エピソード1 頁15
ハルの言葉にあった木造家屋は見立て通り、そう遠くない位置にあった。
そこは杣跡のようで、森のなかにありながら開放的な空間になっている。
そんな開けた空間にぽつんと素朴な家屋が一軒存在していた。
丸太を組み上げて造られたその家屋は、荒ら屋一歩手前といった風体ではあったが、かろうじて雨風を防げそうではあった。
入口には戸がなく、代わりに風雨で薄汚れた布を仕切り代わりに垂らしてある。ハルが確認のため内部に入って検めた後に、内部はそう広くはないのかすぐに外へと顔を出して、四人へ中に入るよう首を振った。
フードルたちが中に入ると、内部は暗闇をなだめるようにやわらかな仄明かりが灯っていた。
どうやら入口の横の粗末な燭台には蝋燭ではなく、短い杖のようなものが括り付けられている。その先端は不思議な光を放っており、どうやらその光がばんやりと室内を照らしているようだった。
「それは【ルミナスバトン】という、松明などに代わる照明道具だ。燃料などを必要とせず、また火を灯すわけではないため取り扱いも容易だ。――見ろ、前回俺が残した跡が残っている。ここは俺が勝手に『拝借さ』せてもらっている場所で間違いなさそうだ」
ハルはおもむろに【フォワードタグ】を取り出すと、同じ場所へタグを削り落とした。こうして自分のみが判る跡を残して、活用しているのだろう。
さて、その室内はといえば非常に簡素で、家具のようなものはなにひとつとしてない。
数十年、もしかすると百余年から数百年と前に樵が伐採地に建てたものだと考えればそれも無理からぬことではあった。
家屋の内壁はどうやら応急処置的に補強されており、ハル(もしくはハルと同様に野営地として活用していた先人か)が施したことが想像された。それでも木窓などは腐朽が進み、開け放つことは難しそうだ。
「よし、それではここで一夜明かす。一先ずは夜の帳が降りきる前に物資調達といこう」
荷を下ろし、いくつかの小袋と小道具を携えたハルは、四人へと向き直った。
「そうだな……シバ、すぐ近くにある川で水を汲んできたい。手伝ってくれるか?」
「はい、僕でよければ!」
「お、オレも!」
「いや、フードル、チワ、ライカは待機だ。チワ、ライカは周囲を警戒、もし万が一、何事かあるようなら、フードル――」
「――! これ、ですね!」
ハルが言い終わるよりも早く、フードルは首から下げた笛を手に掲げて見せる。それはハルがフードルへ預けた呼子笛だ。
「その通りだ。役割分担といこう。いいな?」
「はい!」
拳を握りしめ頷くフードルを見て、ハルもまた満足そうに頷いた。
残されたチワは微かに不安そうに、ライカは相変わらず退屈そうに待っている。
「三人とも、先に言ったように警戒は欠かさず、だがしっかりと身体は休めておけ。【森林地帯】での行軍はこれまで以上に気を遣って進む必要性が出てくる。いまのうちに少しでも体力を回復させておくんだ」
休養という名目があれば、それは”なにもできない”という後ろめたさも薄れる。
そう考えての発言でもあり、そして事実としても野伏のチワと、チワに次ぐ感覚の鋭さを有するライカ、ふたりの知覚能力もまた生還に欠かせない要素だとハルは考えていた。
ふたりもまた頷き、思い思いに休息の姿勢を取る。
フードルだけは疲労よりも気力が漲っているのか表情を引き締めてハルとシバを見送るつもりのようだった。
「いこう」
「はい」
ハルとシバは予備の手持ち灯を持ち、連れ立って木造家屋を離れた。
しばらくは周囲の地形をあらかじめ把握しているハルの先導で黙々と歩いていた。
やがて、少しずつだがシバの落ち着きが失われていく。
周囲を警戒しているのか視線とともに首を振る機会が刻々と増え、所在なげに両手を胸の前で合わせ、もじもじと手遊びし始めていた。
悪癖の予兆、といったところであったが、ハルはむしろそれを待っていたとばかりに首だけ振り向き、シバへ声をかけた。
「実はこれからおまえたちに飯を振る舞おうと思っている。当然こんな場所では大したもてなしはできんがな。シバ、おまえに声をかけたのは食える野草の採取を道すがら頼みたかったのもあるんだ」
「へ? えっと、つまり」
「俺は多少夜目が利くから灯りはおまえに託そう。さすがに暗がりでは食草と毒草の区別も難しいだろう」
「あ――まかせてください!」
そう顔を綻ばせるとシバは、フンと鼻息も荒く身を屈め始めた。「イラクサは定番ですね! おっとアリアリア、これを用いると一段風味がよくなりますよ! やや、あれはタンポポでは! あっ、道中街道沿いで摘んでおいたイタバコも使えますね、あとでお渡しします!」と目にも留まらぬ速さで野草を採取していく。
先ほどまでは気付け薬で酔い潰れてしまい足を引っ張ってしまった、という自戒の念もあり自重をしていたようだが、大義名分を得て今はまるで水を得た魚のようだ。
「ほどほどにな」
ハルの声が聴こえていたか定かではないが、気持ちゆっくりめに歩くハルにしっかり付いてこれているので問題はないだろうと判断した。
少し歩くと、小川のせせらぎが聴こえてきた。地形的な窪みに溜まった水は多少汲み上げて使う分には充分すぎるほどで、ハルが持参した15インチ四方・深さの桶のような器に水を溜めていく。
「これはいったい?」
「手製の桶のようなものだな。”林蝕の樵”という巨木紛いの魔物がいるんだが、かつて討伐したその魔物の樹皮を用いて以前簡易的に作ったものだ。なかなか便利だから持ち運べれば良いのだが、さすがにこの大きさなのであの家屋に備え付けている」
「ほえ~……」
丁寧に織り込まれた樹皮は、その内に溜め込んだ水を逃さない。一滴たりとて継ぎ目から漏れないその密閉性に驚きを禁じ得ない様子のシバだった。
「これだけあれば充分だろう。悪いが帰りは道を照らしながら前を歩いてもらえるか?」
薬籠いっぱいの野草を担ぎ、すこし申し訳なさそうな顔で頷くシバに先導され、ハルは三人が待つ家屋へと来た道を戻る。
道中手折った低木の束を腰に下げて帰還し、間もなく夜餉の支度に入った。
石を集めて並べ、突っかけるように低木の枝を支えにして鍋受け台とする。荷から下ろした持参の鍋を台に掛けたら、次は火熾しだ。
残った低木の枝を鍋下に疎らに並べて、そこに暗褐色の破片をばらばらと投入する。
特に乾燥させた薪というわけでもなく生木なので火熾しに向いた燃料でないことはハルも重々承知だ。暗褐色の破片こそが火熾しにおける重要な要素だ。
それは、桶に使われていた素材と出処は同じ。”林蝕の樵”の外皮を乾燥させて砕いた破片である。
普通の木ではなく【暗黒地帯】内で発生した樹木魔物の外皮なだけあって不思議な要素で溢れており、樹皮の内皮は桶に使われていたように、繊維質でかつ特殊な油分を多く含むため耐水性に優れている。外皮は同様の油分を適度に含み、よく乾燥させることによって優秀な火口として活用できる。
火打石を短剣で一度、二度と擦過すると眩い火花が散り、破片に火が灯る。小さな種火が破片から破片へと移り、やがて火は大きさを増す。
その熱で疎らに敷き詰めた枝がやがて薪木となり、ようよう火の勢いは安定していった。
鍋のなかでは川で汲み上げた水に、ハルの持ち込んだ塩漬けの獣肉(軽く洗浄して塩を落としてある)、同じくハルの持ち込んだ硬く捏ね固められた小麦の塊(それを”パン”と呼ぶには多少の抵抗がある……)、そしてシバが集めた野草の数々を投入し、じっくり煮込んでいく。
しばらくすると、美味しそうな匂いにつられて室内で休んでいた三人も顔を出し始めた。
反応は一様に、信じられないものを見たような表情から困惑、そして喜色へと。
簡素な器へよそったすこし塩辛いがあたたかな汁菜は、疲れた四人の胃袋をたしかに満たしてくれるものだった。
◇◆◇
夜闇、静寂に紛れて遠く、梢の先の葉鳴りが微かな風に乗って囁いている。
背にした家屋のなかでは時折少年少女たちの話し声が聞こえてきて、男は立ち込めた霧の向こうに様々な情景を思い浮かべていた。
冒険者を目指す理由は様々だ。大きな志を抱いてこの理不尽を内包する【暗黒地帯】に足を踏み入れる者もいれば、やむにやまれず生きていく為に命を懸ける者もいる。
それぞれにそれぞれの物語がある。それ自体はハル・ヴァール・ヴィーダルにとって重要なことではない。
強い意志のもとに動く者。
大切な人間の傍に居続けたいと想う者。
好奇に突き動かされる者。
生きる糧を求めて足掻く者。
すべては同じところに帰結する。
根源的で、自然の欲望だ。
冒険者も暗黒地帯も、傭兵にとって記号に過ぎない。
重要なことは彼が触れた生身のすべてだ。生きたその感触が、いつも同じ感情を抱かせる。
「……我ながら情にもろいことだ」
自嘲する呟きは、夜陰の霧に紛れて消える。
「ヴィーダルさん」
焚火の残り火が燻り、夜もすっかり更けてきた頃。
室内の気配も落ち着き、皆が寝静まったであろう頃合いからしばらくして、不意に仕切り布の向こうから小さな声が聞こえてきた。
まだあどけなさを残した少年の声は、緊張を感じているのかすこし強張っているようにも聞こえる。
「どうしたフードル。眠れないか」
「そういうわけでは……いえ。正直に言うと、はい」
顔を出した少年は、すこしの戸惑いの後に、ハルの隣へ腰を下ろした。
残り火の爆ぜる小さな音と、遠くの葉鳴りだけがしばらくふたりの間を繋ぐ。
緊張がやがてすこしの気まずさに変わってきたのかフードルは捻り出すように話題を出した。
「すみません。夜哨をお願いしてしまって」
「いや、かまわない。慣れない遠征におまえたちも疲労が溜まっていることだろう。比較的経験のある俺が務めるのが合理的だ。そう思ったから自分で買って出たわけだしな」
「……ヴィーダルさんは、その、どうして傭兵としてやっているのでしょうか」
少年の唐突な問いかけに、男は沈黙を返す。どう返していいものか、答えあぐねてしまう。
「……どういう意味だ?」
「いえ、その……。ここまでのあなたを見ていると、オレがこれまで出会ってきた冒険者の誰よりも……なんというか、頼りがいのあるように感じて。きっとあなたなら冒険者でだって、超一流になれるだろうなって。オレ、正直に言うと……ヴィーダルさんみたいになりたいって、思いました」
「……そうか? そいつは、身に余る光栄だ。なんと言ったらいいか……そうだ、おまえが眠くなるまででいいから、よければすこし話し相手になってくれるか? 俺におまえの、おまえたちの話を聞かせてくれ」
「お、オレの、ですか? そんなこと言われたの初めてなんで、なにを話したらいいか……」
困惑した気配を露わにしながらも、少年は身の上を教えてくれた。
――ノルリスはラルト領、その片田舎の農村に三男として生まれ育ったこと。
自身の人生について思い悩んだ末に冒険者になることを選びアストリドに出てきたこと。
幼馴染が自身の今後を案じてついてきてくれたこと。
右も左も判らないなかで最初に受けた依頼主がその後も長い付き合いとなる友人との出逢いになったこと。
三人チームになって間もなくいざこざに巻き込まれ浮浪者の少女に出逢ったこと。
様々な冒険者との出逢いと、多くの小さな成功と小さな挫折。
そして、無謀な依頼を受けるに至ったその経緯まで。
「行商伝手に風聞で、故郷の穀倉が、村に盗みに入った賊が捕らえられる間際の悪あがきによって燃やされてしまったと。領主様への租税はもちろん、食糧がなくては村の皆が次の冬を越えられるかもわかりません。何度も村に帰ることを考えましたが、労働力がひとり増えても、作物は一日で生るわけでもない。むしろ食い扶持が増えればその分皆が苦しくなる。いま村に必要なのは食糧。必要なだけ都合するには莫大なお金が必要なんです」
内容はさして珍しくもない話だが悲愴なものではあったのに対して、少年には現実を嘆くような色合いは薄い。悲嘆に暮れることがなにももたらさないことを知っているのかもしれない。
ただ、前を向いて歩き続けることのみが事態を変えうることを知っての決意が、言葉の端々から感じ取れた。
「たしかラルト候は名君と名高い……」
「はい。リヴ・ラルト・シーグリッド様は慈悲深い方です。ですが王都の方でもなにやら御多忙だとか」
「ムルケ・フィヨルドか」
――ムルケ・フィヨルド。
ノルリス王都のクリスティアは、【暗黒地帯】と陸続きでの距離は遠いが、すぐ近くに黒霧に侵された入り江、ムルケ・フィヨルドを臨んでいる。
入り江からは不定期で魔物が上陸し、王都に住まう人々と、ノルリスの中枢であるスタイン王城を脅かすのだ。
その抑止の為の王直属の武力組織が”極光の騎士団”と呼ばれる精鋭たちであり、リヴ・ラルト・シーグリッド候は”極光の騎士団”の当代団長を務めている。
ラルト領には荘園もあり、執政官も配備されているであろうことから、事情を考慮し税の免除などは取り計らわれるだろうが、一農村への糧食の援助までは難しいのかもしれない。
「ちいさな村だけど、オレの故郷なんです。すこしでも力になりたい」
少年の声音には、強い意志だけがある。それはあの日、酒場の片隅にいた男の前に立った時のままに。
「オレはものも知らない世間知らずで、しょせん田舎育ちの若造だけど……。それでもひたむきさだけは誰にも負けません。たとえ、ばかだと笑われても、かならず成し遂げてみせます。だから、その。ヴィーダルさんの力を少しだけ貸してほしいんです。自分の力だけでなんでもできたら一番良いんですけど……恥ずかしながら、いまのオレにそんな力はないから」
悔しげに拳を強く握りしめる少年の横顔は、数々の感情を噛み締め震えている。
ハルはその様子を横目で見遣り、少しの呆れを含んだ息と共に呟く。
「小さな鳥には大空を悠々と渡る大鳥の考えること、向かう先は想像できないと言うが……未だ小さな大鳥の雛にもまたわからないものなのだな」
「……?」
「約款は覚えているか?」
「約款……えーと、たしか……」
『ひとつ、当方は貴方の受任した依頼に同行し、これを助ける役割を担うものである。その期間に関しては原則依頼単位とする。』
『ひとつ、当方は原則的に自律して、これの為し得る範囲で与えられた役割を遂行する。また、場合によって諸般な雑務に関しても可能な限りで対応するものとする。』
『ひとつ、戦闘支援に関して当方は貴方に直接的あるいは間接的に可能な支援がごく限られることからこれを過度に求める事はせず、同時に当方への支援もまた不要と思われたし。』
『ひとつ、報酬は例外なく達成報酬とし前金を不要とする。なおその割合は応相談とする』
「俺はおまえたちの師ではない。おまえたち冒険者を導く大役を担えるような大層な人間ではない。俺を目指そうだなどと思うな」
「ぇ……」
「俺の仕事は最初から一貫している。おまえたちの”絹糸採取依頼”を成功させ、無事に生還させること。力を貸すなど、とんでもない。それこそがまさしく、俺の為すべきことだろう。それに――」
――おまえのような人間が、ともすればいずれ英雄と呼ばれるのだろう、と。そう言いかけて、ハルは口を噤んだ。
きっとそれは、だれかに言われてどうにかなるようなものでもない。
傍観者がそう思ったことは真実だが、いたずらに一石を投じて”フードル”という少年の未来に小波を立てることもないだろう。
そこまでの話に胸裡でそう決着をつけたハルは、代わりに小円盾を差し出した。
「そういえば剣については都合がついたが、盾に関してはアテが外れていたな。俺の予備で良ければやろう」
「そ、そんな! そこまで世話になるわけには」
「チームの前衛を務めるおまえの装備が整っているか否かが、この五人が生還できるかどうかを分ける重要な要素だと思ってのことだ。さあ、受け取れ」
手渡された小円盾をどうすべきか戸惑っているフードルの肩を、ぽんと叩く。
突如、背後に視線を感じふたりは勢いよく振り向いた。
入口の垂れ下がる仕切り布の隙間、暗がりのなかに赤く光るふたつの光が爛々と外を窺っている。
「―――っ」
あまりの驚きに声なき声を上げかけたフードルの口許を、暗がりから伸びたちいさな手が抑えた。
「さわぐな、バカ!」
潜めた声音でも小煩く聞こえる少女の声――視線の正体はライカだった。
フードルの口を塞ぎ、ハルの巨体を荒っぽい手つきで押しのけて外へと出てきたちいさな身体が周囲を警戒して機敏に動く。
「野郎どもがうるさいから起きてみりゃ、ぐるっと周囲に獣くせー気配が漂ってやがる。アンタらよく平気でいられんな」
「そうか。やはりきたか。よく気付いてくれた」
「うー、むー」
「こら、しゃべるなくすぐったい! げっ、ばっちィ!」
「ぷはっ! ご、ごめんライカ! それってまさか、やつらが……」
「どうやらそのようだ。お客さんはフードル、おまえをご指名のようだぞ」
ハルが家屋の外壁に立てかけた巨盾に手をかける。顎をしゃくって指し示した先は、霧のなか。その先に広がる森から、低く唸る獣の声が地を這い響いてくる。
続けて甲高く響いた遠吠えは、復讐を希う血の気にまみれた、狂気の夜を告げる報せであった。




