91話「まだ交渉の余地はあるでしょう?」
「ジャルファ王子。申し訳ないですが、武器はお預かりさせていただきますわ」
「当然でしょう。どうぞ、お預けします」
それは、異様な光景だった。
「護衛も、追従していただく訳にはいきません」
「では、私一人で伺いましょう」
黒曜石の騎士甲冑を纏った王子が、ヤイバン王宮の廊下を闊歩していた。
その左右は、サリパの騎士とアイギスランドの炎術師が固めている。
「リシャリ姫。君は歩く姿も、美しく可憐だね」
「こ、光栄ですわ」
丸腰で護衛もいない廊下を、彼はずんずん進んでいく。
一言でも迂闊な発言があれば、斬り殺されてもおかしくない立場。
だというのにジャルファ王子は、怖いものなどなさげな様子だった。
「ジャルファ王子、入室して良いそうですわ」
「では、入らせてもらいましょう」
俺の仕事は、ジャルファ王子の出迎えまで。
彼が入室した後は、近くで傅いて侍るだけ。
「君の可愛らしいエスコートに、謝意を」
「……どうも」
ジャルファ王子は入室する間際、俺の手背にキスをしていった。
これから殺されるかもしれない謁見だというのに、どんな度胸をしてるのか。
「謁見の許可、ありがとうございますヤイバン王」
「ふん、入ってきおったか」
ジャルファ王子は真っすぐ、ヤイバン王の前に歩いた。
怯える様子も、警戒する様子もない。
「おお、やはり素晴らしい」
「……?」
「大国ヤイバンの王、いつかお会いしてみたいと思っていたのです。これは、思った通りの偉丈夫」
「何だ、貴様……?」
ヤイバン王は怒り心頭、ジャルファ王子を射殺さんばかりに睨みつける。
しかしジャルファ王子は、不敵な笑みを崩さない。
「初めまして、デケン帝国のジャルファと申します」
「デケンのガキが何の用だ」
「講和の交渉に伺いました」
ジャルファ王子の声色は、明るかった。
今にも殺されそうだという事実に、気付いていないのか。
「講和交渉、ね。その言葉の意味を理解しているか?」
「戦争を終えて、和平を結ぼうという意味でしょう」
「貴様らデケンが始めた侵略戦争ではないか」
「その過去は否定しません。責任は、受け止めるつもりです」
ヤイバン王は、ジャルファ王子の態度にイライラしていた。
息子を殺された恨みが、フツフツと湧き上がっているのかもしれない。
「デケン帝国との約束など、信用できん」
「信用して貰えなければ、話が進みません」
「では、どのようにして貴様は信頼を得る」
「自らの言動と、言葉で勝ち取ります」
ジャルファ王子の言葉の真意は分からない。
ドロリと濁った彼の瞳が、ヤイバン王の神経を逆撫でしていく。
「まもなく、デケン皇帝が逝去します」
「……ぬ?」
「その場合、私が後継者となる可能性が高い」
ジャルファは俺に告げた通りの説明を、ヤイバン王に行った。
しかし今の彼は瞳は濁り、真実を話しているのかは分からない。
「信用ならん。自国の皇帝の危篤を公表するなどあり得ん、嘘であろう」
「嘘などではありませんよ」
俺の目には、ジャルファ王子が嘘をついていないように見えた。
しかし俺の目も絶対ではない。
どこまでが真実なのか、正確に見通せなかった。
「私が信用ならないなら、そこの『裏切り者』に聞いてみてはどうです」
「裏切り者……?」
「デケン皇帝の恩を受けながら、サリパ方に寝返った恩知らずがいるでしょう」
ジャルファ王子は、陰に隠れていたセルッゾおじ様へ目をやった。
その冷たい視線を受け、おじ様はハァと溜息を零す。
「はて、何のことか分かりませぬが。ただ、デケン皇帝の危篤は事実でしょうな」
「……本当か!?」
「予らが独自に掴んだ情報と一致しております故。まさか、ジャルファ王子の口から裏が取れるとは思いませんでしたがのう」
デケン皇帝の危篤は、セルッゾおじ様も掴んでいた情報だった。
ラシリア姉上が言っていた『聞く価値のある情報』とは、このことらしい。
だとすれば、ジャルファ王子の話は真実味を帯びてくる。
「ヤイバンやアイギスランドへの侵略も、サリパへの裏切りも、全て私の父……現デケン皇帝の命令によるものです」
「お前……」
「そして約束しましょう。私が後継者となったら、二度と貴国らに攻め入りません」
ジャルファ王子は、ヤイバン方面軍やアイギスランド方面の指揮を任されている男。
そのことから、彼の皇帝位継承の序列はかなり高いと推測される。
「それで? 侵攻してこないのは勝手だが、戦況は我らが優勢だ。今、こちらが戦いを止めるメリットは?」
「戦況に見合った、領土割譲が妥当でしょうね」
そして本当に、ジャルファ王子が皇帝位を継ぐことができるなら……。
領土割譲を含めた交渉が、可能となる。
「貴国が今のペースで勝利し続けた場合、一年間で三領ほどのデケンの土地を占領することになる計算です」
「……」
「その三領の割譲が講和条件です。『一年間の勝利が確定する』のと『占領地が荒らされず手に入る』のは、大きなメリットでしょう」
それは誰が聞いても、美味しい話だった。
ヤイバンに隣接した領土を三つも、そのまま譲ってくれるというのだから。
一年分の戦費を節約できるうえに、復興資金がかからない。
「舐めるな。我らはたった一年間で、戦争をやめたりはせんぞ。これまでの恨みがあるから─────」
「やめますよ。だってもう貴国には、兵糧の備蓄がないでしょう」
「……」
「あちらこちらに兵を出して、国庫が持つわけがありません。貴国が戦えるのはあと一年が限度」
そのジャルファ王子の言葉は、的を射ていた。
実際、ヤイバンの財政は各地に軍を派遣している影響で火の車。
元より一年ほどで侵攻をやめ、守りに徹する方針に転換する予定だった。
「一年分の勝利の確約と、領地の無血譲渡。貴国にとってこれ以上の条件はないはずです」
「……ああ。その条件は確かに、文句をつけれん」
ジャルファ王子の提案には、乗る価値があった。
しかしヤイバン王は、首を縦に振らなかった。
「だがお前らが約束を守るなどと、確証が持てん」
「そこは信じてもらうしかないです」
講和条件は、納得できる内容を出してきた。
しかし問題なのは、デケン帝国の外交的信用が皆無であること。
「なので、選んでください」
「何をだ、デケンのガキ」
「ここで私を殺すかどうか」
そこで信用を得る為、ジャルファ王子が張ったのは命だった。
次期のデケン皇帝になりうる男が、命を危険にさらして交渉を続けた。
「断言しましょう。私ほど親ヤイバン、親サリパ派の王子はいません」
「……それで?」
「この講和を拒否するなら、どうぞ私を処刑してください」
ジャルファ王子は、断るなら自分を処刑しろと言ってのけた。
優し気で柔和な笑みを浮かべながら、本気の口調で。
「私以外の後継者候補は、デイビッツ王子と言います。彼はサリパとヤイバンを滅ぼすと強弁しています」
「……貴様」
「彼が後を継ぐなら、私はどうせ処刑されるでしょう」
ああ、そうだ。ジャルファ王子は、こういう人種だ。
自分の命であっても躊躇わず、交渉の担保に乗せられる国益狂い。
「なら私がここで殺される方が、国内の意見が統一しやすい」
俺たちが講和を受けるなら、ジャルファ王子はそれを手柄として持ち帰り。
講和を拒否するなら、ヤイバン王を焚き付けて殺してもらう。
どちらに転んでも、国益になる。
「それと私は、デケン国内ではそれなりに人気を博しておりまして」
「……」
「なるべく残酷に殺してもらえる方が、兵士の結束が高まって助かります」
だからジャルファ王子は、護衛もつけずたった一人で乗り込んできた。
殺されても、国益。殺されずとも、国益。
自分の命を交渉の賭け金にする態度は、俺と鏡写しだった。
「……ジャルファとやら。貴様はワシら、ヤイバンと交渉に来たのだな?」
「ええ、国力を考えるならまずは貴国からでしょう」
そんなジャルファ王子を睨みつけること、数分。
やがてヤイバン王は勢いよく、立ち上がった。
「では、ヤイバン王たるワシの一存で返答しよう」
「お伺いします」
彼の目つきは、険しい。殺意すら、帯びている。
そしてヤイバン王は、静かに腰元の剣を抜き放った。
「お前の言葉が事実と、信用は出来ん」
「……」
「貰えるものは貰っておく。お前も覚悟の上で来たのだろう?」
……交渉は、決裂した。
ジャルファ王子を殺す、それがヤイバン王の下した返答。
「そこに立て、いざ返答をくれてやる」
「……それが、答えですが」
しかしジャルファ王子の表情は、まったく変わらない。
真剣なまなざしで、ヤイバン王を見つめるのみ。
「残念です。嘘は一つもなかったんですがね」
「であれば、デケン帝国の過去の行動を恨むんだな」
ヤイバン王は、白銀の剣を握りしめる。
ハンネも、国王も、ラシリアも、ヤイバン王の行動を制止する素振りがない。
「せめて、最期の望みはかなえてやろう。爪を剥ぎ、皮を削ぎ、苦痛と言う苦痛を味わわせてやる」
「ふむ」
「お前らが、ワシの息子を殺した方法と同じ処刑だ」
それは今までを思えば、当然の結論だった。
例え妥当で、かつ魅力的な条件が提示されたとしても……。
デケン王子からの交渉など、信用できる筈がない。
だから皆、ヤイバン王の判断に『無言で賛成』していた。
「そうですか」
その返答を聞いたジャルファ王子は、冷めた声になって。
「この男を連れていけ」
「では、ご自由にどうぞ」
そう言って、静かにその場で首を垂れた。
「……」
ジャルファ王子も、こうなることは分かっていたはず。
これが、彼の目論んだ未来なのか?
ヤイバン王の前に立てば、殺されるなど目に見えていたじゃないか。
「では、牢屋に連行いたします」
「おう。処刑までは、たっぷり拷問にかけろ」
分からない。あまりにも、状況が読めない。
ジャルファ王子が殺されることも、デケンの狙い通りなのか?
それとも講和を結ぶつもりでやってきて、失敗しただけ?
俺の思考が渦巻き、迷走を始めた刹那─────
金属音と共に。
一本の剣が、俺の喉先で止まった。
「リシャリ様ッ!!」
剣撃の音を近くした刹那、俺の目前に黒銀の刃が迫っていた。
騎士団長の慌てた声が、俺とジャルファに割って入った。
「リシャリ様には指一本触れさせん!」
「……暗殺も、失敗ですか」
いつのまにかジャルファ王子が剣を抜き、俺に斬りかかったのだ。
しかし刀身が首筋の皮に届く直前、パウリックに防がれていた。
─────俺は今、殺されかけた。
「リシャリ姫を道連れに出来れば、理想だったんですが」
「総員、剣を構え! あの邪悪な王子を捕らえろ!」
ジャルファ王子の周囲を、物々しい兵士たちが取り囲む。
パウリックに睨まれ、兵士に囲まれ、ジャルファ王子は絶体絶命。
「貴様! 剣など持ちこませなかったはず……」
「デケンの魔導具に、剣を小型化させるものがあるのですよ」
ヘラヘラ、とジャルファ王子は笑って剣を振った。
その黒剣はパウリックの一閃に耐えられなかったようで、刀身にひびが入っていた。
「不意打ちで斬りかかるなど言語道断!」
「騎士団長はさすがの反応ですね。誉めてあげてくださいリシャリ姫」
「なんたる卑怯! ジャルファを許すな!」
そんなジャルファの瞳には、僅かな諦観と。
何かに対する失望が、色濃く浮かんでいる。
「やはり、命はかくも安っぽい」
やがて、彼の口からそんな呟きが零れ落ちた。
「何があったのですか、ジャルファ王子」
気付けば、俺は。
一歩、ジャルファ王子に足を踏み出していた。
「危険です、リシャリ様。お下がりくだされ」
「ありがとう、パウリック」
何か、まずいことが起きている気がする。
見逃してはいけない、致命的な見落としがある気がする。
「ヤイバン王、彼とお話をさせて頂きたいですわ」
「……リシャリ姫? 何を言い出すのだ」
ジャルファ王子を殺せれば、我々にとって利益は大きい。
しかし、そんな戦果など些細になりそうなほど、致命的な何か。
「ジャルファ王子。貴方はここに、何をしに来たのです」
そんな、俺からの問いに。
ジャルファ王子は、柔和な笑みを浮かべてこう答えた。
「─────数か月前、君がしたことをしようと思ったんですよ」
「は?」
彼の眼は濁ったまま、俺を見つめる。
数か月前に、俺がしようとしたこと?
「十年以上も殺し合い続けた怨敵と、和解せざるを得なくなりました」
「何を、仰っているんですの」
「実際、やってみて思いましたよ。信用を得ることが難しい、話も聞いてもらえない」
ジャルファ王子は笑みを浮かべたまま、剣を床に突き立てる。
その行動は、彼らしからぬ自暴自棄さがあった。
「こんな交渉、どうやって纏めたんですか貴女は」
「え、あー……」
「ふふふ、やっぱり君は恐ろしい」
つまりジャルファ王子は何か策があってきたわけではなくて。
俺と同じく、決死の覚悟で講和しようと乗り込んできたってこと?
「もう良いです。祖国への義理立てで、黒幕くらいは始末しようとしましたが……」
「え、あの」
「誓いは果たせず、何もなせず。私の器は、その程度だったらしい」
その言葉が、演技ではないことは一目瞭然だった。
彼はもう、何もかもを諦めている。
「私は何のために生まれたんでしょうか。病弱な母を死に追いやり、育ての乳母を斬り伏せて、実の兄の心臓を抉って」
「ジャルファ王子?」
「それほどの罪を背負っているのに、私の命はこんなに軽い」
ひとりごちるジャルファ王子の心臓に、パウリックの細剣が狙いを定め。
色めき立った衛兵たちが、王や貴族を守って前に出た。
「ああ。どうかデケンの未来に、栄光あれ」
「あっ」
ジャルファ王子は、剣を自らの首筋に当てた。
このまま、死ぬ気だ。
「……今行きます、母さん」
「止めろ、自害させるな─────」
兵士たちが慌てて、ジャルファに飛び掛かろうとする。
しかし彼は虚空を見つめ、自分の首へと刃を振り上げていた。
「もう諦めるんですの、ジャルファ王子」
「……ん?」
殺させはしない。
俺は首筋に添えられた王子の刃を、掌で掴んだ。
刺すような痛みと共に指が切れ、ポタリと滴る血液。
同時に、王子の見開かれた瞳が俺の顔を捉えた。
「まだ交渉の余地はあるでしょう?」
「リシャリ姫?」
ここでジャルファを殺しては駄目だ。
まだ俺はこの男の輪郭をとらえきっていない。
きっと大切な何かを、見落としている。
「私なら、諦めずに交渉を続けますわよ」
「……」
ジャルファ王子の輪郭は、本性はどこにある?
野心に燃える、自信過剰で不遜な漢か。
腹黒く知恵の働く、ジケイ兄上のような黒幕か。
そんな風に見えはするが。
「そこで諦めているから、ジャルファ様は『その程度』なのですわ」
「……あ?」
軽く挑発してみると、ジャルファ王子は俺を睨んだ。
自死する間際、仮面を捨て去った彼の瞳に見えたその『輪郭』は。
「言ってくれますね、リシャリ姫」
正義を信じる裏表のなさと、思い通りにならない苛立ち。
それは思春期前の男児のような─────無垢さと、幼稚性だった。
「ここで諦めるから、俺は小物だって?」
「おー」
彼は首筋から剣を離し、再び立ち上がると。
その黒剣を俺に向けて、挑発的な目を向けた。
「貴女に何が分かるって言うんですか、リシャリ姫?」
ああ、なるほど。
俺はこの瞬間、やっとジャルファの輪郭を掴んだ気がした。




