13
修がヒデの手を握り締め孤児院へ歩いていた。ヒデはジャンプして修の腕にぶら下がった。修も腕を上げてヒデを喜ばせた。それを羨ましがった他の子達も順番に修の腕にしがみついてぶら下がった。
それから修は正面を向いてハッとした。目の前から歩いてくる美しい女は、あの清野楓だった。修は足を止めて光の失われたドロドロと絡みつく臭く澱んで腐った精液のような視線でその女を迎え撃った。
子供たちもその普段自分たちに向ける優しい笑顔が損なわれ、現れでた悍ましい表情に怯えていた。
「そんな顔しないでよ。子供達が怖がっているじゃない」子供達が怯える様子を見て悲しそうに言った。
「お前が視界から消えてくれたらこんな顔をしなくても済むんだけどな」俺があいつらのことを探っているのに気がついて牽制しにきたのか? 修は疑った。
「大事な話があるの、子供たちは帰らせて二人で話せない? 葵にも関することよ」
修はすぐに悍ましい表情を隠し、ミサキの頭を撫でた。
「みんなを連れて先に帰ってくれ」
「……うん」自分の知らない呪われた修の一面を見て言葉を失っていた。
子供たちは静かに歩いて行った。さっきまでの喧騒は嘘のように消え去っていた。修は子供たちの背中を見送った。ヒデだけが振り返り、指を咥えながら修を最後まで見守っていた。
「あなた学校のジャージを普段着にしてるの?」一緒に子供たちの背中を見送っていた楓は振り向いて尋ねた。
「子供と遊ぶのにおめかしなんてしてられるかよ」突っぱねるようだった。
「それもそうね」フッと笑った。「さっきの公園でいいかしら?」
二人は公園まで逆戻りしてベンチに並んで座り、修は楓の横顔を眺めた。彼女は彫刻のように美しかった。深い紺色のワンピースは彼女のためだけに仕立てられたのかと思うほどよく似合っていた。
「それで話って?」脅すように言った。
「先ずは謝らないといけないわ。私にも事情があったとはいえ、あなたのことを調べてここまで押しかけてしまって。申し訳ないわ」頭を下げた。
楓は顔を上げその美しい表情を翳らせて修の瞳をじっと見つめた。彼女は自分の美貌が持つ力しっかりと理解していた。そして最初の勝負には呆気なく楓が勝ち、修は地面へと目を逸らした。
「それで、話というのは単純で、信じてもらえるかは分からないけど、私も弱みを握られて脅されてるの」声は少し掠れていた。
修も少しは思うところはあった。最初に会った時、彼女は自分を人殺しの息子と罵ろうとする結衣を制止して黙らせていた。それがもし、修の逆上を恐れていたのではなく、彼女の善良な心から出ていたとすればどうだろうか。
それに彼女が級友と笑顔で話している姿はとても子悪党のものとは思えなかった。しかし、清水が色仕掛けで脅されたという話もある。次のターゲットが自分になったのではないかと疑いながら、楓の言葉をじっくり聞いていた。
「それにしてもお前は虐められているようには見えないし、立場も対等そうだったよな?」疑問を追求した。
そのとき、楓は口元を手で覆って笑った。
「何がおかしいんだよ?」低く唸るような声だった。
「いえ、それをもちろん話そうと思っているのだけれど、奴らの異常性をあなたに信じてもらえるかと思って」
それのなにが面白いんだ。修は不審がって、話すように視線と顎の先で促した。
「私が脅されているのは東じゃなくて谷岡結衣の方なの。だから東は私のことを結衣の仲間だから付き合ってるとでも思っているんじゃないかしら」あっけらかんに言った。
「……東はなんでそのことを知らないんだ?」
「ここからは私も彼らの変態的な思考には着いていけないから憶測が多くなるけど、結衣は東に対抗するための私を利用してるの。東はただの子悪党で私みたいに気が強くて自我がある女は苦手なの。結衣は私をスピーカーにして、東を自分の思うようにしようとしているわけ」
「それは憶測なんだろう?」
「まあね、でも大体合ってると思う。だから私が彼女に脅されてることが分かれば東に対する力を失うから、結衣もわざわざそれをバラすようなことはしないと思う」
「……意味がわからないな」
「私も言ってて混乱してくるわ。まあ私は結衣の操り人形として東に対抗するために使われたり、時々、結衣の命令であまり口にはしたくない酷いこともさせられてるわ」自嘲気味に視線を伏せた。
「……正直、まだ全てを信じることはできないな」清水の件も無理矢理やらされてたと言うわけか? いや、何か違う意味があって俺に接触してきたのかもしれない。
「まあ、それは仕方ない。ただ、葵を救いたいなら私の言う通りにすることが一番手っ取り早いと思うけど?」
「いや、ちょっと待ってくれ……室生さんも谷岡に脅されて虐められているのか?」自分の声がどこから出ているかわからないような錯覚に陥りながら尋ねた。まるで自分の声ではないみたいで、聞きたくはなかったが、口は自分の意思とは関係なく動いていた。
「……いいえ、葵は東に脅されている、と言うよりもその二人に脅されているわ」
「……どういうことだよ」
「葵は……そうね……あなたには言いづらいのだけど、なんて言えばいいかしら? 東が自身の薄汚い征服欲と嗜虐心を満たすために使われていて」言いながら修の表情を盗み見、その激情から顔を背け急いで次の言葉を紡いだ。「ただ、本当に酷いことはされてはないと思うわ。それは結衣が許さないだろうし、私もそんなことは望んでないから、その思惑は一致してるの」
「……どんなことをされてるんだよ」震える声を絞り出した。
「それは私の口から言うことはできないわ。でも彼女が一線を超えて傷つけられてないことは私が保証するし、そうはならないように私がよく見張っておくから。それに現に……」葵があなたのもとにいるのは、私がそうするように嗾けたから。言おうとしてハッとした。彼はもしや葵が自らの好意によって接していると勘違いしてるのではないか? と、疑問に思い口を塞いだ。彼が自身の愛情を無碍にされていると知ったら……。
「現に?」
「……ごめんなさい。あなたに嫌がらせをさせるように私が二人を唆したの……」申し訳なさそうに嘘をついた。実際には嘘ではなかった。「あなたに憎まれ役を葵の代わりに担ってもらうために」
「謝ることはないよ。確かにそれが現状一番丸く収まる方法だからね……そうやって守ってたんだ」少し安心したように言った。修は楓に対しようやく心を開きかけていた。
「葵には私のこの立場を黙っておいてもらえる? あまりバレたくないの、この微妙な立ち位置だからこそ葵を守ることができるから」
「ああ、分かった……あ、そうだ。もう一人男がいたよな、あいつはどうなんだ?」
「あんなのほっといて構わないわ。ただの金魚の糞で小心者だから」
「そうか、じゃあターゲットはあの二人ってことでいいんだな?」
「そのことについて相談があるんだけど、いいかな?」
「なんだよ」
「私たちを脅している証拠は二人の携帯の中にしか入ってないと思うから、ちょっと手荒なことをしても彼らを拘束でもしてそのデータを削除してアカウントも消して復旧できないようにすれば大丈夫だと思う。私だけだと難しいからそれを手伝って欲しくて」
「他の媒体に証拠を移していたらどうするんだよ?」
「そんなことしない、二人とも馬鹿だから。それにやっぱり私たちを脅した証拠でもあるから、二人もなるべくなら手元以外にはおいておきたくないと思う」
「……だとしても不確定要素が多すぎる」
「本当に、こんなことを頼むのは酷いと思うんだけど、東たちをもうめちゃくちゃに痛めつけて欲しいんだ。彼らは理性ではなく薄汚い本能に従って生きている。それを恐怖で塗りつぶしてやって、東のような男には結局それが一番効くから。それまでのお膳立ては協力する」
「最後はそれでいいが、あいつらがデータをどこに隠し持ってるかわからないからな。奴らに対抗できる証拠をもう少し集めたい」彼女が自身を急かす理由を深読みした。
「……それもそうね、焦って話を進めすぎたわ。私はまだあなたの信頼を得ていないのに」
修は黙っていた。
「どうすればあなたの信頼が得られる? お互いに協力した方が利が大きいと思うのだけれど」
「それは信頼してほしい側か頭を捻って考えるのが筋だろう」
「……それもそうね……一番簡単なのは私の弱みをあなたにも握ってもらうことかしら?」言いながら自分の大きくない小ぶりな胸を揉みしだいた。
「やめてくれ、俺の趣味じゃない」キッパリ断った。ただそれは彼女が性的な脅迫を受けていることを示唆していた。それなら室井さんは……と考えずにはいられなかった。「……あいつの弱みをもってきてくれた方がいいだろう。何かないのか?」
「そうね、分かったわ。私が彼に暴力でも振るわれるところを証拠にでも残しておいたらいいでしょう」
「いや、なにもそこまでする必要は」
「だってあなたは私の身体には興味がないんでしょう?」
「興味はある」足下から頭の先まで舐め回すように見た。「ただ弱みとして握っておきたくないだろ、普通」
「冗談よ、揶揄っただけ」
「お前なぁ……」
「その代わり、私の仇は取ってもらうからね。あなた格闘技をずっと習っていて強いんでしょう?」修の腕や胸をベタベタ触った。
「ガキの頃だけだよ。にしてもよくそんなこと知ってんな」楓の冗談が続いてるのだと思い黙って触らせていた。ただ滑る指の熱と柔らかさに無反応になれるわけではなかった。
「調べたらすぐに出てきたわ」
「俺のこと調べて祝日にわざわざ会いにくるなんて、お前の人生もよっぽどつまらないみたいだな」皮肉っぽく言った。
「まあね」クスッと笑った。「あなたに頼らないといけないほど追い込まれてるの。頼りにしてるわ」
ちょろい修は楓の笑顔を見て目を逸らした。頼りにしてる、その言葉が何度も反芻されてあらゆる物事が上手く進んでいくよな気がした。




