第6話 デートより皿洗いがしたいんです!?
休日の朝八時。目覚めた瞬間、視界が真っ赤な警告色に染まった。
【本日の強制イベント:三件同時発生!】
【①水瀬美月と新作スイーツ食べ歩きデート】
【②星野小春と新作ゲーム発売日デート】
【③立花凛としっとり写真散歩デート】
《おはようございます、悠様。本日は正規ルート挽回の特異日です✨ 三名のヒロインの中から、最低一名をお選びください》
「選択肢が全部デートじゃねえか。俺のスケジュール帳を見ろ。今日は日曜。つまり喫茶ミモザが一年でいちばん混む日だ」
《関係ありません。ヒロインを選んでください》
「凛の第二試験も今日なんだよ。『休日の店で、あんたの働きぶりを見せなさい』って言われてるの! 第一試験の地獄の修羅場接客を、まぐれって言われたままで終われるか。デートしてる場合じゃない!」
《デートしてください!! 皿洗いはデートではありません!!》
「うるさい、俺はデートより皿洗いがしたいんです!?」
《本日の労働が正規ルートの好感度に与える影響:ゼロです。むしろマイナスです》
「知ってる。でも凛花さんの店が回らないことのほうが、俺の人生にとっては大惨事なんだよ」
《その価値観が、すでにバグです!?》
自分で言ってて悲しくなる台詞ナンバーワンだった。だが本心だから仕方ない。ヒロインより、お義母さんを攻略する。そのためなら俺は今日、水仕事で指がふやけても構わない。寝癖を直し、動きやすい服に着替えて、俺は家を飛び出した。
角を曲がった瞬間、甘い匂いの待ち伏せに遭った。
「ゆーくん、奇遇だね。新作マカロン、試食していかない?」
幼なじみ・水瀬美月。手には実家の洋菓子店のロゴ入りバスケット。完全にイベント会場のそれである。視界の端で【デート①開始条件:試食】が点滅した。
「一個だけな!」
俺は走りながらマカロンを口に放り込んだ。……なんだこれ。外はさっくり、中はしっとり、幸せの味がする。
「美月、これ店に出せるどころか海外で戦えるレベルだぞ! 感想は以上! じゃ!」
「食べ逃げ!? ゆーくん、それはない!」
背中に正論が突き刺さる。すまん美月。でも今日の俺には戦場がある。
駅前では後輩・星野小春が、両手にゲームショップの袋を提げて仁王立ちしていた。
「先輩! 今日は『スターフォール戦記』の発売日です! それってつまり、一緒に並んで開封の儀を執り行う歴史的な日ということで、それってつまり実質デートというやつなのでは…!」
「小春、その早口とゲーム愛はいつか絶対に仕事になるから大事にしろ! 開封の儀はまた今度な!」
「えっ、先輩いま何か予言めいたこと言いました!?」
振り切った。走る。走る。ナビが視界に緑色の誘導矢印を出してデートスポットへ導こうとするので、全部逆方向に曲がってやった。回避成功の文字が流れるたび、《ああっ、イベントが、イベントがぁ…!》と悲鳴が響く。ちなみに③の凛はと言えば——。
《……報告します。立花凛は、デート会場ではなく喫茶ミモザに先回りしています。試験官として》
「メインヒロインが自分のデートイベントをすっぽかして、俺の試験監督してるんだが!?」
《本システムも初めて見る挙動です!?》
ヒロインの職務放棄に、システムが頭を抱えていた。
喫茶ミモザの木の扉を開けると、ドアベルの音が満席の喧騒にかき消された。日曜のミモザは予想通りの戦場だった。カウンターの中で凛花さんがひとり、注文取りと珈琲淹れと会計を同時にこなし、それでも伝票は積み上がっていく。
「あらあら、悠くん。ごめんなさいね、今日はゆっくりお話しできそうに——」
「凛花さん、俺、今日は客じゃないです。厨房、借ります!」
カウンターの端では、腕組みした凛が試験官の顔で座っていた。首から提げたカメラが、きらりと光る。
「第二試験。今日一日、この店の役に立ってみなさいよ。サボったら全部撮って、お母さんに提出するから。……口だけじゃないならね」
「望むところだ!」
俺はエプロンを借り、シンクの前に立った。目の前には皿の塔。だが前世、社会人時代に鍛えた洗い物の手際を舐めるなよ。洗う、すすぐ、拭く、しまう。無心。無我。皿洗いとは禅である。
【スキル:社畜の手際 発動!】
「そのスキル名やめろ」
皿の塔を崩し終えたら、次は配膳だ。ピークタイムは怒涛だった。「アイスコーヒー二つ、片方ガムシロ多めね!」「かしこまりました!」「お会計お願い!」「ただいま!」——四番テーブルにナポリタン、窓際にミモザブレンド二つ、常連のおばあちゃんには言われる前に「いつもの」プリン。三十八歳への恋心で通い詰めた俺は、この店のメニューと常連さんの顔を全部覚えている。我ながら気持ち悪い特技だが、今日だけは胸を張らせてくれ。
「悠くん、六番さんにケーキセットお願いします」
「はい!」
「あらあら、頼もしいですねえ」
凛花さんがふわりと笑った。心臓が跳ねる。だめだ、今は攻略じゃない、労働だ。俺は煩悩を泡と一緒に排水口へ流した。
もっとも、いいところばかりでもなかった。満杯のトレイを運ぶ途中、俺は椅子の脚に躓いて、世界がスローモーションになった。宙に舞うミモザブレンド。終わった——と観念した瞬間、横から伸びた白い手が、カップをふわりと受け止めた。一滴もこぼれていない。
「おっとっと。あらあら、惜しかったですねえ」
「り、凛花さん、今の完全に達人の動きでしたけど!?」
「ふふ。十八年、この店で同じ失敗をしてきましたから」
そう言って笑う横顔に、ゲージとは関係なく見惚れた。十八年。凛が生まれた頃から、この人はずっとこのカウンターの中で立ち続けてきたのだ。俺の皿洗いなんて、その年月の前では一日分の水滴みたいなものだけど——それでも、今日この人の荷物を少しでも軽くできるなら、それでいい。
凛はその間も、カウンターの端からカメラを構え続けていた。俺が失敗する決定的瞬間を狙う報道記者の目である。残念だったな、シャッターチャンスはやらん。
《悠様。正規イベントを三つ捨てた結果が、この無償労働です。虚しくありませんか?》
「全然。最高の休日だね」
《本システムには理解できません!?》
午後、事件が起きた。店の隅で、五歳くらいの女の子がひとり、ぐすぐすと泣き始めたのだ。商店街でお母さんとはぐれて、開いていた扉から迷い込んだらしい。店内が、ざわ、と揺れる。
「まかせてください」
俺はしゃがんで目線を合わせ、紙ナプキンをくるくる折って、不格好なうさぎを作った。前世で甥っ子をあやして鍛えた技だ。女の子の涙が、ふ、と止まる。
「おにいちゃん、ここのてんいんさん?」
「見習いです」
凛花さんがあたたかいココアをそっと差し出して、「お母さん、すぐ見つかりますからね」と魔法みたいな声で言った。俺は商店街へ走り、青ざめて捜し回るお母さんを三分で見つけて連れてきた。
「ありがとうございます、本当に…!」
親子が何度も頭を下げて帰っていく。常連さんたちから小さな拍手が起きて、俺は照れ隠しに空いたカップを下げた。
その瞬間だった。
【立花凛花:好感度+10!】
【立花凛:警戒度-5!】
「二重表示きたあ!」
《前代未聞です。試験官の警戒度が下がっています!?》
振り向くと、凛がカメラを構えたまま、ばつが悪そうに顔をそむけた。
「べ、別に今のはお店のためを思っただけで、あんたを認めたわけじゃ……ま、まあ、皿洗いだけは、ちょっとだけ、認めてあげなくもないけど」
「今の台詞、録音しとけばよかった」
「は? 意味わかんないんだけど。消しなさいよその顔!」
ツンの砦が、確かに崩れかけている。夕暮れの店内はやわらかい光で満ちて、凛花さんは「今日は本当に助かりました♡ お給料の代わりに、特製プリンで許してくださいね」なんて言ってくれた。
夕日がカウンターを飴色に染めて、洗い場の水音まで優しく聞こえる。デートイベントを三つ捨てて手に入れたのは、ふやけた指先と、特製プリンと、この景色。ナビには一生理解できないだろうが、俺にとっては、これこそが最高のデートだった。世界は完璧だった。——そう、この時までは。
カラン、と。
ドアベルが、その日いちばん綺麗な音で鳴った。
入ってきたのは、仕立てのいいスーツを着た大人の男性だった。歳は四十を少し越えたくらい。上品な立ち姿に、落ち着いた微笑み。そして手には——花束。
「こんばんは、凛花さん」
「あら、黒田さん。いらっしゃいませ」
常連らしい。黒田と呼ばれたその人は、店内をゆっくり見回して目を細め、それから真っ直ぐに、凛花さんだけを見た。
「今日は客としてではなく、お伝えしたいことがあって来ました。……大切な話があります」
——花束を抱えた大人の恋敵の登場に、俺の視界の好感度ゲージは、音を立てて凍りついた!?




