↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/20

第20話 ヒロインより、お義母さんを攻略しました♡

三年後の、風の強い春だった。


 俺、佐伯悠、二十三歳。青栄大学を卒業して、児童書の出版社で働き始めて二年目になる。スーツにもだいぶ慣れた。かつて付け焼き刃の経営用語を並べて三分で見抜かれた背伸びが、少しずつ、背伸びじゃなくなってきた——と、思いたい。


《本日十八時、喫茶ミモザにて最重要イベントが発生します》


 視界の隅で、ナビが妙にかしこまった声を出した。


《イベント名、プロポーズ。成功率——計算を放棄します。頑張ってください》


「お前が先に緊張してどうすんだよ!?」


 スーツの内ポケットには小さな箱。給料を必死に貯めて選んだ指輪だ。そして財布には、三年間ずっと入れっぱなしの一枚がある。あの日、風の交差点で凛花さんがくれた喫茶ミモザの招待券。角がすっかり丸くなった、俺の攻略の始まりの紙切れ。


 夕暮れの商店街を抜けて、木の扉の前に立つ。深呼吸、一回。二回。三回目の途中で扉が勝手に開いた。


「遅い。何分深呼吸してるのよ」


 立花凛、二十一歳。首から提げた一眼レフは、もう「証拠撮影用」じゃない。写真家の卵として、今日は記録係を買って出てくれた張本人だ。


「い、いや、心の準備が」


「三年付き合っといて今さら? ほら、中で全員待ってるから」


「全員!?」


 ドアベルが鳴る。カウンターの向こうで、見慣れた顔ぶれが一斉にこっちを見た。


「ゆーくん、遅い! パリから駆けつけた親友を待たせるとか、それはない」


 水瀬美月。製菓留学の一時帰国中で、テーブルには本場仕込みのケーキがどんと鎮座している。その隣で、後輩がすごい早口で立ち上がった。


「先輩! 聞いてください、私のゲーム、ついに発売日が決まりました! つまり今日は先輩の人生最大イベントと私のデビューのダブル記念日ということで実質これは奇跡の【伏線回収】——」


「小春、UI風に喋るな。ややこしい」


 星野小春、新米ゲームクリエイター。カウンターの端には大きな花束が届いていて、カードには落ち着いた字でこうあった。『若いというのは、それだけで武器だよ。存分に振り回しなさい——黒田』。あの人は今日も、大人の背中のままだった。


 思えば、この三年は宝物みたいな日々だった。週末のたびに通っては皿洗いを奪い合い、絵本のサイン会では緊張する凛花さんの後ろで俺の方が倒れかけ、凛の初めての写真展では家族席に座らせてもらって、意味もなく涙腺が決壊した。好感度ゲージなんてとっくに見なくなった。数字にしなくても、隣で笑ってくれる人の温度で、全部わかるようになったからだ。


「あらあら、悠くん。いらっしゃい」


 厨房から、その人が出てきた。


 立花凛花さん、四十一歳。絵本作家。エプロンの胸元には、二冊目の新作『あたらしいまほう』の刊行記念バッジが光っている。三年前のあの夜、「大事な相談があるんです」と切り出された中身は——『私たちのことを、絵本に描いてもいいですか?』だった。飛ばされた傘を追いかける男の子の話は、いま全国の書店に並んでいる。


「今日は貸切ですか? 賑やかですねえ」


「え、あ、その」


 言葉が出ない。三年経っても、この人の笑顔は俺の語彙力を粉砕する。


【好感度:測定不能✨】


「表示が仕事を放棄した!?」


 そのときだった。開けっ放しの扉から春の突風が吹き込んで、店先の傘立てから水色の傘が一本、ころんと道路へ転がり出た。


「あらあら、私の傘」


「——任せてください!」


 考えるより先に体が動いた。歩道を転がる傘を全力疾走で追いかけ、車道に出る寸前で掴み取る。振り返ると、夕陽の中で凛花さんが目を丸くして、それからおかしそうに笑っていた。


「ふふ。初めて会った日と、同じですね」


「……はい。あの日から、ずっとこうです」


 俺は傘を差し出す代わりに、店の真ん中まで戻って、財布から角の丸い招待券を取り出した。


《イベント、開始します》


 ナビの声と同時に、視界に三年ぶりの選択肢ウィンドウが浮かんだ。


【一、いつか改めて伝える】

【二、雰囲気のある場所で伝える】


「相変わらず、俺の欲しい選択肢がないな」


 だから俺は、あの日と同じことをする。存在しない三番を、自分で作る。


「三番。——今、ここで、この人に伝える!」


 片膝をつく。箱を開ける。指輪が、ミモザ色の照明を映して光る。


「凛花さん。俺は最初、あなたを『救う』つもりでいました。でも間違いでした。救われたのは俺の方で、あなたはとっくに、自分の力で自分の物語を書き始めていた。だから、これは攻略の続きじゃありません。……俺と、家族になってください。傘が飛んだら俺が拾います。皿が溜まったら俺が洗います。あなたが絵本を描く隣で、コーヒーを淹れ続けたいんです」


 店内が、しんと静まった。凛花さんは口元を両手で覆って、それからゆっくり、その手を下ろした。


「あらあら……困りました。断る理由を、三年間探しましたけど」


 目尻に涙が光る。でも、声は笑っていた。


「一つも、見つかりませんでした。——はい。私も、あなたと家族になりたいです」


【♡プロポーズ成功♡】


 震える手で、指輪を左手の薬指にはめる。サイズはぴったりだった。当たり前だ。三ヶ月前、寝ぼけた凛を買収して、こっそり測ってもらったんだから。凛花さんは自分の手をかざして、ミモザ色の光にかざされた小さな石を、大切そうに眺めた。


「ふふ。悠くんは本当に、いつも全力疾走ですねえ」


「あなたのこととなると、ブレーキの付け方をまだ習ってないので」


 わっと店内が沸いた。美月がクラッカーを鳴らし、小春が「真エンドです! 実質トゥルーエンドです!」と泣きながら早口で叫び、凛のシャッター音が連写で響く。


 その凛が、カメラを下ろして俺の前に立った。腕を組んで、ツンと顎を上げて。


「言っとくけど。お母さんを泣かせたら許さないから。……お義父さん♡」


「ぐっ……!? 二十一歳の娘に敬われる二十三歳の父……!」


「あら、いい響きですねえ。ね、お義父さん?」


「凛花さんまで!?」


 ひとしきり笑ったあと、凛花さんはふと、カウンターの奥の小さな写真立てに目をやった。若い頃の、立花悟さんの写真だ。


「あとで三人で、悟さんにも報告しに行きましょうね。きっと『遅いよ』って笑われちゃいますけど」


「……はい。ちゃんと挨拶します。娘さんとお店と、それから凛花さんの物語を、俺にも一緒に守らせてくださいって」


「合格。今の言葉、写真より先に録音しときたかった」


 凛が鼻をすすりながら憎まれ口を叩いて、慌ててカメラを構え直す。美月が「はいはい、泣く前にケーキ切るよ! 本日の主役たち、席について!」と仕切り、小春が「待ってください、この瞬間はスチル回収です、全員笑顔でお願いします!」と涙目で叫ぶ。


 コーヒーカップとケーキ皿がテーブルに並び、乾杯の代わりに全員でカップを軽く掲げた。凛花さんの淹れたコーヒーの香りに、美月のケーキの甘い匂いが重なる。この店で覚えた匂いだ。俺の第二の人生が始まった場所の、幸せの匂い。


 笑い声が、ドアベルの音と混ざって春の夕暮れに溶けていく。テーブルには美月のケーキ。壁には凛の写真と『ミモザのまほう』の原画。小春のゲームの体験版が隅のテーブルで起動している。あの失敗した展示会の続きが、今は当たり前の日常として、この店に並んでいる。


《おめでとうございます》


 ナビの声が、静かに響いた。


【♡隠しルート完全攻略♡】

【追加シナリオ:にぎやか家族編 解放!】


《……最後に一つ、確認させてください。私も、この家族の一員ということで、よろしいでしょうか》


「何を今さら。三年前から相棒だろ」


《……ありがとうございます。では、新しい物語を開始します》


 視界に、真新しい選択肢ウィンドウが浮かぶ。書かれているのは、たった一行。


【一、三人で、幸せになる!】


「なあ、これ選択肢って言わないだろ。一個しかないぞ」


《はい。もう、迷う必要がありませんので》


 凛花さんが俺の左手を取り、凛が「ほら、写真撮るから並んで」と俺の背中を押す。窓の外では、ミモザ色の夕陽が商店街をやわらかく染めていた。


 ヒロインより、お義母さんを攻略します——あの日の自問に、今なら胸を張って答えられる。間違いなんかじゃなかった。だってほら、こんなにも、みんな笑ってる。


 俺は笑って、たった一つの新しい選択肢へ、ゆっくりと手を伸ばした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。