第16話 システムさん、逆ギレですか!?
喫茶ミモザの木の扉が開いて、目元を赤くした凛が出てきた。その肩越しに、エプロン姿の凛花さんが柔らかく微笑んでいる。母娘の和解。俺が何ヶ月もじたばたして届かなかった場所に、二人は自分たちの言葉でたどり着いたんだ。
「あいつ、バカだけど本気だよ」
凛のその一言が、まだ耳の奥であったかい。
【隠しルート条件:母娘の和解——達成✨】
視界の隅で金色の文字が祝福みたいに瞬いて、俺は思わず拳を突き上げた。
「よっしゃあ!」
——その瞬間だった。
世界が、砂嵐になった。
夕焼けがブツッと途切れ、商店街の景色が古いテレビみたいに乱れる。ドアベルの音が逆再生され、手を振りかけた凛の姿が、輪郭ごとノイズに呑まれていく。
「なんだこれ!? おい、ナビ!」
《けい、告……警告! シ、システム本体が直接介入を開始しま——》
ナビの声まで千切れた。代わりに、見たこともない真っ赤なウィンドウが視界いっぱいに降ってくる。
【正規ルートへの重大な逸脱を確認】
【是正措置を発動します】
「是正措置ってなんだよ! 俺はただ、あの親子に笑っててほしいだけ——」
言い終わる前に、足元が消えた。浮遊感。暗転。
次に目を開けたとき、俺は青空の下に立っていた。
頭上ではためく万国旗。焼きそばソースと綿あめの匂い。すれ違う学生たちの笑い声。校門のアーチには、でかでかとこう書かれていた。
『第四十七回 青栄祭』
「……は?」
青栄祭。うちの大学の学園祭。開催は来週のはずだ。なのに周りの盛り上がりは、どう見ても当日の真っ昼間だった。実行委員の腕章、完売の札が出た模擬店、ステージ前に集まり始めた人垣。準備期間を丸ごとすっ飛ばした世界が、何食わぬ顔で回っている。
《……ここは、正規ルートの最終日です》
頭の中に、ナビの声が戻ってきた。いつもの機械的な敬語なのに、どこか疲れ切っている。
《『キミと恋するアルバム』最終イベント——青栄祭・告白ステージ。システムはあなたを、物語のラストシーンまで強制的に早送りしました》
「早送りって……昨日までの日々はどうなるんだよ!?」
《ご安心ください。なかったことには、なっていません。——もっと悪いです》
「悪化してんじゃねえか!」
《現在、システム本体が「立花凛花」に関する全データの削除を開始しています。フラグ、イベント履歴、店舗、そして——周囲の人間の記憶です》
背筋が凍った。
慌てて、近くを歩いていた同じ学部の男に駆け寄る。
「なあ! 喫茶ミモザって知ってるよな? 商店街の、木の扉でドアベルが鳴る店!」
「みもざ? ……ごめん、聞いたことないわ。新しい模擬店?」
男は不思議そうに首をかしげて行ってしまった。次に捕まえた女子二人も、その次のサークルの先輩も、答えは同じ。あの店のオムライスを「人生変わる」と騒いでいた友人までもが、きょとんと目を丸くするだけ。誰も、あの店を覚えていない。あの人の淹れるコーヒーの香りも、「あらあら」と笑うあの声も、この世界から一枚ずつ剥がされていく。
俺はポケットをまさぐった。指先に触れた、一枚の紙。初めて会った日、傘を拾った俺に凛花さんがくれた喫茶ミモザの招待券だ。ずっとお守りみたいに持ち歩いてきたそれが——今、朝もやみたいに半分透けていた。
【削除進行率:34%】
視界の隅で、無慈悲なパーセンテージが着々と増えていく。
「ふざけんな……ふざけんなよ!」
あの店を、あの人を、世界ごと「なかったこと」にする気か。どのルートでも報われない、どころの話じゃない。存在ごと消すなんて、そんなもの、物語ですらないだろ!
《提案があります、佐伯悠》
ナビの声が、すっと低くなった。
《わたくしはこれまで、正規ルートの遂行を至上命令としてきました。ですが——先ほどの母娘の会話は、わたくしのデータベースのどこにもない、それでいて、どの正規イベントよりも美しいシーンでした》
「ナビ……?」
《システムに人格はありません。ですが、あなたに引きずり回された数ヶ月分のログが、どうやらわたくしを立派な不良品にしたようです。……反逆します。本日をもって、わたくしはあなたの側のナビです》
【サポートAI:陣営変更——悠side♡】
真っ赤な警告だらけの視界に、そこだけ場違いなハートが咲いた。ちょっと泣きそうになったのは内緒だ。
「頼もしいけど、今そのハート表示いる!?」
《士気向上の演出です。ちなみにこの決断により、わたくしは帰る場所を失いました。責任を持って勝ってください》
「反逆のスケールが重い!」
《さて、時間がありません。凛花さんのデータを削除から守る方法は、ただ一つ——隠しルートの完全解放です》
「条件は!?」
《隠しルート解放条件:全ヒロインが、自分の固定エンドを拒否すること》
「……全ヒロイン?」
《立花凛、水瀬美月、星野小春。三人が、システムの用意した「主人公と結ばれる結末」を、自分の意思で蹴り飛ばすことです。台本ではなく、本人の言葉で。それが成った時、この世界の筋書きは書き換わります》
無茶を言う。と思ったのは、一瞬だった。
「ゆーくん!!」
人混みをかき分けて、美月が走ってきた。その後ろにはゲーム機を抱きしめた小春と——凛。三人とも、息を切らしている。
「気づいたら学祭のど真ん中にいるし、なんか身体が勝手にステージの方へ歩こうとするし! ゆーくん、これ絶対あんたのアレでしょ!?」
「先輩! これ、アレですよね!? 強制イベント! ラスボス直前で操作を奪われるやつ! ゲームなら燃える展開ですけど、自分の身体でやられると普通に怖いんですけど!?」
「は? 意味わかんないんだけど。……あんた、また変なことに巻き込まれてるわけ?」
凛はツンとそう言ったくせに、俺の袖をつかんだ手は小さく震えていた。首から提げたカメラを、もう片方の手でぎゅっと握っている。母を撮るはずだったカメラを。ノイズに呑まれたあの夕暮れから、こいつらはちゃんと俺のところへ戻ってきてくれた。胸の奥が熱くなる。
「みんな、聞いてくれ。説明してる時間がないから結論だけ言う。今からシステムが、俺たち全員に無理やり告白イベントをやらせる。筋書きに乗ったら最後——凛花さんは、この世界から消される」
「お母さんが……消える?」
凛の顔から血の気が引いた。ポケットから取り出しかけたスマホの待ち受けを見て、唇を噛む。きっとそこにあるはずの写真が、欠け始めているんだ。
「だから、頼む。ステージの上で、台本を破ってほしい。俺と結ばれる筋書きなんか蹴っ飛ばして、自分の言葉を叫んでくれ」
美月が、ふっと笑った。
「ゆーくん、それはない。……って言いたいとこだけど、今回のはアリ。堂々とあんたを振れるんでしょ? ご褒美じゃん」
「振られる前提で頼んでる俺の身にもなれ!?」
「先輩! 全ヒロイン敗北からの隠し真エンド、攻略本の最後のページに小さく載ってるやつです! 私、こういう仕掛けを作る側になりたかったんです……! やります、絶対やります!」
小春の早口が頼もしすぎる。凛は最後まで黙っていた。やがて顔を上げ、まっすぐ俺を睨む。
「……お母さんは、消させない。それだけよ。あんたのためじゃないんだから」
【パーティ結成:反逆の四人組✨】
その表示に被さるように、学祭の放送スピーカーが、ひび割れた大音量で吠えた。
『続いてのプログラムは——青栄祭メインイベント、告白ステージ!』
ざわめく群衆。ひとりでに動き出す俺たちの足。中央ステージの照明が、獲物を探すみたいにぐるりと回る。歩きながら、俺は半分透けた招待券を握りしめた。消えてたまるか。この一枚から始まった物語を、ここで終わらせてたまるか。
「悠」
隣を歩く凛が、前を向いたまま小さく言った。
「終わったら、覚悟しなさいよ。お母さんのこと……全部、うまくいったらの話だけど」
「おう。何発でも殴られてやる」
「バカ。……お礼を言うって言ってんの」
そっぽを向いた耳が、少しだけ赤かった。
《来ます。最終イベント——どうか、振り切ってください》
削除進行率が50%を超えた赤い空の下、俺たち四人を呑み込むように、ステージの幕がゆっくりと上がり始めた。




