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第18話

ようやく18話上げることができました。


ほんとどこかで彌助視点での話を入れたいな・・・


今回の舞台ベースは『馬揃え』と『天正伊賀の乱』になりますかねw


 天正9年【1581年】2月


 2月末、京の内裏の東側に馬場を築き上げ、『馬揃え』現在で言う所の軍事パレードが行われた。


 それはもうw豪華絢爛な装いでしたよ!見物させて貰えなかったけどね!

 どうして豪華絢爛なのが分かるかって?参加させられたからだよ!一門衆として強制的にw

 詳しく書きたいが、それだけでも相当な文字数になるので、『信長公記』でも読んで確かめてくれ。


 天の声【流石に書くだけで、作者の一話分になりそうな内容でしたから……】


 俺が参加するよう言われたのは、『馬揃え』の行われる4日前の24日なんだが、彌助殿に参加通達されたのは、その1日後になる3日前の25日だった。もっと早く通達してくれれば良いのに、なんでいつもギリギリに言ってくるの!!

 本来の歴史実には無い事だが、義兄上からその時言われたのは……


「彌助も小姓衆として出したい。良き案はないか?」


 と言われたので、


「彌助殿が気に入るか分かりませんが、白を基調とした見た目だけの鎧でも宜しいでしょうか?きっと彼の黒肌に映えますよ」


 と述べてみたら、二つ返事で……


「すぐにそれで用意せよ。お主も準備を怠るなよ……那谷!」

「……えっ?」


 ってもんだ。


 一応、着る物の許可は出たし『強化外骨格兵装』の見た目をダウンサイジングして、ガワ部分を西洋鎧っぽく見えるように調整するか。

 ちゃんと採寸はさせて貰ったぞ!そうしないと細かな調整出来ないでしょw

 『強化外骨格兵装』は動力源の問題で、完成に至っていないぞ。召喚するなら別だけど……


 素材は何使おうか……、戦に行く訳じゃないから、アルミを骨格主体にクロムニッケル合金の薄板を、貼り付けた物を使うか?肌を痛めないように、裏は布地と綿で保護だな。

 流石に表面を金属丸出しも見た目的にな……、『生活物資召喚』で『北極狐の毛皮』を大量に手に入れて、それを張り付けてみるか!

 ……うん、良いじゃないかwあ、大量に余った尻尾部分はどうしよう。継ぎ目は工夫して分からないように縫い付けて、鞘巻に仕立て上げるか!

 それでも未だ余るな……、俺の分も一緒に作ってるからw

 飾りに内側を針金で固定した尻尾飾りも用意しておこう。

 かぶとも頭部の毛皮を使って、口内部分から顔が見える様な仕様にして、視界の確保だな。

 俺の方は、鬼面を基にした物にした。

 彌助殿を狐の装い、俺は鬼の装いという形にした。


 馬も用意しないとな……、日本馬だと小さすぎるだろうし、馬も此方で用意するか。

 『赤兎馬』とか『黒王』とかサイズになるだろうな。

 いっそ北欧神話に出てくる、『スレイプニル』でも用意しようかな?でも流石にそれは拙いか、……悪目立ちするだろうし無難に『黒王』にしておくか。


 馬揃え当日、帝も御観覧の中、無事に終わらせることができた。


 数日後……朝廷から呼び出しを受け、帝より褒美の一端として『ある物』と、幾つかの品々が贈られて来た。その褒美が厄介なものだった。



 天正9年【1581年】3月


 その頃、遠江の高天神城で籠城していた武田軍は、餓死者を多数出しながらも、高天神城で徳川軍と戦い続けたが、籠城で生き残っていた約700の将兵は徳川軍の突撃を受け討ち取られていった。


「殿、我々はこうして領土を護るために奮起しているのに、西は遊興【馬揃え】にふけっているらしいですぞw」

「忠勝よ、そうだとしても、我らは今は未だ耐える時だ。何れ報われる時が来る……、そう報われる時がな……、今はまだ雌伏の刻ぞ!」


 渋る顔付きで


「いつまで続くのでしょう。この乱世は……」

「もうじき……そう、もうじきだ!」


 徳川家はこの戦で遠江を征し、着実に足場を固めていくのだった。



 同3月、細川藤孝、忠興、昌興の父子に丹後国一国が与えられ、本拠地であった勝竜寺城を義兄上に献上したらしい。

 多分だが、献上とは名ばかりで地理的な意味合いでの『寄越せ!』だったと俺は推測している。

 義兄上の直轄領のある『南近江』、義父上の『坂本』から『丹波一国』、微々たる物だが俺の『山崎』から『伏見』の河川周辺とを、合流させる重要な位置だ。

 義兄上は、配下の矢部家定やべいえさだ殿と猪子高就いのこたかなり殿を城代として派遣し、周辺の検地を行わせた上で在城させた。

 じゃあ城主は誰かって、もう分かってるだろ?俺だよw俺にされたんだよ!

 今の義兄上は、出会った頃とは違い逆らう者、手向かう者は容赦無く斬っていっている。

 だからこそ、おとなしく従うことにした。


「何だろうね……、もしこんなのが続くと言うなら、覚悟決めないと行けなくなるのかな。」


 城主として、仕事もしないと行けなくはなったが、基本的に城代の二人に任せておけば良い形だ。

 妻二人と子達は安土の店に置いてきた。単身赴任だな。

 唯一、口出ししたのは、勝竜寺城の西側河川、天然堀になっている部分だ。この部分だけでも石垣にすることを、二人に了承させたぐらいだ。

 水無瀬川の治水と後は水無瀬宮跡地から、天王山麓まで街道を整備し、宿場町へと発展させることは私財を考えた。


 そんな中、隣の八幡やわた郡一帯を領地に戴いている、浅井長政殿が妻・市乃方と娘三人連れて勝竜寺城に来ていた。

 俺の城主就任の言祝ぎだそうだw此方も、手ずから腕を振るい料理で浅井一家をもてなした。


天の声【この世界では浅井長政は死んではいません。現状は一国から一群領主になってしまった形です。】


「さて問題が有り過ぎの先月、帝から賜った『贈物』……、これ見なかった事にした方が絶対に良さそうだ。自分以外には手出しの出来ない所に、隠すしかなさそうだよな」


 念には念を入れて、沖島の邸宅の方は~……、物品整理しておいた方が良いような予感がするな、……証拠隠滅用の爆破装置も設置しておくか。



 天正9年【1581年】4月


 中国方面軍の秀吉が歴史実よりも、2ヶ月早く鳥取城を包囲したと、鞍馬衆からの連絡を受けた。

 流石に距離が有りすぎるので、裏から手を回すことが出来にくい。伊賀衆だけでなく、鞍馬衆が加わり人員増にはなったが、それでも抑えられない場所は出てくる。

 鞍馬衆には、播磨と備前、備中に力を割いて貰うことにした。


 4月末には義兄上から或、指示を受けた。

 いや~歴史実が着実に変わってきてるわw「伊賀を攻め落としてこい」と言ってきたからだ。

 歴史実より、早いんだもんよ。


 「うわっ本気まじか?」って、疑っても意味はない。だって、今の義兄上の発言は、発言全部が本気で言ってるからな~。

 うちの百地丹波を通じて、降伏又は従属と言う形に持って行かないと……、になるんだろうな。

 まあ伊賀への、街道整備や産物の卸し等は任せる事が出来てるから良いんだが、攻め落とせの指示が来たからな……、取り敢えず恭順してくれる所を此方に引き込んで、残りの伊賀の忍家は一時的にでも伊賀の外に散らすか。

 此方に恭順してくれるなら、住んでた土地は帰ってきた際に、そのまま戻しても良いと伊賀中に流しておいて貰うか。


「我が義兄、織田三郎信長様の命により、伊賀を攻め落とせと某、淡津内蔵助那谷右衛門が指示を受けた。某個人で伊賀の者と懇意にしている故、他の伊賀家の者達にも無体を働きたくはない。恭順してくれるならば良し、出来ぬのならば伊賀より追放と言う形を取らなければならない。そうなった場合、土地は此方の一時預かりとなるようにしておく。義兄・信長は恭順せぬなら滅ぼせとの考えだ。この書状を懇意にしている百地丹波に持たせるので、伊賀の皆々の返答を彼に持たせて貰いたい。良き返答を待つ。

 萬処・淡津屋店主、淡津内蔵助那谷右衛門」


 っと、こんな感じで大丈夫かな?

 この書状写しも作って伊賀まで走って貰い、伊賀衆の説得に当たって貰うことにした。


 ただ説得出来るのかが問題で、実は俺が越後へ言っている最中【14話参照?】、伊勢を任されたの義兄上の次男殿、北畠信雄殿が伊賀に攻め混んでいたらしい。

 あの馬鹿!何勝手なことしやがる!越後から帰ってきた後の、家で働いてくれている伊賀衆の説得にどれだけの労力が割かれたことか!

 まあ伊賀の鬼瘤峠おにこぶとうげで手痛い惨敗を食らった上に、攻めることに許可も取らなかった上、信雄家臣の柘植三郎右衛門つげさぶろううえもん殿が討ち取られると言う愚行かで起こしたらしいからな。

 ザマァ~だなw勿論その時は、苦情文を信雄殿に書いて送った。

 この鬼瘤峠の戦いの時、百地達伊賀衆もこっそり伊賀側として、参加していたそうだ。


 あ、もちろん信雄はその時、義兄上からの叱責を受けているらしいが、二度目が今回だろうから、ついでに殺ってしまうのもありかなw

 小牧長久手の戦いを起こされても困るだけだしな。


 まさか俺が時間を書けて、伊賀を『内側からじっくり此方に引き込む策』を、取っているとは思っていなかった様で、「そう言う策は事前に報せろ!」と文句を幾重に連ねた書状が届いたが、振り出し手前までに、戻らされた此方の身にもなって欲しいものだ!

 それに『策』なのだから、貴様に知らせて己の手柄とし、此方の策を無いものとして、知らぬ存ぜぬされては溜まったものではない!だからこそ、コソリと動くしかなかったんだろうが!

 藤林家に服部家……、これに百地家を加えて伊賀三家だったよな?その二家は確実に無理だろうな。

 服部家は徳川家に仕えてるし、藤林家は今川家に仕えてたらしいけど、現在はどうなんだろう?

 入念に準備はしておこうかね。



 天正9年【1581年】6月


 うん、伊賀衆の引き込みは失敗に終わった。原因はやっぱり北畠信雄が攻め込んだことが、未だに尾を引いているようだった。

 それだけではなく、此方の行っていた策を聞いて、大々的に己が伊賀に対し引き抜きと、離間策を仕掛けているのを回りに分かるように見せていた。


「本当にあの信雄バカ~!何してくれとんじゃ!」


 百地丹波に此方に付いてくれる、伊賀衆の連判状を持ってきてくれたけど、やっぱり全てでは無いよな~。

 恭順派と徹底抗戦派に別れてしまったからだ。

 そこに書かれていた人物は、信雄の家臣の柘植三郎右衛門を討った『滝太郎左衛門』、伊賀柏原城を本拠としている『滝野吉政』、比治山砦を守備している『福喜多将監ふくきたしょうげん』、『百田藤兵衛ももだとうびょうえ』が此方に付いてくれるとの事だった。

 此れだけでも、かなり楽になるぞ!

 服部派は、一部の連絡役を残し三河遠江に移動する書状が、別途送られてきた。


 ただ、残りの抵抗勢力の中には、藤林家の名も合った。



 天正9年【1581年】7月


 義父上の義妹で、義兄上の女房衆の一人『妻木』殿が病に倒れたとの、報を受けた。

 しばらくの間、我が家で静養するようにと、義兄上からの指示が届いた。

 初めてお会いしたが義母『煕子ひろこ』殿にそっくりと言うか、瓜二つだった。

 頑張って平癒して貰わないとな!



 天正9年【1581年】8月


 都の公家衆の方達の「なにか涼を感じられる物はないか」と言う、ご注文の対応に追われた。小竹こちくに入れて水の中で冷やした水羊羹や、同じように水に入れて冷やし個々に盛った葛饅頭などで、涼を取って貰うという趣向を行ってみた。


 義兄上の気分がすこぶる悪かった。君子危うきに近寄らずかな……?

 静養虚しく、義兄上の女房衆である妻木の伯母上が、しんの病で亡くなったからだ。現在で言うところの『心不全』だ。

 こればかりは、俺も対処の仕様がない。

 義父上と義母上には、御悔やみの書状を送っておいた。身内だからね……。



 天正9年【1581年】9月


 あれからも伊賀衆の説得?に心掛けてみたが、心届かず……伊賀に侵攻することになった。

 此方に引き込めなかった伊賀衆の、『今中将監』『森田浄雲』『中野助左衛門』『藤林長門守』他多数

が北伊賀に集まり、此方の率いる軍と対峙することになった。

 此方に付いてくれる者達には、『北畠信雄が伊賀南側から1万5千で攻めてくる』と言う偽情報を渡し、北側の主戦場から遠ざける事にして成功した。

 此方に通じていると思わせないためにもねw


 伊賀攻めの主力として、蒲生氏郷殿、堀秀政殿が率いて約3万の軍だ!この軍の殆どは国境沿いを固めるのが主目的になっている。副将には丹羽長秀殿や筒井順慶殿が居た。

 実際動かすのは、1万程度だ。

 うちの百地丹波には3千率いて、戦って貰うことにした。

 え、俺はどうなんだって?俺は時を合わせて南側から侵入し、旧丸山城から比治山砦へそして、北の雨乞山砦へと進む形だ。

 さぁ、この戦いで初お披露目と行こうか!『強化外骨格兵装』を一体だけ召喚よういして、伊賀の山林を駆け巡るとしますか。

 召喚よういした物は、『虎穿タイガーピアース』一体、ミリアルデで使用した『350層ダマスカスブレード』一本、AGFアームドガードフレームライフルー01『NARUKAMI』を用意した。

 これ『使用する=確定殲滅』になるような装備だし、此方に付かなかったことを、悔やんで貰うしかないな。


 結果、北伊賀よりも伊賀中央部北側での伊賀衆の被害が、とんでもない事になっていた。

 北伊賀での伊賀衆の被害、死者負傷者合わせて約2千人の被害が、此方は3万の内、投入した1万の兵力の約1千人の死傷者。

 その中には、『阿閉貞行あつじさだゆき』『阿閉貞大あつじさだひろ』『池田秀雄いけだひでかつ』等がいた。

 伊賀側の死傷者には藤林長門もいた。


 伊賀中央部北側……壬生野みぶの佐那具さなごでの被害、此方は被害無し、伊賀側の中央部での被害、挑み掛かってきた者達【女子供含め】約3千人は徹底抗戦してきたから、とんでもない被害を出した。


 その中央部での被害数は、翌月には織田領内だけでなく、伊勢国の北畠信雄や、畿内全域、中国地方侵攻中の秀吉にも届くことになった。

 南伊賀で陣を張っていた者達は、偽情報の事もあってか被害は皆無と言って良かった。

 そして『虎穿タイガーピアース』を収納して、その人であったであろう肉塊と血溜りの地面の上で佇むのだった。


「あぁ、これじゃあ秀吉アイツの事を、とやかく言えなくなるかもしれないな。でも挑み掛かってきた者達を倒しただけだから、秀吉あいつに挑み掛かろうにも掛かれずに、朽ちていった者達よりは、挑むことが出来た分マシなんだろうな」


 その頃の秀吉は、鳥取城を包囲し兵糧攻めを行っている最中だった。




 そして翌月には伊賀を占領し終え、伊賀攻めの本陣に呼び出され、陣幕の中央に用意された床几しょうぎに座るように、蒲生氏郷殿、堀秀政殿の御二人から言われ、『ある書状』が読まれた。その直後に俺の周囲は槍の穂先で囲まれた。


「淡津殿、上様よりの書状一文を読み上げる!「淡津内蔵頭那谷右衛門、『不義密通の罪科』により、『領地および邸宅、財貨の没収』を言い渡す! 織田三郎信長」……以上が、上様よりの書状一文です」

「すまぬ、淡津殿。捕り抑えよ!!」


 そして俺は、訳も何も分からないまま、猿轡と縄を掛けられるのだった。


ここ最近の近況だと、

遊んでいるゲームのイベントが立て続けに来たりしてwww

そっちの方で時間を取られたりw( (゜Д゜)ノオウマテヤ  )

あとは気温が低くなってきたせいもあってか、

職場での鍋商材の在庫作りが・・・


それ以外だと、気分転換に書いている物【上げてすらいない】もあるので、

上げるかはわからないですw


次話は捉えられて牢に入っている所からになるかな・・・かな?

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