番外編(9)
修が孤児院に帰ると一人の女の子が外で修を待ち構えていた。年は十にも届かないくらいで、よく修が絵を教えているので、彼女も修によく懐いていた。
「おかえり」無邪気に修に側に駆け寄った。
「ただいま、ミサキ」ミサキの頭を撫でてやった。
「……知らない匂いがする。嫌だ」ミサキは顔を修に近づけた。
「えぇ、そうかなぁ」すっとぼけて笑った。「すぐにシャワー浴びてくるよ」
「最近帰ってくるのが遅いけど何か関係あるの?」修に女ができたのではと疑っていた。
「まあ、色々あるんだよ。高校生にもなると」
「彼女?」平気な顔で尋ねた。
「そうだったら俺も嬉しいんだけどねえ」
「じゃあ、一番楽しい時期でしょう?」ませたことを言って笑った。
「まあそんなところだね」小学生とは言え勘の良い子を誤魔化すのは難しく、簡単に認めた。
「どんな子? 可愛い? 写真ある?」興味深々に矢継ぎ早に尋ねた。
「写真はないけど可愛らしい子だよ。どちらかと言うと美人って感じかな」
「そうなんだ。もうデートはしたの?」グイグイと修が落ち着く暇もなかった。
「今度、美術館に彫刻を見に行くことになったよ」
「えぇ、ズルい!」大きな声を出した。
「ズルいって言われてもなぁ、じゃあ今度みんなで一緒に観に行こうよ」
「ダメ、二人で」
「チビたちも行きたがるでしょ」
「でもチビたち来ると落ち着いて見れないでしょ。面倒見るのは私達しかいないんだから」
「まあ、そうか。ミサキにはいつも苦労かけてるしな」
「じゃあ、約束ね。誰にも言わないでね」
「わかってるよ。みんなうるさいだろうからね」
「うん、私先に戻ってるね」彼女は元気よく走って戻って行った。
修はミサキと話す時はいつも彼女に主導権を握られてコントロールされいるような気分だった。修は彼女が慕ってくれることを恋愛の感情があるものだとは当然見做さなかったし、小学生は恋愛対象から外れていた。
ただミサキの方は修に惚れており、そして気持ちが自分の方へ向いてないことも完全に理解していた。しかしそれで不貞腐れることはく、大人になれば六、七歳など差など大した障壁にならないと考えていた。ただ、離れている年が二つか三つだったら良かったのに。と、思わないこともなかった。しかし結局、孤児院内では恋愛禁止の暗黙のルールもあったため、修が高校を出て一人暮らしを始めた時にそこに入り浸り世話を焼いてあげればいいと、数年先のことを見通していた。他の女にうつつを抜かしていることは悔しいことではあったが、自分が高校生になった時にでも改めて取り返せばそれで良いとカラッと考えていた。彼女は自分の美しさをよく理解していた。
「ただいま」修が孤児院に入ると三歳の坊やがトコトコ駆け寄ってきた。
「だっこぉ」修の足元で飛び跳ねていた。
「ヒデ、まだ修くん帰ってきて着替えてもないんだから、あんまり無理言っちゃ駄目でしょ」嗜めたのはミサキだった。チビどもの前では女を隠し、良いお姉さんとして過ごしていた。
「ありがとうね、ミサキ。でも大丈夫だよ。よし、ヒデ抱っこだ」抱っこだと言ったがその本当の意味は肩車であり、修は深く蹲み込んだ。
「バッグ、部屋に持って行っておくね」ミサキは修の通学カバンを手に取った。
「ああ、ありがとう」
修は子供達の相手をしてから宿題を見てやった。ミサキは先に宿題を終えていたので、デッサンの指南書を開いて修から指導を受けながら絵を描いていた。絵を教えてもらうことを口実に修の隣に座り、いつも机の下で足同士をくっつけていた。
修がサッと描いたお手本のレモンはすぐにでも爆発しそうなほどよく描けていた。ミサキは幼いながらに修はこんなところで人生の浪費をしてはいけないと思いながらも、彼はそうするしかないのだから、自分だけ身を引いても彼が解放される訳でもないので、この関係性を続けることにした。
ミサキは彼の描いた些細な絵も集めて夜な夜な眺めていた。彼女が最も嬉しかった絵は、自身の肖像画であった。修の描いたミサキは美しく、しかし誇張することなく素直に描かれており、ミサキはその時に自らの美しさを自覚した。容姿至上主義のこの時代に、自分は美しくこの世に生きていてもいいんだと初めて心の底から思えた。その時に受けた衝撃は凄まじく、修を信仰し始める原因の一助になった。
「モデルが良かっただけだよ」そのことを伝えると修はカラッと笑っていた。「将来はもっと美人になるだろうね」相手が子供であるから修はなんでも言えた。
ミサキは修に自画像を描くように頼んでみたことがあったが断られてしまった。ミサキは修が自分と同じように自分自身を受け入れられていないのだろうと悲しくなった。ミサキは自分を通して修に修を受け入れさせようと思った。そのためには立派な女性にならないといけなかった。
「分数ってのは、ほら、この前買っていたリボルバーのオモチャあるだろう? あれに弾が全部で六発入るけど、残り一発しか入ってなかったら六分の一ってことだよ」と、身の回りの物などを使って具体的に説明していた。それからそのオモチャが二つあったと仮定して分数の足し算を教えていた。
そして坊やのヒデは修の隣に座ってひらがなの練習をしていた。幼いヒデは皆が集まって勉強している姿が自分を除け者にしてゲームでもしてるのかのように映った。
「べんきょーいっしょににする」何をしているかもわからないで駄々を捏ねた。
「ヒデはまだ勉強なんてできないでしょ。みんなの邪魔になるから他の子と遊んでて」
「べんきょーするの!」ジタバタやっていた。
「ヒデ、じゃあ一緒にしようか」
修はヒデの好きなキャラクターを色々描きその下にひらがなで名前を書いて、それをヒデは書き写していた。
孤児院の職員はこんなふうに未就学の子供達までが集まって皆で勉強する光景は滅多に見れたものではないと、修に一目置いていた。それを最も誇らしく思っていたのはミサキだった。
修も子供の面倒を見てやるのは楽しみではあったが、大変な労働の側面も確かにあった。修はいつもミサキが淹れた紅茶を飲んでからその疲れを取るべく眠りにつくのであった。
翌朝、修がちょうど学校へ着いた頃、彼をじっと見つめる美しい男の姿があった。彼は特進クラスの生徒で、葵と同じクラスだった。彼はいつも修を見ては溜め息を吐いていた。何度も声を掛けようかと思いタイミングを見計らっていたが、美しい彼のことを誰も放って置かなかった。友人と歩きながら修を横目に通り過ぎた。しかし目で追いかけていた。
そこに東という隣の特進クラスの男が女を連れて偉そうに歩いていた。そして東と修の目があった。修は恐ろしく冷たく射殺さんとすると悍ましい視線で東を貫いた。
「てめえ、なにガンくれてんだよ」と東は大きな声を出した。
修はゆっくりと一歩ずつ近づてゆき、その度に東は後退した。危険人物としての格はどちらが上なのか誰が見ても明らかだった。修は東のすぐ側に立つと小声で何かを囁いているようだった。そうすると侍っていた女は先に何処かへ歩いて行った。修は東の肩を組み暫く何かを話していた。それが終わると東の肩をポンポンと叩いた。東の表情はすっかり青褪めていた。
その光景を見ていた美しい男も修の恐ろしさに戦慄していた。




