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翌朝の学校では、修の上履きはめちゃくちゃに切り刻まれており、下駄箱には虫に死骸が山積みになっていた。
「よく集めたなぁ」虐めの被害者とは思えない呑気な一声だった。
修は仕方なく来客用のスリッパを履いて教室へ向かった。
あっちに労力を割いたからか机は簡単なもんだな。そう思って笑い、教室の外に投げ出された机を教室の中に運んだ。それから修は仮病を使い早退し、あの廃工場へ向かった。これを片付けて置かなければ先生が発見し加害者を探し出すことになり、葵に被害が及んでしまう。そのことを心配していた。
やはりと言うべきか、小型スクーターが置かれていた。フロントパネルの裏側に小型の発信機を強力なテープで取り付けた。携帯を見て動作の確認をしてそれから学校に向かった。鉢合わせるかもしれないので、学校を早退することが一番安全に思われた。
あいつの荷物にもなんとか一つ仕掛けたいが、難しいかもな。あとは飲酒、喫煙、恐喝して金品を巻き上げてる現場や、暴行の現場は最低条件だ。
どうせあいつならそのくらいやっているだろうと、悪い意味で不良男を信用していた。だが、案外用心深い男だった。その証言と現場を抑えるためにどうすればよいか、悪い頭を回転させて考えた。
どうにも考えは纏まらなかった。纏まらないまま学校へと戻って行った。
授業中もどうすればいいだろうかと常に考え続けていた。しかし昼休みが近づくにつれ考えが霧散し、葵の美しい笑顔が占める割合が多くなってきた。
俺は昨日よくあんなことが言えたな……。室生さんは今日も来てくれるのだろうか。いや、来てくれているのも罪悪感からだろう。そこに漬け込むような卑怯な男になってはいけない。
頭の出来があまり良くない修は、物事を自分の都合のいいように捉えてしまう癖があり、少し考えれば奴らに命令されて会いに来ていることなど考えつきそうであるが、僅かな希望を膨らませ、膨らまさせ過ぎて、思考の余地を奪い去ってしまっていた。
それが罪悪感であれ、自らの気持ちで自分に会いに来ているものだと信じ込んでいた。
あまりに愚かで惨めであった。
修はその表情を輝かせた。愛しの葵が強張った笑顔を携えて教室の外に現れたからであった。優しい春風が吹いてきた心持ちであった。
「ごめんね……上履きは弁償するから……」
「いいよ、気にしなくて」
「明日には買って持ってくるから」
「そんなに焦らなくていいよ」気にしていなかったがあまりに葵が申し訳なさそうなので素直に受け入れることにした。
二人は昨日と同じベンチに腰を下ろした。
修は上手く喋ることができなかった。本当は尋ねたいことが山ほどあった。それは不良たちについてだけでなく、葵そのものについて、その人間性の核の部分に触れてみたいと願っていた。ただそれは叶わず沈黙ばかり、修は仕方なく不良たちについて尋ねることにした。
「……あのさあ、あいつらに虐められてる子って他にもいるの?」本当は葵がどんなことをされているのか、どんな弱みを握られているのか聞きたかったが、それを聞いてしまえば何かが壊れてしまうような気がして、気がついていないふりをして自己洗脳していた。
「……え?」困ったような声だった。それからすぐに首を振って答えた。「何をされてるかはわからないんだけど、清水くんって気弱そうな子が東と一緒にいるのをたまに見かけるよ……」
「恐喝かな?」疑問符がつく文言ではありながら、意思はすでに確定されていた。
「……多分」
「ありがとう。今度こっそり現場を押さえてみるよ」
葵は何か言いたげに修を見ていた。修もその視線に気がつき、見つめ返したら。その眼をじっと見ていると吸い込まれてしまうのではないかと本気で思った。それだけで修の脳は加熱され思考を奪われていた。
「そう言えば、上履きのサイズ何センチだっけ?」上目遣いで言った。
「確か二十六だったかな」
「でも、最初から亀裂が入ってたからサイズが変わってたんじゃない?」
「そうかも」
「今日帰りに一緒に買いに行く?」なんてことなさそうに呟いた。
「え、いいの?」指はその緊張と高揚からベンチを音を立てずに叩いていた。
「だって、サイズ合わないのを買ってくるわけにもいかないし」
「では、ありがたくご一緒させていただきます」大袈裟に首を垂れた。
「はい、じゃあ、放課後は裏門に集合ということで」
「裏門ね、わかった」修は浮かれて頷いた。近所の洋品店で現地集合とでも言われると思っていたからだ。
予鈴が鳴り響いた。
「またあとでね」小さく手を振った。
修の片手を上げて応えた。
夢なんじゃないかと思った。しかしどうにもそれは現実だった。ありきたりな表現だが、彼の世界には着色がされたようだった。彼は瞬間にそれを体感した。そして修にはどうにもその世界は眩しすぎるように思われた。
自身の精神の相反するものが闘っているのだろうと考え、その行末がどうであれ自身の役目を果たさなければならないと強く感じた。
修は葵を待たせるわけにはいかないと考えて早い時間から裏門の側で立ち止まっていた。
奴らが来るんじゃかないかとも思ったが、すぐに葵が小走りでやってきた。その小走りの時の揺れる髪ややスカートに目を奪われた。
「待たせちゃった?」
「俺も今来たところだよ」
「じゃあ行こっか」
修は頷いて二人で歩き出した。しかし赤信号で二人の出鼻は挫かれ、修は何を言ってらいいか考えていた。
「京谷くんって休日は何してるの?」
「あぁ、えっと、孤児院の子供達の面倒を見てるよ。まあ、一緒に遊んでるって言った方が正しいかもしれないけど」まさか自分の私的なことを聞かれるとは思ってもいなかったことには
「そうなんだ。私は子供に好かれないから絶対できないな」
「そうなの?」
「うん、甥っ子とその友達には随分避けられちゃってね」
「そりゃあ緊張するさ。子供といえど」
「そうだよね。よく冷たく眼をしてるって言われるし」
「困ったな。思ったことをはっきり全部言わないと意味は伝わらないみたいだね」
「……どういうこと?」
「室生さんが大人びた美人だからって意味だよ」
葵は黙って俯いた。修はまずいこと言ったと思った。まだこんな軽口で口説いていいような関係性ではなかった。まあ、言ってしまったものは仕方ない。何をしても無かったことにはできないのだから。
「室生さんは何してるの? 暇なとき」
「あ、え、えっと、読書かな……」
「何読んでるの?」
「北方謙三って分かる?」
「そりゃ知ってるよ、ハードボイルド作家の。ああ、それとも歴史小説のほう?」
「ううん、ハードボイルドばかり読んでる」
「そうなんだ。でも意外だね、ハードボイルドかぁ、全然想像がつかないや」
「ジッドでも読んでそうだった?」
「あまり反応に困ることを言わないでよ。俺は結構好きだけどね」
「ごめんなさい」フッとはにかんだ。「京谷くんは、最近何か読んだ?」
「藤村の破戒かなぁ。情けない話だけどぼろぼろ泣いちゃったよ」
「そうなんだ……」
葵は気まずそうに表情を翳らせた。
その物語の主人公である丑松と修の間に、自身の罪ではない罪を背負って苦しんでいる共通点を見出した。葵にはその涙は正当なものに思われた。悪いと思いながらも、修について調べていた。修が小学生の頃に書いた卒業文集があった。発狂した母親が賞を取った絵をメチャクチャに破り捨てた。が、一時正気を取り戻して母がもう一度テープで繋ぎ直してくれ、その絵が泣きたくなるほど美しくなっていた。と、そんな内容の作文がインターネットで拡散されていた。そしてその母親は今は精神病院で入院しているという。
修になにを言えばいいのか、修が何を求めているのか葵には理解できなかった。できるはずもなかった。ただ、その光の無い瞳を覗き込むと、自身まで闇の中へ引き摺り込まれてしまうのではないかと不安に思った。彼の瞳はその闇の中に慣れきってしまっているのだろうと……。




