81話「追想、ジャルファ王子」
─────十年前、デケン帝国の皇居での話。
その日たまたま、デケン皇帝の虫の居所が悪かった。
「失敗作ッ!!!!」
「ぐぅえ!!」
デケン皇帝の王座の前で、若い鮮血が飛び散る。
部屋に響くは、肉を抉る打撃音。
「アホ、ボケ、怠惰、カス、ゴミ、無能、弱虫、蛆、白痴!!」
皇帝に殴打されているのは、デケン帝国の第一王子シュバルだった。
彼は十五歳の若さで初陣に出て敵軍を打ち破り、悠々と首都に凱旋したが。
「敵将を殺さぬとは、何たる怠惰ッ!!」
「ちち、う、え。かれ、は、恭順、を」
シュバルが敵将の降伏を受け入れたと聞いたデケン皇帝は激怒した。
そして臣下の前で、激しく殴打し始めたのだ。
「ど、どうして皇帝陛下は怒っているのでしょうか」
「シュバル様が、大手柄を上げたのに」
デケンの軍規には、敵将を殺さねばならないというものはない。
むしろ敵の降伏を受け入れることは良策とされ、これまでも多々あった。
「一度でも敵対した者は、殺せェェェェっ!!!」
ではなぜ、皇帝がここまで激怒しているのか。
その理由は、実に下らないものであった。
デケン皇帝が、家臣と賭けを行っていたからだ。
賭けの内容は、息子が敵将首を持ってこれるかどうか。
皇帝は『儂の子ならきっと敵将首を持ち帰るはずだ』と豪語した。
しかしシュバルは意気揚々、敵将を従えて帰って来た。
それで皇帝は、恥を掻かされたと感じたようである。
「役立たずッ!! 無知蒙昧ッ!!」
戦勝の席で酔っていたからか、皇帝の理性は働かなかった。
憤怒した皇帝は、青年の頭蓋骨を幾たびも槍で殴打し続け。
やがてシュバル王子の頭蓋が割れ、瞳孔がひっくり返り、血を噴き出して痙攣した。
「こ、皇帝陛下。それ以上されればシュバル王子が……」
「この儂に意見するか!! 貴様も死ね!!」
べろんべろんに酔っぱらった、皇帝の虐待は止まらない。
彼は手塩にかけて育てたシュバルを、そのまま殴打し続けた。
完全に、その場のノリであった。
「不良品!!」
デケン皇帝は、血の海に沈んだ王子を足蹴にした。
飛び散った王子の体液が、紅いカーペットを黒く染めた。
その異常な折檻は、およそ半日に渡って続いた。
「はぁ、はぁ。ぜぇ~、ぜぇ~」
やがて王子が息を引き取った後、デケン皇帝の怒りは収まった。
全身に息子の返り血を浴び、息切れして立っていた。
「お前たち、覚えておけ」
そんな悲惨な光景を前に、誰もが顔を青ざめている。
やりすぎたと思ったのか、皇帝はバツの悪そうな顔をしていた。
「……儂は息子であっても、弱者に容赦しない」
しかし、デケン皇帝は自らの過ちを認めない。
自らの長男を撲殺したデケン皇帝は、高らかにそう宣言した。
「弱者には何をしても良い。この通り、シュバルは何をされても文句を言えないッ!!」
デケン皇帝の不興を買っただけで、罵倒され撲殺される。
それが、ジャルファ王子が初めて見た『人が殺される瞬間』だった。
「くだらん」
息子を殺されたデケン皇帝の妃は、悲しみのあまり毒を呷って自害した。
それでもデケン皇帝は、悪びれる様子はなかった。
皇帝の妻たる器がなかったと、妃の遺体をゴミ箱に捨てたという。
「我が息子よ、ジャルファよ」
命とは、何なのだろう。
少年はぼんやり、その答えの出ない疑問に悩んだ。
「父上。これは、どういう状況でしょうか」
「ああ、この女を処刑しようと思ってな」
その少年は、デケン帝国の第七王子ジャルファと言った。
彼は聡明な頭脳と、華麗な武技を併せ持つ端正な王子であった。
ジャルファは亡国トゥーの姫と、デケン皇帝の間に生まれた子だ。
デケン皇帝は侵略した国の姫を妃にして、血筋として取り込む癖があった。
「そこの女は、儂に不敬を働いたのだ」
「不敬、ですか」
しかしトゥーの姫は病弱で、ジャルファを産んでまもなく死亡した。
なので幼いジャルファは、トゥー族出身の乳母に育てられた。
「儂を見て平伏せなんだ、不敬であろう」
「水瓶を運んでいた最中では、平伏できないのでは」
「儂に敬意を感じていれば、できたはずだ」
その乳母の名は、エミィ。かつてトゥーの姫の教育係をやっていた女性だ。
彼女はジャルファ王子を、我が子と同じように可愛がって育てた。
「父上。彼女は、エミィさんは私の乳母で」
「ああ、そうらしいな」
それを見たデケン皇帝は、危惧をした。
可愛がられて育った子供は、勇敢に育たないんじゃないかと。
「それが何か関係があるか?」
敗者を虐げるのは、勝者の特権だ。
それがデケン皇帝の信念であり、生き方であった。
「どうかエミィさんを許して頂けませんか」
「そうか」
言いがかりをつけられ、殺されたとしても殺されるヤツが悪い。
だから、デケン皇帝は言いがかりをつけて乳母エミィを殺そうと考えた。
「ジャルファ、お前も儂の威光を軽んじるのだな」
「そ、そういうわけではなく。どうかご容赦を」
皇帝の意図を察した幼いジャルファ王子は、顔を真っ青にした。
このままだと、育ての親が殺されてしまう。
どう言い訳すれば助けられるか、幼いなりに必死に考えた。
「良いわけがないだろう。儂が気に入らんのだ」
しかし、皇帝の瞳に情けの気配はない。
彼の中で乳母エミィを殺すことは、決定事項のようだった。
「……」
デケン皇帝が何を求めているか。
ジャルファはここで何をすべきか。
幼いながらに優秀だった彼は、すぐにそれを理解した。
「ジャルファ様。どうかご立派になられませ」
「エミィさん……」
エミィは、ジャルファを息子のように愛して育てた。
トゥー姫の忘れ形見と想い、暑い日も寒い日も、十年間ずっと世話をし続けた。
「……おお!」
母がいないジャルファにとって、家族のぬくもりを与えてくれた存在。
そんな女性を、父親の気まぐれ一つで失っていいのだろうか。
─────よくない、だが拒否権はない。
「母親代わりを一刀両断するか、ジャルファよ」
「はい、父上」
ジャルファ王子は気まぐれだと理解した上で、エミィの首を一刀に斬り落とした。
そしてにっこりと、父に向かって微笑んだ。
「私が短慮でした。父のお言葉通り、エミィの罪を裁きました」
「あっはっはっはっは! こりゃ良い、デケンの未来は明るい!」
乳母を切り殺したジャルファを見た皇帝は、機嫌よくジャルファの頭を撫でた。
血塗れになってほほ笑むジャルファはまさに、皇帝が望んだ光景だった。
「お前は見所があるな! よく覚えておこう」
「光栄です、父上」
ジャルファは深い悲しみも、憎悪も表情に出さない。
優しい王子の仮面を張り付けて、デケン皇帝に微笑みかける。
そんなジャルファの背後で、首のない乳母の遺体が血を噴いていた。
「エミィさん」
首がなくなったエミィは、動かなくなった。
彼女の体躯から、ぬくもりが消え去った。
「こんなにも、あっさり、人は、死ぬのか」
しかし、それを悲しむわけにはいかなかった。
そのエミィを殺したのはジャルファ自身だから。
「命とは、他者の気まぐれであっさり失われる─────」
ジャルファは、母のように慕っていた女性を失って。
涙を流すことすら、許されなかった。
「……辛かったな、弟よ」
その日の晩。
目元をグチャグチャにしながら、ジャルファを抱きしめる男がいた。
「慕っていた乳母を殺させるなど、あってはならぬ」
「……ヴィジャル兄さん。私は、正義を執行しただけで」
「そうだ、それで良い。お前は何も悪くないのだぞジャルファ」
それは、彼の実兄であり。
同じくトゥー族の母から生まれた、第五王子ヴィジャルであった。
「彼女の遺体は回収しておいた。明日、葬儀を行う予定だ」
「……葬儀、ですか」
「ああ、俺が取り仕切る。お前は静かに、彼女の死を悼め」
ヴィジャル王子はその事件を知って、真っすぐジャルファの下に向かった。
そして部屋の中央で、静かに座るジャルファを抱きしめた。
「エミィさんは私の乳母です。兄さんに手配していただく訳には……」
「彼女の親族も葬儀に参列する。その罵詈雑言を、お前に受け止めさせるわけにはいかん」
気まぐれで母を失った、エミィの実子たち。
彼らからどのような不平不満が出るか、想像に難くない。
「エミィさんを殺したのは私です。彼らの訴えは、私が聞くべきで」
「阿保! 傷ついているお前に、そのような役目を背負わせられるか!」
その追及は、兄ヴィジャルが引き受けた。
ジャルファに乳母の死を、せめて静かに悼んでもらうために。
「悪いのはお前じゃない、皇帝と……この世界だ。闘争が絶えず、争いが終わらぬ実情だ」
「兄さん?」
「早く、平和を実現しなければ」
涙を流せない弟に代わって。
兄はボロボロと、無限に雫を零し続ける。
「いつか、お前が仮面を脱いで良い世界にしてやるからな」
「……仮面?」
「ああ」
人は悲しい時、涙を零して唇を噛み、大きくゆがむ。
事実、ヴィジャルの顔面は鼻汁と涙で、見るに堪えない様相だ。
「そんな歪んだ笑顔の仮面を、被らなくて済む世界だ」
だというのにジャルファ王子は、甘いマスクで笑顔を浮かべるのみ。
そして表情筋が固定されているのか、彼は瞬き一つしなかった。
このようなデケン皇帝に対する、家臣の想いは様々だった。
彼の横暴を、蛇蝎のごとく嫌う臣下もいれば……。
皇帝の威光を褒めたたえ、媚を売る臣下もいて。
皇帝の勇猛さに心酔し、崇拝する臣下もいた。
しかし表立って反抗するものは、一人もいない。
デケンでは、皇帝に気に入られないと生きていけないのだ。
例え王子であっても、いつ殺されるかわからない。
そんな異常な環境で、ジャルファ王子はすくすくと成長した。
「父上。今日は、虎を狩ってまいりました」
「おお、ジャルファは勇敢な男だな」
ジャルファ王子は、デケン皇帝に気に入られるよう振る舞った。
武芸に励み、戦に参加し、大きな戦果を挙げた。
ジャルファの功績もあって、デケン軍は連戦連勝だ。
デケン皇帝も、そんなジャルファを可愛がった。
「ジャルファ、貴様が息子で儂も鼻が高い」
「光栄です」
ジャルファ王子は反乱の鎮圧、異民族の討伐、内政の拡充などの手柄を立てた。
その手際の良さは、デケン皇帝をも唸らせた。
「光栄です、父上」
「この調子なら、後継ぎに考えてやってもいい」
いつしかジャルファは、デケン皇帝の後継ぎ候補と目されるようになっていた。
躊躇わず、育ての乳母を殺した覚悟。
敵対者を冷酷に滅ぼし、蹂躙した手管。
「父の後を継げるのであれば、それは至上の名誉」
ジャルファも父、デケン皇帝によく敬意を払った。
ことあるごとに父の偉業を褒め称え、父のようになりたいと吹聴した。
─────そんなジャルファ王子の胸の内を、知る者はいない。
デケン皇帝の悪魔染みた所業に、納得しているわけがない。
しかし表立って反旗を翻せば、待っているのは理不尽な死だ。
デケン皇帝は少し機嫌を損ねただけで、ためらいもなく人を殺す。
だから、隙を見せてはいけない。真意を悟られるわけにはいかない。
私は理想のデケン王子でいなければならないのだ。
父を尊敬し、力を信じ、他者を蹂躙することに喜びを感じている。
そんな歪んだ仮面を被り続け、生き続けた。
「おう、ジャルファ王子」
「おや、アガロン。こんにちは」
いつからだろう。
ジャルファ王子が、微笑みを絶やさなくなったのは。
「……また笑ってんのかお前」
「いけませんか?」
「いや、そんなことはないけどよ」
彼は二十四時間、いつでも理想の王子様だった。
どんな相手にも丁寧に、優しく応対した。
その結果、
「笑ってる時の王子は、瞬きしないから怖いんだよ」
「ああ、なるほど」
いつしかジャルファ王子の仮面は、
「次から気を付けます」
こびりついて離れなくなっていた。




