【番外編】焼き鳥より恋愛ですか?
「……さて、どうしようかしら」
寝たふりをする俺の横で、リーネが困ったように呟いた。わざわざ口に出すほど頭が混乱しているらしい。
大きなベッドの上。横になったリーネを後ろから抱き締めた形で俺が寝ているーーーと思っているリーネ。俺の顔が見えないリーネが困っている姿を、俺は微かに笑ってしまう。
窓の外では、雨がしとしとと降り続く音が聞こえていた。
ここは王宮の俺の部屋。
元々シンプルなものが好きで、日々多忙の頭を整理するためには余計なものを置きたくなくて、広めの部屋にはベッドとテーブルセットしかなかった。
ジルの過去の記憶を視た時、俺の横に立つスミレが俺の部屋の模様替えをしていて、「勝手なことを」と思ったのを覚えている。
その時の俺は、多分、スミレを好きだから俺の部屋をいじくられても許容できたのだろう。しかしスミレを愛した記憶のない俺からしたら、迷惑以外の何ものでもなかった。
人の好みに口出ししないで欲しい。
無機質で何が悪い。
余計なお世話だった。
シンプル・イズ・ザ・ベスト。
改めてそう思う。
だが、なぜか今、俺の部屋には焼き鳥屋の屋台が置いてある。店主は黒鎧の計らいでいなくなっているが、焼き鳥の匂いが部屋中に広がっており、正直、不快でしかなかった。
なぜ俺の部屋に屋台がきているのか。
それは先日、リーネが屋台料理が食べたいと言い出したからに他ならない。
大魔王を倒し、リーネが大魔王をテイムした後、色んな事が大きく変わった。
皇后と義弟のマルクは、俺の命を狙ったとして幽閉されることになった。いずれは牢屋から出てくるだろうが、もう前のように自由ではいられまい。
大魔王を召喚した、元王族であるらしい金の瞳のシスターは、まだ逃走中ではある。しかし大魔王曰く、大魔王を呪いで召喚した以上、なんらかの影響は受けるだろうということだった。『少なくとも魔力は消えている』と言う。
実際に魔王を召喚したのは教皇であったのに、それでもそれを目論んだ金の目の女にも影響がでるなんて、本当に呪いとは恐ろしいものだ。
大魔王を倒したということで、リーネが国中で英雄扱いされるようになり、それに伴って、あれだけ地に落ちてしまった俺の名声も一気にはね上がった。
リーネや俺が王都にでようものなら、街が騒然としてしまい負傷者が出てしまうので、この騒ぎが落ち着くまで王都にはでない方がいいだろうと結論付けられ、窮屈な思いはしている。
そういうわけで、表面上、脅威は去り、外出ができないことが不便なだけで、それ以外は普段通りの生活に戻った。
ーーーそう。
俺はリーネに告白したのに、生活は全く変わっていない。
本当に普段通りだった。
告白をリーネにはぐらかされた感はあるが、あの日、リーネは俺とずっと手を繋いでいた。
それは『拒絶』ではないと受け取っていたのに。
それからというもの、俺は何かとリーネをデートに誘ったり、中庭で食べるランチタイム以外にもリーネの行動に合わせて会おうとしてみたが、ことごとく邪魔が入ってしまう。
その代表が、ロジーだ。
あの元暗殺者。闇の世界の住人が、なぜまだ魔法学園にいるのかと憎らしく思う。
習慣になっているリーネと二人きりのランチ以外は先回りされて、リーネを俺がいない方へ誘導する。あるいは回りからは角が立たない程度の理由をつけて邪魔をしてくる。
リーネもロジーを心から信頼している上に、友達として大好きなものだから、どう見ても俺よりロジーを優先している傾向がある。
ただリーネがロジーに顔を赤らめたことは一度も見ていないので、リーネにとってロジーが恋愛対象ではないということが、俺にとって唯一の救いではある。
実は、一度醜くも、嫉妬でリーネにロジーと距離が近いのではと注意したことがある。
すると、明らかに冷たい視線を投げつけられ、まるで『極悪非道な男』でも見るような顔をされたので、それ以上何も言えなくなってしまった。
リーネの顔に、私の唯一の友情を壊すなんて、頭、どうかしてるんじゃないの?と、間違いなく書いてあった。
ロジーなんて、スミレを暗殺するつもりで学園に入っただけなのだ。その任務が終わったならさっさと学園から去ればいいのに、と心から思う。
どうもジルがロジーを雇っているようなので、もしかしたらジルからの妨害なのかもしれないが、まだジルは謹慎中で、俺とリーネの妨害までする気力はないはずなので、やはりロジー個人の感情によるものだと思われる。
そういうわけで、ロジー優先のリーネに俺がふてくされていると、リーネが少し俺の気持ちを汲んでくれて、「どこか一緒にでかけようか?ストレス発散した方がいいんじゃない?」と言ってくれた。
リーネにしては、ものすごく気を遣ってくれた一言だ。俺は嬉しくてーーーつい、機嫌を良くしたついでにリーネの言葉の肯定マンになってしまった。
中庭のベンチでリーネが楽しげに口を開く。
「ピクニックなんかどうかな?あぁ、でも今はまだ国がお祭り騒ぎで、難しいか」
「そうだな」
「じゃあ、王宮とかうちの屋敷の庭なんかどう?どちらも庭は広いでしょう?少しはピクニック気分になるかも」
「そうだな」
「じゃあ、ほら、アランって、この前も結局、毒を盛られる可能性があるから、あんまりバーベキューの肉、食べられなかったじゃない?いちいち毒味されなきゃいけないし。だから……どうかな。王宮の庭に、屋台呼んで、管理された食材で、ちゃんと見張りをつけて焼いてもらったら。そしたらアランも遠慮なく食べれるでしょ?」
「そうだな」
ーーー今考えれば、ただただ、リーネが俺を誘ってくれたことが嬉しくて、俺の頭がおかしくなっていたとしか思えない。
そもそも皇宮の敷地内で行うなら、それはお出かけではないし、なぜ皇宮に屋台がくることになるのか不思議で仕方ない。ただリーネが焼き鳥を食べたかっただけじゃないのか。
それでも、リーネを肯定することで嬉しそうに笑うリーネが可愛すぎて、そのまま肯定し続けてしまった俺も悪い。
そこまで考えが至るともう、諦めるしかなかった。
そのことが決定してから、食材の選定、美味しいと有名な屋台の店主の素性から経歴、評判などが徹底的に調べあげられた。
万が一にもそこに悪意が混ざってはいけないからだ。
屋台を置く場所は皇宮の庭ということになった。公爵邸でもよかったのだが、あのグランドロス公爵や、屋敷に謹慎中のジルなどの目があっては、気まずくてデートにならない。
最終的に皇宮の庭と決定したのは俺だった。
四季折々の花が咲く、自慢の庭をリーネと二人で眺めるのも悪くないなと考えたことも、理由としてある。
リーネはとても楽しみにしていた。
そして今日。決行当日。
ーーーーまさかの雨だった。
屋台は屋根があるため、雨の中でも焼き鳥を焼けないことはない。だが、そこそこ強い雨だ。庭でそれを食べるということは不可能そうだった。
すでに王宮に辿り着いていて、あまりの期待で頬を紅潮させていたリーネは、降りだした雨にジワジワと表情を固くしていく。
しばらく待っても止まなさそうな雨に、とうとう焼き鳥の中止を伝えようとしたその時。
リーネの絶望した顔が横目に入った。
楽しみにしていた目の前で消えていく。耐え難いそのことに、悲しみ、落胆してしまうーー。
それでも、嫌だとも言わず、ぐっと我慢していたリーネの表情が、とても見ていられなくて。
つい、言ってしまった。
「屋台を、俺の部屋に運んでくれ」
ーーーーー今でも、頭を抱えるしかない。
ありえない行為だ。素性を調べ尽くしたとはいえ、皇子の部屋に部外者を入れるなど。屋台本体を皇宮内に入れるなど。
自分でも自分の言動が信じられなかった。
公園のように大きい部屋ではある。だが余計なものを置きたくなくて、ベッドとテーブルセットだけにしている俺の部屋。
一時的とはいえ、初めて入れた外部のものが、屋台とは。
食材を王宮が準備し、俺の部屋に入った屋台の店主の周りに、俺の直属の騎士である黒鎧が三人、怪しい動きがないか見張りをしている。
毒味の者も待機して。
ベッド以外で唯一あるテーブルについて、俺達は焼き上がりを待つ。
焼き鳥が焼き上がり、それを手にもって嬉しそうに食べるリーネ。
リーネはいつも幸せそうに美味しいものを食べる。目を少し垂らして、口元は緩み、盛大に笑顔がこぼれる。
この顔が見たくて。
この顔をみるだけで、俺まで幸せになってしまう。
俺がそのリーネの食べっぷりをずっと見ていると、リーネがそれに気づいた。リーネは手を止めて俺に尋ねる。
「何?どうかしたの?」
「いや?何も」
「食べないの?全然食べてないじゃない」
「食べてる」
リーネは少しむっとしてみせる。
「うそ。毒味の人がつまらなさそうにしてるもん。絶対うそ」
俺が毒薬役の男をちらりと見ると、男は慌てて首を振った。とばっちりに遭って可哀想に。
俺は手元にあったワイングラスを持ち上げて、一口それを口に含んだ。
「俺はこれがあるから、少しずつでいいんだ」
ワインを飲むのに、そんなに沢山の食事はいらない。
「ワイン!」
リーネは目を輝かせた。
「私も飲んでいい?私ももう16だもの。成人したんだから、お酒飲めるのよ?」
俺は首を振って否定を示した。
「成人したからと、酒を飲めるかどうかは公爵に聞いてみないとわからない。大切な娘を俺が酒で溺れさせたと知ったら、あの父親がどんな行動をとるか、わかったものじゃない」
「……確かにそうね」
リーネは素直に認める。公爵のリーネへの溺愛ぶりは尋常ではない。リーネの精神が本来の持ち主のリーネと違う人間であることも知っているのに、それを『娘が二人になっただけ』とリーネに言ったらしい。大切な二人が一つの身体に入っているのだ。可愛がらないわけがないだろう、と。
リーネはにこりと笑う。
「……あっちの世界では、結構強かったのよ?お酒」
「ふぅん?ーーー確か、22歳だったな」
その割にはリーネは子供っぽい気がするが。
俺の言葉に、かあっとリーネは顔を赤くする。
「女に歳のことを言ったらダメよ。今は私は16のつもりで生きてるし」
そう言いながら、リーネは自分の若く白い肌を自分で触る。自分がまだ若いことを確認しているようだった。
別にリーネが22だろうが16だろうが、俺は気にしないのだけど。
リーネは、食べながらポツポツと、昔いた世界の話を始めた。機械というものがあって、人間の色んな手伝いをしてくれていたらしい。こちらの魔道具のようなものが多いが、魔法が存在しない世界のようなので、機械というものに頼らなければならないのだそうだ。
「ーーー携帯というものは、良さそうだな。好きな時に好きな相手といつでも話ができるのだろう?」
「そうよ。遠く離れていても、電源さえ切ってなければ繋がるの。わざと出ない人もいるけどね」
「わざと?」
そう、とリーネは頷く。
「例えば、今、ジルお兄様やお父様から『帰ってこい』って連絡がきたら嫌だなって時は、二人からかかってきても出なかったりして」
「それは確かに出たくない」
想像してしまってつい本音で俺が呟くと、リーネは「でしょ」と笑う。
リーネの国では、教育もしっかりとしていたらしい。15歳になるまでは、義務教育といって、貧しい人間も含めて全員、教育を受けることができる。
人は仕事の上下関係以外には、個性はあっても全て平等であり、あとは人と人の敬意で世界が回っていたという。義務教育には『道徳』という授業もあり、どういう考え方が正しいかなどを教えてくれるという。
「……宗教みたいなものか?決められた価値観を植え付けて」
「違うわよ。ーーーまぁ、一部、違わないけど、どういう時に人が喜んで、悲しむのか。人を悲しませた時に、どんなことをしたらその人を笑顔にできるかとかを皆で考えるの。人間関係をしていくにあたって、大切なことを考える大切な時間よ」
「ふぅん……」
俺が考え事をしながらワインをまた口に含むと、俺がその話に興味ないものと思ったらしいリーネが、少し悲しそうに首を傾けた。
「……アランには面白くない話だろうけど、実は私は、教育をできればこの国全体に広げたいと思っているの。ーーー本当のリーネも、この世界の人間なのに義務教育のことは考えていたみたいよ」
へえ、と俺は意外に思う。
あのリーネが。あの悪魔の生まれ変わりのようなリーネが、そんな殊勝なことを考えていたなんて、信じられない話ではある。
リーネは続ける。
「私一人で何ができるかはわからないけど、スラムやダイナの人達はあのままではいけないと思うの。働きたくてもその知識がなくて働けない人が多いわ。もっと色んなことを知って、知識を身につけて自分の世界を広げることで、自分にあった仕事を見つけられる人がいると思うの。ーーーだから、いずれ私は……」
俺はワイングラスをテーブルにトンと置く。
「……誰が面白くないと言った?」
「ーーー?」
うつむき気味だったリーネが、俺に向けて顔を上げた。
「貴族と平民の関係を崩すのは難しかろうが、国内のすべての子供に教育を受けさせるという発想は面白い。スラムの問題は、国でも大きな問題の一つだしな。そこから起こるトラブルも含めて、減らせるならそれにこしたことはない。ーーー俺が考えていたのは、まず授業をするための講師の確保と、場所の確保。それと、それを回す資金の確保のことだ。ーーー時間はかかるかもしれないがーーー俺も尽力する。それでいいだろうか?」
ぱっと花開くように、リーネが目を細めて嬉しそうな顔をしてみせた。
「ありがとう」
今思えば、リーネははじめから『リーネ』だった。元のリーネの記憶は受け継いだとしても、ものの考え方までは身に付かないだろう。
あちらの世界で貴族でもなかったというリーネが、こうやって貴族の中に入っても問題なく過ごせているのは、そこの教育水準が高いからなのだろう。
あまり物事を深く考えるタイプではなさそうなリーネに、国の在り方について問うと、当たり前のように正しい方向性の答えを返してくる。
世間の貴族の男でさえ、戦場に出てようやくわかるようなことを、戦争さえなかったという女のリーネが知っていたりする。
貴族でもなく戦争にもでたことのないリーネだが、リーネの向こうでの知識は、あまりある宝のようにも思える。リーネのいう義務教育というものは、リンドウ帝国の未来を明るく照らすに違いない。
その後も、酒を飲みながら焼き鳥を食べ、リーネとは色んな事を話した。ランチの時といい、リーネとは食べながら時間を過ごすことが多い。
そのせいだろうか、リーネといると、本当に心地好くて、食べ物も美味しく感じる。
ーーー気づけば。
俺は青い顔をしてお腹を押さえていた。
「ーーー食べ過ぎた。リーネ、まだ食べる気か」
「当たり前よ。折角、焼き鳥屋がここに来てるのよ?今食べなくていつ食べるの」
そういいながら、俺の倍以上の串の殻を皿に乗せているリーネは、更にもう1本、串を手に取ってかぶりついた。
リーネは王宮に入るためにドレスを着てきている。コルセットで締めているとはいえ、おなかはでていない。
俺がリーネのおなかを見ていることがばれたのだろう。リーネは眉を寄せた。
「ーーー何?今日は沢山食べるつもりだったから、コルセットはしてないわよ。この身体、どんなに食べてもおなかがでないの。食べてすぐに消化してるとしか思えない。どんなに食べても太らないしね」
「化け物か」
一応突っ込むだけの気力があったことを自分でも誉めてやりたい。
リーネの身体能力は、前から異常とは思っていた。人間とは思えないほどの脚力を持ち、男でも手こずるような硬いものも、簡単に剣で切り落とす。
義賊の基地では、鎧をつけているリーネが、俺とジル二人の成人男性を担いでスミレのところまで連れていった。鍛えて筋肉もついた俺達を担いだリーネの足にかかる重さは、何百キロだったのだろうか。魔法が使えたらまた話は別だろうが、リーネは魔法が殆ど使えない。ーーーいや、使えなかった、という方が正しいだろうか。
リーネは実は、今は忘れ去られた闇魔法の天才だった。あまりの強力な力のために封印されて、それが、俺の渡した母の形見の指輪に入っていた。
スミレの修行が間に合っていなかったあの時点で、リーネがその眠れる力を蘇らせなかったら、今頃、このリンドウ帝国は大魔王によって滅びていただろう。
ーーー俺がリーネを愛し、指輪を渡さなければ。
色んなパズルが見事にはまって、今、こうやってのんびりと焼き鳥を食べれている。それが奇跡のようだ。
しかし今、俺ははそれどころではない。つい食べすぎてしまって消化に効く生活魔法なんてあるのだろうか。今度、ケリー先生に会ったら聞いてみようと思う。
ただ、今ないものはないのだ。
「リーネ。すまん。今日はここで解散だ」
俺は黒鎧を傍に呼び、リーネが食べ終わったら無事に公爵邸まで送るように命令した。
のそりと俺はベッドまで歩き、ドサリと転がった。おなかは痛いが、横になるとどっと眠気まで襲ってくる。
俺は、その眠気に抗うことなく、ゆっくりと目を閉じた。
※※※※※※※※※※※※※※※※
目を覚ますと、目の前に白銀の絹のような長い髪があった。ぼんやりと、リーネの髪は綺麗だな……などと考えていると、そこが自分の部屋のベッドであることに気付く。
ぎょっとして完全に目を覚まし、俺は上半身を起こした。上から眺めてもやはり俺の横に寝ているのは、帰したはずのリーネだった。
俺は黒鎧を近くに呼ぶ。
「ーーーこれはどういうことだ。リーネは公爵邸に帰すように言ったはず。なぜここで寝ているんだ。説明しろ」
黒鎧は敬礼してから、返事をした。
「リーネ様には殿下の体調が優れなくなったことをお伝えし、リーネ様が満腹になったところで公爵邸まで送らせていただくことをお伝え致しました。しかしリーネ様は、殿下が体調悪くされたことを心配して、お休みになられている殿下のベッドに近づき、殿下の寝顔をしばらく眺められた後、急にーーー」
急に?
急に何をしたというんだ。
「ベッドの端にもたれかかるように、お眠りになられました」
え、と俺は黒鎧を見る。
「ーーー急にか?」
「急にです」
「ーーー信じられん……」
俺は呟く。黒鎧が信じられないわけではない。リーネの行動が、だ。
いくらなんでも、男の部屋で眠るなど有り得ない。淑女として、あってはいけないことだ。
俺以外の男のところでそれをしたらどうする。これほどの美人だ。9割がた襲われるに決まっている。
「しかし、そこの端に座って寝ていたのだろう?なぜ俺の横にリーネが寝ているんだ。まさか、お前が……」
床で寝ているリーネを不憫に思い、黒鎧がリーネをベッドに寝かせたとでもいうのか。自分が遣える主人の婚約者に勝手に触るとは許されない行為だが。
俺が黒鎧を睨みそうになると、黒鎧が、淡々とした口調で「いえ」と言った。
寝ているはずのリーネが、急に動き始める。寝返りどころではなく、一回転した。
「リーネ様の寝相があまりに悪くて、ご自身で勝手に殿下の横に転がっていかれました」
確かに目の前で転がっていくリーネ。
俺のベッドは広い。必要最低限のものしか置いていない部屋なので、ベッドや寝具にはかなりこだわった。
ベッドは、大人の男が10人は並んで寝れる程度の広さがある。その広さのベッドを、端から端に行く勢いでリーネが転がっていく。
ベッドから落ちる、と俺が慌ててリーネを追いかけ、リーネの腰を掴んでリーネを止めた。あと2秒遅ければリーネはベッドから落ちていた。
まぁリーネのことだ、ベッドから落ちたところでケガなどすることもないだろうが。
そしてふと俺は気づいた。
リーネを抱き締める形になっていることに。
剣術や筋力からは考えられないほど、華奢で細い腰。
白いうなじにかかる白銀の綺麗な髪は俺の鼻頭をくすぐる。ふわりと花のような良い香りがした。
これはリーネの専属侍女が趣味で調合したというリーネスペシャルとかいう名前の香水だろうか。鼻をさわやかに通り抜けるくせに、残る余韻がすごい。
俺や練習相手の男とは違う、柔らかい肌が密着して、その愛おしさに肌が痺れる。
つい、少し強く抱き締めてしまい……リーネが目を覚ました。
「ーーーん……んん……。ん?」
寝ぼけていたリーネが、いつもと違う景色に違和感を覚えたようだ。目を擦り、きょろりと辺りを見渡す。
俺も、別に寝たふりをしなくていいのに、寝込みを襲ったような勘違いをされたくなかったのだろうか。
寝たふりをしてしまった。
「え……?なんで……?」
俺の頭のすぐ横から、リーネの声が聞こえる。
寝たふりをしているのでリーネの顔が見えないが、リーネは赤い顔をしているのだろうか、それとも、目が覚めたら俺から抱きつかれていて青くなっているだろうか。
誤解されていたらまずい。ここはやっぱりちゃんと起きて、リーネに説明した方がいいか。
俺が目を開けようと目に力を入れられた時、ふわりと、リーネの手が、俺の髪を撫でた。
「……綺麗な髪。光が溶けたみたい」
リーネは見えない。
だが触り方が、とても優しくて。
大切なものを愛しく撫でるような触り方に、俺の心がじわりと熱くなる。
リーネはひとしきり俺の髪を触ると、ふぅとため息をついた。
「……さて、どうしようかしら」
俺の腕が身体から離れなくて困っているリーネの声に、つい笑いそうになる。
「こんなところ、誰かに見られたら誤解されちゃうわ」
言って、どうにか這い出ようとしたリーネを、俺はリーネの腰に回した手に力を入れて、もう一度リーネを引き寄せた。
「……別に誤解されてもいいんじゃないか?」
耳元で囁いた俺の声に、リーネはビクリとして「ひゃっ」と可愛い声を出した。
目を開けたら、耳まで真っ赤なリーネが見えた。
「え?アラン……起きてたの?」
驚くリーネに、俺は目を細める。
「今起きたんだ。ーーーリーネが俺の髪を触っていたことなんか知らない」
「起きてるじゃないの。狸寝入りするなんて」
リーネは俺から逃げ出そうと力を込める。
だが、こんな近距離だったら、俺の方が力は強い。いざとなったら魔法で強化でもしてやる。そう思ったのだが、結局、リーネは俺に腕力勝負で勝てなかった。
「なんで逃げるんだ?リーネからベッドに入ってきたらしいぞ」
「うそうそ、私がそんなことするわけないじゃない」
真っ赤な顔が治まらないリーネが可愛らしくて。
俺はつい、目の前にあるリーネの頬に軽くキスをした。音のならない、静かなキス。
リーネの身体が固まった。
キスされた頬を自分の手で触れて、これ以上ないほどの赤さで俺を凝視した。
昔、俺の誕生祭でリーネの頬にキスをしたことを思い出した。まだあの頃は、俺は別にリーネが好きだったわけではなくて。少し気になる程度の存在だっただけなんだけど。
時間がたって、こんなにリーネが愛しいと思う日がくるとは思わなかった。俺のベッドの中で、あの日と同じように頬にキスをする日がくるとは。
ーーーいや。
ーーー同じではないか。
俺はリーネに愛しさを示すように、もう一度、優しくリーネの耳元に近い頬にキスをした。ゆっくりと、ーーー愛を込めて。
「~~~~っっっ……」
リーネが目を強く閉じて、声を出せないでいる。
可愛すぎる。
たまらず、俺はリーネの首元にキスをして、そのまま胸元へ顔を寄せると、リーネからさすがにストップがかかった。
「ちょ、ちょっと待って。ちょっと待ってっ」
俺の胸を両手で押さえて、その大きなスカイブルーの瞳で俺を覗き見た。
「これ以上は無理」
息を止めていたのか、息ができなかったのか、リーネは息苦しそうに俺に訴えた。
「ーーーリーネ可愛い」
俺が耐えきれず、リーネの頬にもう一度キスをする。
「アランっ!!!もう、ちょっとっ」
またぐいっとリーネに俺の胸元を押さえられた。すごい力で戻される。
そこまで抵抗しなくてもいいだろうに。
婚約者なんだし。
「何を考えてるの。こんなことーーー。ねぇ、ちょっとアラン、聞いてるの?」
リーネの声が聞こえる。
俺はリーネの魅力に取り憑かれたように、頭がぼやっとしてしまっていて、冷静に頭が回らない。
リーネの薔薇色の唇が、小さくて愛らしく見える。ふっくらとして柔らかそうな。艶のある唇から目が離せなかった。
「……リーネ。キスがしたい」
言葉にした俺に、リーネは目を見開いた。信じられないという顔であるのは理解できた。
「さっきまであんなに沢山したのに……?」
「さっきのはキスじゃない。あれはーーー愛情表現だ」
リーネが赤い顔のまま、すごい変な顔をしてみせる。
「……ちょっと、アラン。自分が何いってるか、わかってる?ーーーすごく変よ。アランがそんなこと、私に言うなんて」
「リーネだから言うんだろ」
俺の言葉に、部屋が、しん、と静まり返った。
リーネは身体の動きを止めて、どうしていいものかわからなくなったようで、すぐに俯き、「ーーーあ、そう」とだけ返事をした。今にも布団の中に潜ってしまいそうな体勢になっている。
リーネが離れてしまうと、少しだけ俺も冷静になっていき、額の髪を掻き上げて、はぁ、と息をつく。
どんな状況でも冷静になれるように、精神を統一させて落ち着く訓練をしたため、精神が乱れることはあまりないと思っていたが、今は自分を落ち着かせるのが精一杯だった。
リーネはまだベッドの上にはいるが、明らかに俺から距離を置いて、身体の方向は向こうを向いている。顔だけ、ギリギリ俺の方を向いているだけだ。
リーネの視線が痛かった。
「……まぁ、つまり……」
俺はジトッと俺を睨むリーネの視線から目を反らしながら、言葉を濁した。
「ーーーー無防備に男の部屋に行ったり、二人きりになったり、うっかりベッドで寝たりしたら、こういうことになるんだということが、身をもって理解できただろう。ーーーわかったな?」
誤魔化すにも、さすがに苦しすぎただろうか。
ちらりと俺がリーネを見る。
リーネはしばらく黙って。
ーーー素直に頷いた。
「わかりました。これからは気を付けます」
なるほど、という純粋な顔をしたリーネを見ると、俺の心がズキリと痛む。下心しかなかった自分が恥ずかしくなる。
「ーーーわかれば、いいんだ」
苦笑いで俺はリーネに笑顔を向ける。
純粋培養であるらしいリーネが、ちゃんとそれなりに向き合ってくれるまでの道のりは長そうだ。
俺は、また一つ、そっとため息を漏らした。
窓から聞こえる雨の音は、まだ止むことなく聞こえ続けていた。
伏線を回収しきれていない場所があって、続きを書こうかどうか悩みつつ。
もう一つ心残りがあるとすれば、恋愛というジャンルにしたのに、恋愛要素少なすぎて不完全燃焼だったので(題名が「恋愛に興味ない」ってしたのも原因の一つですが)、ちょっとリーネにも甘々な恋愛してもらいたいなと思って番外編を足しました。
結局、リーネがあまりに恋愛に免疫なさすぎて、不完全燃焼のままですが(笑)。できればあともう少し進みたかったです。24歳にして、一切、そういう機会がなかったのでしょうね。
今後のアラン皇子の健闘を祈るばかりです。
お読みいただきありがとうございました。




