第4話 最初のボスは、娘でした!?
【対象不明・好感度+3!】の余韻がまだ胸の奥であったかい。あの表示から三日、俺は講義の合間を縫って喫茶ミモザに通い続けていた。本日で来店五回目。カウンター席の右から二番目は、もう俺の指定席だ。
「悠くん、今日はブレンドでいいですか?」
「はい! あ、名前……覚えててくれたんですか!?」
「ふふ、常連さんの名前を忘れるわけないですよ」
凛花さんはそう言って、小さな紙のカードを差し出した。ミモザの花のスタンプがひとつ押してある。
「常連さん認定です♡ スタンプが十個たまったら、ケーキを一つサービスしますね」
――認定。常連さん、認定。今この瞬間、俺は認定された。
【好感度+5!】【称号獲得:ミモザの常連さん✨】
視界の隅で祝福のエフェクトが弾けた。やった。やったぞ俺。前世でこのゲームを百周した俺でも見たことのない称号だ。前世と今世、二つの人生を合算して、いま間違いなく最高到達点にいる!
《落ち着いてください。スタンプカードは全常連に配布される販促物です。特別なイベントアイテムではありません》
うるさいぞナビ。俺の脳内に住み着いたこのゲームシステム音声は、俺が幸せになるたび真顔で水を差してくる。
《それより警告です。あなたはこの三日間、正規ヒロインとの接触イベントをすべて放棄しています。昨日は水瀬美月との学食ランチイベントを無断欠席。一昨日は星野小春との中庭イベントを素通り。このままでは『キミと恋するアルバム』のシナリオ進行に重大な支障が――》
「シナリオより目の前のスタンプなんだよなあ」
「え? スタンプがどうかしました?」
「いえ何でも! 大事に貯めますという決意表明です!」
凛花さんはあらあら、と口元に手を当てて笑った。その笑顔一つで店内の照度が上がる。三十八歳、シングルマザー、喫茶店経営。ゲーム上の扱いは「凛ルートの背景キャラ」。そんな雑な認識をしていた前世の俺を殴りたい。この人は背景なんかじゃない。この物語の、隠れた主役だ。
俺がカップに口をつけた、その時だった。
カラン! と木の扉のドアベルが鳴った。いつもより三倍くらい強く。
「いらっしゃいませ……あら、凛?」
振り向いて、俺は固まった。
立花凛。青栄大学一年、十八歳。本来この物語のメインヒロイン。その凛が、鬼の形相で入り口に仁王立ちしていた。肩には通学バッグ。そして首からは、ごつい一眼のカメラを提げている。
【警告! メインヒロインが接近中!】【娘の警戒度:85】
85!? 初対面の時は「今の人、何?」程度だったはずだろ!? いつの間にそんなに積み上がった!?
《分析します。三日前の閉店間際、窓の外からあなたを目撃した時点で70。以後、母親の口からあなたの話題が出るたびに加算されています》
凛花さん、家で俺の話してくれてたのか……♡ いや喜んでる場合か。ゲージが赤い。完全に敵対色だ。
凛はつかつかとカウンターまで歩いてくると、俺の顔を真正面から睨みつけた。そして無言のまま、首のカメラを構える。
カシャ。カシャカシャ。
「え、あの、立花さん? 何を」
「証拠写真。動かないで」
カシャ。至近距離で連写された。アイドルの囲み取材でも、もう少し優しいと思う。しかもレンズの動きに一切の迷いがない。素早く絞りを合わせ、逆光を避けて半歩動き、俺の間抜け面を最高画質で切り取っていく。
「……今の構図、めちゃくちゃ上手くないか?」
「は? 当たり前でしょ、毎日撮ってるんだから……って、褒めても無駄だから!」
一瞬だけ得意げになりかけて、慌てて眉を吊り上げ直した。なるほど、写真が好きなのは本当らしい。
「はい撮れた。……ねえ、あんた。佐伯悠、二年生。三日連続でうちの店に来てるでしょ」
「五回目です」
「自白したわね」
しまった。正直は美徳と信じて生きてきたが、今のは完全に供述だった。
「お母さん、この人がそうよ。入学式の日、いきなり奇声あげて走ってきた不審者。しかも次の日からお母さんの店に通い詰め。手口が完全にアレじゃない」
「あらあら。悠くんは傘を拾ってくれた親切な人ですよ?」
「親切な人は初対面の相手の店を五回も張り込まないの!」
張り込みって言うな。通い詰めと言え。いや、同じか。
凛はカメラを下ろすと、腕を組んで俺を見下ろした。
「単刀直入に聞くけど。あんた、私が目当てでしょ」
「……はい?」
「とぼけないで。私に直接近づくと警戒されるから、先にお母さんと仲良くなって外堀を埋める作戦。よくあるのよ。お母さん美人だし、店やってるし、変な男がしょっちゅう寄ってくるの。でもあんたのは特に悪質。娘の私を落とすために、母親を利用しようとしてる」
……なるほど。完全に逆だ。逆なんだけど、状況証拠だけ見れば筋は通ってる。ゲーム的に言えば、主人公がヒロインの母親に接触するのは好感度稼ぎの布石。それが正規の攻略チャートだ。凛は何も知らないまま、システムの想定通りの読みをしている。
《補足します。彼女の推理は本作の正規攻略手順と完全に一致しています。つまりあなたが「まとも」なプレイヤーなら、そうしているはずでした》
まともじゃなくて悪かったな!
「違うんだ、立花さん。誤解だ」
「何が違うの」
「俺は君目当てじゃない」
「はあ? じゃあ何目当てよ。まさかスタンプ十個のケーキ?」
言え。言うんだ悠。ここで言葉を濁せば、俺は「目的不明の怪しい男」のまま出禁コースだ。頭の中に、前世で見たエンディングの一枚絵がよぎる。誰のルートを選んでも最後に挟まれる、夕暮れの店先。独りで看板の灯りを消す、年老いた凛花さんの後ろ姿。あの未来を変えるために俺は三番の選択肢を作ったんだ。誠実さだけが、スペックなしの俺に残された唯一の武器だろ。
俺は深呼吸して、立ち上がった。
「俺が攻略したいのは――お母さんの方だ!」
店内が、しん、と静まり返った。
凛の顔から表情が消える。凛花さんはきょとんと首を傾げ、コーヒーサーバーがこぽ、と鳴った。
《……あなたは今、何を宣言したのですか? 娘の目の前で? 正気ですか!?》
「こ、攻略って言い方は語弊があった! つまりその、俺は凛花さんを幸せに」
「お母さんから離れなさいよ、この大バカ変態年上趣味!!」
【娘の警戒度:100】【上限突破・測定不能!】【母ルート進行不能!】
視界が真っ赤な警告で埋め尽くされた。ゲージが振り切れる音を初めて聞いた。ぐわんぐわん鳴ってる。
「よりにもよってお母さん!? 二十歳も離れてるのよ!? 意味わかんないんだけど!」
「十八歳差だ! サバを読むな!」
「そこ訂正する意味ある!?」
「大事なとこだろ!」
「開き直った、この変態!」
《敵対値の上昇が止まりません。推奨行動:土下座、逃走、もしくは記憶が消えるまで再起動》
どれも選べるか! 俺の辞書に撤退の二文字はない。載ってるのは「通い詰め」と「常連さん認定♡」だけだ。
あらあら、と凛花さんだけがのんびり笑っている。
「凛、悠くん、喧嘩しちゃだめですよ。はい、二人ともプリンでも食べて――」
「お母さんは黙ってて! ……ううん、違う。黙ってないで。こういう男は、ちゃんと警戒してよ」
凛の声が、最後だけ小さく揺れた。怒りの奥に、別の色が見えた気がした。父親を亡くしてから、母娘二人きりで守ってきた店だ。ここへ土足で踏み込んでくる男は、きっと全部敵に見える。カメラを構えたのだって、母を守る武器がそれしかなかったからだ。
――だとしたら、この警戒は正しい。まっすぐで、痛いくらいに正しい。だから俺は、ごまかさない。
「立花さん。俺は逃げも隠れもしない。下心があるかどうか、疑うなら、いくらでも調べてくれ」
「……へえ。言ったわね?」
凛はカメラをひと撫ですると、口の端をゆっくり持ち上げた。それは笑顔というより、開戦の合図だった。
「だったら――試験してあげる。あんたに、お母さんに近づく資格があるかどうか、この私が」
「し、試験?」
「そ。逃げてもいいのよ? その瞬間、あんたはただの不審者として出禁だけど」
視界の隅で、赤一色だったはずの警告表示の端に、見慣れない小さな文字が明滅した気がした。読み取る間もなく消えたそれを追う暇はない。目の前のボスが、腕を組んで俺の返事を待っている。
――最初のボスは、まさかのメインヒロインその人でした!? 俺の攻略チャートに、想定外の試験日程がでかでかと刻まれた瞬間だった。




