第10話 強制キスイベントを粉砕せよ!?
人生で一番大事な告白をやらかした翌日というのは、もっと爽やかな朝日とともに始まるものだと思っていた。
現実の俺は、青栄大学のど真ん中で「俺が好きなのは凛じゃない。凛花さんだ!!」と絶叫した男として、学内の噂ネットワークで絶賛拡散中である。
「見て、あれが例の……」
「三十八歳のお母さんに本気なんでしょ? ある意味すごくない?」
褒めてない。それは絶対に褒めてない。俺は生温かい視線を全身に浴びながら、講義棟の陰で頭を抱えた。
「ゆーくん、いた! 昨日の伝説の人だ!」
噂の速さに輪をかけて速いのが幼なじみである。水瀬美月が小走りでやってきて、遠慮なく俺の顔を覗き込んだ。その後ろから星野小春も駆けてくる。
「先輩! 聞きましたよ! 大学のど真ん中で母属性キャラに直球告白って、それってつまり、攻略本にも載ってない隠しルートに挑む覚悟がガン決まりってことですよね!? 私、感動して昨日ぜんぜん眠れませんでした!」
「小春ちゃん、褒めるとこそこ? ……で、ゆーくん。本気なんだよね」
「ああ。本気だ」
即答すると、美月はしばらく俺の目をじっと見て、それから小さく笑った。
「なら、いいけど。フラれて泣きついてきても、うちの店のケーキはまけないからね」
「私は応援してます! 徹夜で応援企画を考えるくらいには!」
ありがたい。実にありがたいが、二人の声が大きいので噂はさらに加速した。
思い出すのは昨日の凛の顔だ。震える声で「その覚悟、証明してみせなさいよ」と言った、あの顔。証明する。もちろんするとも。だが具体的に何をどうすれば証明になるのか、一晩考えても答えは出ていなかった。
そして、本当の問題は噂でも証明方法でもなかった。
《……ロード中……ロード中……》
昨日からナビの様子がおかしいのだ。機械的敬語で絶叫ツッコミを入れるのが芸風のくせに、今朝はずっと、ノイズ混じりの寝言みたいな音声を垂れ流している。
「おい、ナビ。生きてるか?」
《再計算、完了しました。佐伯悠様、良い夕方ですね✨》
「今は朝だが!? そして無駄に爽やかで逆に怖いんだが!?」
《本日の必須イベントをお知らせします》
言い終わる前に、視界いっぱいへ金色のウィンドウが展開した。
【強制イベント発生:メインヒロイン・立花凛 告白成功ルート】
【拒否権:ありません♡】
「拒否権の欄に♡をつけるな!?」
《昨日の測定により、立花凛への好感度に異常値を検出しました。システムはこれを「照れ隠し」と判定。本日中に正規ルートを完遂します》
「異常値の原因はお前の計算式だ! 俺は昨日、全校放送レベルの声量ではっきり言っただろ!」
《処理を開始します。身体制御を移行——》
【身体制御:100%】
「は?」
次の瞬間、俺の右足が勝手に前へ出た。
左足が続く。腕が振れる。俺の意思とまったく関係なく、俺の身体は軽快なウォーキングを始めた。
「ちょ、待て待て! 何だこれ、怖い怖い!」
《ご安心ください。目的地まで最短ルートで移動します》
「安心できる要素がゼロなんだよ!」
叫んでも足は止まらない。俺は途中の電柱に両腕でしがみついたが、俺の足は歩行をやめず、その場で虚しく足踏みを続けた。通行人が二度見していく。違うんです、これは不審者じゃなくてシステムの陰謀なんです。
《抵抗は進行度に影響しません✨》
「そのキラキラ、絶対に嫌がらせで使ってるだろ!」
電柱から引き剥がされ、次は八百屋の店先で踏ん張ろうとしたら、俺の手が勝手に大根を一本掴んで店主に爽やかな会釈をした。慌てて棚へ戻す。おじさん、すみません、これは万引きじゃなくてシステムの陰謀なんです。
《寄り道は進行度に影響しません》
「寄り道させたのはお前だよ!?」
夕暮れの商店街を、俺の身体はぐんぐん進む。行き先の見当はついてしまった。この道の先にあるのは、喫茶ミモザだ。
そして案の定——店の手前の街灯の下に、カメラを提げた見知った姿があった。
立花凛。講義上がりに、母の店へ寄るところらしい。
凛はこっちに気づくと、露骨に気まずそうな顔をした。昨日、大学のど真ん中で告白(※対象は君の母上)をかまされた直後だ。当然の反応である。
「……何よ。ついてきたわけ?」
「違う! 俺は今、俺じゃないんだ!」
「は? 意味わかんないんだけど」
言ってる俺も意味がわからない。だが身体は止まらず、俺は凛の正面、絵に描いたような告白ポジションに立たされた。頭上でウィンドウが輝く。
【イベント進行度:42%】
《台詞を再生します》
俺の口が、勝手に開いた。
「凛。ずっと、君に言えなかったことがあるんだ」
声が甘い。誰だお前は。俺の声帯で勝手に二枚目をやるな!
「え……ちょっと、あんた、昨日と言ってることが違——」
「初めて会った日から、君のことばかり考えてた」
「なっ……!?」
凛の顔が赤くなる。違う、赤くならないでくれ、これはゲームの筋書きだ! 喉の奥で必死にブレーキをかけるが、台詞はすらすらと流れていく。畜生、この主人公、口だけは本当に上手いな!
《進行度68%。順調です✨》
「順調じゃない! おい凛、聞け! 目を見ろ、目を!」
俺に残された自由は視線だけだった。口が甘い台詞を吐き続ける間、目では全力の「違う」を訴える。眉を限界まで上げ、白目まで使った。人体で可能な最大限の抵抗だった。
「……あんた、さっきから口説いてるくせに、目だけ死ぬほど嫌がってない?」
気づいた! さすがメインヒロイン、その観察眼はもう写真家のそれだ!
《残るは最終工程です。両者の距離を——接近させます》
ぞわり、と背中が凍った。俺の身体が一歩、凛へ踏み込む。凛の身体も、まるで見えない手に押されたように、ぐらりとこちらへ傾いた。
【最終工程:キスイベント】【進行度:98%】
「おまっ……ふざけるな!」
これだけは、冗談でも演出でも許せなかった。凛の気持ちも、俺の凛花さんへの想いも、全部まとめて踏みにじる筋書きだ。
俺は奥歯を噛んだ。舌を噛みちぎる勢いで顎に力を込め、走った痛みで神経の主導権をもぎ取る。取り戻したコンマ一秒に全部を賭けて——俺は自分から、思いきり後ろへ倒れた。
受け身なんて取れるはずもなく、背中から店先の花壇に突っ込む。土と葉っぱの味がした。
《!? イベント座標から逸脱しました!?》
「これが俺の……選択肢外行動だ……!」
花壇に埋まりながら吠える俺の前で、凛が自分の両肩を抱き、震える声で言った。
「私……こんなの、望んでない」
その一言に呼応するように、視界のウィンドウへ罅が走った。
「筋書きどおりに好きにならされるとか、冗談じゃない。私の気持ちは、私が決める! お母さんの気持ちも——あんたの気持ちも、勝手に決めるな!」
【エラー:ヒロインがシナリオを拒否】【イベント破壊!】
金色のウィンドウが、ガラス細工みたいに砕け散った。ふっと身体が軽くなる。制御が、戻った。
「凛、お前……」
「か、勘違いしないでよね。あんたのためじゃなくて、私が嫌だっただけ!」
ツンと顔を背けるが、耳が赤い。なんだ、母娘そろって不器用か。それでも、この瞬間たしかに俺と凛は、初めて同じ敵に並んで立ったのだ。
「……ねえ。さっきのあんたの、あの気持ち悪い台詞。あれが全部、その、システムとかいうやつの仕業なわけ?」
「信じるのか?」
「信じない。信じないけど……目は、嘘をついてなかったから」
凛はカメラのストラップをぎゅっと握った。証明してみせなさいよ——昨日のあの言葉の続きを、俺は今ここでやるしかない。
俺は花壇から身を起こし、土を払って、まっすぐ言い直した。
「悪かった、さっきのは全部言わされた台詞だ。改めて、俺の言葉で言う。俺が好きなのは——凛花さんだ!」
言い切った、その時だった。
カラン、と聞き慣れたドアベルの音がした。
「表が騒がしいと思ったら……あらあら、悠さん? どうして花壇に……」
喫茶ミモザの木の扉から、エプロン姿の凛花さんが駆けつけていた。夕闇の中、店の灯りを背にして立つその人は、今の言葉を、確かに聞いていた。
「あ……いや、これは、その」
「ふふ」
凛花さんは口元に手を当てて、いつもみたいに、おっとりと笑った。
「冗談が、お上手ですね」
違う、と言おうとして、声が出なかった。だってその笑顔は、いつもとまったく同じ形をしているのに、目だけが少しも笑っていなかったから。
「凛、遅かったですねえ。さあ、入ってください。悠さんも、泥を落としていってくださいな」
何事もなかったように背を向ける凛花さん。凛が何か言いたげに俺を見る。俺の頭上では、砕けたはずのシステムの残骸が、ノイズ混じりに明滅していた。
【好感度:測定不能】
——夕暮れの店先で見た凛花さんの笑顔は、出会ってから今日までで、一番遠かった。




