エピソード1 頁11
「あの……ヴィーダルさん」
蓮を回収し、改めてまとめた荷を背負いなおしたハルを待つチワが、ふと訊ねた。
「どうした?」
「さっき、”牡鹿”がわたしに意識を向けた時に、不思議な鐘の音が聴こえたんです。そしたら、こっちに向かってくると思った”牡鹿”の意識がヴィーダルさんに、なんというか、引きつけられた……? ように感じたんですけど。あれはなんだったんでしょう」
「ああ。それはな」
ハルは腰に下げた小袋に手を突っ込み、なんの変哲もないように見える手振り鐘を取り出した。
その鐘はやや小ぶりで、特徴らしき特徴はといえば精緻な模様が刻まれていることくらいだ。
「こいつは【ヒードベル】という道具だ。ルーンという不思議な刻印によって不可思議な力を持つ骨董品で、その澄んだ音色は周囲の魔物や生物の注意をよく引き、意識を集める作用がある」
「あ! フードルに渡していた笛も……」
「【静寂の吹枝】だな。まあ、あれも似たようなものだ。俺の担いでいる多くの荷はなんのためのものなのか、さぞ不思議に思っていたことだろう。俺のような凡人が冒険者と共に【暗黒地帯】のなかで生き抜くためには、為しうる限りの備えをする必要があるからな。このような道具であらゆる事態に備えているわけだ」
その言葉を聞いたチワは、ここまで見てきたハルという男の周到すぎる知識、見識、経験則、そのすべてがその言葉に集約していく気がした。
つまり彼にとって備えることが傭兵として最重要とも言える処世術ということだ。そのためにどこで手に入れるのか想像もつかないような道具を見つけ出し、多くの荷を運び込み、得た知見を活かして危険な環境からの生存へと繋げる。
チワたちのような新米の冒険者にとっては、まさしく”伝説の傭兵”だ。
フードルたちが待機する草地がまもなく見えてくる、というところで、聴き慣れない甲高い音が響いた。それはまるで、遊牧民が離れた仲間に危険を知らせる警笛のようだ。
「――緊急事態のようだ。ここから急ぐぞ」
駆け出したハルに置いて行かれないよう、チワもまた追い駆ける。
野伏のチワと比べてはるかに重装でかつ多くの荷を背負った状態で力強く駆けるハル。完全に制御された足運びは、身軽な軽装のチワと同等以上の速度を保ち、往路で均した道を疾駆する。
フードルたちの安全が脅かされているかもしれない。そう考えると、チワの蹴り出す脚も自然と力が入る。
かなり近くまで戻ってきていたのか、駆け出して間もなく、すぐに三人の姿が見えてきた。
三人はただ待機していたとは思えないほどに息を切らして、周囲を警戒している様子だ。
「戻ったぞ。状況は?」
急制動し、三人のすぐ傍で立ち止まったハルは、その足許にぐったりと転がった塊を見下ろし、状況の把握を図る。
力なく横たわるその塊は、隆起した四肢を地面に投げ出し、凶悪な牙の隙間から長い舌を地面へと垂らしている。
それはもはや息絶えているようだ。魔物であろうと実体のある生物体である限り呼吸はする。その塊はもはや微動だにしない。
「……”猟獣”か」
その魔物はハルも知っている。通常は群れを成し、【森林地帯】を中心に【街道沿い】にも出没することがある。
しかし、足場の悪い【沼地】は嫌い、立ち入ることは基本的にないはずだ。ハルも【沼地】やその近辺に”猟獣”が出現したなどという話は聞いたことがなかった。
「突然五匹の小規模な群れで襲い掛かってきて……。僕らお互いに援護しながらなんとか襲撃を避けながらの反撃で一匹仕留めたところで、おそらくふたりが近づいてきているのを察知して逃げていきました」
ふう、と一息つきながら状況の共有をするシバの手には、鎚矛が握られている。倒れ伏した”猟獣”の頭蓋を粉砕したのはどうやら彼のようだ。
「被害はなさそうだな。しかし、不可解だ……。なぜ”猟獣”がこのようなところに」
「……あいつだ」
「?」
「なんの根拠もない、けど……。あの”猟獣”の親玉が俺たちを尾け狙っているんだ」
フードルが、自身の痛ましい惨状の左手を見つめて呟く。その様子を見れば、ハルにも察しがつく。
「おまえたちが戦ったという大規模な群れと、その群れを率いるリーダー――”猟獣のアルファ個体”か」
ハルは己の知らない、魔物の執念をそこに垣間見、自らの認識を改め警戒心を強めた。
通常であれば立ち入ることのない沼地にまで追い縋ってくる”猟獣”の群れ。この先の展開は読めない、と。
◇◆◇
襲われた三人の身体や装備に大きな被害がないことを確認した後に、ハルとチワが持ち帰った蓮の葉を蔓の縄で各々の足許に括り付けていく。
ハル曰く、個人の体質によっては蓮を肌に密着させることによってかぶれが発症することがあるらしい。布や靴越しであればよほど長時間身に付けたり、体質的に相性が悪かったりしなければ問題ないとのことだったが、それはそれとして即席の耐水長靴の履き心地はあまり良いとは言えなかった。
フードルはその踏みしめる感触の違和に、知れず眉を顰めていた。
【沼地】の探索準備が済んだところで再度移動を開始する。
道中は背の高い下生えが綺麗に均され、五人がひとかたまりになって前進していても労せず進めた。
蓮が浮く大きめの沢の横を抜け、木立の隙間を縫うように薄暗く陰鬱な湿地帯を進んでいく。
霧は依然深く立ち込め、だれかが泥濘に足を取られても気付けないかもしれない不穏さが漂っていた。
「これから探すのは二種類の魔物、そのどちらかだ。どちらでもいい。見つけ次第、狩るぞ」
湿地帯の行軍に不慣れな四人に足取りを合わせて先頭を歩くハルが、全員に聞こえるよう平明に呟く。その言葉に顔を上げた拍子に、足を泥濘に取られかけたシバの腕をハルが掴み、支える。
「足許には気をつけろ……一度体勢を崩すと立ち上がるのも至難だぞ」
「あ、ありがとうございます」
四人のなかで一番背が高いシバがしがみつき寄りかかっても、ハルはまるで根を張ったかのように微動だにしない。
その様を横目に、フードルはただ直立するだけでも踏ん張りが利かず、思うように姿勢を安定させることができなかった。
装備の重量が重くなればなるほど不安定な足場で姿勢を安定させるのは難しくなる。大きな荷を持ち、シバを支えてなお安定を保つその体幹の強さは、間違いなくフードルが瞠目するに値した。
「いまから探す魔物は”腐爛の蒐集家”と呼ばれる魔物、もしくは”混濁の坩堝”と呼ばれる魔物、このいずれかだ。前者は、あー……適切な表現が難しいんだが、巨大な泥団子……といった風体のやつだ。そして後者は汚れた水溜まりのような外見だ。こいつらは共通して、【暗黒地帯】のなかで放棄された様々なものをその身体に取り込んでいる。たとえば、荷車の残骸、野生動物や人間の死骸、それから――かつて誰かの手中にあった装備など」
「装備……って」
「まさか装備のアテって、魔物から追い剥ぐっつーコトォ⁉」
ライカが半ば悲鳴のように喚いた。
フードルも【暗黒地帯】で装備を現地調達とはどういうことなのか、いましがた説明を聞いたばかりだがまったく想像がつかないし、魔物が一度その体内に取り込んだ装備が果たして自分の手に馴染むのか疑問を抱かざるを得なかった。
だが、そのとんでもない提案を平然と言い放った張本人は至って真面目くさった様子で続ける。
「”腐爛の蒐集家”であれば装備品がまだ使い物になるか運の要素が強いが、意外な掘り出し物が見つかるかもしれん。対して”混濁の坩堝”であれば比較的まともな状態のものが期待できるが、まあ装備自体の品質は期待できんな」
冒険者たちはそんな逞しさも求められるものなのだろうか、と。フードルは内心独り言つも、その歩みは今更止められない。
たしかになりふり構っていられないのも事実。たとえ曰くがあろうとなにやら粘々していようと(フードルの脳内ではなぜか剣の柄が粘液塗れで汚れている想像が繰り広げられていた)、『使えるものはなんでも使ってみせる気持ち』さえあればどうとでもなるだろう。
決意を新たにするフードルをよそに、一行はなかなか目当ての魔物を見つけられなかった。
沼地には様々な魔物がいた。
たとえば、”深霧の鳴き袋”と呼ばれる、巨大な羽虫とも奇怪な小鳥とも端正な蝙蝠とも見て取れる外観の魔物。
攻撃性は低く、沼地の岩場に停まっているのを何匹か見かけた。
その矮躯に見合わない大きな喉袋が霧をすわと吸い込むと、悍ましい口吻の隙間からまるで似つかわしくない、憐れに助けを求める人間然とした声が聴こえてくる。
ライカはこの声に一瞬気を取られ、危うく湿地の深みに沈み込む一歩手前だった。
あるいは”菌糸の管理総監”と呼ばれる、規格外に大きな昆虫(最も近しい特徴の種で言えば蟷螂)のような魔物。
その身体の節々は虫草の類の菌糸に寄生されているかのように不自然な輪郭を形作り、その頭部には虫らしい大きな複眼と不釣り合いな茸の数々が不気味な冠と化している。
両の前肢はひと際大きく発達しているが、奇妙なことに左右非対称で、片方は円匙状で片方は刃物が連なり鋤のような形状をしていた。
その巨躯の至るところに広がる謎の菌類が不気味に発光し、なにを求めているのか――腐葉土となりうる”鉢”でも探しているのだろうか――徘徊していた。
この魔物は湿地帯の奥まった林を中心に巡回しているようで、ハルが不干渉を指示し、四人もその決定にまったく異存はなかった。
このように、様々な魔物たちを掻い潜りながら、一行は霧の広がる湿地帯を探索していった。
もはや手がかりなしでは来た道を戻ることも叶わないだろう。ハルが持つ【フォワードタグ】と呼ばれる冒険者御用達の便利道具で道標を残していなければ、五人は延々と霧の海を漂流しつづけやがて魔物たちの餌食となっていただろう。
――【フォワードタグ】。近年、偉大なる発明家により開発された探索用道具だ。
【暗黒地帯】内で産出される特殊鉱物を、特殊な方法により加工して作られる認識票は、【暗黒地帯】のなかでその一部を削り落とすことでその場を一度通過した地点として判別できる標識となる。
霧のなかを往ったり来たりし、時折その標識を頼りに現在地を確認しながら、辺り一帯の立地を把握していく。
そうやって探索するほど数刻。
ずちゅ、と、水気を含んだ異音が五人を迎える。
そのてらてらと光沢を放つ不定形の輪郭が、ゆるやかに地面を滑る。
まるで強力な粘着性を持つかのごとく、粘体が通った後は草葉の一片も残っていない。
何より異常だったのは、それなりに大きな図体の、その一部から枝のように飛び出した輪郭。煤けた灰白のその先端からは五本の末枝に分岐している。
フードルはこれまで見たこともないその枝の正体を本能で理解した。
それは、あるいは『人間の腕』だったものなのではないか。そう考えると、背筋に寒いものが通り過ぎる。
動きは極めて緩慢で、距離もまだそう近くない。だが、それ以上近寄りたくない忌避感を抱く、紛れもない魔物だった。




