77話「私の忠義は、この炎よりも熱いんだよ!」
「年貢の納め時だ、炎魔術師」
フロリネフの呻き声が、戦場に響いて。
大地を焼いていた炎が、くすんで小さくなっていく。
「遺言はあるか」
燃え盛る大地の熱が冷めたせいか、冷たい風が竜巻のように吹き付けていた。
その中心で『龍殺し』アガロンは、フロリネフに悠然と槍を突き付けた。
「……遺言、だぁ?」
遠くに陣取るデケン軍から、鬨の声が響く。
そして熱が消えた大地を、軍歌と共に行進していく。
勝負は決着した。あのフロリネフが、一瞬で敗北してしまった。
……かに見えたが。
「分を弁えろ、デケン人」
「おっ」
「私が、お前らの遺言を聞いてやる立場だ」
フロリネフの闘志は、微塵も揺るいではいなかった。負けるとすら思っていない。
彼女は自信たっぷりに、腹を押さえながら立ち上がった。
「総員下がれ! 巻き込まれたくなければな!」
「はい、フロリネフ様!」
確かに炎魔術師フロリネフの真価は、範囲殲滅にある。
だが決して、彼女が一対一で戦えないなどということはない。
「私の前に立ったこと、後悔させてやる」
直後、俺の視界が真っ白になった。
それはまるで、太陽を何倍も明るくしたような白い極光。
「ぐ、視界が!」
「なんて熱量だ……」
龍殺しの五人たちも、困惑した声を上げた。
何せフロリネフは、閃光手榴弾のような光量で輝き始めたのだ。
「熱っちぃ! うそだろ、耐火服が燃えてやがる!」
「慌てるな、火鼠の衣で体を覆え。アレは絶対に燃えん」
「ですがアガロン様、視界が悪く荷物が……。何も見えません!」
その焔魔法の火力はさながら、恒星の表面のようだ。
それは何百メートルも離れた基地にいた俺が、火傷を負ってしまうほど。
「この世に肉片一つ残さず、蒸発させてやる」
「出来るもんならやってみろよ」
極光の中、陽炎でユラユラとフロリネフの影が揺らめく。
そんな太陽のような照熱を浴びてなお、アガロンは涼しい声だった。
「でも良いのか? 『それ』使っちゃって」
「何が、言いたい」
「龍鱗に守られている俺たちと違って、お前さん生身だろう」
その言葉が終わるか否か。
べりゃり、と何かが落ちる音がした。
「皮膚が爛れ落ちてるぜ。せっかくの綺麗な肌が台無しだ」
「黙れ、怖気が走る」
それだけの熱量を発して、フロリネフも無事で済むはずはなかった。
どうやらフロリネフは、全身に火傷を負いながら立ち続けているようだ。
フロリネフの魔法の影響は、遠くの俺たちにもすぐ現れた。
「な、なんだこの光!?」
「まるで、太陽を間近で見ているようだ」
目が潰れるほどの光が、フロリネフから発されたかと思うと。
監視塔の室内が、一瞬でサウナ以上に蒸し暑くなって。
「フロリネフ様は太陽の化身なのか……?」
「リシャリ姫、柱の陰に避難を……」
フロリネフの光を浴びるだけで、肌が真っ赤に腫れあがる。
周囲のメイドさんや軍人は、慌てて柱の陰に隠れ始めた。
「……きゅ~」
「うわああ! リシャリ姫が倒れてる!」
そして俺が、とっさに動けるはずもなく。
急激な気温の変化について行けず、俺はふらりと倒れ込んでしまった。
「あれは、いったい?」
「恐らく、フロリネフの奥の手だろう」
ハンネは柱の陰で俺を介抱しながら、そう教えてくれた。
水魔法使いが防壁を張ってくれて、ようやく落ち着いた。
「だれぞ、リシャリ姫に水を! 火傷の手当も急いで!」
「……はい、おみず」
「あ、熱っ」
小柄な少女から手渡された水は、淹れたての紅茶のような温度になっていた。
フロリネフはどれだけの熱量を発しているんだ。
「あんな魔法、余も見たことがない……」
「凄まじいですわ」
フロリネフの方を見ても、白光のみで何も見えない。
彼らの会話を聞く限り、大地は溶けて溶岩となり、鉄や鎧が溶け始めているようだ。
「フロリネフ……」
フロリネフの炎魔法は、異常だった。
炎魔術師が、自らの炎で焼き尽くされるなどあり得ない。
しかし彼女は、本気で炎魔法を纏えば自らの身すら焦がしてしまう。
だからソレは、彼女の奥の手だった。
フロリネフは自らを焼きかねない獄炎を、迷わず纏った。
「……どうか、無事で」
主は、心配そうな声を出す。
そんな魔法を使って、痛みを感じないはずがない。
今も地獄のような苦しみと共に、アガロンに相対しているはず。
それほどの覚悟を見せたフロリネフに、ハンネは勝利を祈ることしか出来ない。
「くっそぉ、あの女どこだよ!?」
「何も見えないし、熱の圧力で立てないぃ!」
眩く輝くフロリネフの突進は、大地をドロドロの溶岩に変えた。
自らの放つ光で前も見えぬまま、フロリネフは敵を察知して突っ込む。
「あーっはっは、すげぇ。俺の槍が溶けちまった!」
「笑っている場合ですか、アガロン様!」
フロリネフの決死の炎を前に、アガロンたちも苦戦を強いられた。
眩しすぎて視界は奪われ、攻撃を当てることが出来ない。
龍殺しの五人はフロリネフの火炎を前に、消耗していくだけだった。
「アガロン様! 周囲が見えません!」
「あ、あ、あ。息が、苦しく……」
「本当にな、すげー魔法だよな!」
龍鱗は、水も炎も雷撃も弾く。熱にはめっぽう強く、溶岩の中で涼しく感じるらしい。
そんな、炎に対して最高の耐性を持つ龍鎧を装備した龍殺しの英雄に対し、
「ぐう、ぅ……」
「アガロン様、もう立って、いられません」
フロリネフは『炎魔法を使って』一方的に追い詰めていた。
「落ち着けよ、皆。龍の鱗は、あらゆる炎をも防ぐんだからよ」
「でも、このままの状況が続けば」
「大丈夫だって。耐えていりゃ、いつか魔力も尽きるだろ」
龍鱗は、炎の熱を防ぐ。
雪精が寒さを防いでくれるように、龍鱗の炎耐性は『種族特性』だ。
「龍鎧を外さない限り、俺たちは死なねえさ」
フロリネフに出来るのは、焔魔法を使って彼らを追い詰めるところまで。
炎以外の攻撃手段を持たないフロリネフに、勝ち目はない。
「……む?」
魔力が尽き、白炎の防御を失った時がフロリネフの最期。
アガロンは焦りもせず、極光を放つ炎魔術師と相対し続けた。
「ぐあ、あぁ、ああああ!!」
「なに!?」
しかしその数秒後。アガロンが、予想もしなかったことが起きた。
龍鱗鎧を身に付けていたはずの仲間が、炎に包まれたのだ。
「メリュリン、どうした!? 何があった!?」
「分かりません、鎧を外したのでしょうか」
「アホか! 鎧を外したらどうなるかなんて─────」
アガロンが怒鳴った直後、もう一人の仲間がガチャンと鎧を地面に落とした。
刹那、彼もゴオっと全身を炎に包まれてしまう。
「ぎゃあああああ!!」
「お、お前ら何をやっている!?」
アガロンたちは龍鎧を纏っているから、無事なのだ。
もし鎧を外せば、即座に蒸発してしまう。
だというのになぜ、自ら鎧を脱ぎ捨てるのか。
「鎧を脱ぐな、バカ! 何があっても……」
「違います、アガロン様! 溶かされています!!」
仲間の一人が、そう言いかけた直後。
ガタンと音を立てて留め具が外れ、鎧が勝手に外れてしまった。
「……何?」
「鱗の留め具が、蒸発して─────」
そう、彼らは鎧を脱いだわけではない。
留め具となっていた『脆い部分』が蒸発し、外れてしまったのだ。
「きゃああああああああああ!!!」
「メリュリン!!」
彼の仲間がもう一人、再び炎に包まれた。
「……なるほどね。狙いはこれか」
見れば、アガロンが身に付けていた鎧の留め具もブクブクと泡立ち始めていた。
フロリネフは、龍鱗を燃やそうとしたのではない。防具に使われた、固定具を溶かしたのだ。
「留め具が蒸発する温度にすりゃ、鱗も落ちるだろう!?」
フロリネフのは全身に大火傷を負いながら、鎧にさらなる豪焔を浴びせた。
彼女の炎は、全て龍鱗に防がれる。しかしこうすれば、いつかアガロンを焼き殺せる。
「私の炎の前に、消え失せぬ者は存在しない!」
アイギスランドの守護者、フロリネフ。
彼女はただ、範囲殲滅に長けただけの魔術師ではない。
まさしく、この世の炎魔法使いの『頂点』。
「私の忠義は、この炎よりも熱いんだよ!」
そんなフロリネフの啖呵を前に、アガロンは─────
「ああ、本当に良い女」
ニヤリ、と笑みを浮かべた。
「お前みたいなヤツは、大好きだ」
─────大地から炎が消えたのは、その直後だった。
「だが、ここまでだ。今、楽にしてやるよ」
「が、ぁ……」
ドスンと鈍い音が響き、アガロンの拳がフロリネフの腹部を撃ち抜いた。
そしてまもなく静寂が、戦場を包み込んだ。
「どう、して、この、閃光の中で私を……」
「悪い、最初から俺には見えてたんだわ」
アガロンは、手加減していた。
足掻くフロリネフが面白かったから、泳がせていた。
仕留めようと思ったら、いつでも仕留められた。
「覚えておけ。上位の戦士は目じゃなく、魔力で敵の位置を視る」
「デケン人、めぇ……!」
「視界を奪った程度じゃ、何の妨害にもならん」
勝敗は決した。もはや、フロリネフには指を動かす余裕もない。
彼女は服も鎧も溶け落ちて、大やけどを負った肢体を大地に晒した。
「おっと、こりゃ人には見せられねぇ」
アガロンは彼女の肢体を隠すように、サっと衣類を被せた。
それはフロリネフの炎の中でも焼け残った、火鼠の皮。
「気に入ったよ、フロリネフ。首を獲った後、いたずらに貴様を辱めないと誓おう」
フロリネフは、ピクリとも動けない。
気力で持っていた身体が、限界を迎えたことに気が付いてしまったから。
「それで、お前ら。生きてるか?」
「……なん、とか、です」
「ったく、油断したなオイ。ほら、治療してやるよ」
龍鎧を落としてしまい、火達磨になった龍殺しの戦士たち。
アガロンはそんな彼らに、惜しみなく最上位回復薬を注ぐ。
デケン帝国は、医療技術も世界一の水準なのだ。
「─────!! ─────!!」
「あらら。後ろから凄い声が聞こえてるぞ」
フロリネフが倒れたのを知ったのか、背後から金切り声が響いた。
まだ幼き少女王─────ハンネの絶叫が、木霊したのだ。
「お前ら、治ったか」
「はい、お手数をおかけしました」
「おう」
冷たいアイギスランドの突風が、火傷で腫れあがったフロリネフの肌を冷やす。
身体の至るところが焦げて、皮膚もドロドロに溶けている。
「さて、じゃあ敵将の首を頂くとしようか」
そんな、ボロボロのフロリネフを前にして。
アガロンは至って真剣な顔で、溶けた槍を構えた。
「動くなよ、炎魔術師。良い女の頚は綺麗に跳ねて、美しく曝してやることにしてるんだ」
アガロンには、敵への敬意があった。
強い敵は強いと認め、死後も尊厳を守ろうとした。
「ありがとな。お前のお陰で、俺はまた一つ強くなれた」
強者を尊敬するから、自分もその強さを取り込める。
そうしてアガロンは、強くなり続けた。
「いつかは、あのサリパの怪物にも勝てるようになりたいねぇ」
英雄の槍が、天に掲げられる。
そして、ゆっくりと。
「─────さよならだ」
槍はフロリネフに、真っすぐ振り下ろされた。




