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月が砕けた夜に、君を探す  作者: もふもふ戦士


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第1章 砕月(さいげつ)の境界線(後編)

 警報が鳴り止んでも、訓練場に笑い声が戻ることはなかった。

 壁面の大型モニターには、城壁外の地形図が映し出されている。

 赤い光点は、全部で十二。

 そのすべてが、第七監視区域の廃墟に集中していた。


「……十二機か」


 レオンが腕を組む。


「数だけなら、通常部隊でも対処できるな」

「問題は配置です」


 シンが端末を操作した。

 赤い光点の周囲に、細い線が引かれる。


「見てください。各個体の距離が、ほぼ一定に保たれています」

「隊列を組んでいるのか?」

「その可能性があります。ただ……」


 シンは言葉を切った。


「通常の巡回行動とは、明らかに違います」


 モニターの端に、監視映像が表示された。

 崩れた建物。

 錆びついた高架道路。

 灰色の砂に埋もれた、かつての街並み。

 その中央を、黒い影が移動していた。


 細長い四肢。

 背中から突き出した金属製の突起。

 頭部に相当する部分には、赤い単眼が埋め込まれている。


 レムナント。


 十七年前、月の崩壊とともに地上へ現れた自律機械群。

 人類の都市を破壊し、数え切れない命を奪った存在だった。


「R-01《スカウト》ですね」


 シンが映像を拡大する。


「偵察型が中心です。ですが、奥に別の反応が混じっています」


 瓦礫の陰で、巨大な影が動いた。

 低く、重い機体。

 両腕に装甲板を備えた、防御型のレムナント。


「R-03《バスティオン》か」


 グレンが低く呟く。


「面倒な奴がいるな」

「ほかにも、R-02《リーパー》が確認されています」


 イリスが画面を見つめた。


「……近接戦闘型までいる」

「偵察、近接、防御……」


 レオンは眉を寄せた。


「ずいぶんと行儀のいい集まりだな」

「ええ。まるで、何かを守っているようです」


 シンの言葉に、カイが顔を上げた。


「守っている?」

「あるいは、待っている」


 その場に、短い沈黙が落ちた。

 レオンはモニターを見据えたまま、口を開いた。


「……わかった。現地で確認する」


 そして、振り返る。


「ゼロ班、装備を整えろ。十分後に格納庫へ集合!」

「了解!」


 七人が、一斉に動き出した。


     *


 エリュシオン防衛軍、中央格納庫。

 巨大な鋼鉄の扉の向こうには、装甲車両や輸送機が整然と並んでいた。

 天井を走る整備用クレーン。

 床に刻まれた誘導灯。

 絶え間なく響く機械音。

 その一角に、ゼロ班専用の装備区画がある。


 カイは壁面のラックから、黒いロングコートを取り上げた。

 耐刃繊維と軽量防護材を組み合わせた、特殊戦闘用の外套。

 袖を通し、前面の留め具を固定する。

 続いて、腰に《月影》を装着した。


 黒い鞘。

 青白い制御灯。

 剣の柄を握ると、いつもの重さが手に馴染んだ。


「カイさん!」


 背後から、ユウの声がした。

 振り返ると、彼は二丁の拳銃を腰に装着していた。


「今日こそ、俺のほうが先に敵を見つけますからね!」

「……いつもそう言ってるな」

「今日は本気です!」

「昨日は?」

「昨日も本気でした!」

「……そうか」


 カイは短く答えた。

 ユウは不満そうに頬を膨らませる。


「もうちょっと反応してくださいよ!」

「敵を見つけてから言え」

「うわ、厳しい!」


 その肩の上で、小さな機械が電子音を鳴らした。


『ピピッ』


 丸い胴体に、小型の飛行翼。

 偵察支援ドローン《ピピ》。


 ユウが整備を重ねてきた、小さな相棒だった。


「お前もそう思うよな、ピピ?」


『ピピピッ』


「ほら、ピピも俺の味方です!」

「……機械に慰めてもらうな」

「慰めじゃないです!」


 カイは小さく息を吐いた。

 その隣を、大きな影が通り過ぎる。


「お前ら、出撃前まで騒がしいな」


 グレンだった。

 左腕には巨大な防護盾《ガーディアン》。

 背中には重機関砲《バルカン》。

 さらに腰には、分厚い戦斧《ブレイカー》が装着されている。


 その姿は、歩く要塞そのものだった。


「……重くないのか?」


 カイが尋ねる。

 グレンは笑った。


「これくらい、ちょうどいい」

「俺なら動けないな」

「お前にはお前の戦い方がある。俺には俺の戦い方がある。それだけだ」


 グレンは盾の固定具を確かめた。


「前に出るのは任せろ。背中は守ってやる」


 カイは小さく頷いた。


「……頼む」

「おう」


 グレンは満足そうに笑った。


     *


 少し離れた場所では、リリスが通信装置の最終確認を行っていた。


「ユウくん、通信テストお願い」

「了解!」


 ユウが耳元の通信機に触れる。


『こちらユウ! 聞こえますかー!』


「聞こえてるよ。そんなに大声じゃなくても大丈夫」

『了解でーす!』


 リリスは苦笑した。


 次に、イリスへ視線を向ける。


「イリスは?」

「……問題ない」


 イリスは狙撃銃《セブン・バレット》を点検していた。

 七種類の特殊弾薬に対応する、ゼロ班専用の長距離精密射撃銃。

 彼女は弾倉を一つずつ確認し、静かに装填する。


「今日は遠距離支援をお願いね」

「……任せて」


 短い返事。

 けれど、その声には迷いがなかった。

 リリスは微笑んだ。


「うん。頼りにしてる」


 そのとき、レオンが近づいてきた。


「通信状況はどうだ?」

「現在のところ、問題ありません」

「現地では?」

「監視区域周辺に、断続的な電波障害が確認されています。通常通信が不安定になった場合は、短距離回線へ切り替えます」

「了解した」


 レオンは頷いた。

 リリスは、少しだけ声を落とした。


「……隊長」

「ん?」

「無理は、しないでくださいね」


 レオンは一瞬、目を丸くした。

 そして笑った。


「それは俺の台詞だろう」

「……え?」

「お前もだ。危なくなったら、すぐに下がれ」


 リリスは目を伏せた。


「……はい」

「全員で帰るぞ」


 その言葉に、リリスは小さく微笑んだ。


「……はい。必ず」


     *


 出撃時刻。

 ゼロ班の七人は、装甲輸送車の前に集合した。

 レオンが全員を見渡す。


「今回の任務は、第七監視区域に出現したレムナント群の調査と排除だ」


 シンが地形図を表示する。


「現地には崩壊した市街地が広がっています。視界が悪く、地下構造も不明です。敵の増援にも警戒してください」

「民間人は?」


 カイが尋ねた。


「現在、区域内に居住者の登録はありません。ただし、未登録の避難民が入り込んでいる可能性はあります」


 レオンは頷いた。


「なら、確認を優先する。建物ごと吹き飛ばすような真似はするなよ」

「了解」


 グレンが答えた。

 ユウが手を上げる。


「隊長、質問!」

「何だ?」

「今回、早く終わったら昼飯はどうします?」


 沈黙。

 シンが眼鏡を押し上げた。


「君は今、それを聞く必要があるのかな」

「いや、大事じゃないですか!」


 グレンが豪快に笑った。


「帰ったら俺が作ってやる!」

「本当ですか!」

「ああ。腹いっぱい食わせてやる」

「やった!」


 レオンは呆れたように笑った。


「まったく……」


 そして、全員へ向き直る。

 その表情が、静かに引き締まった。


「いいか、お前ら」


 六人の視線が集まる。


「敵を倒すことだけが、俺たちの仕事じゃない」


 レオンは、ゆっくりと言った。


「守るべきものを守って、全員で帰る。それが俺たちの勝利だ」


 カイは、その言葉を聞いていた。

 訓練場で言われたことを思い出す。


 ――強い剣士と、強い副隊長は違う。


 レオンは続けた。


「誰一人、戦場に置いていかない」


 それは、ゼロ班が共有する約束だった。


「ゼロ班、出撃!」

「了解!」


 七人が輸送車へ乗り込む。

 重い扉が閉まった。

 エンジンが唸りを上げる。

 そして、装甲輸送車は城壁の外へ向けて走り出した。


     *


 エリュシオンの城壁は、巨大だった。

 地上から見上げれば、空そのものを遮っているようにさえ見える。

 幾重にも重ねられた装甲板。

 高所に設置された対空砲。

 絶えず巡回する監視ドローン。

 それらすべてが、城壁の内側に暮らす人々を守るために存在していた。

 だが、カイは知っている。

 どれほど強固な壁を築いても、外の世界が安全になるわけではない。


 輸送車が、第一隔壁を通過した。

 続いて、第二隔壁。

 巨大な門が、ゆっくりと開いていく。

 その向こうに広がっていたのは、灰色の荒野だった。

 崩れた高層建築。

 錆びついた鉄骨。

 風に削られた道路。


 かつて人々が暮らしていた街は、十七年という時間の中で、静かな墓標へと変わっていた。


「……何度見ても、慣れないな」


 ユウが窓の外を眺めながら呟いた。

 いつもの明るい声ではなかった。

 カイは隣に座ったまま、答えなかった。

 遠くに、倒壊した観覧車が見えた。

 半分だけ残った円形の骨組み。

 風に揺れる、錆びたゴンドラ。

 あそこにも、かつて誰かの日常があったのだろう。


 笑い声。

 家族。

 約束。

 そして、帰る場所。


「……カイさん」

「何だ?」

「俺たち、いつか全部取り戻せるんですかね」


 ユウは窓の外を見つめていた。

 カイは少し考えた。


「……わからない」

「ですよね」

「でも」


 カイは続けた。


「取り戻せるかどうかは、戦わなきゃわからない」


 ユウが顔を向ける。

 カイは静かに言った。


「だから、俺たちはここにいる」


 ユウは一瞬、目を見開いた。

 そして、笑った。


「……ですね!」


 その声に、いつもの明るさが戻っていた。


     *


『第七監視区域まで、残り二キロ』

 運転席から報告が入った。

 レオンが立ち上がる。


「全員、戦闘準備!」


 装備の安全装置が解除される。

 カイは《月影》の柄に手を添えた。

 イリスが狙撃銃の照準装置を起動する。

 グレンは盾を構え、ユウは小型ドローン《ピピ》を発進させた。


『ピピッ!』


 小さな機体が、輸送車の上部ハッチから飛び出していく。

 シンの端末に、周辺地形の映像が映し出された。


「……敵影、確認」


 画面には、崩壊した市街地が広がっていた。

 その中央。

 瓦礫の上に、複数の黒い機影が立っている。


「R-01、六機。R-02、四機。R-03、二機」


 シンが告げる。


「合計十二機。事前情報と一致」

「動きは?」

「……ありません」


 レオンが眉を寄せた。


「動いていない?」

「はい。こちらを認識しているはずですが、攻撃行動に移っていません」


 カイはモニターを見つめた。


 黒い機械たちは、廃墟の中央で静止していた。

 まるで、何かを待っているように。


「……気味が悪いな」


 グレンが呟く。

 イリスが静かに答えた。


「……罠かもしれない」

「その可能性は高いです」


 シンは地形図を切り替えた。


「正面からの突入は避けましょう。まずはイリスが高所を確保。ユウは右側から偵察。グレンとカイは中央で待機してください」

「了解」


 カイが答えた。

 レオンは全員を見渡す。


「よし。作戦開始だ」


     *


 崩壊した街に、風が吹いていた。

 灰色の砂が、砕けたアスファルトの上を流れていく。

 カイは瓦礫の陰に身を潜めた。

 隣にはグレン。

 少し後方に、レオンとシン。

 リリスは輸送車近くの遮蔽物から、通信と生体情報の監視を行っている。


『イリス、配置完了』


 通信機から、静かな声が届いた。


『高所から敵全体を確認できる』

『了解。ユウは?』


 レオンが尋ねる。


『こちらユウ! 右側の建物を移動中です!』

『敵に気づかれるなよ』

『任せてください!』


 その直後。


『……あれ?』


 ユウの声が変わった。

 レオンが眉を寄せる。


『どうした?』

『いや……変なんですよ』

『何が?』

『こいつら、全然こっちを見ないんです』


 カイは瓦礫の隙間から、敵の姿を確認した。

 黒い装甲。

 赤い単眼。

 金属製の四肢。

 

 レムナントは確かに、そこにいた。

 だが、動かない。

 ユウのドローンが上空を通過しても、反応を示さなかった。


「……故障しているのか?」


 グレンが呟く。


『違うと思います』


 シンが答えた。


『全機の動力反応は正常です。むしろ、通常より出力が高い』


 レオンは剣を抜いた。


「……カイ」


「わかってる」


 二人は同時に、敵へ視線を向けた。

 そのときだった。

 カイの右腕が、熱を帯びた。


「……っ」


 思わず、腕を押さえる。

 袖の下で、青い刻印が淡く光っていた。

 カイは息を呑んだ。

 こんな反応は、初めてだった。


『カイ?』


 リリスの声が届く。


『心拍数が上がってる。どうしたの?』


「……何でもない」

『本当に?』

「大丈夫だ」


 カイは右腕を握りしめた。

 熱は、すぐに引いた。

 

 だが。

 

 その瞬間、レムナントの赤い単眼が、一斉に動いた。

 十二の視線が、同じ方向を向く。

 カイのいる場所へ。


「……!」


 背筋に冷たいものが走った。


『敵機、動力出力上昇!』


 シンの声が響く。


『全機、戦闘態勢へ移行!』


 レオンが叫んだ。


「全員、構えろ!」


 次の瞬間。

 十二機のレムナントが、一斉に動き出した。


     *


 最初に飛び込んできたのは、R-02《リーパー》だった。

 鋭い刃を備えた両腕。

 低い姿勢からの高速突進。

 狙いは、カイ。


「――来る!」


 カイは《月影》を抜いた。

 青白い光が、刃に走る。


 リーパーの右腕が振り下ろされた。

 カイは半歩だけ身体をずらした。

 刃が肩先をかすめる。

 そのまま、敵の懐へ踏み込んだ。


「――っ!」


 一閃。

 黒い刃が、機械の胴体を斜めに切り裂いた。

 火花が散る。

 リーパーの機体が、二つに割れた。

 だが、次の敵が迫る。


『カイ、左!』


 イリスの声。

 直後、銃声が響いた。

 遠距離から放たれた一発が、リーパーの脚部関節を正確に撃ち抜く。

 敵の体勢が崩れた。


 カイは振り返りざまに剣を振るった。

 二機目が沈黙する。


「助かった」


『……どういたしまして』


 短い返事。

 その間にも、戦場は動いていた。


「グレン! 正面!」


 レオンが叫ぶ。


「おう!」


 グレンは巨大な盾を地面へ叩きつけた。

 金属音が響く。

 直後、バスティオンの重い腕が盾へ衝突した。

 凄まじい衝撃。

 だが、グレンは一歩も退かなかった。


「――軽いな!」


 グレンは笑った。

 盾で敵の腕を押し返す。

 そのまま、背中の重機関砲を構えた。


「そーら俺からのプレゼントだ!!たくさん喰っていけ!」


 連続する発砲音。

 弾丸が装甲を叩き、火花を散らす。

 バスティオンの動きが鈍った。


『装甲接合部、露出!』


 シンの声が響く。


『カイ、右側面から攻撃可能!』

「了解!」


 カイが駆けた。

 敵の巨体を回り込み、露出した関節部へ剣を突き立てる。

 青白い刃が、装甲の隙間へ沈んだ。

 内部から火花が噴き出す。

 バスティオンは膝をつき、そのまま崩れ落ちた。


「よし!」


 グレンが叫ぶ。

 だが、戦闘は終わらない。


『右側、スカウト三機!』


 ユウの声。


『こっちは俺がやります!』


 廃墟の屋根を、ユウが駆け抜ける。

 両手には二丁の拳銃《スイフト》。

 

 跳躍。

 空中で身体をひねりながら、連続して引き金を引いた。

 銃声が重なる。

 

 一機目の単眼が砕ける。

 二機目の脚部が破壊される。


 着地と同時に、ユウは地面を滑った。

 背後から迫った三機目。

 その頭上を、小さなドローンが飛び抜ける。


『ピピッ!』


 ピピが敵の視覚センサーへ強い光を照射した。

 スカウトの動きが止まる。


「ナイス、ピピ!」


 ユウが振り返る。

 至近距離からの二連射。

 三機目が沈黙した。


『こちらユウ! 三機撃破!』

『よくやった!』


 レオンの声が返る。


 その直後、リリスが叫んだ。


『ユウくん、後ろ!』

「えっ?」


 崩れた壁の陰から、リーパーが飛び出した。

 鋭い刃が、ユウの背中へ迫る。


 だが。

 重い金属音が響いた。

 レオンの剣が、敵の刃を受け止めていた。


「――油断するな!」

「た、隊長!」


 レオンは敵の攻撃を横へ流す。

 そして、踏み込んだ。

 黒銀の刃が、リーパーの首に相当する部分を切り裂いた。

 機体が崩れ落ちる。


「ありがとうございます!」

「礼は帰ってから聞く!」

「了解!」


 レオンは笑った。

 だが、その目は戦場から離れなかった。


     *


『残存敵機、三!』


 シンが告げた。


『スカウト二、バスティオン一!』


 カイは息を整えた。

 視界の端で、最後のバスティオンが動いている。

 その背後には、二機のスカウト。


 だが――


「……おかしい」


 カイは呟いた。

 敵の動きが、変わっていた。

 こちらを攻撃するのではない。

 後退している。

 まるで、何かを守るように。


『シン』


 カイは通信機に触れた。


『あいつら、何をしてる?』

『……確認します』


 シンの端末に、周辺地形が表示された。

 敵の移動方向。

 廃墟の中央。

 その先にある、崩壊した建物。


「……待ってください」


 シンの声が変わった。


『どうした?』


 レオンが尋ねる。


『あの建物……』


 シンは地形図を拡大した。


『現在の軍用地図には、登録されていません』

「……何?」

『ですが、旧都市の記録には存在しています。十七年前の研究関連施設です』


 カイは、敵の背後にある建物を見つめた。

 灰色の外壁。

 崩れた窓。

 半分だけ残った、古い施設の標識。

 その奥。

 暗い入口の向こうに、何かがあるような気がした。

 理由は、わからない。


 ただ――

 胸の奥が、ざわついた。

 そのとき。

 右腕の刻印が、再び熱を帯びた。


「……っ!」


 今度は、先ほどより強い。

 皮膚の内側で、青い光が脈打つ。

 カイは歯を食いしばった。

 視界が、一瞬だけ揺れた。

 そして。

 耳の奥で、声がした。


『――……いっしょに……』


 かすかな声。

 遠い記憶の底から響くような、少女の声だった。


「……え?」


 カイは顔を上げた。

 だが、そこには誰もいない。

 風が、廃墟の間を吹き抜けていく。


『カイ!』


 レオンの声が響いた。


『何をしてる!』


 カイは我に返った。

 目の前で、バスティオンが突進していた。


「――っ!」


 反応が遅れた。

 巨大な腕が迫る。

 避けきれない。

 そう思った瞬間。

 黒銀の剣が、視界を横切った。

 レオンだった。


「――目を覚ませ!」


 レオンが敵の攻撃を受け止める。

 だが、衝撃は大きい。

 足元のアスファルトが砕けた。


「隊長!」

「俺はいい! お前は前を見ろ!」


 その声に、カイは剣を握り直した。


「……了解!」


 カイは地面を蹴った。

 レオンが敵の腕を押し返す。

 その一瞬。

 カイの《月影》が、青白い軌跡を描いた。


 一閃。


 バスティオンの胴体を、斜めに切り裂く。

 巨体が、ゆっくりと崩れ落ちた。

 残る二機のスカウトは、イリスの精密射撃とユウの側面攻撃によって沈黙した。


『敵反応、消失』


 シンが告げる。


『全十二機、機能停止を確認』


 静寂が戻った。

 風の音だけが、廃墟を通り抜けていく。


     *


「……全員、無事か?」


 レオンが通信機へ問いかけた。


『こちらリリス。全員の生体反応、正常です』

『ユウ、無傷です!』

『……イリス、問題なし』

『グレンも無事だ!』


 シンが端末を確認する。


『敵の追加反応もありません』


 レオンは頷いた。


「よし。任務完了だ」


 その言葉に、ユウが大きく息を吐いた。


「はあー! 終わった!」


 グレンが笑った。


「よく動いたな、ユウ!」

「でしょ! 今日の俺、かなり活躍しましたよね!」

「そうだな。帰ったら大盛りにしてやる」

「やった!」


 いつもの声が、通信機に戻ってきた。

 だが、カイだけは黙っていた。

 彼は、崩れた研究施設を見つめていた。

 さっき聞こえた声。

 あれは、何だったのだろう。

 夢の中で、何度も聞いたことがあるような気がした。

 けれど、思い出せない。


「……カイ」


 レオンが隣に立った。


「さっき、何があった?」


 カイは少し迷った。


「……わからない」

「わからない?」

「右腕が、急に熱くなった」


 レオンの表情が変わった。


 カイは続けた。


「それから……声が聞こえた気がした」

「声?」

「……ああ」


 カイは右腕を見下ろした。

 刻印の光は、すでに消えていた。


「誰かが、俺を呼んでいたような……」


 レオンはしばらく黙っていた。

 そして、静かに言った。


「……そうか」


 それ以上、問い詰めることはなかった。

 ただ、カイの肩に手を置いた。


「無理はするなよ」

「……わかってる」

「本当に?」


 カイは顔を上げた。

 レオンは、いつもの笑みを浮かべていた。


「お前は昔から、そう言って無茶するからな」

「……隊長ほどじゃない」

「ははっ! それは違いない!」


 カイは小さく笑った。

 だが。

 その視線は、再び研究施設へ向かっていた。


     *


 帰還準備が始まった。

 シンは戦闘記録を整理し、イリスは周辺の警戒を続けている。

 ユウはピピを回収し、グレンは輸送車の装備を確認していた。

 リリスがカイの右腕を診察する。


「……外傷はないね」

「だから大丈夫だって」

「そういう問題じゃないの」


 リリスは少しだけ眉を寄せた。


「異常があったら、ちゃんと報告して」

「……わかった」

「本当に?」

「……隊長と同じこと言うな」

「だって、二人とも無茶するんだもの」


 カイは返す言葉を失った。

 リリスは小さく笑った。


「帰ったら、もう一度検査しようね」

「……ああ」


 そのとき。


『……隊長』


 シンの声が、通信機から届いた。


『一つ、気になるものを見つけました』


 レオンが振り返る。


「何だ?」

『先ほどの研究施設です。旧記録と照合したところ、妙な点があります』

「妙な点?」

『施設の存在記録が、途中から消されています』


 シンは端末を操作した。


『建設履歴は残っている。ですが、十七年前以降の運用記録が、すべて欠落しています』


 レオンは眉を寄せた。


「戦災で失われたんじゃないのか?」

『……それなら、記録そのものが破損しているはずです』


 シンの声が低くなった。


『これは違います』

「どういうことだ?」

『意図的に削除された形跡があります』


 短い沈黙。

 カイは、再び施設を見つめた。

 崩れた外壁。

 閉ざされた入口。

 その奥に広がる、暗闇。

 右腕が、かすかに疼いた。


「……シン」

『何ですか?』

「その施設、名前は?」


 シンは画面を確認した。


『正式名称は不明です。ただ、旧管理番号だけが残っています』

「管理番号?」

『はい』


 シンは、ゆっくりと読み上げた。


『――第七研究区画』


 その言葉を聞いた瞬間。

 カイの胸の奥で、何かが揺れた。

 白い廊下。

 遠くで鳴る警報。

 小さな手。


 そして――

 銀色の髪。


「……っ」


 カイは目を見開いた。

 だが、映像はすぐに消えた。

 何も思い出せない。

 ただ、心臓だけが激しく脈打っていた。


「……カイ?」


 レオンが声をかける。

 カイはゆっくりと首を振った。


「……何でもない」


 そう答えながらも、彼の視線は施設から離れなかった。

 なぜだろう。

 初めて来た場所のはずなのに。

 あの暗い入口の向こうに――

 自分の失くした何かが、眠っているような気がした。


     *


 その日の夕暮れ。

 ゼロ班を乗せた輸送車は、エリュシオンへ帰還した。

 巨大な城壁の門が開き、七人を迎え入れる。

 ユウは早速、グレンに夕食の献立を尋ねていた。

 リリスは負傷者がいないことを確認し、ようやく安堵の息を吐く。

 イリスは静かに装備を片づけ、シンは戦闘記録の整理を続けていた。


 レオンは、そんな仲間たちを見渡して笑った。


「よし。全員帰還だな」


 カイは、その言葉を聞いていた。

 七人。

 誰一人、欠けていない。

 それだけで、今日の戦いには意味があった。

 そう思う。

 けれど。

 カイの胸には、拭いきれない違和感が残っていた。

 あのレムナントたちは、なぜ動かなかったのか。

 なぜ、自分を見た瞬間に反応したのか。


 そして。

 なぜ、あの場所で右腕の刻印が光ったのか。

 答えは、まだない。

 カイは、城壁の向こうへ視線を向けた。

 夕暮れの空に、砕けた月の欠片が浮かんでいる。

 

 十七年前に失われた、白い月。

 その光は、今も世界を照らし続けていた。

 まるで、何かを忘れさせないように。


「……カイ!」


 レオンの声がした。


「何してる! 飯に行くぞ!」


 振り返る。

 仲間たちが待っていた。

 ユウが手を振り、グレンが笑っている。

 リリスとイリスが並び、シンは呆れたようにこちらを見ていた。

 カイは、小さく息を吐いた。


「……今行く」


 そして、仲間たちのもとへ歩き出した。

 背後では、巨大な城壁の門が閉じていく。

 鋼鉄が重なり合う、低い音。

 それは、日常と戦場を隔てる境界線だった。


 だが、カイはまだ知らない。

 その境界線の向こう側に、自分の失われた過去が眠っていることを。

 そして、十七年前に交わした約束が、今も終わっていないことを。

 砕けた月は、今日も空に浮かんでいた。


 静かに。

 何も語らずに。

 まるで、誰かの帰りを待つように。


---


**第1章 砕月の境界線 完**

【ELYSION ARCHIVE】

エリュシオン防衛軍・戦術情報データベース

FILE 001|第七監視区域・交戦記録

━━━━━━━━━━━━━━

■ 特殊戦闘部隊《ゼロ班》

エリュシオン防衛軍直属の七人編成の精鋭部隊。

通常部隊では対応困難な敵性機械の排除、危険区域の調査、重要施設の防衛などを担当する。


【主要隊員】

・カイ(22歳)

役職:副隊長

兵装:高周波振動剣《月影(つきかげ)》

戦闘特性:高速近接戦闘


・レオン・ヴァルハイト(28歳)

役職:隊長

兵装:長剣《ヴァリアント》

戦闘特性:防御・反撃・部隊指揮


・シン・クロフォード(26歳)

役職:戦術参謀・作戦補佐

戦闘特性:戦況分析・作戦立案


━━━━━━━━━━━━━━

■ 敵性自律機械《レムナント》

【R-01|スカウト】

分類:偵察型

特徴:高い機動力と索敵能力を持つ軽量機体。


【R-02|リーパー】

分類:近接戦闘型

特徴:両腕の刃を用いた高速攻撃を得意とする。


【R-03|バスティオン】

分類:重装防御型

特徴:強固な装甲を備え、前線の防御を担当する。


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【戦術記録・補足】


第七監視区域において、異なる機種のレムナント十二機が規則的な配置を維持していたことを確認。

通常の巡回行動とは異なるため、統率機構の存在を含めて調査を継続する。

記録状態:調査継続中


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※本資料は作中世界の設定資料です。物語の進行に合わせて情報を追加・更新します。

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