけではない。
七英雄の一角アガロンも、そんなジャルファ王子の想いに賛同して従っていた。
「後一歩だ、もうちょっとだ。後で返還すればいい、アイギスランド領をもうちょっと切り取れれば」
「ジャルファ王子が、皇帝に指名されるだろうさ」
ジャルファの代で、デケン帝国を立て直す。
この大陸から戦争を失くし、平和な時代を創造する。
歪みに歪んだデケン帝国を、正しい形に立て直す。
「それがデケン皇帝の実子として生まれた、私の使命─────」
口で言うのは容易いが、実現するのは難しい。
侵略を繰り返したデケンが、そんなことを始めても信じてもらえまい。
だけど、何を犠牲にしてでもジャルファはやり切るつもりでいた。
死んでしまった実母や兄、乳母を供養するために。
平和を愛するトゥー族の末裔として、侵略に屈しないという意思を貫くために。
そして何より、『デケン帝国の王子』として生まれてきた責任を果たすため。
ジャルファ王子は人生のすべてを、皇帝位の簒奪に捧げていた。
そんな未来まで、あと一歩だったのに。
「大変だ、ジャルファ王子。レジン元帥が─────」
「サリパ戦線が、敗北した!? 怪物はこっちで引き付けていたでしょう!?」
サリパの名将、ベルカの戦略の切れ味がジャルファ王子の計算を狂わせたのだ。
怪物さえいなければ、サリパ戦線は維持できる。怪物が現れても、レジン元帥であれば上手く戦ってくれる。
そんなジャルファの目算は、ベルカを前にあっさりと破綻した。
「まさか……レジン元帥が、知恵比べで負けたのですか!?」
「そうらしい」
「嘘だ、そんな、どうして」
タケルの強さは、異常過ぎた。だからつい、タケルに目を奪われがちであるが。
サリパ軍の本当の強さを握っていたのは、怪物ではなく……。
ジャルファ王子が知覚していなかった、名将ベルカの存在であった。
「サリパ軍、ヤイバン軍が国内に侵攻する構えを見せています」
「……マズい!!」
このままデケンが侵攻されれば、首都すら脅かされる可能性がある。
そんな状勢になれば、話は大きく変わってくる。
「アガロン、アイギスランド戦線は任せました! どうせ大したことは起きないでしょう」
「どうする気だ、ジャルファ王子」
「レジン元帥のところに向かい、対策を練ります」
デケン軍がこうも押されているなら、求められるのは強いリーダー。
戦争において無類の強さである、デイビッツ王子が指名される可能性が高くなる。
「ここまで頑張ってきたんです。二十年、歯をくいしばって耐えてきたんです」
サリパ・ヤイバン連合軍を止めなければ、皇帝位の簒奪が難しくなる。
それどころか戦況次第で、デケン帝国が滅ぼされかねない。
そうなればさらに地獄、大陸は秩序を失った内戦状態に突入する。
「今更……、今更! 諦めてたまるものですか!」
それはジャルファの願った未来ではない。
彼は僅かな護衛と共に、敗走したレジン元帥の下へ向かった。
ここから、逆転の一手を打つために。
早馬を飛ばし、一週間。
ジャルファ王子は、レジン元帥の幕舎に辿り着いた。
「レジン元帥、ご無事ですか」
「ジャルファ王子か」
デケン軍の陣中は酷いものだった。
国境付近まで戦線を押し下げられ、食料物資は放棄し、武器の修理も追いつかない。
「無様な姿を見せてしまったな。情けない」
「……レジン元帥、どうかお心を確かに」
「君がここに来たということは、アイギスランド戦線から援軍を出してくれるのか」
かつて名将と称えられたレジンは、見る影もなくやつれていた。
まんまと敵の掌に踊らされ、悔しさのあまり手が震えている。
「援軍を出すなら早くしてくれ。このままだと、国境付近の村は焼かれるだろう」
「もう、この軍で防衛はできないのですか」
「我らはもう、陣を構えるふりで時間を稼いでいるだけだよ」
思った以上に、被害は大きかった。
立て直すには、莫大な援軍が必要だ。
「残念ながら、アイギスランド戦線から援軍を出すのは難しいです」
「……そうか。では何故、王子はここに?」
「一つ、レジン元帥にご提案を持ってきました」
だが、アイギスランド戦線から兵を引っ張るわけにはいかない。
彼らの態勢が整えば、逆襲されるのは目に見えている。
「─────この敗北を隠しましょう。レジン元帥」
そこで、ジャルファ王子が下した判断は……。
敗北そのものを、隠すこと。
「それは出来ん。つまらぬ嘘を吐けば、祖国を窮地に陥れる」
「この結果が知られれば、皇帝は貴方の首を落とします。場合によってはご子息、レイン様も」
「……むぅ」
この結果が知られれば、レジン元帥は殺されるだろう。
皇帝の怒りが変な方向に飛べば、天才児たる彼の息子レインも殺されるかもしれない。
それはデケンにとって、あまりに損失が大きすぎる。
「だが、自国民を守るのが軍の役目だろう」
「仰る通り」
またジャルファにとっても不都合であった。
せっかく心証を稼いだレジン元帥の発言力がなくなるのは痛手だった。
「その代わり、私が敵を止めてきましょう」
「……ジャルファ王子が? どうやって?」
ここが命の張りどころだ、とジャルファは思った。
分が悪い賭けではあるが、通せば全てがうまく行く。
「講和して、サリパ・ヤイバン・アイギスランドの侵攻を止める」
「そんな無茶な!」
講和によって侵攻を止めて、レジンの敗北を隠し皇帝に謁見する。
そして正式に、皇帝位を継承するのだ。
「どうせ私が皇帝になったら、講和するつもりだったんです。予定が前倒しになっただけ」
「ふ、不可能だ。ヤイバンもアイギスランドも、我らの怨敵だぞ」
「……知っています」
レジン元帥は仰天し、ジャルファ王子の無謀を諫めた。
当然だ、乗り込んだ瞬間に斬り殺されても不思議ではない。
「もし講和に失敗しても、私が死ぬだけで済みます」
「……」
「後継者争いを避けられて、デケンにとっては利益になる」
もし失敗した時は、おとなしく殺されるつもりだった。
後継者争いなどという戦争の火種は、なくしたほうが良い。
「─────それに、彼女はやってのけた」
「ジャルファ王子?」
この時、ジャルファの脳裏にはある少女の顔が浮かんでいた。
怨敵との交渉を纏め、ヤイバンとの同盟を掴み取ったリシャリ姫だ。
「私にだって、出来るんです」
リシャリ姫に出来たことを、私が出来ないはずがない。
その心底には、痛烈な対抗心があったかもしれない。
自分より年下でありながら暗躍する才能に、嫉妬していたのかもしれない。
「……意志は硬そうですな。止めても無駄のようで」
「では、デケン帝国を救ってきます。うまく行った時は頼みますよ、レジン元帥」
「分かった、こっちも命を懸ける。ジャルファ王子に乗ろう」
こうしてジャルファ王子は、悲壮な覚悟を胸に秘め。
半ば死を覚悟したうえで、たった一人でヤイバンの首都に向かった。
そこで対決する相手は、ヤイバン王と思っていた。
だからジャルファ王子は、武人然とした彼を説得するため、威風堂々とした王子の仮面を用意してきた。
その方が気に入られると、計算したから。
「……君は」
しかし、ジャルファ王子は邂逅する。
彼にとっての天敵、デケンを陥れる『黒幕』。
仮面など容易にはぎ取ってしまう、平凡に見える少女。
「まさか、君なのか。リシャリ姫」
「不肖ながら、ジャルファ王子のお迎えに上がりましたわ」
ジャルファ王子の顔から、血の気が引いていく。
ヤイバンで彼を出迎えたのは、優しい微笑みを浮かべる華奢な姫。
─────リシャリ・サリパールその人だった。




