第17話
お待たせしました最新話。
ちょっとこの暑さでバテ気味になり、上げるのが遅くなりました
話の最後あたりに今後の、主要人物が出てきます。
どこかで其方視点のお話も入れようかなと思っています
天正8年【1580年】5月
五月末、義兄上と顕如殿との秘密会談を行う準備が完了し、使者として趣いて貰った佐久間信栄殿には感謝しかないわ。
場所は飯盛山城から西に、2里ほど進んだ所だけどね。
「九州の大名家の一つ、大村家の『大村純忠』がよりによって、日ノ本の地である長崎、横瀬浦周辺の土地を『イエズス会に寄進した』した事」
「九州の南肥前はキリシタンに改宗した者【された者】で溢れている」
それを『大村純忠』と、イエズス会日本支部の準管区長『ガスパル・コエリョ』の手によって、行われたと言う事も告げることになった。
二人は、「「勝手に日ノ本の地を他国に寄進とは」」、と怒りをあらわにしていた。
だが討伐軍を向けようにも、その地に向かうまでの間には『毛利家』、『大友家』、『龍造寺家』、そして四国平定を目指す『長宗我部家』……、長宗我部家とは現状同盟状態だが義兄上が今後どのように、方針転換するかも解らないからな?
そして、南蛮が『インド』の都市ゴア、『ルソン』、明の南方にある『マラッカ』を自領として占拠し、此方に来ている事、其処からいずれ占領軍が向かってくることを、述べることになった。
ただし?宣教師達にも派閥争いが有るようで、『融和穏健派』と『侵攻強硬派』と別れている事も伝え、安土に来ていた宣教師である『ルイス・フロイス』は、数少ない『融和穏健派』であることも伝えておいた。
そのフロイスは、此方の宗教や理念にも理解を示している人物だと述べ、『融和穏健派』は保護するべきと言うことも二人に語った。
それを聞いた顕如殿は……
「流石にその情勢は感化できませんね。畿内に残る門徒達と、北陸に残っている門徒達も引き連れ、九州に向かっても構いませんよ。そのフロイスと言う者とは、一度会って互いの理念と思想に、御二人の前で語り合ってみたいものです。ただしガスパルという者は許しがたい、その者の首は此方が戴きます」
と言う事を告げてくれた。
思考の固い方かと思っていたが、意外と柔軟に考えれる方なのだなと、発言を聞いて思った。
敵の敵は味方とか、それに近い考えかな?そうして両陣営による、『和睦と言う名の密同盟』が出来るのだった。
あ……博多の商人に、住む場所の話しつけないと駄目だよな?
天の声【とりあえず、『融和穏健派』と『侵攻強硬派』に関しては
便宜上作ったものですので、深く考えこまないでください】
【実際にそういう派閥があったのかも判りませんので】
【この世界の長崎での割合としては『穏健派』3『強硬派』7と
強硬派が優位とお想いください】
天正8年【1580年】6月
6月も終わりに近くなった頃に、義父……明智光秀を通して土佐の長曽我部家から、献上品『砂糖3000斤』【約1800kg】と『鷹16羽』が届いた。
義兄上は甘い物好きだからな~、それを義父上経由で『信長様が甘い物好き』と伝え聞いたのか?
伝え聞く史実と違い、土佐一国と阿波一国が安堵はされたが、讃岐は三好に一国と言う話になった。
伝わる史実の『一国二群安堵』とは違い『二国安堵』なのだが、それでも納得のいかぬ部分を、斎藤利三を通して伝え聞いた。
一方、石山本願寺に立て籠っていた『本願寺教如』はと言うと、父である顕如より知らされた九州の現状を聞き、立て籠っていた抗戦派とも和睦が成立、一部の一向宗門徒達を率いて、陸路で九州に向かうのだった。
置土産として、石山本願寺を燃やしていった。まあ更地にして行ってくれたわけだし、そこだけは褒めてあげようw
土地整備に一噛みして、海側の良い場所を手に入れてみるかw
ただし、この時本願寺顕如殿から内密に……
「織田軍が使っているとされる、鉄砲を少しでも良いので、こちらに回していただけると有難いのですが、織田殿はそれを許さないのでしょうね。」
これって暗意に『密輸しろ』って事だよね?そこらへんの物資はちょっと考えさせて欲しいよな……。
従来の火縄銃ならともかく……、雑賀衆ごと向こうに持って行って貰いたい、そうすれば紀伊も、幾分かは大人しくなるだろうし!
移送や食物等の一部は、此方で受け持った。北九州に橋頭堡を先行して築いて貰う部隊をだ。
移動には船を使うことになった。側面外輪式蒸気機関搭載型木造艦……所謂『蒸気船』ってやつだ!
長ったらしく仰々しいかもしれないけど、お偉いさん方に分かりやすく見た目を説明するのに、それしか呼び方が思いつかったんだよw
そのお偉いさんには、義兄上、本願寺顕如殿、公卿の近衛様などだ。
今回は召喚で幕末期の『蒸気船』を出したが、義兄上には「いずれは、此れを量産する予定です」と、実物を目の前に発言した所、増産指示を出されたが、試作船と言うことで「現状、粗出しの段階で不備不具合を探している所……」と言うことにして増産指示に待ったを掛けた。
ちなみにこの蒸気船、『バルバスバウ』だったか?あれに近い形で造られてあって、艦首表面部分を金属で補強した型の船で、艦首同士がぶつかっても早々には負けないと自負している!
蒸気船の上部デッキと第一層に詰め込む形で、第一陣は約500名送り込む事になった。
「こんなもんバカスカと、召喚出来てたまるか!」
と頭を抱えながら、密かに叫ぶのだった。
何故か気配無く後ろに立っていた、隠居して優遊自適に暮らしているはずの『森可成』様に肩を叩かれたあと……、首を横に降られ諦めろと言うような表情をされた。
その準備して貰っている中、俺は何をしていたって?滑走路の偽装を更に施して、自然物に見えるようにしていたよ。
あとは義兄上への、我が儘対応策として『複葉機』を召喚……、流石にミリアルデに乗せるわけには行けない。
召喚した複葉機は、攻撃武装を外した『零式観測機』を召喚した。これなら淡海から飛び立って着水も出来るからね。
これも将来的に十分、オーパーツに成りうる物だよな……
「武装排除したコレで、機嫌取れると良いんだが……」
天正8年【1580年】7月
流石に、雇い入れている百地丹波率いる伊賀衆だけでは、情報収集や荷運び等をして貰っているが、人手が最近足りなくなってきた。
雇い入れている伊賀衆の頑張りもあってか、伊賀国内の街道や流通も良くなり、飢え死ぬ者は居なくなり織田領内では、近江と伊賀は交通の要所として発展していった。
人手不足の原因としては近江だけではなく、尾張、美濃、伊勢、山城、摂津、大和、若狭、越前と支店が増えたのもあるからだ。
「予定に無い店舗増強があったからなぁ~。」
人員を増やすため、「甲賀以外で良い者達は居ないか?」と訪ねてみたところ、古くは鎌倉時代を源流とする一派が山城に居るらしく、繋ぎをとって貰うことにした。
丹波曰く……
「流派で言えば、伊賀流や甲賀流等有りますが、その者達の流派は『鞍馬流』、又の名を『義経流』と言います。」
へぇ、そんな者達がいたんだ、登用開始だ。会うのが少し楽しみだ。時間がかかっても良いから、繋ぎを取り会う算段を付けて貰うことにした。
そんな遣り取りから数日後、義兄上から『あること』を聞かれた。
「あの『複葉機』とやらは、どうやって動かすのだ?」
と、……しまった、操縦方法教えるの忘れてた!
それを聞いて、お店そっちのけで数日ほど、付きっ切りで操縦方法を教えることになった。
天正8年【1580年】8月
8月中頃、義兄上は突如として、長年仕えてきた宿老や家老達の追放を行いだした。
その中には、先頃本願寺への使者として行ってくれた佐久間信栄殿と父・信盛殿や、林秀貞殿、安藤守就・尚就親子、丹羽氏勝殿等……ほか幾人もの宿老職、家老職の方々が追放された。
その中には、東播磨の荒木村重・村次親子の名前もあった。その追放令に不服を唱え、改めるよう書状を出したらしいが取り入っては貰えず、追放を受けた者達は東播磨の各城に集い篭り、反旗を翻した。
その追放された者達の『罪科改状』を義兄上に持っていったのは、俺なんだけど……追放を取り消す言葉は得られなかった。
播磨の明石港に『香取』を接舷することにした。『蒸気船』の方は、九州に向かった一向宗徒達への、武具や軍糧を送るのに使っていた。
反旗を起こす『七日前』に訪ねた時は……
「儂は謀反を起こすつもりは無い。だが上様の返答次第ではそうなるやもしれん……」
とは言っていたのだが明石港で、その反旗の報を聞いた時は、歴史の修正力を疑った。
急ぎ村重伯父の城に向かって馬を飛ばし、村次義兄上からも説得を頼んだのだが、二人は頑固として意地を通す様子だった。
村重伯父の正妻『たし』様に取り次ぎをして貰い、上級下級問わず女子供は避難するように、取り計らうように説得を行った。
翌月、説得には多少時間がかかったか、戦には無関係な者達だけでも避難させることには了承したが、それでも残る者達も多数居た。
その多数の中には伯父の妻『たし』様に、村次義兄上に嫁いでいた義父上の娘、『凛』殿も居た。
「たし様、凛殿!このままでは、一族郎党が死んでしまいますよ。それでも残りになるのですか!」
「それでも私には、武家の妻としての意地があります。」
「凛殿、意地だけで死ぬつもりですか、子らも巻き込んで!意地だけでこの状況から、起死回生があるとでも言うのですか!」
「誰か、客人のお帰りです。門の外にお連れしな……!?」
さい……と、たし様が言い切る瞬間、思わず掌打を打ち込み首に手刀を打ち込んでいた。
やべー、思わず気絶させちゃったよ……とりあえず連れて逃げるか!
と思ったところ、たし様の隣に居た義姉の凛殿に声を上げられそうになり、同じ処置をしてしまったので、村重伯父と村次義兄の御二人に宛てた、後置き手紙近くの柱に刺しておいた……。
「荒木の伯父上と義兄上へ、奥方である『たし様』と『凛』殿を返して欲しかったら、明日の『夜四つ』【現在の22時頃】までに、明石の湊まで来るように!来なかった時は……上様の元に、御二人を連れて行かなければ行けなくなりますので、お覚悟の程を!」
あとは~炙り出しでも、こんな風に書いておくかw
「さすがに上様にお渡しするのは、勿体無いと思ったので、期限までに来れない時は寝盗りますよ!それでも宜しいのなら、城の奥に隠れて、ガタガタ震えながら、奥方である『たし様』と『凛』殿が美味しく戴かれるのを、臍でも噛んで悔しがってください!」
あれ?こっちの方が、主文の様になったような気もするが、この置き手紙を近くの柱に小柄で刺しておいて、退散するとしますかw
翌日この文章の内容を、たし殿にお話したら激怒されたのだが、荒木の伯父上は『夜四つ』過ぎても現れず、……翌朝の明六つ【現在の6時頃】に一人の老人が手紙を持ってきて、こちらに渡した後何処へと去っていった。
「手紙から橘の香匂がしたから、炙り出しの悪戯と解った物を……儂は『たし』が無事に生きていてくれるなら、それだけで十分だ!だが信長様の彼の方々の追放処分は受け入れることが出来ん!明日は我が身……播磨東半国を賜っては居るが、儂がそうなってもおかしくも無い。この手紙を受け取ったのは朝方であろう?明日の昼までには其方に向かって、城に残る若衆を放り出す!受け入れてくれ。無事会える事に、祈りでも上げておいてくれ。」
あ~やっぱり伯父上も、そこらの不安が合ったんだ。
ん?まだ続きがあるぞ?
「追伸 義弟よ!俺の『凛』を寝盗ってみろ!地獄の果てまで追いかけて、その首を獲りに行くから覚悟しておけい!」
うん、これだけの元気があるなら、きっと大丈夫だろうw元から寝とるつもりもないしねw
さてと、たし殿と凛殿にこの手紙を見せてあげるか。二人共、生きて二人の元に戻る意思があるみたいだしな。
翌9月、女子供と城を追い出された若衆を船に乗せ、明石港から伊勢国の那智に向かうのだった。
天正8年【1580年】10月
安土城下に学問所を作る計画を、義兄上に上奏した。学問所の名前としては『淡海安土学問所』と着けることも報告した。
学問所も北と南の二ヶ所と、土地を確保し教職員も試験と面接を行い、学力があり偏った考え方をしない武家の次男三男を確保していった。
教えるのは、『四則演算』と『ひらカナ漢字』の基礎的なものだ。それだけでも、出来るようになれば内政官としては、優秀な部類にはいるからね。土倉連中の違法利子にも、対抗出来るようにもなるだろうし……いや、出来るようになってもらわねば!
十月も中頃にさしかかった頃、『鞍馬流』も関係者と接触できたとの報を聞くことになった。
ただ、その報を持ってきた者が半年前に店の面談に合格した者で、その従業員が『鞍馬流』の下忍の身分に辺り、何時こちらと接触しようかと時期を探っていたらしい。
ちゃんと伊賀衆とは別に、鞍馬流用の雇用契約の話しもしたぞ。
先ず一つ目は、『7日交代で二人一組による我が子達の護衛』、二つ目は『支店への応援要員』……え、もう応援に入ってる?なら、『西側諸国【中国地方や九州地方】の情報収集』を担って貰うことにした。
伊賀衆は西側への負担が減ったので、人員を交代で東側諸国の情報収集に当たって貰うことにした。
俺の前に現れた、鞍馬流の当代当主は女性だった。名を尋ねたら『翠』と名乗った。
何でも男衆は、義父上の丹波攻めにおける情報収集を行っていた際に、丹波の波多野家の村雨衆との遭遇戦で、先代当主や次期当主も含めて、手痛い打撃を被ったそうだ。
そういう風に聞いてしまうと、先代達は亡くなったと思うだろうが、ちゃんと生きているとのことだ。ただ忍働きは出来ない状態になったらしいが、身辺警護ぐらいまでなら出来る状態ということだ。
合議の末、当代当主は目の前にいる女性になった、と言うことらしい。
ここで突っぱねるのも可哀想だし、このまま衰滅していくのも忍びないので、雇い入れることにした。
情報収集は、まだ若い男衆がやるとの事だ。しばらくは三人一組制で行動してもらうことになった。これは伊賀衆とも相談しての事だ。
あ、装備品は伊賀衆と同じ物を、渡しているぞ。
天正8年【1580年】11月
船による、本願寺一向宗の九州先遣隊の移送と資材搬入が完了し、蒸気船を堺港の沖合に着ける事になった。
歴史もだいぶ変わった。この月に行われたはずであった、北陸方面軍の柴田勝家が加賀一向一揆を鎮圧という事象は無くなっている。
その一方で遠江では、徳川軍による高天神城の包囲が行われていた。
え、以前取り返しただろうって?取って取られてを繰り返されてた見たいなんだ。
現在、高天神城は武田軍に抑えられている状態で、徳川軍が城を囲んでいる形だ。
城将は岡部元信、あれ?確か元今川家の武将だったよね……?今川家が無くなった後、武田に仕えたのか。
まだ長引きそうだから、様子見って所かな?
天正9年【1581年】1月
歴史実による『本能寺の変』まで、あと1年と半年になった……正直、止められる自信がない。
足りないんだ、主要人物になる人物達が、未だ足りないんだ。
俺の中での主要人物としては、義兄上・織田信長、義父上・明智光秀、徳川三河守家康、織田信忠、黒人侍・彌助と他にも居そうだが、俺の中ではこんな感じだ。
一番厄介なのは、彌助がこの日ノ本に来ているかなんだよな?
天の声【この時、主人公は彌助が日本に来ている事は知りません】
正月初めの年始出仕は全員免除された。大晦日の夜から翌日の夕刻まで、激しく雨が降り続いたからだ。
一月も中程が過ぎる頃、義兄上は義父上に京都で馬揃えを行うので、出来得る限り華美に着飾って出場するように、朱印状で国々に指令を出させた。
それもあってか、家の儲け【派手物取り扱いで】は鰻登りだったが、唐突すぎるんだよな!
二月二十日、義兄上は京都本能寺に入った。その数日後、切支丹の巡察師『アレッサンドロ・ヴァリニャーノ』が、『黒人初の侍』で俺の中での主要人物ある『彌助』を連れて、義兄上に面会を求めてきた。
日ノ本に初めて訪れた黒人だ!そりゃ珍しいよなw肌が本当に黒いのか、何度も小姓の森蘭丸に拭かせてみたりしたが、肌の黒艶が際立ったぐらいだw
彼、彌助こと「ヤーシェル」が気に入ったんだろうね、ヴァリニャーノに対し、彼を家臣にしたいと言って譲って貰った。
これは史実通りだな。
彌助を残し、ヴァリニャーノ達が退出した後、義兄上は彌助に、
「何か必要な物があるなら、お主の右手側に座っている商人、那谷右衛門に頼むと良い。取り寄せられない物は、無いと言って良いぞ!」
と言ってきた、無茶振りも良いところだ。
「上様、私でも取り寄せられる物と、そうでない物が御座いますよ」
と言っておいたが、そうは思ってはいないだろうな。その時ヤーシェルは『え、誰コイツ!?こんな奴知らないぞ!』という顔をしていた。
ん?なんで初対面の人にそんな顔されなきゃならんの?
2月末、京の内裏の東側に馬場を築き上げ、『馬揃え』現在の軍事パレードが行われた。
最近の厚さと気温の上下が激しい?せいで多少バテ気味になっています
制作は遅延しまくりだと思いますw
今話の最後のほうでの『彌助さんの反応』は、
ちょっとした伏線?になるかもしれない?
歴史実による『本能寺の変』まで、あと1年と半年ですからね~
『アイツは悪者で確定』なんですけどね、光秀と主人公はどうなるかは
まだちょっとあやふや状態にしてます




