エピソード1 頁3
「――ぐっ……⁉」
フードルが構え、振り下ろした剣撃は果たして、空を裂いてそのまま地面へと切っ先を埋めるだけに終わった。
飛び込んできた猟獣は剣の間合いに入るか否かの距離で、剣の軌道を搔い潜るように身を沈めて、そのまま駆け抜けていく。
想定外の手ごたえに、フードルは一瞬目を瞠った。その一瞬の隙を突くように利き手側から狂暴さを隠そうともしない唸り声が迫り来る。
(一匹目の突撃はオトリかっ!)
――してやられた。その思いで内心舌打ちが出た。これが連携して狩りを行う猟獣の恐ろしさ。
逡巡する間も許されない。ほとんど反射で剣を地面から引き抜き、勢いのまま強引に腕を畳み込んで、迫り来る脅威に身構える。
「ぐぅっ――」
4フィート*はあろうかという体躯が獣のしなやかな筋力とばねを最大限活かして、全速力で突撃してくる。その衝撃を受け止めた剣が、ぎしりと嫌な音を立てて軋むのが聞こえた。
「――がぁ!」
フードルは全身の筋肉を瞬発的に震わせ、身体を捻って渾身の蹴りを見舞った。
鈍い感触がつま先に走り、次の瞬間には「ギャ!」と悲痛げなうめきと共にその獣はよろめき地面をのたうつ。
頬に感じていた熱く生臭い吐息が離れていくのを感じ、フードルは後ろずさって体勢を整えた。
そこでようやくフードルが周囲に意識を向けると、すぐ後ろではチワがライカの手を借りて立ち上がろうとしていた。
少し離れたところではシバが鎚矛を振り回し取り囲もうとする猟獣たちを牽制している。
いまだ不穏さを帯びた形勢はさておき、どうにか無事そうな仲間の姿を認めて、フードルはようやく自身の息があがっていることにそこで気づく。
利き手を中心に関節に鈍い痛みが走る。
猟獣との一瞬の攻防だったが、箍の外れた肉体の挙動は理性と意識の埒外、純粋な生存本能によってもたらされた望外の動きで、フードルの肉体に着実に反動を与えていた。
オトリを務めた猟獣の個体が群れへと合流していくのが見える。
のたうっていた個体もついには立て直し、恨めしげにフードルを一瞥すると同様にまた群れのなかへと混じっていく。
猟獣の数はフードルの両の手で指折り数えてもまだ足りない。多勢に無勢。どう切り抜けるか――。
身体は悲鳴を上げ始め、息もあがったままだったが、それでもいまだ研ぎ澄まされたフードルの思考は、視界の奥に一瞬映り込んだ双眸を捉えた。
赤く血走り妖しい光を煌々《こうこう》と宿す双眸。その他大勢の猟獣と外見的特徴は変わらないが、よくよく見てみれば至るところに傷痕が目立ち、その体躯もやや大きい。
フードルの直感が訴えていた。あいつが群れの頭領だ、と。
「なにをまんじりとしている、臆病者! さぁ、かかってこいッ!」
深く考えてのことではなかった。ただ、そうすることが唯一生き残る可能性だと思えただけのことだった。
剣の切っ先を妖しく輝く赤光へ向け、真っ直ぐ睨みつけて嗾ける。最大の挑発を込めて。
当然、獣に人の言語は通じない。だが、まるで人間の集団を統率する強者のように、その個体は爛と光るその双眸を細めて、邪悪な笑みを浮かべた――対峙するフードルの目にはそう映った。
次の瞬間に、大きな遠吠えが響く。
青白いシルエットがひとつの脈動する生物を象るように連動して動き始めた。
それは下手を打てば瞬く間にフードルに死をもたらす軍隊の突撃だ。
ひとつの掛け違いも許されない。すべてを捌ききって、その獲物を哀れみ見下す傲慢な喉元に切っ先を突き付ける未来を手繰り寄せる必要がある。
少年は顎を伝う汗を身動ぎで拭った。
四人の行く末はこの瞬間に決まる。
「うおおおおおおおおおっ!」
迫り来る脅威に怯えそうになる心を奮い立たせるため、ただただ叫んでいた。
先頭を駆ける二体の猟獣を目掛けて剣を横に薙ぐ。当たった感触はない。代わりに踏ん張る足に灼けるような痛みが走る。
土にまみれて汚れた脚巾に血が滲む。
痛みに悶える暇などない。次が襲い来る。
空中に翻った影が、飛び込んでくる。切り裂くために差し出されたその鋭利な爪はきっと人の皮膚を容易く抉ることだろう。
人間のなかで一番長く、猟獣の伸ばした前肢を食い止めることができる部位は――思考するより先に無事な方の脚を前に出す。そのまま蹴りつけてやりたかったが、残した脚の痛みから踏んばりが利き切らず、体勢が崩れてしまう。
ならばとフードルは流れに身を委ねて上体を後ろへ倒し、地面へと向けていた力をあえて手放す。
飛び込んできた猟獣の胸元を靴底で受け止め、勢いそのままに脚を振り子として猟獣を進行方向へ蹴り飛ばした。
元々ついていた勢いに加えて遠心力を加えて蹴り飛ばした弾みで、体勢の制御を失った猟獣は着地もままならず胴体から地面に落ちて悶えていた。
フードルは受け身を取り、蹴り飛ばした勢いを殺さずそのまま回転して身体を起こす。
身を休める隙も気を緩める暇もない。次々と刺客は襲い来る。
いなし。振り払い。盾で殴りつけ。剣を叩きつける。
爪が掠り。体当たりを受け。牙があわや喉元まで届きかける。
やがて、頭領個体の横に侍っていた、四肢が周囲よりも一回り筋肉で隆起した強靭そうな個体がついに動き出し、他の個体と連携して躍動し始める。
フードルの身体は限界が近づいてきていたのを如実に感じていた。
疲労が全身の筋肉に倦怠感をもたらし、無数に付けられた傷が疼きだし抵抗する意思を削ぎ落していく。時折視界が霞み、ともすれば思考を手放しそうになる。
しかしその度に仲間の顔が脳裏を過り、奥歯を嚙み締めた。
顎がぎりと痛み、思考が現実へと引き戻される。
瞬間――突如視界が開けたかのように瞬くと、世界を覆い隠すように残忍な輪郭が躍りかかり、フードルに迫り来る。
(――ここだ!)
接近したその瞬間に、血管の浮き出た前肢の上腕目掛けて剣を振るう。
群れの中でひと際強靭な個体の戦力を削げれば、まだ、まだ活路はある――。
*1フィート=約30.5 cm




