第5話 母に近づく資格試験、開幕!!
「資格試験、って言ったわよね」
夕暮れの喫茶ミモザ。閉店の札をひっくり返した店内で、立花凛は腕を組み、裁判長のような目で俺を見据えていた。首から提げた一眼カメラが、取調室のライトみたいに光っている。昨日この店に鬼の形相で乗り込んできた最初のボスは、どうやら本日、第二形態に進化したらしい。
「あんたが本気なのか、母目当ての不審者なのか。私がこの目で確かめる。試験は全部で三つよ」
「三つ!?」
「一つでも落ちたら、二度とこの店の敷居をまたがないで」
【クエスト発生:母に近づく資格試験・全三回】
視界の端に、頼んでもいないウィンドウが景気よく躍り出た。ご丁寧にファンファーレ付きだ。
《おめでとうございます! メインヒロイン・立花凛との絆イベントが発生しました!》
「ナビ。どこがめでたいんだ、どこが」
《試練を乗り越えた二人の距離が縮まる、正規ルートの王道展開です♡》
「縮めたいのは凛花さんとの距離なんだが」
《その発言が全ての元凶です!?》
脳内の絶叫は無視した。カウンターの奥では、当の凛花さんがトレイを胸に抱え、あらあら、と困り顔で俺たちを見比べている。エプロン姿で小首をかしげる三十八歳。天使だった。天使がコーヒーを淹れていた。
「凛ちゃん、お客様に試験だなんて……」
「お母さんは黙ってて。こういう害虫は早めに駆除しないと」
「害虫」
二十年の人生で初めていただく称号だった。【称号獲得:害虫(娘認定)】。システムまで乗っかってきた。誰得だこの機能。
「で、第一試験は?」
「明日の午後。この店が一番混む時間帯があるの。その修羅場を、お母さんの隣で乗り切ってみせなさい。接客、配膳、皿洗い、全部よ」
働きぶりを見る、ということらしい。望むところだ。前世の俺は飲食バイト歴三年。ホールの動きなら体が覚えている。
「受けて立つ」
「ふん。せいぜい吠えてなさい」
凛はカメラを構え、カシャリと一枚、俺を撮った。
「証拠写真。逃げた時に大学中に貼るから」
「使い方が完全に脅迫なんだよなあ!?」
帰り道、俺は夜空に向かって自問した。ヒロインより、お義母さんを攻略します。これは間違いでしょうか。
『キミと恋するアルバム』——通称キミアル。前世で全ルートをやり込んだ俺は知っている。凛ルートでも、美月ルートでも、小春ルートでも、エンディングの片隅で凛花さんはいつも独り、静かに店の灯りを落とすのだ。あんなふうに笑う人が、だ。
……間違いじゃない。だったら攻略対象外だろうが何だろうが、俺がこの手で隠しルートを切り開く。試験の三つや四つ、受けてやろうじゃないか。
翌日の午後二時。喫茶ミモザは、まだ穏やかだった。
「悠さん、エプロンはこちらですよ。ふふ、店員さんみたいですねえ」
「みたい、じゃなくて今日は店員です。びしばし使ってください!」
「あらあら、頼もしいこと✨」
凛花さんがふわりと笑い、俺の心拍数が危険域に突入する。落ち着け俺。今日は点数を稼ぐ日じゃない。信用を積む日だ。
窓際の席では、凛が審査員よろしくノートを広げ、カメラを構えていた。飲み物はお冷やのみ。徹底した中立姿勢である。
その時だった。
《警告。選択肢外行動が連続して継続しています》
ナビの声が、一段低くなった。
《システムはこれより、正規ルートへの是正措置を実行します》
「おい、待て。嫌な予感しかしないぞ」
《強制イベント『幼なじみの差し入れ』『後輩との遭遇』——同時発生します》
「同時!?」
カラン、とドアベルが鳴った。
「ゆーくん、いる? 新作のマドレーヌ焼けたから味見して——って、そのエプロン何!?」
幼なじみの水瀬美月。手には焼き菓子の紙箱。実家が洋菓子店の彼女は、暇さえあれば新作を焼いては俺に押し付けてくる。しかも悔しいことに毎回うまい。
カラン、とまたドアベル。
「あーっ! 悠先輩発見です! 聞いてください、新作の携帯ゲーム機を買ったんですけど協力プレイの相手が誰もいなくてですね、あ、この店Wi-Fi飛んでます? 飛んでますね? つまり!」
ゲーム機を抱えた小柄な後輩、星野小春まで転がり込んできた。早口が機関銃のようだ。つまり、で何もつながっていない。
《さらに——団体様のご来店です♡》
「は?」
ドアベルが連打された。カラン、カランカラン。商店街の会合帰りらしきおじさまおばさま、総勢十二名。
【接客難易度:地獄級】
「ここでその表示を出すのやめてくれない!?」
地獄が、開店した。
「ホットコーヒー四つ、紅茶三つ、ナポリタン五つ、ミモザ特製プリン六つ……りょ、了解です!」
「ゆーくん、私のマドレーヌの感想は!?」
「先輩! 協力プレイ、今なら経験値二倍イベント中でして!」
「後にしてくれ二人とも!」
トレイを三枚同時に運ぶ。前世のバイト経験、フル稼働。だが敵は物量だけじゃなかった。
《強制イベント進行中。美月の好感度が上昇しています》
「なんでだ!? 俺いま完全に塩対応だぞ!?」
《塩対応に照れを検知しました。少女漫画的解釈です》
「システムの解釈がガバガバすぎる!」
《なお小春の好感度も微増中です。理由:一緒の空間で忙しいのが楽しい、とのこと》
「理由が自由すぎる! 頼むから全員通常営業に戻ってくれ!」
皿が積み上がる。注文が飛び交う。小春はテーブルの隅で勝手に対戦相手を募集し始め、気づけばおじさま二名が参戦していた。何のイベントだこれは。凛のカメラが、俺のよろける瞬間だけを的確に連写していく。性格が悪い写真家である。
限界が近い。手が滑り、プリンの皿が宙に舞う——。
「はい、大丈夫」
ふわり。凛花さんの手が横から皿を受け止めた。
「悠さん、深呼吸。お盆は胸の高さ、歩幅はいつもの半分。ね?」
「は、はい!」
「ご注文は私が巻き取ります。悠さんは配膳と下げ物だけ。それなら回りますから」
おっとりした声のまま、指示だけが恐ろしく的確だった。この人、天然に見えて、店を何年も一人で回してきた歴戦の店主なのだ。見惚れている場合じゃないのに、ゲージひとつ動いていないのに、胸の奥が勝手にあたたかくなる。ああ、俺はやっぱり、この人を——。
《作業に集中してください。お皿が泣いています》
「お前にだけは言われたくない!」
「美月さん、でしたっけ。そのマドレーヌ、少し分けていただけます? 小腹の空いたお客様にお出ししたくて」
「え、私のを、お店で……!? は、はい! 喜んで!」
「小春さんはそのゲーム、あちらの坊やに見せてあげてくださいな。さっきから羨ましそうですから」
「任されました!」
嵐のようだった店内が、凛花さんの一声ずつで、すとん、すとんと収まっていく。魔法だ。俺は配膳に集中し、皿を下げ、水を注ぎ、マドレーヌを運び——気づけば、最後のお客さんが満足顔で扉を出ていった。
カラン。ドアベルの音が、やけに優しく聞こえた。
「マドレーヌ、完売しちゃった……。私のお菓子が、お店で、売り物みたいに……」
美月が空の紙箱を抱きしめて震えている。その目は、うっすら潤んでいた。
「小春はあの坊やと友達になりました! 本日の対戦相手リスト、プラス五名です! この店、聖地です!」
なぜか俺より充実した顔の二人が、「また来るね」「また来ます!」と嵐のように帰っていく。……あいつら、試験の妨害に来たはずだよな?
「お疲れさまでした、悠さん」
凛花さんがタオルを差し出してくれる。
「最後まで、一度も投げ出しませんでしたね。ふふ、立派な店員さんでした」
【好感度+5!】
出た。数字が、出た。たった5。されど5。俺は膝から崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。
《……信じられません。強制イベント三重発生下で好感度が上昇するのは、観測史上初です》
ナビの声が、どこか呆然としている。いい気味だ。
窓際の席。凛はノートをぱたんと閉じ、そっぽを向いていた。
「……まぐれよ」
「今、そのノートに丸をつけなかったか?」
「つけてない! 消した! いい、勘違いしないで。お母さんに助けられてただけじゃない。あんた一人だったら全滅してたわ」
「それは、まあ、否定できない」
「素直か」
凛は立ち上がり、レンズキャップをはめて俺を睨んだ。その頬が少しだけ緩んでいたのは、たぶん見間違いじゃない。
【娘の警戒度-10!】
よし。マイナスだ。着実に削れている。残り九十だが。
「第一試験は……仮合格。言っとくけど、次からが本番だから」
「望むところだ」
「第二試験は休日。予定、空けときなさい。——泣いても知らないから」
凛の口元が、悪い審査員の形につり上がる。休日、という単語に、ナビが《休日イベントは当システムの独壇場です♡》と不穏に喜んでいた。
——嫌な予感しかしない休日が、足音を立てて近づいていた。




