80話「だから、ぜったいにノー!!」
「では、帰りましょうリシャリ様」
「ええ」
こうして、長かったアイギスランドでの生活も終わりを迎えた。
俺の誘拐から始まった騒動も、ようやく一段落。
「名残惜しいですが、お別れですわハンネ様」
「こちらこそ。リシャリ姫と出会えたことは、余にとっても幸福だった」
ハンネともう少し仲良く生活していたかったが、そう言う訳にも行かない。
サリパは戦争の真っただ中、今すぐにでも帰らねばならないだろう。
タケルがいれば、旅路に襲われる心配はない。
「では恐縮ではございますが、リシャリ様を抱きかかえさせていただきます」
「あら」
彼はそう言うと、照れながら両腕で俺を抱きかかえた。
いわゆる『お姫様抱っこ』である。
「この体勢で走らせていただきます。苦しく感じられましたら、お申し付けください」
「何だか、照れますわね」
ハンネが驚いたような、羨ましいような顔で俺とタケルを見つめた。
面食らったが、よく考えればこれは仕方がない。
俺とルリちゃんを運ぶには、どちらかが前で抱っこされる必要がある。
「わかりました。よろしくお願いいたしますわ、タケル」
「お任せください」
……タケルに抱えられて走ってもらうのは初めてだ。
この怪物に抱えられて走ったら、きっと新幹線に乗ったような景色が見えるに違いない。
不謹慎ではあるが、ちょっとだけワクワクしてきた。
「ルリは、悪いけど僕の背中にしがみ付いてください」
さらば、アイギスランド。
さらば、ハンネ女王にフロリネフ。
これからは盟友として、ともにデケン帝国を打倒しよう─────
「ぜったいに、ノー」
しかし、ルリちゃんはタケルから逃げるように一歩引いて。
不満げな顔で、腕でバッテンを作っていた。
「……あの、ルリちゃん?」
「いやだ。ぜったいにいや」
「ルリ、申し訳ないけどリシャリ様を背中にするわけには」
タケルが説得するが、彼女はブンブンと首を振る。
冗談やノリで断っているのではなく、本気の雰囲気だ。
「ルリちゃん、どうして嫌なのですか?」
ルリちゃんは理由なくゴネる子ではない。
なぜ彼女が、こうも頑なに嫌がるのか聞いてみると、
「かくじつに、ふりおとされてしぬ。なんならリシャリもしぬ」
「えぇ……」
そういうことらしかった。
『リシャリ様が苦しんでいるかもしれない。急がないと』
『わかった』
ベルカからアイギスランド行きを命じられた、タケルとルリ。
タケルは申し訳なさそうに、ルリちゃんをお姫様抱っこした。
『大丈夫、恥ずかしくはない?』
『わるいきぶんではない』
タケルは童顔ながら、サリパで一番の戦士だ。
そんな男にお姫様抱っこをされて、ルリも悪い気分ではない。
『これでベルカも、あせってくれれば』
最近ベルカが、自分のことを蔑ろにしていると感じていた折である。
ちょっとだけ、当てつけのような気持ちも入っていたのかもしれない。
『じゃあ行くよ』
『れっつごー』
ルリちゃんはタケルのお姫様抱っこを受け入れた。
そしてタケルは全力で、アイギスランドの方角へ駆け出したのだが─────
『おろろろろっ!! おろろろ……!!』
その日の晩。
ルリは激しい嘔吐と頭痛にうなされた。
『……大丈夫?』
『からだが……バキバキ……』
タケルが一歩大地を蹴るたびに、真横から全身を殴られたような衝撃に襲われるのだ。
おかげでルリちゃんはタケルに命を乞う暇もなく、数歩で失神してしまっていた。
そして彼女は一日中、無抵抗に前後上下に強烈なGを受け続けた。
『しぬ……しぬ……』
『はあ、本当は夜通し走りたかったんだけどな』
ルリちゃんが意識を取り戻したのは、夜になってから。
しかし一日中、揺すられ続けたルリちゃんは瀕死状態。
食べ物など胃が受け付けず、宿屋でダウンしてしまった。
『ごめん……ルリの負担を考えていなかった』
『……ぁー』
『これから毎晩、夜は休憩にしよう』
そのルリのぐったり具合を見て、さすがのタケルも反省したらしく。
夜はルリのため、休憩するというルールが設定された。
それだけ気を使ってもらってなお、
『おろろっろろろろろ!!』
『大丈夫、背中擦るよ』
『このさいこぱす男……』
タケルが数歩駆け出すと、その加重でルリは失神してしまう。
そして晩になると宿を取り、吐き続ける日々が続いた。
だから、ルリは決意したのだ。
「にどとタケルに、運んでもらわぬ」
「だから、ぜったいにノー!!」
と、いうことだそうだ。
「ルリが毎日吐いてたの、乗り物酔いじゃなかったの?」
「そんななまやさしいモノじゃない」
ルリちゃんは、小柄ではあるがそこそこ腕が立つ。
騎乗も習得していて、自警団の兵士と打ち合える程度には鍛えている。
そんな彼女がグロッキーになるなら、
「りしゃりが運ばれたら、夜にはつめたくなってる」
「ひぇ……」
ベルカに誘拐された時、馬の尻に殴打され死にかけたのだ。
冗談抜きで、タケルに運ばれたら死にそうだな。
「それなら、サリパから使節団が来るのを待ってはどうか」
「ハンネ様?」
「ジケイ王子が正式なお迎えを手配している。来月には来るだろう」
そんなルリちゃんとタケルの問答に、ハンネが口を挟んできた。
ジケイ兄上も、俺の迎えを手配してくれてるんだっけ。
「それまでリシャリ姫と家臣殿の世話は、余が引き受けよう」
「えっと、だけど」
タケルはちょっと困った顔で、俺とハンネ女王を見比べていた。
確かに、その方が俺の身は安全ではあるが……。
「僕はなるべく早く戦線に復帰するよう、ベルカさんに言われていて」
そんなにゆっくりしていると、タケルのサリパ帰還が遅くなる。
彼にはなるべく早く、戦線に復帰して貰わねばならない。
「ふむ、ではこれでどうだろう」
タケルも、早く帰ってサリパを守りたいと思っているらしい。
しかしハンネは落ち着いて、不安そうなタケルを諭した。
「リシャリ姫の護衛を使節団に引き継いで、タケル殿は一人で走って帰る。さすれば夜休憩も不要で、日数の短縮にもなろう」
「……リシャリ様の護衛を使節団に任せるということですか」
確かに話を聞く限り、タケルに運ばれるなら夜は休憩する必要がありそうだ。
タケルが一人で走って帰った方が、日数の短縮にはなるだろう。
「他の人に護衛を任せるのは不安か?」
「いえ、その」
「リシャリ姫の出迎えは、復帰したパウリック殿と聞いているが」
「師匠がお迎えですか!」
そして、ジケイが用意した俺の迎えはパウリックらしい。
彼は怪我明けなので前線に行かず、俺の迎えになったのだとか。
「師匠であれば安心です。では護衛を引き継ぐとしましょう」
「そうすると良い」
「ふぅぅぅ……。よかった」
その言葉を聞いた瞬間、ルリは大きく安堵の息を吐いた。
よほど、タケルに運ばれたのがトラウマになっているようだ。
「では、二人とも余の邸宅に来てくれ。歓待の準備をさせよう」
「お世話になります」
「なに、我々としても君が滞在してくれる方が助かる」
ハンネは不敵に笑うと、侍女に手を上げ合図を送った。
すると侍女は、すぐさまタケルたちの前に跪いた。
「この二人を部屋に案内してくれ。晩餐も用意しておくように」
「御意」
こうして俺たちは、パウリックが着くまで再び、ハンネの世話になるのだった。
「─────それは間違いないのですね?」
一方デケン軍のアイギスランド方面、司令部。
総指揮官に抜擢されたジャルファ王子は、アガロンからの報告を聞いていた。
「サリパ軍にいるはずのタケルが、こちらに姿を見せたと」
「ああ、まぎれもなくあの男だった」
彼の前に立つアガロンは、鎧も槍も砕かれた落ち武者の様相だ。
ふむ、とジャルファ王子は手で口元を覆った。
「レジン元帥から、タケルは釘付けにしていると連絡を受けていましたが」
「間違いなくヤツだった。レジンのオッサンが騙されてたんじゃねーの」
「……ままなりませんね」
考え事をする時に、口元を覆うのはジャルファの癖だった。
彼は唇の動きから、感情を読まれるのを嫌った。
「サリパは秘密裏にアイギスランドと同盟を結んでいて、我々はまんまと誘い出されたというわけですか」
「おそらくな」
アイギスランド軍のフロリネフは、厄介な敵ではあった。
しかしその特性上、アガロン将軍が先陣を切れば楽に倒せるはずだった。
「……ふむ、ふむ」
デケン軍の手の内を呼んだような、サリパの動き。
その厄介すぎるサリパの手管の裏に、
「それで、アイギスランドに何故かリシャリ姫もいたと?」
「ああ。おそらく、ヤツが外交使者だったんだろ」
「本当に痛烈ですね、リシャリ姫は」
ジャルファが生まれて初めて『気に入ってしまった』女性。
リシャリ・サリパールが関わっていることは明白だった。
「まったく油断しました。リシャリ姫はそういう人ですか」
「ジャルファ王子?」
「少し抜けているけど愛嬌がある、素直で真面目な女の子。心を包み込むような、温かみもある」
ジャルファ王子は口元を隠したまま、独り言のようにそう呟いた。
ほんの僅かな時間だけど、共に楽しい時間を過ごした姫を思い浮かべた。
「そんな風に思い込まされていました。彼女の危険度を、修正しなければ」
「あのアワアワしたお姫さんが、そんなに危険なのか?」
「はい、今の我々の苦境は彼女によるもの。リシャリ・サリパールの首の価値を、サリパ王と同等に設定します」
取ってきた敵の首の価値が、そのまま戦功となる。
当たり前だが雑兵よりも、敵将の首の方が価値が高い。
そして基本、敵国の王の首というのは『最高の手柄』なのだが、
「アガロンも、リシャリ姫の手配書を配下に回しておいてください」
「あ、ああ。分かった」
ジャルファ王子の判断で、リシャリ姫の首の価値が国王クラスに格上げされた。
リシャリの存在をそれだけ、危険とみなしたのである。
「で、どうする。俺じゃ、タケルはどうしようもないぞ」
「無論、考えはありますとも」
そのアガロンの問いに、ジャルファは口元を覆い隠したまま。
次の一手を、アガロンに告げた。
「アガロン、暫く無理をしてもらうことになりますが良いですか」
「……ヘイヘイ、俺に何をご所望で?」
「負け戦をしてもらおうと思います」
アガロンはその言葉に、耳を疑った。
ジャルファ王子の表情は、掌に隠されてよく読めない。
「負け戦って、つまりアレか? 撤退を偽装して、敵を釣り出す作戦みたいな」
「いえ、普通に負けてもらいます」
「……何考えてんだ?」
しかしアガロンは、何故かジャルファ王子の声色が明るく聞こえた。
そう、アガロンから見えてはいないが。
「そしてたっぷり、レジン元帥に恩を売りましょう」
「はあ。はぁ?」
ジャルファ王子が手で覆い隠した、その口元は。
─────好機が来たとばかり、楽し気に歪んでいた。




