第17話 ヒロイン全員、主人公を振ります!!
幕が、上がった。
青栄祭の特設ステージ。真正面からスポットライトが俺を焼き、眼下には観客がびっしりと座っている。だが、拍手はない。ざわめきもない。全員が同じ角度で首を傾け、同じのっぺりした笑顔を貼りつけていた。システムに書き割りへ変えられた、モブの海だ。屋台のソースの匂いも、軽音部の音漏れも、ぜんぶ作り物みたいに遠い。
視界の中央に、見たこともない巨大なウィンドウが展開する。
【最終イベント『運命の告白』を開始します】
【主人公・佐伯悠は、ヒロインを一人選択してください】
どこまでも上から目線の文面だった。
喫茶ミモザで母娘が抱き合って、凛花さんが「誰かを好きになってもいい?」と口にした、まさにあの瞬間。世界は問答無用で、この青栄祭最終日まで早送りされた。日付の記憶も、準備した覚えのない看板も、屋台の焼きそばの香ばしい匂いさえ、ぜんぶシステムの捏造だ。しかも裏側では今この瞬間も、凛花さんに関する記録とフラグが一枚ずつ削除され続けている。ここで負けたら、あの人は思い出ごと消される。
《……悠さん、聞こえますか》
頭の中で、ナビの声がした。いつもの機械的敬語のくせに、はっきりと震えている。
《このイベントは私の管轄外です。システム本体が直接、この舞台を運営しています。ですが、条件はお伝えした通り。隠しルート解放条件は——全ヒロインが、自分の固定エンドを拒否すること。あなたがどれだけ暴れても、意味はありません。選ぶのは、彼女たち自身です》
わかってる。わかってるが、心臓がうるさい。俺は今まで、選択肢ウィンドウを蹴り、強制イベントを破壊し、存在しない三番を作って走ってきた。でも今日だけは、俺にできることが何もない。信じて、待つだけだ。攻略って言葉から一番遠い行為が、最後の攻略だなんて、誰が設計したんだこのゲーム!?
舞台の袖から、光の帯に引きずられるようにして三人が現れた。凛。美月。小春。三人とも歩き方がおかしい。関節を糸で吊られた、操り人形の歩幅だった。
「おいシステム! 女の子を勝手に歩かせるな! お前それでも恋愛ゲームか!?」
《主人公の音声を制限します》
声が、出なくなった。喉の奥で言葉が空回りする。ふざけるな。告白イベントで主人公を黙らせるのが、お前のやり方か!
最初にスポットライトへ押し出されたのは、凛だった。
【メインヒロイン・立花凛 好感度:MAX(強制)】
ゲージが偽物の光で満タンにされている。俺はあのゲージが本当はどう動いてきたか知っている。警戒度100から始まって、喧嘩して、試験されて、母娘で泣いて、少しずつ味方になってくれた本物の推移を、システムは一瞬で上書きした。凛の唇が、本人の意思と関係なく動き出す。
「わたし……先輩のことが、ずっと、好き……でし……」
台本通りの甘い声。なのに目だけが、燃えていた。凛は自分の唇を噛み、震える手で、首から提げたカメラを持ち上げる。出会った頃、俺を「母目当ての危険人物」として証拠撮影したカメラ。それからずっと、お母さんを、店を、世界を撮り続けてきた凛の目玉だ。
カシャッ✨
シャッター音が一つ、ステージに響いた。その瞬間、糸が切れた。
「——って、誰が言うか、こんな台本!!」
凛は客席に向かって、カメラを高く掲げた。
「私、写真家になる! お母さんの店も、うちのバカな先輩も、ぜんぶ私のファインダーで撮って生きていく! 誰かの恋人エンドで人生を確定させられてたまるもんですか! だから——悪いけど佐伯悠、あんたのことは、振らせてもらうわ!!」
【攻略失敗!】
真っ赤な文字がステージ上空で砕け散った。観客席のモブが数人、ノイズになって消える。凛は肩で息をしながら、俺にだけ見える角度でほんの少し笑った。「……感謝しなさいよ」って顔だった。するよ。一生する。
思えば、俺の最初のボスはこの娘だった。警戒度100。資格試験三連発。母を想うあまり、俺を証拠写真に収めて回った最初のボスは、いま最強の相棒として、敵の台本を真っ二つに破いてくれた。
《攻略失敗を確認。……ふふ、素晴らしい数値エラーです》ナビの声が弾んでいる。《残り二名です!》
次に光の帯へ押し出されたのは、美月だった。
「ゆーくん……わたし、小さい頃から、ずっとそばにいて——」
言いながら、美月の眉がぴくぴくしている。幼稚園からの付き合いだからわかる。あれは限界三秒前の顔だ。そして案の定、限界が来た。
「——って、はい、カット! ゆーくん、それはない!」
美月は強制イベントのど真ん中で、腰に手を当てて仁王立ちした。
「幼なじみだから結ばれるって、順番が逆でしょ! わたしはね、あんたに食べさせてきた試作品の百倍すごいお菓子を作りたいの! 本場で修行して、いつか自分の店を持って、うちの親を泣かせるくらいのケーキを焼く! だから海外製菓留学、行きます! ゆーくんへの告白は……ミモザのシフォンケーキより軽く、お断り♡」
軽っ! 断り方が軽い! だがその軽さこそ、美月が誰の台本でもなく自分の足で立っている証拠だった。差し入れの焼き菓子で何度も俺を生き返らせてくれた幼なじみは、俺なんかよりずっと大きい夢の袋を抱えていた。
「ちなみにゆーくん、向こうに行ってもお菓子は送ってあげる。凛花さんのお店に置いてもらいなさい」
「幼なじみが有能すぎる……!」
【攻略失敗×2!】
空に、ひびが入った。青栄祭の夕焼けがガラスみたいに割れて、向こう側に黒いデータの海が覗く。警告音が鳴り響く中、最後の一人、小春がマイクの前に立たされた。
「せんぱい……こはるは、せんぱいとなら、どんなルートでも……」
小春は三秒、目を閉じた。ゲーム機を抱えて現れたあの日から、誰よりもこの世界の「仕様」を愛してきた後輩は、かっと目を見開いた。
「——って、このイベント、フラグ管理が雑すぎます!!」
出た。後輩の早口が出た!
「好感度の遷移は破綻してるし、選択肢は一本道だし、モブの描画は手抜きだし、こんな雑な設計のシナリオに私の人生を実装されるのは、ゲーマーとして絶対に許せません! 私はいつか、プレイヤー全員を幸せにするゲームを作る側になるんです! ゲームクリエイター・星野小春、記念すべき最初のデバッグ報告です——このエンディング、不採用!!」
早口の途中から涙声になっていたことには、気づかないふりをしてやった。
【攻略失敗×3!】
三枚目の赤文字が砕けた瞬間、世界が本格的に崩れ始めた。
ステージの床が透け、校舎の輪郭が溶け、モブの観客たちが端から光の粒になって空へ昇っていく。青栄祭の喧噪が遠ざかり、あとには風の音だけが残った。足元では、砕けた選択肢ウィンドウの破片がガラス細工みたいに散らばって、消えかけの夕焼けを小さく反射している。
【エラー:想定外 想定外 想定外】
巨大ウィンドウが痙攣し、システムの制御が音を立てて外れていく。俺の喉に、声が戻ってきた。
「……っは。ざまあみろ」
膝が笑っていた。俺は何もしてない。三番を作ったのも、走ったのも、今日は俺じゃない。彼女たちが、自分の手で自分のエンディングを蹴っ飛ばしたんだ。ヒロイン全員に振られた主人公が、こんなに誇らしい気持ちになるなんて、前世のやり込みでも知らなかった。
ポケットの中で、古びた紙の角が指先に触れた。喫茶ミモザの招待券。飛ばされた傘を全力疾走で追いかけた日、あの人がおっとり笑って渡してくれた一枚だ。どのルートにも載っていない、俺だけの正規ルートへの入場券。俺はそれを、握り潰さないように、そっと強く握った。
《全ヒロインの固定エンド拒否を確認しました》
ナビの声が、静かに、はっきりと告げる。
《隠しルート解放条件、達成。——最終キャラクターを、呼び出します》
崩壊する空の真ん中に、新しいウィンドウが開いた。今までのどれよりも大きく、画面いっぱいに、たった一行の名前が浮かび上がる。
【未登録キャラクター:立花 凛花】
三十八歳。喫茶ミモザ店主。どのルートにも、どのエンディングにも登録されていなかった人。ヒロイン欄のいちばん外側で、ずっと誰かの「お母さん」としてだけ置かれてきた人の名前が、いま、壊れていく世界の中心で光っている。
《ここから先は、データにない物語です》
ナビが囁いた。《攻略情報はありません。イベントCGもありません。あるのは、あなたがこの世界で積み上げてきた、+1の重さだけです。——行ってらっしゃいませ、悠さん》
機械の声が、ほんの少しだけ、人間くさく笑った気がした。
凛が、美月が、小春が、ぼろぼろの舞台の上で同じ方向を見た。
——崩れていく世界の向こうから、ノイズの雨を割って、あの日の傘を差した凛花さんが、まっすぐこちらへ歩いてくる。




