悪役令嬢、聖女の離脱
私が元いた世界を真似た、高層ビルが建ち並ぶダンジョンの中。
【うぬら、まさか本気でダンジョンを壊す気か】
大魔王が怒りに満ちた声をあげて、私達に魔物を襲わせた。
アラン皇子は透明な球体を通して、私に魔力を送り続け、私は受け取った魔力で闇魔法の塊を作り投げていく。
魔物を相手にしている余裕はなかった。
大型犬のような魔物が私に襲いかかってきたが、すぐに弾き返された。
キャウンと悲鳴をあげて絶命する。
姿は見えないが、倒したのはロジーに間違いなかった。元暗殺者のロジーは攻撃する時、姿を見せない戦い方をする。どこに隠れているかわからないが、私に近づく魔物は確実に倒してくれている。
しかしロジーはアラン皇子にはシビアで、アラン皇子の方にいく魔物は倒さない。アラン皇子は私に魔力を流しながら自分で魔物と戦うしかなかった。
アラン皇子は「あとで覚えておけよ」と本気で呟いていた。ロジーからの返事は聞こえない。
二人の仲はあまりよくはなさそうだ。
魔物が私達を襲えないと知ると、今度は大魔王が直接、私達に攻撃をしかけてきた。
【死の雨】
大魔王の声が響いた。
弾丸のような雨が頭上から落ちてくる。あれに当たれば即死は間違いない。
「金剛盾」
声が聞こえて、私達の頭上に魔法による厚い板が張られた。弾丸の雨が降り終わってから、その声の主は現れる。
「大丈夫ですか、皆さん」
「ケリー先生!!!」
ケリー先生は薄紫を下の方で1つに結んだ長い髪を揺らしながら、私達の方にやってきた。
「ケリー先生の方こそ、大丈夫なんですか?マイリントアがーーー」
マイリントアが、本来のリーネに命令されて『嬉々としながら』暴れまわっていたことは聞いた。
それをアラン皇子とケリー先生、そしてまさかのノクトがマイリントアを捕まえたらしい。
ケリー先生はそのあと、マイリントアに捕縛の魔法をかけることに専念していた。
にこりとケリー先生は笑う。
「マイリントア様にまた逃げられると厄介ですからね。あと二日は逃げられないようにガチガチに拘束してきました」
その言い方が妙に恐ろしくて、詳しく聞くことはできなかった。
【おのれ、太陽爆発】
大魔王が魔法を発する度に、ケリー先生が即座に防御魔法を唱えていく。
ケリー先生は白い爆発に向かってまっすぐに手を伸ばした。
「月影」
いきなり影が現れて、数秒だけ完全に闇に変わる。
大魔王による魔法の爆風は全く感じなかった。
「……すごい……」
私は呆然として呟く。
ケリー先生の魔法は凄いと聞いてはいたが、実際、大魔王と対張る魔法を繰り出すケリー先生の姿を見ていると、本当に物凄い魔術師なのだと実感した。
ケリー先生を格好いいと思ってしまった。
私がケリー先生に目を奪われていると、少しアランの視線が痛かったので私はすぐにダンジョンを壊す方に集中する。
アラン皇子の魔力のおかげで、今までよりもずっと大きな黒い塊を作ることができるようになった。
私は次々に投げて、空にも届きそうな高さのダンジョンの塔を壊していく。
「ーーーでもこれって、きりがない気がするわ」
私はうんざりとした顔で黒い塊を投げる。大きな砂の山を、ティスプーンで掬っているみたいだ。
私の横で魔力を吸いとられ続けているアラン皇子は、呆れて私を見下ろした。
「お前がし出したことだろう。責任持って頑張れ」
「そうは言っても……。なんかもっと、こう、ドーンと壊せないものかしら。こうチマチマした感じ、私らしくないのよね」
アラン皇子は鼻で笑う。
「そんな大雑把な性格だから、精巧な魔法が使えないんだろう。もっと魔力操作の技術があれば、大きな塊もドーンと作れるんじゃないのか?そんなチマチマした塊じゃなくて」
私はぶすっと頬を膨らませる。
「……大雑把ですみませんね」
「この魔法は、シャボン玉みたいなものだろ。少しずつ魔力を流して大きくしないと、勢いで割れてしまう。一気に魔力を流すから小さな塊にしかならないんじゃないのか」
私はむっとしてアラン皇子を睨み付ける。
「だって、大きな魔力がずっとそこにあるんだもん。そんな微調整なんてできないわ。アランが調整してくれればいいのよ」
「俺には何もできない。リーネが勝手に俺から吸収してるだけだろ。無茶言うな」
「無茶はこっちの台詞よ」
私達がむきになって言い合っていると、横から声がした。
「ーーーあの」
横やり入れられて、ついアラン皇子と二人で声の主を睨み付けてしまう。
「何よ」「何だ」
声の主が、なんとも言えない顔をしていた。眉を下げて、肩を落とすようなーーー。
それはノクトだった。
グレーの長い髪の、優男。
ノクトは、苦笑いで私達に言う。
「お話の邪魔をして申し訳ありません。実はずっと思っていたんですがーーー」
ノクトは少し言いにくそうだ。
「お二人がずっと手を重ねてるから、そうなるんじゃないでしょうか?その都度、手を離してはいかがかとーーー」
言われて、私達は自分達の手を見た。
手と手が合わさっている。
確かに、アラン皇子の莫大な魔力を一気に受け取らないようにするには、ずっと魔力の垂れ流しより、その都度魔力をもらう方が、受け取る魔力が少なくて済みそうなーーー。
ボッとわたしの顔が蒸発するように熱くなった。
まるで私達、他の人からは手を繋いだまま戦っているように見えてるんじゃないの?
私は慌ててアラン皇子の手から離れる。
「わ、私はそんなつもりじゃ……っ」
狼狽えて、恥ずかしくて俯く。
私と同じく、そのことに気づいていなかったアラン皇子も少し顔を赤くしていたが、完全に俯いた私の額を指で押した。
アラン皇子の顔が近づく。
「顔をあげろ。ーーー俯いていたら、大魔王のダンジョンは壊せない」
アラン皇子のまっすぐな瞳が目の前にあって、アラン皇子のあまりの凛々しさに頭が真っ白になる。
倒れるかと思った。
私は動かなくなった思考のせいで、目を閉じて頷いた。
「ーーーーはい……」
「おい。なぜ返事しながら目を閉じるんだ。聞いているのか?」
アラン皇子は慌てる。
少し離れたところから、ケリー先生も困ったような声をあげる。
「私ができるのは大魔王の攻撃を防ぐだけです。ダンジョンを壊すなら早く壊していただいた方が……」
だいぶ優しく促してくれたが、顔はややひきつっている。大魔王の魔法を無効化するほどの魔法を使うのは、相当きついのだろう。
「っはい。ケリー先生っ!申し訳ありませんっ」
私は顔を引き締め、気合いを入れた。すぐにダンジョンを壊してみせると心に誓う。
ーーーそして、壊れたらスミレの聖魔法で。
「リーネ」
そこに、深刻そうな顔のジルお兄様が近寄ってきた。
しばらく姿を見せなかったジルお兄様に、私は首を傾げる。
「どうなさいましたの?ジルお兄様ーーー」
言う途中で、違和感に気がついた。
ジルお兄様の近くにいるはずの、スミレの姿が見えない。
私は眉をひそめた。
「お兄様。スミレは……スミレはどうしたのですか?」
「スミレは倒れた」
「え?」
私は耳を疑う。
ジルお兄様は、真っ青な顔で自分の額を押さえ、言葉を紡いだ。
「やはり、まだ修行の足りないスミレの身体で、高度な聖魔法を使うのは無理があったんだ。さっきの大魔王への聖魔法をかけたあと、スミレは倒れた。魔力ももう枯渇寸前だった。ーーーこれ以上は無理だ」
ジルお兄様の瞳が、わずかに揺れている。
私はその目をじっと見据えた。
私と話しながらも私が見れないジルお兄様。今まで、そんなことはなかった。いつも私の顔をしっかりと見て話してくれたジルお兄様が、私から目を反らすなんて。
その理由はきっと、ーーー罪悪感。何か嘘をついている。
「ジルお兄様。正直にお答えしてくださいませ。ーーースミレは今……どこに?」
ジルお兄様の瞳の揺れが強く表れた。ぎゅっと唇を噛み締める。
「ーーースミレは、ここから離脱してもらった。代わりに、俺がスミレの分まで戦う」
離脱。
それはダンジョン攻略に向かうチームのメンバーが戦えなくなった時に、棄権してダンジョンから出ていくことを言う。ダンジョンから出ただけなら、回復したらまた戻ってくることもできる。
だが、お兄様のこの様子は。
まだ私と視線の合わないジルお兄様に、私は尋ねた。
「ジルお兄様。もう一度伺います。ーーースミレは今、どこに?」
ジルお兄様は、とうとう観念したのか、辛そうに目を伏せた。
「……国外の、俺の知り合いの屋敷に連れていった。あれ以上、聖魔法を使えば、今のスミレの身体は壊れてしまう。ーーー大魔王を倒す魔法なんて無理だ」
無理は承知だ。スミレは、大聖女はそれでも戦うと言っていたじゃないか。
私は、ジルお兄様を哀しく見つめた。
「ーーースミレの了承を得ずに、連れて行ったのですね」
私が言うと、ようやく、ジルお兄様と視線が合った。
私の予想が当たっていたのだろう。
「ジル、それは本当か?」
アラン皇子が言葉に怒りを含めてジルお兄様に詰め寄った。私は手の指を広げてアラン皇子の前に出し、アラン皇子を制止する。
「リーネ」
アラン皇子は、険しい顔で私の名を呼んだ。なぜ止めるのかと。
でも、私は何度も見ていた。ジルお兄様がスミレを国外に行くよう誘う姿を。それでもスミレが戦うというから、スミレを守るために、ジルお兄様は一緒に戦っていた。
しかし、スミレが倒れた時に、ジルお兄様は改めて実感したのだろう。
このままではスミレは死ぬ。
大魔王を倒しても、倒さなくても。
それならばーーーーーーーと。
ジルお兄様のことだ。
大魔王が倒せないなら、スミレが無駄死にする必要はないと考えたのだろう。
でもーーーー。
「……わたくしは、ジルお兄様を責める気はありません」
少なくとも、私は。
「でも」
私は手を振り上げて、ジルお兄様の頬を思いきり叩いた。瞬間、歯を食い縛ったのであろうジルお兄様は、それでも勢いに負けて、宙に舞った。
どさりと地面に叩きつけられて、ジルお兄様は自分の頬を押さえる。
私はジルお兄様を見下ろした。
「ーーーこれは、スミレの代わりです」
悔しくて、泣けてきた。
ジルお兄様は、いつもそうだ。
大切な人を守るために、その人を閉じ込める。
リーネを公爵邸に。
スミレを大聖堂に。
そして大聖女を、国外に。
それが、本当に本人のためになるのかどうかは見て見ぬふりをして。
さっき。私だって、少ない魔力を無理やり使って、心臓が張り裂けるかと思った。死を感じた。
今のスミレは、大聖女だ。
魔力の使い方を知っている。聖女の聖魔法だけでなく、大聖女しか使えない魔法でさえ、知識としてはスミレの中にある。
修行の足りないスミレが、大聖女の魔法を使ったとしたら、段ボールの箱の中で爆弾を仕掛けるようなものだ。段ボールは木っ端微塵に破壊されるだろう。
でも。それでも本人の意志を無視していいというわけではない。
リンドウ帝国の殆どの人が死んで、リンドウ帝国の国が滅びて。残った民は苦しんで。
知り合いは誰もいない。皆、大魔王との戦いで敗れて命を落としたとして。
それでスミレの命が残ったとしても、あの大聖女がそれをよしとするとは思えなかった。
きっと、スミレはジルお兄様を恨むだろう。
そして、それを阻止できなかった自分自身を呪うだろう。
本当にスミレのことを想うのならば、スミレの意志を無視して国外に連れていくなど、できないはずだ。
なのに「スミレの分まで戦う」なんて。
ジルお兄様が全てを背負って一緒に逃げるならまだしも、恨みたい相手もいなくなって、スミレはどうすればいいのだ。
そんな無責任なことがあるか。
私は強く叩きすぎて痺れる自分の手のひらを、もう片方の手で掴んで、ジルお兄様に冷たく言い放った。
「ジルお兄様は、もっと、残された人の気持ちを学ぶべきですわね」
ジルお兄様は、自分の頬に手を添えたまま、呆然と私を見上げて固まっていた。私から叩かれる日がくるとは思っていなかったに違いない。
私がアラン皇子を振り返ると、アラン皇子も少し身を強張らせた。まるで化物でも見るような瞳で私を見ている。
そんなジルお兄様を叩いたくらいで。
ジルお兄様が騎士団でもエリートの集団である近衛騎士に配属されるほどの凄い人だったとしても。
体格的、体重的にも私の倍はあるだろうとしても。
思った以上にジルお兄様がぶっ飛んでいったとしても。
そこまで、怯えられるほどのことではないと思う。
私はアラン皇子に、困ったように顔をしかめた。
「ーーースミレがいないのならば、ダンジョンを壊す必要もなくなったわね」
「でも、聖魔法でないと、大魔王には効かないのだろう?ーーーそういえば、リーネがさっき言ってた、試したいことって、もう試したのか?」
あぁ、と私はそのことを思い出す。
アラン皇子に言われるまで忘れてしまっていた。
「そうそう。黒魔法を……」
大魔王に、一度、ぶつけてみたかったのだ。
殆ど記録にも残っていない、禁忌の『闇魔法』。
その恐ろしさゆえに、闇魔法の術者も処刑されたらしい。
闇魔法は、過去と虚無を司る。
なぜそんな闇魔法を、大魔王に使ってみたいと思ったのか。
それは、完全魔法防御であるとされた、マイリントアに効果があったからだ。
もしかしたら、大魔王にもーーーと。
あまりに安易な考えではあるけれど。
アラン皇子は、その話を聞いて頷く。
「試してみる価値はあるな」
「アラン。もう一度、私に魔力を貰える?」
「勿論だ」
アラン皇子は私に透明な球体を差し出した。
私とアラン皇子は、その球体を挟むようにして手を合わせる。
アラン皇子から魔力が流れ込んでくる。ノクトの言うように、私は一度、球体から手を離し、その魔力を体内に巡らせた。
そしてまた球体を触り、少しずつ調整していく。
ものすごい集中力が必要だった。
糸を触らずに針の穴を10本通すような。
大きくてもテニスボール程度だった黒い塊が、バスケットボールくらいにまで大きくなることに成功した。
大魔王の声が聞こえる。
【ーーー闇魔法か。ふ、は、は。無駄なことよ。長年生きた中で何度も闇魔法の遣い手と戦ったが、一度として朕が傷ついたことはない】
「そうね。私もそう、聞いてる」
それはマイリントアから。
滅多に見ない闇魔法の遣い手について聞いた。
大魔王を倒すほどの力はないと。
私は大きく振りかぶり、そのバスケットボールほどの黒い塊を大魔王に向けて投げた。
大魔王は余程自信があるのだろう。
逃げるどころか、避ける気配もなかった。
「そのマイリントアが、その人達の中でも私の闇魔法は、濃さが違うのだと言ってくれたわ。すごく、濃度が高いのですって」
ゴッ。
大魔王に黒い塊が当たった時に、何か抜けるような音が聞こえた。
笑っていた大魔王の声が、突然止まる。
黒い塊が当たった足の甲の部分には、バスケットボールと同じ大きさの穴が空いていた。
数秒すると、そこから赤い血が噴き出す。
鮮やかな緑の身体でも、血は赤いのか。
巨大すぎる大魔王の身体には、バスケットボールの大きさは、あまりにささやかで。私はつい、傷よりも血のことを考えてしまっていた。
しかし傷つけられた本人のショックは、そんなものではなかったようだ。
【ーーーーーな……な………】
大魔王は、足首から下だけでも大きな家一軒くらいはある。
その家のような足が、急に動いて地団駄を踏んだ。
地響きがする。
【何故だっ!何故、痛む。たかが闇魔法っ】
「ダメだわ」
私はその足の動きによって壊れる建物や割れる地面から避けながら、悔しい顔でその大魔王の足を眺めていたが、黒い塊は、大魔王の足を貫いただけだった。
マイリントアの時も、リュージュの時も、黒い塊は、そのあと螺旋を描くようにして、どんな大きな対象物でも吸い込んでくれた。今回の黒い塊は、今までの手のひらサイズの何倍も大きい。
しかし大魔王の身体を吸い込むほどではなかったということだ。
【朕に傷をつけようとは。ーーー小娘、殺してやる】
恐ろしいほどの怒りが声に入り交じり、大魔王の咆哮のように聞こえた。
大魔王は私を踏み殺そうと、大きな足を上げた。その足の大きさは、私だけではなく近くにいる何十人という兵士をも巻き込むものだ。
私は叫んだ。
「みんな、逃げてっ!!!」
周りの人を逃がしながら、私も駆けて逃げる。
高いところから踏み込まれた足によって、地面は沈み、その周りは隆起する。
地面に飲み込まれた人は悲鳴を上げた。
逃げ惑う人々の中にいて、私は大魔王を見上げる。
山ほどの大きさ。
マイリントアやリュージュの本来の大きさよりもずっと大きい。その大きさが吸収されないとなると、本当に、聖女がそうしたように大魔王を魔法による攻撃で倒さなければならないということになる。
ーーーそれは不可能に近い。
聖女と違い、私は1人では大きな魔法が使えない。アラン皇子に魔力を流して貰わなければ。だが逃げながら球体を通して魔力をもらうのは至難の技だ。
魔法の技術も足りない。針で糸を通すような集中が必要なのに、こんな大きな大魔王に暴れられては、細かい集中もできない。
そもそも私は細かい作業が得意ではない。
走って大魔王の攻撃を避けながら、私は「まずい」とだけ頭の中で繰り返した。
大魔王の怒りを買ってしまった。
やはり皆が言うように、もう少し作戦を練ればよかったのだろうか。まだ大魔王が冷静なうちに、ちゃんと準備をしておけば。
ーーーそう考えて、少し自嘲の笑みが漏れる。
何の準備よ。
スミレは倒れ、私には元々魔力が殆どない。
それがわかっていたのだ。準備も何もないじゃない。
ケリー先生やジルお兄様達は、暴れる大魔王になんとかできないかと剣や魔法で攻撃するが、全く効く様子はなかった。
できるのは、被害を最小に抑えることだけ。
やはりスミレでないとーーーー。
私は首を振る。
スミレも肉体的に実力が足りない。中に大聖女が入ろうとダメだった。私と同じだ。スミレを呼んだところで、例え二人で力を合わせたところで、この大魔王は倒せない。
『ーーー全滅?』
ゲームのワンシーンが記憶に甦った。
ゲームの中で、修行が足りない時に強制的に進むルートがある。
滅亡ルート。
それは、大魔王が倒されず、聖女も恋愛対象者も皆、死んで、最後に滅んだリンドウ帝国が映る映像だった。
基本、ゲーム上では少し修行したら中級くらいにはたどり着くので、余程、故意に修行をしなかったり、悪意のある行動をとらなければ滅亡ルートには進まない。
私も冗談で一度だけ滅亡ルートに入ってみたが、どうしてここまで悲惨な作画をするのだろうと訝しく思うほど、残酷なラストが描かれていた。
「絶望ルートは……絶対ダメ」
私は足を止めた。
アラン皇子を探す。大魔王の激しい攻撃と、逃げ惑う人達の中で、アラン皇子の姿を探すことができなかった。
私は一通り見渡して、あの人の名前を呼んだ。
「ーーーロジー」
「なに、リーネ?」
ロジーはいつもの笑顔で私の前にすぐに現れた。
あまりにいつも通りで、こんな状況なのに、つい破顔してしまった。
「相当無理ゲーにになったけど、私はまだ戦うわ。だからアラン皇子を探してるの」
「無理ゲー?」
「大魔王を倒すのがすごく難しいってこと」
「あぁ、なるほど。ーーーアラン皇子なら、向こうでジル様と言い合ってたよ。スミレをすぐに連れてこいって、アラン皇子が」
ロジーに指を差された方を向く。
金色の髪の二人が、はるか遠くで重なって見えた。ロジーの言う通り間違いなく喧嘩してる。さっきまで大魔王と戦っていたじゃない。では今、実質、大魔王の攻撃を阻止しているのはケリー先生だけだというのか。
ーーーこんな時に喧嘩なんて。
「あの人達、ほんと、何やってるのよ」
私は走り出した。
二人の姿が近づいてきて私は叫んだ。
「ちょっとやめなさいよ」
アラン皇子がジルお兄様の胸ぐらを掴んでいた。アラン皇子も殴られたらしく、左の目元が赤く腫れている。
スミレがここにはいないから、傷を治してやることもできない。
二人の喧嘩は数日前でもう充分だ。
「……リーネ」
ジルお兄様は私に気づいて、私の顔を気まずそうに見た。
私はアラン皇子とジルお兄様の間に入る。
「アラン。ジルお兄様を放して」
アラン皇子は私を見ることもなく、ジルお兄様の胸元を掴む手も緩めなかった。
アラン皇子の顔が完全に激怒している。
「どけ、リーネ。今すぐにだ」
ぞっとするほど怖い表情アラン皇子は呟いた。
こんな顔のアラン皇子を見たことがなかった。
「……ちょ、どうしたというのよ。ジルお兄様が、何かしたとでも」
「スミレは、魔力切れで倒れたりしていない」
「え?」
私は目を見開いた。
「スミレ本人から、俺に呼び掛けてきた。見知らぬ屋敷に閉じ込められて出られないと。ジルに何度伝えても応答ないから俺にーーー」
「どういうことなの?」
アラン皇子は苦々しく言い放つ。
「っこいつは、スミレの実力を、想像だけで無理と判断して、スミレを無理やり連れていったんだ。スミレはまだ戦いたがっている」
また強く、アラン皇子はジルお兄様を引き寄せ、声を上げた。
「早くスミレを連れてこい!!!」
「ーーー嫌だ」
ジルお兄様は、絞り出すように声を出した。
とても苦しそうだった。
アラン皇子は信じられないという顔をジルお兄様に向けた。
「スミレ本人が、ここに戻してくれと言っているんだぞ」
「ーーーそんなの、わかってる。スミレは、あの子はそういう子だ。国のために命をかけて大魔王と戦い、アランの命を取り戻すために、自らの命を引換えにする禁忌の魔法を使った。今回もきっとーーー誰かのために、命を差し出すつもりだ。間違いなく」
ジルお兄様は、アラン皇子に胸元を掴まれたまま、自分の顔を両手で覆った。
「すまん。ーーー無理なんだ。あの子が死ぬというのが、俺には耐えられない。俺は全てを犠牲にして過去から戻ってきた。あの子の命を救うためだけに。ーーーここで……ここであの子が死んだら、全てが無駄になる。ーーーお願いだ。あの子だけは。あの子だけは助けてくれ。頼む」
頼む、とジルお兄様は、もう一度、悲痛な声で叫んだ。
そうだ。
ジルお兄様は、とても愛情深くて。
リーネがどんなに極悪非道でも、お兄様だけはずっと愛し続けてくれた。
リーネが処刑される時も、お兄様だけはそれを阻止しようとしてくれた。
そんなお兄様だから。
心から愛した人を想う気持ちが、強すぎてしまったんだろう。
道理がわからなくなるほどに。
それでもアラン皇子は、ジルお兄様から手を離さない。むしろさらに強く、引き寄せた。アラン皇子の顔が、ジルお兄様の鼻に届くほど近い。
「ーーーそれが、どういう意味か、わかってるか。皆死ぬんだぞ。お前も俺もーーーそこにいる、お前の大切なリーネも!」
「……リーネ」
ジルお兄様は、両手で顔を覆ったまま、動かなくなった。きっとジルお兄様の中で、またものすごく葛藤している。愛情深すぎるジルお兄様は、私がここに立つのも辛いかもしれない。
それでも、私よりもスミレの命だけは守りたかったのだ。ーーーその気持ちは、私は嫌いじゃなかった。
私は、ジルお兄様の背中に、そっと手を置いた。
「ーーージルお兄様も、スミレの元に行かれたらよろしいわ。わたくし、さっきはお兄様を怒りましたけど、お兄様の気持ちは、痛いほどよくわかりました。ーーーでもスミレのことを想うなら、1人にはしないでやってください。孤独はーーー人を狂わせます。本来のわたくしのように」
ジルお兄様の手が、ゆるりと顔から下がる。
「リーネ……」
とジルお兄様は私の名を呟き、私を見つめた。だが、お兄様の目にはもう、生気を感じなかった。
お兄様は、お兄様こそが、スミレを遠く離れた場所に離脱させた責任をとって、ここで死ぬ気だったのだ。
ーーーそんなの、許さない。
私はジルお兄様を見据えた。
「公爵家は、わたくしが継ぎます。ジルお兄様は安心して、スミレの傍にいてあげてくださいませ」
私は自分の目に力を入れて、にこりと私は微笑んだ。
「ここは戦地。死に急ぐ方達のいる場所ではございません。戦地で生き残るのは、勝つ意志がある人のみ。弱音を吐く人など、この場に必要ありません」
私はジルお兄様を、まっすぐに見つめた。
いつも、お兄様が私にそうしてくれていたように。
常に誠意をもって人に向かうお兄様が、私の憧れだった。お兄様のように、なりたいと思っていた。
「わたくしはこんなところでは死にません。絶対に生き延びてみせますわ。どんなことをしても、必ず皆を助けて、私も生き延びます。ーーー必ず」
私は背筋を伸ばす。
私は、気高き公爵令嬢。リーネ・アネット・グランドロスなのだから。
「ーーーリーネ」
その名を呼ばれ、後ろから急に抱き締められた。
ジルお兄様ではなく、何を思ったのか、ジルお兄様を手離したアラン皇子によって。
「……え?ちょ、何を」
アラン皇子は真っ赤な顔をしていた。まるで酔っているように。
「ダメだ。好きすぎる。ーーー愛している、リーネ」
また強く抱き締められる。
私は混乱してしまった。
「ーーーそれ言うの、ーーー今?……ちょ、わけわかんない。ア、アランっ。ちょっと」
「リーネの魅力に当てられたみたいだね」
男の明るい声が、私の耳元に届いた。
その声の主がジルお兄様の耳元でパチンと指を鳴らすと、ジルお兄様は倒れる。
「うちの愚息には、少し寝てもらおうか」
よく知っているのに、ここにいるはずのない声で、私は思いきりそちらの方を振り向く。
「お父様????」
背の高い、金色の短い髪をオールバックにしている。ご婦人達の憧れ。凛々しい面長の顔が、これ以上ないほどにこやかに崩れている。
「やぁリーネ。僕の至上の宝石。麗しくて愛しい、僕の天使」
本当にいつものお父様で、私は調子を狂わされる。
「お父様。こんなところまで、どうなさったの?」
お父様はいつも忙しく国内外を駆け回っているので、あまり姿を現さないのに。
お父様は、いい歳をして、頬を膨らませた。
「娘のピンチには父が駆けつける。殆どの物語の定石だろう?」
いえ、物語にはあまり父親は登場致しませんが。
「うちの跡継ぎは、こんな困ったちゃんだし、お前の婚約者は必ずリーネを守り抜くって約束したくせに、うちの天使ちゃんの魅力くらいでこんなことになってしまって」
お父様が目の前まで来ているというのに、まだ私を抱き締めたままのアラン皇子は、確かにおかしくなっている。
「ここはもう、頼りになる父の出番かなと思ってさ」
お父様は、綺麗な顔でウインクしてみせた。
やめてください、アラフォー親父のウインクなど、需要は限定的です。
お父様は胸ポケットから、ネックレスを取り出した。
私はそれを受け取りながら、首を傾げた。
この大魔王との戦いの時に、ネックレスを渡す意味がわからない。
手にとって、改めて見ると、そこには去年、お父様からもらった赤い宝石がついていた。
さっき、透明な球体に映っていた、あの宝石。
お父様が、鉱山を1つ売ってまで手に入れたもの。
「紅玉だよ」
怪しく笑うお父様の瞳に、私は目が離せなくなってしまった。




