エピソード1 頁5
――ノルリス小王国。
大陸北西部に位置する国。かつて世界を掌握していたかの皇国より血と鉄によって独立した国家のひとつで、長い歴史を持つ王国だ。
王国を治めるノルリス王朝の華やかな歴史を飾る古都クリスティアからほど遠く、【暗黒地帯】を臨む境界付近にその街はあった。
最前線の街、アストリド。
【暗黒地帯】を探求し、世界を蝕むその異常を究明し、人類の歴史をまた一歩進めんと命知らずの踏査をする者たち――”冒険者”の憩いの拠点である。
アストリドの東西に伸びる街の基幹となる大通りには様々な施設が立ち並ぶ。
大陸有数の大商会のお膝元である武具屋や商店、街と共に歴史を紡いできた由緒ある高級宿場、冒険者組合の本部などなど。
そのなかでも、多くの人間と共に情報が出入りし、交錯する場所――街一番の大酒場、【シャーピー・アロウ】。
その夜も、酒場は多くの冒険者や労働者、商人たちで賑わっていた。
大きなフロアの片隅、四人がけの円卓で向かい合うようにしてフードルとチワは座っていた。
「痛ちち……。いつだったか、村までヒグマが下りてきた時のことを思い出すぜ……」
少年はあちこち生傷だらけで、膏薬を塗った跡が残る顔を引きつらせた。その視線は自身の左腕の痛ましい現状へ落とされている。
命からがら猟獣の追跡を振り切りアストリドに生還したフードルたち四人は、シバの実家である【オズワルド薬店】へ這う這うの体で辿り着くと、慌ただしく手傷の治療に当たった。
特に負傷の深いフードルは、シバの祖父であり店主であるマスティフ・オズワルドが手当をしてくれたが、
「命を拾ったようなもんだなこりゃあ。若いもんが大望を抱いて冒険者やるのは大いに結構だが、もう少し身の丈に合った依頼を受けちゃどうだ?」と窘められてしまった。
「ごめんね……わたし、足を引っ張っちゃったね……」
うなだれたチワがぼそりとつぶやく。
幸い、木の上から落ちたチワは、捻挫と軽度の擦り傷程度で済んだようだった。帰路の道中も、ぶつくさ言いつつライカが支えてくれていたため捻挫した足の具合もさほど悪くはなっていなかった。
「チワだけのせいってわけじゃないさ。見立てが甘かった。……正直さ。安全な街道沿いを外れたら、あんな恐ろしい魔物ばっかりなんだって話に聞いて頭でわかったつもりでいても、全然わかってなかった」
腰に佩いた片手剣に手をかけ、物思いに耽る。
その剣は鞘のなかに収まっているため一見ただの剣だが、先だっての死闘によって見るも無残に折れ、いまはもう武器の体を成していない。
「”依頼”については、これからどうするか考えないとな。まっ、とりあえず腹ごしらえしようぜ」
申し訳なさそうに俯くチワを励ますようにいたずらっぽく笑うと、フードルは木の円卓に拳を置いた。
「はいはーい。ご注文をどうぞ!」
【シャーピー・アロウ】名物の看板娘、エレナが給仕姿のロングスカートを翻してやってきた。
質素なブラウスの首元にはチャームポイントである赤のロングリボンタイ。褐色のロングスカートが、立ち並ぶテーブル席の隙間を器用にすり抜けひらひらと踊る。やがてふたりの下にたどり着いたその女性は、薄くそばかすの伸びる細面ににっこりと太陽のような笑みを浮かべて、目を細めた。
「本日のおすすめはゴールデン・ノルリスと定番ニシンの酢漬け、あとは仕入れたばかりのラム・チョップだよ~!」
すらすらと呪文のように降り注ぐメニューに、フードルは生唾を呑み込んだ。
視界の隅で、隣席にどっかり座った大男がそのラム・チョップにかぶりつき、喉を鳴らしてジョッキを呷っていく。
アストリド一の料理人である【シャーピー・アロウ】の店主が腕によりをかけて作ったおすすめだ。美味いに決まっている。
しかし、いまのフードルはわけあって金がない。ひもじい駆け出し冒険者だ。
「ぐぅぅ……。ら、ら、ら……”ラムジーさんの誘惑”を……っ。あと、エール」
「わたしはエンドウ豆のスープとサラダ、あと食後にリンゴのシードルください」
「はいよー! ”ラムジーさんの誘惑”1、エンドウ豆のスープ1、サラダ1、エールとシードル各1!」
看板娘エレナは来た時と同様器用にテーブルをすり抜けて、カウンターの内側へとひらひら抜けていった。
注文が終わったあとも、フードルは葛藤のなかから抜け出せないようだった。眉をしかめて目をつぶったり、無事な右手で頭を抱えたりしている。
幼馴染の百面相に呆れ顔を浮かべながら、チワは嘆息した。
「食べたいんだったら我慢せず食べたらいいじゃない? ちゃんと食べないと治るものも治らないでしょ」
頬杖をついた際にやわらかな前髪がさらりと横に流れる。上目遣い気味に見上げてくるチワのじっとりとした目線を受けて、ばつの悪そうな様子でフードルは答えた。
「……ガマンするさ。これから装備も新調しないとだし、な。それにシバやじいちゃんにも迷惑かけたろ」
生真面目な幼馴染のその返事に、「もぅ。意地張っちゃって」とチワは呆れまじりに笑みを浮かべた。
そのようなやりとりをしている間に、注文した品が給仕されてきた。
ホクホクと湯気に包まれたその圧倒的質量のそれは、みずみずしさを感じさせるつややかなその身に特製香辛料と香りのよい香草がふりかけられた『じゃがいも』。 ”ラムジーさんの誘惑”だ。
チワの前にはこれまた湯気と共に豊かな香り立つエンドウ豆のスープと、色とりどりの葉菜を盛りつけたサラダ。
ふたりとも食事をまえに空腹を思い出した。積もる話もそこそこに、あたたかな食事を口へと運び込んだ。




