第19話 裏エンドは、全員が主人公!!
あの青栄祭から、一年が経った。
世界が崩れて、選択肢が消えて、凛花さんが自分の言葉で「好きになったんです」と言ってくれたあの日から、一年。俺、佐伯悠は二十一歳になり、相変わらず喫茶ミモザのドアベルを鳴らし続けている。
ただし今日は、いつもの静かなミモザじゃない。
「せんぱーい! 展示パネル、あと三枚どこ置きます!?」
「ゆーくん、焼き菓子の追加できたよ! 手空いてるならお皿出して!」
「ちょっと悠、私の写真に指紋つけたら殺すから」
「俺は何人いればいいんだ!?」
開店前の店内は、戦場だった。
今日は喫茶ミモザ、初の合同展示会。凛の写真、美月の菓子、小春の自作ゲーム、そして——凛花さんの絵本。四人の「夢の途中」を一つの店に集めた、世界で一番あたたかい文化祭だ。
【イベント:合同展示会『わたしたちの物語』開始まで、残り三十分!】
視界の隅で、ナビが律儀にカウントを出す。あの日システムに反逆して以来、こいつはすっかり俺の相棒ポジションに収まっていた。
《マスター。一年前の展示会は、無断決行により大失敗しました。念のため確認しますが、今回は》
「全員の意思だよ。何回確認するんだ」
《三十七回目です。トラウマですので》
「システムのくせにトラウマあるのかよ!?」
そう。一年前、俺はこの店で凛花さんの絵本を勝手に飾って、静かに怒られて、店を追い出された。あれは俺の独りよがりだった。
でも今日は違う。言い出したのは俺じゃない。——凛花さん本人だ。
きっかけは、一ヶ月前に届いた一通の封筒だった。
あおぞら絵本新人賞、受賞。
『ミモザのまほう』。かつて表紙の隅に「私の物語は、ここでおしまい」と書かれていた、あの手描きの絵本。凛花さんが自分の手で応募用紙を持ち帰り、自分の手で描き直して、自分の意思で世に出した物語が、ちゃんと届いたのだ。
受賞の電話を受けた瞬間の凛花さんを、俺は一生忘れないと思う。受話器を持ったまま固まって、「あらあら」と言ったきり動かなくなって、駆け寄った凛と顔を見合わせて、それから母娘で子どもみたいに泣いた。
そして泣き止んだ凛花さんは、こう言ったのだ。
「今度こそ、みんなに見てもらいたいですねえ。……悠くん、あの時の展示会、もう一度やってくれませんか?」
【好感度+10!】どころの騒ぎじゃなかった。俺はその場で秒でうなずいて、気づけば凛と美月と小春を巻き込んで、今日に至る。
「——よし、パネル固定完了!」
店の壁には凛の写真が並ぶ。一年間、写真家の卵として撮りためた作品たち。雨上がりの商店街、湯気の向こうの常連さん、そして一番いい場所に飾られた、カウンターで笑う凛花さんの一枚。
窓際のテーブルには美月の焼き菓子。ミモザの花を模したレモンクッキーは、来月からの海外製菓留学を前にした、彼女の置き土産みたいな新作だ。
「ゆーくん、味見する? 感想次第では国際便で送ってあげなくもない」
「相変わらず上からだな!? ……うまっ」
カウンターの端では小春がノートパソコンを開いている。画面の中では、ドット絵の喫茶店を舞台にした自作ゲームが動いていた。タイトルは『まほうの喫茶店』。専門学校と大学の掛け持ちで作り上げた処女作だ。
「先輩! これ実は隠しルートがあってですね、店長さんを幸せにすると真エンドに入る仕様でして、つまり元ネタは言わなくてもわかりますよね早い話があなたです!」
「早口で全部言ってるじゃねえか!」
そして店の中央、一番やわらかい光が差す場所に、『ミモザのまほう』の原画が並んでいた。
描き直された表紙の隅には、新しい手書きの文字がある。
——私の物語は、ここからはじまり。
開店時間になった。
ドアベルが鳴る。鳴り続ける。常連さんたち、大学の友人たち、噂を聞きつけた近所の人たち。狭い店はあっという間に満員になり、凛の写真の前で足を止める人、美月のクッキーに歓声を上げる人、小春のゲームに白熱する子ども、絵本の原画の前で目元を押さえるおばあちゃん。
【来場者数:想定の三倍!】【全員好感度:計測不能✨】
《マスター。本イベントには攻略対象が存在しません。誰も攻略していないのに、全員の数値が上がり続けています。バグでしょうか》
「バグじゃないよ」
俺は店内を見回して、少しだけ胸が詰まった。
「これが裏エンドってやつだ。主人公が一人もいない代わりに——全員が主人公なんだよ」
《……記録します。データにない、最良のエンディングとして》
エプロン姿の凛花さんは、ずっと笑っていた。絵本を読んでもらう子どもたちに囲まれて、「あらあら」「ふふ、ありがとうございます」と忙しく、幸せそうに。三十九歳になった彼女は、俺が知るどのスチルよりも輝いていて、俺は配膳しながら何度も見とれてはコップを傾けかけた。
「ちょっと悠、手が止まってる」
「止まってない。心が止まってただけだ」
「気持ち悪いこと言ってないで四番テーブル!」
凛のツッコミも、この一年ですっかり気安くなった。母目当ての危険人物と警戒されていた頃が懐かしい。今の警戒度はたぶん、限りなくゼロに近い。
午後、ドアベルを鳴らして入ってきたのは、意外な——いや、来てくれると信じていた人だった。
「盛況だね。経営コンサルタントとしては、席の回転率が心配になるくらいだ」
「黒田さん!」
一年前、青栄祭で自ら台本を破って身を引いた大人の恋敵は、あの日と同じ穏やかな顔で花束を——今度は祝福だけの花束を、凛花さんに差し出した。
「受賞、おめでとうございます。……いい店になった。いい顔をしている、みんな」
「黒田さんのおかげでもあるんですよ。経営のご相談、いつも助けていただいて」
「仕事ですから。ああそれと、若造」
黒田さんは俺の肩を軽く叩いて、絵本の原画を眺めながら言った。
「あとは任せた、と言ったのを覚えているか。……いい引き継ぎだったよ。若いというのは、それだけで武器だが——本気というのは、年齢すら武器にする。勉強させてもらった」
「黒田さん……俺、あんたみたいな大人になります」
「やめておけ。君は君のままで、十分うるさくて面白い」
【ライバル好感度:友情値に変換されました✨】
こういう大人に、俺はちゃんと勝ったんじゃない。認めてもらったんだ。それがどれだけ贅沢なことか、今なら少しわかる。
事件は、展示会も終盤という頃に起きた。
常連のおばあちゃんが、ニコニコと俺と凛花さんを見比べて言ったのだ。
「悠くんはあれかい、この店の跡取りさんかい?」
店内の視線が集まる。凛花さんがほんのり頬を染めて「ええと、その」と言いよどんだ、その時だった。トレイを持った凛が、実にさらっと言った。
「跡取りっていうか、未来のお父さんですけど」
「ぶっ!?」
俺は噴いた。店内は一瞬静まり、直後に大爆笑の渦になった。
「り、凛さん!? 今なんて!?」
「事実でしょ。……あ」
言った本人が一番固まっていた。耳まで赤くなった凛は、トレイで顔を隠しながら早口で叫んだ。
「ち、違うから! 今のは言葉のあやで、別にあんたを認めたとかそういうんじゃ——もう! 笑うな常連ども!」
【娘の警戒度:マイナス値を検出!】【称号『未来のお父さん(仮)』を獲得しました✨】
《おめでとうございます、マスター。メインヒロインからの公式認定です》
「仮って何だ、仮って!」
ツッコミながら、俺は笑いが止まらなかった。凛花さんも口元を押さえて肩を震わせていて、美月は「ゆーくんがお父さん……世も末……」と真顔で呟き、小春は「実装before公式が動いた!」と謎の歓声を上げていた。
ひとしきり笑いが満ちた店内で、俺はふと思った。
一年前、俺は「救う」なんて言葉を振り回して、一人で空回っていた。でも本当の隠しルートは、誰かが誰かを救う物語じゃなかったんだ。凛花さんが絵本を描き、凛がシャッターを切り、美月が旅立ちを決め、小春がゲームを作る。それぞれが自分の物語の主人公として歩き出しただけ。俺はただ、その隣を歩かせてもらってる。
——それが、こんなに幸せだなんてな。
やがて日が落ちて、最後のお客さんを見送った。凛は片付けもそこそこに「現像したいから先帰る! ……戸締まり、任せたから」と、妙に含みのある顔で美月と小春を引き連れて出ていった。
静かになった店内。カップを拭く凛花さんと、椅子を上げる俺。ドアベルの余韻だけが残る、いつもの閉店後だ。
「今日は、ありがとうございました。悠くん」
「俺は何も。全部、みんなが自分でやったことですよ」
「ふふ。そういうところ、ですよ」
凛花さんは布巾を置いた。それから、少しだけ改まった顔で俺を見た。おっとりした瞳の奥に、あの日世界を書き換えた時と同じ、静かで強い光が宿っている。
「悠くん。……大事な、相談があるんです」
心臓が跳ねた。視界の隅で、ナビが《マスター、これは》と言いかけて、なぜか自分から表示を消した。
——だがこの時の俺は、まだ知らなかった。その「相談」が、俺の人生で一番大きな選択肢の、その始まりだということを!?




