24
放課後の空き教室に葵と楓と結衣の三人が集まっていた。結衣は悪魔のようなニヤケ面で携帯を取り出して葵を撮影し始めた。葵は顔を髪で隠しながら、それ以上の抵抗は却って逆効果であることは理解していたので大人しくしていた。
「ねぇ葵、そのポケットの中のものは何かしら?」悪意の滲む声だった。
葵はもじもじと大人しくしていた。
「そのポケットの中のものを見せなさい」ピシャリと言った。
葵は渋々といった感じでポケットからゴム袋を取り出した。楓は歪んでいた顔をさらに歪ませてその袋を見た。葵が修の性処理を無理矢理させられていることを知らなかった。
「それは誰の何?」なんてあからさまに笑った。
「……京谷修の精液です」
「なんでそんな冷たい呼び方をするの? あいつは葵の愛する王子様でしょ、恥ずかしがってるの? 助けてくれて、愛して優しくしてくれて、デートもエッチなこともして」
「全部あなたが命令したんでしょ」少し声は荒かった。
「何よその目」
その冷たい言葉だけで葵を萎縮して黙らせた。
「……愛しの修くんのが私のために出してくれた精液です」
スマートフォンは葵に向けられたままゲラゲラと笑った。
「そうでしょせっかく出してくれたんだから、飲み干してあげないと」
葵は彼女の命令に背けないことを身をもって知っていたため、言葉すら出ずに絶望した。楓はあまりに悪辣な命令にその抗議の視線を結衣に向けた。
「おい、早く飲めよ」低く圧をかけた。
葵の全身はブルブルと震え始めた。目には涙が浮かび、顔は屈辱と恐怖からぐちゃぐちゃに歪んだ。そのまま耐えきれず膝をついた。
「まず、その縛ってるのを解け」
葵は言われた通り縛られているゴムの根本を解いた。腐敗臭が漂ってきて。それは地獄の底から漂っているようだった。精液の一匹一匹がドブネズミの死骸に湧く蛆虫のように思われて、葵は顔を背けた。あまりに悍ましく、背筋は凍りつくいて何度もえずいた。結衣はその様子を見て、腹を抱えて笑っていた。
「ああ、そっか。飲みたくないんじゃなくて、その精液をディルドに塗りたくってこの前みたいに可愛がって欲しいんだぁ」
「飲みます! 飲みますから、それだけはやめてください」絶叫し、笑い声が響いた。
葵は歪む口元をゴムに近づけたがどうにもダメだった。あまりの醜怪さに全ての細胞が拒絶を選択した葵は、チラチラと楓に視線を送り助けを求めた。
楓もその視線に気がついた。あまりにも見ていられない哀れな表情に意を決した。
「……結衣、もう十分でしょう」
「は、何お前がでしゃばってんの?」
「流石に見るに耐えないわ」
「見るに耐えないんだったらお前が代わりに飲めよ」
楓は呆れたような表情を浮かべて葵のそばへ歩くと、彼女の手からゴムを奪い取り躊躇いもなく口を開けてゴムをひっくり返して口の中に含んで顔を歪めた。なんとか嚥下して手の甲で口元を拭った。表情は歪み引き攣ったままだった。楓は結衣の加虐性をよく理解していた。葵のように嫌がって泣き喚いた方が喜ばせてしまうことは明白であり、楓の行動は迷いなく行われた。
「結衣、あなたいつもこんなものを飲まされてるの?」なんて言う余裕さえあった。
「つまんな」結衣は白けて動画の撮影を止めた。「葵、明日は絶対飲ませるからな」
言い残し空き教室から立ち去って行った。
「……ごめんね、ありがとう」瞳は潤んでいた。
「別に、あなたと比べれば大したこともないし」葵が肉体で奉仕を強制させられていることを知れば、そうも思えた。「彼に計画の実行を急かしておかないと」
「大丈夫かな?」
「まあ、彼も二人を脅す証拠は色々集めてるみたいだし。これは勘だけど、清水も利用してそうな気がするのよね、叛旗を翻すよう嗾けられたんじゃないかしら?」
「でも、どうして?」
「私に対する目つきが今に見てろよって感じで、向こうからしたら私を恨むのは当然でしょうね。美人局の実行犯は私なんだから」
「でも、それは二人に脅されて……」
「被害者からしたらそんなことは関係ないわよ。まあ、後のゴタゴタにも彼の力を勝手に拝借するわ。清水も彼には恐れているでしょうからね」
「……私にもできることってないかな」
「彼の庇護欲を唆って実行を早めるよう懇願することね。あとは私の口内を救うために、炭酸でも奢って貰おうかしら」
葵は頷いて立ち上がった。
二人は購買からの帰り道に並んで歩いた。
「明日のために偽物の精液を準備しておきなさい。ほら」と、携帯を葵に向かって見せつけた。「卵白や練乳を使って作れるみたいだから。それをあらかじめコンドームに忍ばせておけばいいでしょう。あとはまた昼休みに彼を人気のないところに連れ込んで、早く助けてとあなたのその可愛い顔でお願いすることね」
「うん、わかった」小さく頷いた。
「最近は彼と一緒に帰ってるんでしょう?」
「……うん」俯きがちに頷いた。
「じゃあ、早く行ったら? 難しいでしょうけど表面上は彼を慕ってるように思わせないと」
「最近……本当に……京谷くんが悍ましくて……」生々しい肉体の接触を経てからその想いは指数関数的に募っていた。
「そう、それでもあなたがやるしかないのよ」冷たく言い放った。「精液を飲むことは変わってあげられても、彼が愛しているのは私じゃなくてあなたなんだから」
「……そうだよね、ごめん」
二人は別れた。
楓は葵にも修にも同情した。修の優しく温かい精神が向けられる先は拒絶があるだけだった。どうにもやりきれない。修が問題を解決した後のことはなるべく考えないようにしていた。その時傷つくのはおそらく修ただ一人だった。自身と葵はようやく救われて自由になり、その踏み台として修を使う。楓はドライな性格に見えるが、その実は修と同じように深い愛情の持ち主だった。葵に拒絶されて彼女からの愛情が全て偽りだったと告白された時、彼は立ち直れるのだろうか。だからといって葵に偽りの愛情をもって接しさせ続けるのは、彼女を怯え具合を見れば不可能であることは明らかであり、結局いつまでも続くわけではなかった。
大きな息を吐いた。修は悪い男ではないのだから、そのうち誰かに愛されてそれ以上の愛情をもって応えるだろう。と、なんとも他人任せな結論を導いた。
葵の足取りは重かった。修を悍ましく思うよりも、彼の善良な心を弄び傷つけることへの罪悪感の方が葵の中では大きかった。不安定な葵の心はそうは思っていても、二つの感情とまた別の苦しみが混ざり合い無秩序に広がっていた。自身のために身を粉にして動いてくれる修を酷く醜いものと見做して変えられない自身をもっとも激しく嫌悪して攻め立てた。
裏門に目を向けると修の前にあの美しい鈴木が立っていた。
鈴木の存在は葵にとってありがたいものだった。葵も楓と同じように修には救われて幸福になって欲しいと願っていた。そしてそれを叶えることができる唯一の存在が鈴木であるように思えた。
鈴木はその美しさで修を圧倒しているようだった。修は門の際まで追い込まれて身動きもできずに、手をギュッと握られて、ジッと見つめられていた。修の顔は少し引き攣っていた。
葵はその光景が微笑ましく暫く眺めていようかと思った。しかし、修は葵に気がついて視線で助けを求めた。葵は気がついたがニヤニヤと放っておいた。暫くすると鈴木も修の視線が自分でない場所へ向いてることに気がき振り向いた。
「室生さん」鈴木は嬉しそうな声を出した。
葵は二人の元に駆け寄った。
「よかった。仲直りできたみたいで」微笑んだ。
「室生さんのおかげだよ」
「別に仲違いしたつもりはなかったんだけどな」修も横から笑った。
そんな修らしい軽口を鈴木は快く受け取った。彼の変わらない性格が眼を見て少し話しただけで伝わってきた。
「そういえば、二人は一緒に帰ってるんだっけ?」
修はふと葵の方を見た、恥ずかしがっているのか口を噤んでいた。葵も盗み見るように修の方を一度目を向けた。
「……まあ、ちょっと色々あってね」葵を慮って少し濁した。
「じゃあ俺も一緒に帰ってもいいかな?」
「えぇ、嫌だよ。なんでお前と」わざとらしく言ったが、その実葵と下校する楽しみを鈴木に邪魔されたくはなかった。
「もう、なんでそんなこと言うの?」葵もわざとらしく修を注意して叩いた。「三人で帰ろうよ」
「悪いね室生さん」鈴木は笑いながら修の肩を組んだ。
室生は微笑みながら頷いて鈴木の隣へと移動した。
修はなぜ自分の隣へ来てくれなかったのかとショックを受けた。しかも、鈴木に向けられた笑顔はいつも修が心から欲していた屈託のない爽やかで眩く尊いものだった。修の視線はその一点位に向けられたが、眩い笑顔が帰ってくることはなかった。
悲しいね……泣




