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美しい男が教室に入っとき、みなは彼ににこやかに挨拶をした。彼は当然の権利であるかのようにその挨拶を享受して周りを見渡し、目についたのは葵だった。葵がここ数日修と一緒に中庭で過ごしているのを知っていたからだ。それどころかちょっとした噂になっていた。京谷修に何か弱みを握られたのだろうと。それが本当だと思えなかった。しかし、東を脅す様子は幼い頃の彼と全く違うものだった。美しい男は葵の方へゆっくりと歩いて行った。
「おはよう、室生さん。ちょっと尋ねたいことがあるんだけどいいかな?」優しく暖かく自信に満ちた声だった。
「えっ、あっ、はい。なんでしょう」まさか有名人である鈴木に話しかけられるとは思っておらず声は裏返り、その恥ずかしさから頬を赤く染めた。
「修についてなんだけど……」
「鈴木くん、京谷くんと知り合いなの?」修の名前が出てその表情が強張った。
「まあね、古い友達ってところかな。それで最近室生さんと一緒にいるところを見かけてさ、本当に噂されているような関係性なのかなって?」
「……噂って?」声は緊張していた。
「室生さんが修に脅されているんじゃないかって」
その噂が事実無根のものであったので葵は少し安心した。
「全然、そんなことはないよ」葵は首を横に振った。
「そうだよな」鈴木もほっとしたような表情を見せた。あんなに正義感が強く誰にでも手を差し伸べて助けていた修が、そんなことするわけがない。一瞬でも疑っていた自分を恥ずかしく思った。「じゃあさ、二人ってのはどういう関係……」
「おい、あおいー」と教室の外から下品な声が聞こえた。
葵はその声の方へ顔を向けると結衣と楓が立っていた。
「鈴木くんごめんね。ちょっと行かないと」
「ああ、そうだね。わざわざありがとう」
葵は俯いて二人の方へ小走りで駆けて行った。
三人は非常階段の踊り場に集まった。
「葵、ミッションの方はどうなったの?」下品な笑みを浮かべた。それは当然修との関係についてだった。この下品な女はミッションなどとゲーム感覚で嘲笑っていた。
「……うん、デートに誘われた」
「アハハ、マジで? あの奥手そうな男がねえ、葵、よっぽどアピールしたんじゃないの?」アピールという一語に下劣な意味をふんだんに詰め込めていた。
葵は俯いてスカートの裾を握りしめていた。結衣が言うミッションとは修からデートに誘われることだった。葵はそれは自分ではどうしようもないと抵抗した。
「本当に何も考えないでデートに誘ってくる男なんて実際は少ないんだから、こっちからデートや食事に誘っていいですよってアピールしたり、気がありますよって誘惑したりするの。わかる?」
葵は口を閉ざしていた。
「簡単よ。じっと眼を見つめたり、自分の身体を押し当てたり、相手の身体を触ったり、それだけでよほど馬鹿な男じゃなければ察するわ。馬鹿な男だったらその時はその時よ。今度行きたい場所があってーとか餌を撒いてやれば、じゃあ一緒に行こうって普通誘ってくるけどね」
葵は返す言葉もなく頷いた。
そして翌日、言われた通りに実行すると修は撒いた餌に面白いほど素直に喰いついてきた。
「ねえ、それでどうやって誘惑したの?」結衣は笑い続けていた。「おっぱいでも触らせてあげたの?」
「そ、そんなことしてないよ」
「そりゃあ葵のまな板なんて触っても面白くないでしょうしね」自分で言ったくせに嘲笑した。「それでどんなことしてあげたの?」
「普通に身体を触ったり、ちょっとくっついたり……」声は徐々に消え入るようだった。
「それだけ?」
「……うん」
「まあ、あいつ欲求不満そうだしね。次はエッチに誘われるかもよ。あぁ、いいじゃん次のミッションはエッチってことで。どう? 意外とあんな男でもヤってみたら気にいるかもしれないよ」薄ら笑いはその顔に張り付いていた。
「い、嫌だよ……」
「ねえ聞いた楓、酷いこと言うのね。そう言えばさっきあのイケメン君に言い寄られて顔を真っ赤にしてたし、葵って自分はブスなのに面喰いなのね。確かにあのイケメン君に言い寄られたらあんな京谷なんて男はゴミ屑みたいなものだけど、仮にもあなたが困ってる時に手を差し伸べて、理由があるとはいえ葵にされたことに恨み言一つ言わずに、それでも助けたいって言ってるのよ。それだけじゃなくて葵のためにタクヤを脅しにきたんだから。そのせいで今震えてる縮こまってるの」
「そんなことがあったの?」と、驚いたのは口を閉ざしていた楓だった。「道理で今日は大人しかった訳だ」一人で頷いていた。
「そう。で、それでもやっぱりヤらせてあげたくない?」
葵は黙って頷いた。
「ホント酷い子ね。私なんて一緒に脅されてるときゾクゾクして濡れてきちゃったのに」スカートの上から股を押さえて笑った。
「それはあなたがドがつくほどのMだからでしょ」冷たく言い放った。
「あれだけ想われてるなんて喜ばしいことだと思うけどねえ。そう思わない? 楓」
「結局それは思われる方の気持ち次第だからね。まあでも、彼も報われないわね」
「まあでも、ミッション失敗かぁ。どんな罰が必要かしら」下衆な笑みを浮かべた。
「え、待って、他のことをやりますから、許してください。お願いします」頭を下げて懇願した。
「えー、どうしよっかなぁ。ねえ、楓」
「私は東のことを考えると今は葵を彼の元に置いておいた方がいいと思うけどね」葵を見下して言った。葵も顔を上げて頼りない視線で楓の言葉を待った。
「ミッションを続けるってこと? それはいいけど、どうしてタクヤが出てくるの?」
「今、東は弱ってるんでしょ? 彼の性格上こんな時は弱い者を虐めをして憂さを晴らすはずだけど、ちょっと今回のことは流石に堪えてるんじゃないかしら。東のプライドを彼にズタズタにされてしまったわけでしょ? そしたら彼が親密な関係を築いていると思っている葵に対して執着すると思うけど、変な拗らせ方をしてそのままズブズブ葵の方に溺れていくかもよ? そんな弱い男に興味がないんだったら別に好きにすれば良いけれど」楓からしてみれば葵なんてどうなってもいいはずだが、修へ押し付けることを提案し、それは結衣の思惑とも一致していた。
「あんなにに弱くて、悪党としての格が違う相手に喧嘩を売ったりするのが可愛いんじゃない。まあでもそうね。じゃあ、葵のミッションはどうしようかしら?」
「それこそさっきの胸を触らせるってのは丁度いいんじゃないかしら」
「そうね。あまりの無さにあいつが幻滅したら笑えるしね」手を叩いて笑った。
「まあ、そういうことはないでしょうね。彼は葵のであれば無を揉んでも喜んで満足するタイプだと思うよ」
「なによ無を揉むって」笑っていた。「まあいいわ、ちゃんと音声データか動画で証拠を残しておきなさいよ」
「……はい」
「ま、私はタクヤに元気を出してもらうために、ちゃんとある物を揉ませてあげないと」結衣は一人で歩いて行った。
残された二人はその場にとどまっていた。葵の場合は立ち竦んでいたとでも言えるだろうか。
「……あの、さっきはありがとう」消え入る声で言った。
「彼が東の弱点である以上、彼をどう思おうが勝手だけど、ぞんざいに扱うのは自分の首を絞めることになるわよ。分かる?」
「……分かってるよ」
「あなたはもう彼を利用して利用し尽くすしか道はないのでしょう? いくらあなたが彼を嫌っていようと、飴と鞭を使い分けて都合のいいように使うしかないの」
「利用って……」
「そうでもしないと彼が可哀想よ。あなたができることは目的を達成するまで利用するか、ハッキリとその気持ちを伝えて突き放すしかないんだから」
小さく頷いた。
「本当にイライラするわ」そう言い残して楓も教室に帰って行った。
葵はぼうっとして暫くその場に立ち尽くしていた。




