エピソード1 頁6
「ようおふたりさん」
食事を終えて、飲み物を舌の上で転がしながら話し合っていたフードルとチワの円卓に、接近するふたつの影があった。
シバのやさしげな声音でもライカのかみつくような悪態でもない。ふたりの仲間以外で、賑わう酒場のなかでわざわざ名もなき新米冒険者のフードルたちに声をかける人間は限られていた。
フードルが目線をあげると、そこには背の高い男が立っていた。
その男は無精ひげの生えた口許ににやりと不敵な笑みを浮かべて、ふたりを見下ろしていた。その片目には痛ましい傷痕が走り、もう片方の目は気だるげそうな印象も強い意志も感じる不思議な光を灯している。
「――オリバーさん!」
オリバー・ディアス。フードルたちから見れば大先輩も大先輩の、熟達冒険者だ。この酒場に集う腕利きの冒険者たちも街で働く労働者たちも周辺国からやってきた商人たちも、そのほとんどが名前を知るところの有名人でもある。
かつて霊獣と呼ばれる強大な魔物と【暗黒大陸】内で対峙し生還した伝説は、ノルリスの片田舎出身であるフードルでさえ冒険者になる前から聞いたことがあった。
そんな高名な冒険者は、肩を回しながら歳を感じさせる所作で同じ円卓の席を引き、どかっと腰を下ろした。
「悪いな。隣、座らしてもらうぜ? ――おうい、エレナちゃん、いつもの頼む!」
腕を上げて注文するオリバーの影から、もうひとつの影がフードルの対面に座るチワの方に置かれた。その手は毛むくじゃらで、まるで熊のような手だ。
「嬢ちゃん、すまないが詰めてもらえるか?」
「あっ、ビョルンさん。すみません、いまどけます」
肩を置かれたチワはびくっと立ち上がり、そそくさとフードルの隣・オリバーの対面へと席を移した。元々チワが座っていた椅子に腰かけたその老人は、顔の半分が髭に埋もれており、でっぷりした腹がテーブルにめり込んでいた。
チワもオリバーも、ずずっと椅子を横に滑らせて、フードルと肩が触れ合うほどに近づく。――言い換えれば、その老人、ビョルンから距離を取ったということだ。チワにもオリバーにも悪意はないだろう。ただ、老爺の”食事”は少しばかり豪快なため、近くにいるとその被害を被ることになるということを知っているからこその挙動だ。それはフードルもよく知るところである。
「トマァァス! 儂のジョッキにゴールデン・ノルリスをッ‼」
ビョルンの雄叫びにも似た注文を受け、カウンターのなかから筋骨隆々の逞しい腕だけが握りこぶしを振るって現れた。
「うるせえええ! 騒ぐな黙って座ってろ! こっちから注文を取るから待ってろってなんべん言わすんだ馬鹿野郎!」
これまで幾度も繰り返されもはや恒例となったやりとりに、酒場内の空気が一瞬シンと静まり返る。だが、またすぐに賑やかさを取り戻す。またいつものか、くらいにしか皆思っていないのだろう。
その逞しい腕もすぐに引っ込み、酒場の喧噪のなかでもどたばたとなにやら慌ただしい音が奥から聞こえてくる。
そうしてやってきた、これまた熊のような大男――シャーピー・アロウ名物料理人兼店主のトマスが、石切の特大ビアスタインを運んできた。円卓に置かれた際、まるで地震でも起きたかのような錯覚にフードルは陥ったほどだ。
「どうせ馬鹿みてえに呑むんだろうからてめえで注げ!」
どすんと円卓の横に置かれたやや小ぶりな酒樽は、まるでビョルンがもうひとりいるかのようなシュールな光景だった。
「はいはーい! 失礼しますね~」
続いて手際よくエレナが持ってきた皿には美味しそうな焼き目のついた塊肉と、普通のジョッキに並々《なみなみ》と注がれた名物の特製エール――ゴールデン・ノルリスだ。オリバーが【シャーピー・アロウ】でいつも頼むセットで、オリバーの名声ゆえに冒険者にとっても有名なメニューである。
のしのしとカウンターへ戻っていくトマスと、トレーを胸元に抱えながら手をひらひらと振りながらその後ろに追従するエレナを見送る。
すでに目を輝かせたビョルンはジョッキに頭を突っ込むように酒を食らっていた。口の端から溢れた雫が髭を伝ってボタボタと滴っている。
オリバーはジョッキを軽く上げ、乾杯するとそれを口許に運び、喉を鳴らしていく。
「ところで坊主よぉ。ずいぶんと手酷くやられたみたいじゃぁないか」
皿も空き、ジョッキもまもなくカラになるというところで、おもむろにオリバーが呟いた。
フードルは手厚く治療され、包帯が巻かれた左腕を少しだけ上げて、苦笑いを返した。
「はい。このありさまです」
「ハッ、こりゃまた酷ぇな。――聞くところによると、おまえら……例の『絹糸集め』の依頼を受けたって?」
『絹糸集め』。その言葉が出た瞬間、フードルとチワの表情が少しだけ固くなった。まるで、これから怒られることがわかっている幼子のような様子だ。
オリバーは残ったジョッキのなかを一気に呷ると、指先で唇に残ったエールを拭いながら目を伏せた。
「こりゃまぁ、おっさんからの小言だと思って聞いてほしいんだが。たしかにあの依頼は一見するとかなりウマい仕事だ。目が眩むのもわかる。俺だって”お勤め”がなきゃ今頃鼻息荒くしてたかもな」
オリバーは頭のなかで、数日前に冒険者組合の掲示板に貼りだされた依頼書を思い出していた。
”【糸操りの白婦人】の絹糸採集・納品”依頼。
王都でこのたび開催される、王家主催の晩餐会に向け、王都内の服飾店では上質な絹糸が不足しているらしい。
基本的にはこういった採集・納品依頼は当然納品希望数が決まっていて、報酬もそれに見合った額に収まるのが一般的だ。
しかし稀に、このほどの依頼のように数を問わない、納品すればするだけ決まった単価分の報酬を得ることができる、わかりやすい一攫千金チャンス、といったものが出回る。
オリバーが覚えている限りでは、直近で数年前にあった冒険者組合からの直接の依頼で、【暗黒地帯】内の特殊鉱石の納品が似たような条件の依頼だった。その時は我先にとツルハシを担いだ冒険者たちが一時的に炭鉱夫となったものだ。
もちろん、【暗黒地帯】の鉱山は黒霧烟る領域のかなり奥まった場所にあるため、その時も命がけだった。
だが、今回はその何倍も危険を伴う依頼だと、オリバーは認識していた。
「――だがよ。こういうウマい話しにゃもれなくウラがあるってもんさ。もし、金や名声のために気が逸っているってんなら……悪いこたぁ言わん、やめとけ。わざわざ死ににいくこともあるまいよ」
あえてオリバーは大仰に肩をすくめてみせた。身振り手振りはやるなら大げさに、だ。依頼人との交渉も、商人との交渉も、そうして自分の意見を所作に込めてきたし、それは絶対に一定の効果が見込めるオリバーなりの処世術でもあった。
傷痕がない方の目でちらとフードルの方を何気なく見遣ると、その瞳はテーブルの中心を見つめて、思い詰めているようにも見えた。
せっかくの忠告に対して煮え切らない態度の若者に、オリバーは嘆息を噛み殺して目を伏せる。
「いい機会だ、知らないなら教えといてやろう。冒険者にも階級がある。まぁ、ほとんどのやつにゃわかりやすく見える形のもんはねえが……たとえば隣のテーブルのハゲとこの俺じゃぁ、ハゲにゃ悪いが比べものにならん」
とん、とん、と。指先でテーブルを規則正しく小突く。
「だが俺もハゲもある一点に関しちゃ同条件だ。それはなにか? ――”二つ名”だ」
「……二つ名」
オリバーが出したその単語に、今まで沈黙していたフードルが掠れた声でその言葉を反芻した。
その反応を引き出せたことに満足げな素振りで、オリバーは人差し指をそのまま握りこんで拳を作り、そのままテーブル目掛けて強かに落とした。ごつ、と鈍い音が響く。
「そう。俺ぁまぁ周囲のバカどもが”隻眼狼”なんて囃し立てて持ち上げてくれちゃいるが別にそれは正式に叙勲されたもんでもなんでもねえ。”二つ名”持ちサマから見りゃ俺もあのハゲも大差ねぇってこった。――さて、本題だが、俺ぁ冒険者は三つに階級分けできると勝手に思っている」
テーブルに打ち付けた拳をひっくり返して、指をひとつ、ふたつとゆっくり立てていく。
「ひとつ、自分から依頼を受けに行くばかりの至って普通のやつら。ふたつ、依頼主が指名で依頼してくる一線級のやつら。んで、最後にみっつ。――その人並外れた功績から”二つ名”を叙勲されたバケモンどもだ」
その言葉を発した時に、オリバーの脳裏にはいくつかの見知った顔が過った。
頭をすこしだけ横に振って、そこで一区切り、口を湿らすためにジョッキを持ち上げる。だが、その中身はすでにカラだ。
名残惜しさはあるが、諦めてオリバーはジョッキを置いた。深酒をすると寝つきが悪くなる、と口のなかで言葉を転がせて。
「さて、なんの話をしてたっけな……ああ、そう。”二つ名”な。おまえらがこれから火事場泥棒を働こうとしている相手はシルク・ウィドウ……こいつァでっけえクモの怪物よ。”二つ名”持ちでようやくやれるくらいの相手だ。たとえば、高名な”双焔”とかな。正直俺らでも、まあキツイぜ?」
「……忠告ありがとうございます。でもオレたちは――」
「まだ判んねえか? ならもっかい言っとくか。――死ぬぜ、おまえら」
どこまでも頑ななフードルの言葉に少し苛立ちを隠せなくなったオリバーは、脅しを込めた言葉でフードルの言葉を遮った。別段そこまでどすを利かせたつもりはなかったが、フードルの顔は先ほどまでエールを呑んでいたとは思えないほどに青褪めて見えた。
空気が重くなってしまった……否、重くしてしまったのを自覚して、すこしだけばつが悪くなったオリバーは、がりがりと後頭部をかいた。
「なあ。おまえひとりの我儘か、嬢ちゃんのためなのか、それとももっと別の理由があるのか知らんがね。別に夢を見るなとは言わん。だが、現実も弁えとけ。そこんとこ見誤ると、おまえだけじゃねえ、おまえの仲間も死ぬんだぞ?」
ここまで言えば、考え直すだろうと思っての発言だった。だが、今度はしっかりとオリバーの目を見つめて、フードルは決意のままに言い切った。
「忠告ありがとうございます。オレの我儘です。引けない理由があるんです」
「……おまえ、それ本気で言ってンのか」
次の瞬間には手が出る――実際ジョッキを置いて空いた手はフードルの胸ぐらを掴む形まで出来上がっていた。
手がそこで止まったのは、別に思い直したからではない。次の発言者がいたからだ。
「違います! フードルだけじゃありません、わたしの我儘でもあります!」
対面のチワもまた、フードル同様に決意のこもった真っ直ぐな瞳で、オリバーに向き直っていた。
意外な形で威勢を削がれたオリバーは、行き場の失った拳を何度か開いては閉じ、開いては閉じ、やがてどこに向けるでもなくそのまま円卓へと下ろした。
「……なんだい、資金でも貯めて結婚でもすんのかいおふたりさん。最近の若いモンは生き急いでんなぁ」
「違いますよ! 茶化さないでください!」
仲良く声が重なるところを見るにつけ、本当にそうなんじゃないかと勘繰ってしまうオリバーだったが、これ以上脱線すると本筋に戻れなくなる予感がしたためにからかうのをやめにした。
「実際のところ、その怪我でどうする? その鞘の中身だって、気付いたうえで言ってやってんだぜこっちは」
「……バレちゃってましたか」
フードルが腰の片手剣の柄に手を添える。布でぐるっと巻き締められたその鞘はあまりに固く結ばれたためにすぐには抜けそうにもない。街のなかだから、というのもあるだろうが、怪我の酷さも相まって見ると大方折られたか刃こぼれでもして使い物にならなくなったのだろうというのがオリバーの見立てだった。
「俺をだまくらかして何になるってんだ……ったく。装備くらいまともにしとかねえと本当に犬死するだけだぜ」
「……それはそうなんですが……。そうなんです、が……なにか、なにかいい方法はないですかね……?」
「くわっ! なーんにも考えてねえのかよ! なんか急に薬師の兄ちゃんや口の悪い嬢ちゃんがかわいそうになってきたぜ……」
呆れて物も言えないと首を横に振る。
真っ直ぐ見つめてくるフードルの少し困った顔から目をそらすために。
改めて、オリバーはふたりの顔をまじまじと観察した。
フードルの愚直な眼差しも、チワの強い意思を感じる表情も、事ここに至って引く気はこれぽっちもなさそうだ。
値踏みを十二分にした。
あとは、彼らにとってその”情報”が救いとなるか、はたまたさらなる不幸の呼び水となるか。
ひとつ嘆息をし、オリバーは伝えることにした。そのとっておきの”情報”を。
「しかたねえな。先輩のありがたい忠告も聞けない愚かなニュービーたちに、ひとつ面白い噂話を聞かせてやるか」
腕を組むオリバーに、さっそく好奇心を募らせた視線が集まる。
「このアストリドにゃ、冒険者の向こう見ずな探索に付き合ってくれる”傭兵”っつー物好きな連中がいるんだがな。――そのなかでも飛びっきり腕の立つ、とんでもない傭兵がいるらしい。そいつは巷じゃ”伝説の傭兵”なんて大それた名前で呼ばれてるときた。しかもなんと、数奇なことにこの【シャーピー・アロウ】の二階の片隅が特等席っつー噂だ」
「で、伝説のヨウヘイ……ですか?」




