第3章 7 そして世界へー。
その夜。
迅のもとへ、紗良からメッセージが届いた。
> あの昼間の対戦相手なんなの!
> めっちゃ強かったんだけど!
> 多分、最上位プレイヤーだと思う
> 九尾の晩餐所属だったし、かなりの実力者じゃない?
> なんでそんな奴があのランク帯にいるのよ
> ランク戦荒らしじゃない〜ムカつく〜!
「……」
――俺たちも、大概だよな。
そう思ったが、その言葉は胸の内に留める。
> 気晴らしに、明日はリアルでスパー付き合ってよね!
迅は、グッドマークのリアクションを返した。
確かに、気分はまったく晴れていない。
暁月。
葵時雨。
彼らと相対して、はっきりと分かった。
上位勢の実力。
――世界一も、目指せなくはない。
そんな風に、どこかで高を括っていた。
だが、現実は違う。
相手もまた、
勝つために努力し、全力で牙を剥いてくる。
「ゲームだから、どうにかなる」
そんな甘い考えが、
自分のどこかに残っていたのだろう。
葵時雨には、
その弱さを見透かされた気がした。
迅は、静かに決める。
まずは――
自分の足元から、見直そう。
それでも、立ち止まることはできない。
---
ジムのリングに、鋭い摩擦音が響く。
ステップに合わせて、シューズが床を削る高い音。
迅と紗良は、スパーリングの真っ最中だった。
互いにギアヘッドを装着し、本気の間合い。
紗良は左右に緩急をつけ、的を絞らせない。
一方の迅は、呼吸を一定に保ち、冷静に構える。
**バン、バン、バン!**
紗良のジャブが、迅のガードを叩く。
凄まじいスピード。
そして、異様なフットワークの軽さ。
(……速い)
以前より、明らかに。
迅はガードを固めながら、
右へ、左へと移動する紗良の軌道を読む。
――右に来る。
そう判断し、ステップした瞬間。
飛んできたジャブを捻るようにかわし、
カウンターを打ち込む。
**ブォン!**
だが――空を切った。
紗良のステップは、
一歩ではなく、二つに刻まれていた。
迅の予測を越え、さらに右へ。
カウンターは届かない。
迅も即座に修正する。
踏み込みを浅く止め、大振りにならないよう制御し、
右へ流れた紗良を追う。
「はー! 二人とも、気合入ってんな!」
「前からこんな上手かったっけ?」
「なんか……いい感じじゃね?」
周囲で見ていたボクサーたちも、
思わず声を上げる。
スパーが終わり、休憩。
汗を拭く紗良に、迅はペットボトルを手渡した。
「はぁ……ありがと!」
迅も自分のボトルを掴み、
スポーツドリンクを一気に喉へ流し込む。
火照った身体が、内側から冷えていく感覚。
「迅、随分キレ上がったよね。
なんか、別人みたい」
「……それ言うなら、紗良もだ」
迅は苦笑する。
「今まで、あんなステップ見たことなかった」
紗良は一瞬、言葉に詰まり、
自分の足元を見下ろした。
「……やっぱり?」
紗良も、感じていたようだ。
**違和感。**
bsを始めてから―
身体の動きが、
“こう動きたい”と思った通りに、
自然とついてくる。
思考と肉体のズレが、
限りなく小さくなっている。
紗良の動きを見ても、同じだ。
(……何か、起きてるな)
その時、美咲からメッセージが届いた。
> やっと乗り物、調達できましたぁ!!
> 二人とも、今日はいつログインするの?(^0_0^)
文面からでも伝わる、興奮ぶり。
紗良と顔を見合わせ、軽く頷き合う。
「午後は早めに上がろうか」
「だね」
迅は返信する。
> 17時くらいかな
> オッケー!17時ね!
> ログインしたら連絡ちょーだい!
迅は、グッドマークのリアクションを返した。
胸の奥に残る、
言葉にできない感覚を抱えたまま――。
---
久しぶりのログイン。
日本都市、東京エリア――。
仮想世界で第二の経済圏となったこの街は、以前にも増して賑わいを見せていた。
とりわけ目立つのは、八雲商会の躍進だ。
東京にも早くも第二店舗が出店され、その存在感は無視できないものになっている。
ギルド参加人数は200名を超え、
ネコニャンのギルドは八雲商会の支部という形へと姿を変えた。
もっとも、名目は支部でも、
実態は「ギルド内トラブル相談窓口」兼、
将来的には**巨大猫カフェに発展させたい**というキャットちゃんの熱意溢れる構想のもと、
八雲が毎日のようにプレゼンを受けてタジタジになっているらしい。
東京エリアのランドマーク――東京ドーム周辺では、
バーチャルアイドルの連日ライブが開催され、
人気アバターとのコラボイベント、
アニメキャラとのトークイベントが途切れることなく続いている。
街全体が、常にお祭り騒ぎだ。
集合場所の公園。
迅は紗良と並んで、ベンチに腰掛けていた。
美咲に連絡を入れてから、30分。
「……遅いな」
そろそろ催促しようかとウインドウを開いた、その時。
「ごめ〜ん!」
遠くから、聞き慣れた声が響く。
視線を向けると、
美咲が両腕いっぱいにグッズを抱え、こちらへ歩いてきていた。
アニメ、バーチャルアイドル、人気アバター――
抱えきれないほどの戦利品が山のように積み上がっている。
理由を聞くまでもない。
「……お前、やっぱりイベント行ってたのか」
迅は、半ば確信を込めて言った。
「連絡取れなかったのおかしいと思ってたんだが……」
「仕方ないでしょ! 久々の日本だよ!?」
美咲は胸を張る。
「バーチャルアイドル《愛ロイド》のイベントだよ!?
**行かない理由がないでしょ!!**」
「仕方なくねーよ……」
迅は、諦めにも似た声音で呟く。
「おい、紗良も何か言ってやれ――」
そう振り向いた瞬間、悟った。
紗良はウインドウを高速で操作しながら、
スポーツ漫画のイベント情報を食い入るようにチェックしている。
「……これ、ダメなやつだ」
同じ穴の狢だった。
結局、二人の気が済むまでイベントを回り、
時刻は19時を回っていた。
満面の笑みの美咲と紗良。
美咲は一度、わざとらしく咳払いをする。
「さてさて!
グッズも整理できましたし!」
「大変、長らくお待たせしましたー!」
エモートで派手に盛り上げる。
「どんどんぱふぱふー!」
そして、満を持して宣言した。
「船員8名!
大気圏外まで飛行可能!」
「特殊・小型飛行船――
**サンダー・ボルト**です!」
美咲がウインドウをタップすると、
空中に光が走り、
次の瞬間――船影が実体化する。
ゆっくりと下降し、公園へ着陸。
周囲のアバターたちが、ざわめきながら視線を向けた。
「……けっこう大きい」
迅が呟く。
「どこから乗るの?」
紗良は目を輝かせている。
気づけば、3人とも自然と船へ近づいていた。
さっそく――
**紫界行パープル・ボーダー、初の試乗**だ。
---
飛行船の下部が静かに開き、
内部から昇り階段がせり出してくる。
「まさにSFでしょ!」
「……だな」
鼻を鳴らしながら興奮する美咲。
迅もその高揚感に、思わず口元が緩んだ。
「質感もほんとリアル……現実みたい」
紗良は船体に手を伸ばし、
金属の感触を確かめるように撫でながら、興味深そうに観察している。
3人は階段を上り、船内へと足を踏み入れた。
船内は想像以上に広い。
前方にはパイロット席と補助席が一席ずつ。
その後ろには、縦3列・2列配置の座席が6席、後方まで整然と並んでいる。
パイロット席の前には、
スイッチ、計測器、レバーが所狭しと並び、
正面の巨大なモニターには前方の景色が映し出されていた。
「……すごいな」
「でしょー!」
美咲は誇らしげに胸を張る。
「色々吟味して、いい船を見繕ってもらったんだから!」
「じゃあ、パイロット席は私。
隣の補助席、誰が座る?」
「あたし乗る!!」
紗良が身を乗り出し、大きく手を振る。
「おっけー!
じゃあ、みんな席に座って!」
3人が着席すると、美咲はモニターを操作し、主電源を投入する。
低く響く起動音。
各種機器が次々と点灯し、船内が淡く照らされる。
「操作モードはね、簡単操作と自動操作があるんだけど……」
美咲は少し間を置き、にやりと笑った。
「せっかくだし、**手動操作モード**でいくよ〜」
詳細設定画面を開き、迷いなく切り替える。
「おいおい……大丈夫かよ」
迅は胸の奥に一抹の不安を覚える。
だが、美咲は大きくため息をついた。
「誰を捕まえて、そんなこと言ってるのかなぁ〜?」
「私がアメリカにいる間、
ただ飛行船を買いに行ってただけだと思ってたの?」
そう言いながら、
慣れた手つきでレバーやボタンを操作し、次々と飛行準備を進めていく。
あっという間にチェックを終え、
メインレバーに手をかけた。
「発進準備、よし!」
「**サンダー・ボルト、出航!**」
レバーが引かれた瞬間、
船体が低く唸りを上げる。
出力コアが高速回転し、
浮力を得た船体が、ゆっくりと宙へ浮かび上がっていく。
一瞬、身体が後ろへ引かれる感覚。
次の瞬間――
サンダー・ボルトはビルの谷間を抜け、一気に空へ躍り出た。
「――!!」
迅と紗良は、声を失った。
美咲はレバーを傾け、
速度調整用のペダルを踏み込む。
さらに加速。
船体は大きく傾き、雲を切り裂くように飛行していく。
「もう安定飛行だから、
迅も紗良も立っていいよ〜」
2人は立ち上がり、吸い込まれるように窓際へ近づく。
眼下に広がるのは、
上空から見下ろす広大な世界。
果てしなく続く巨大な樹海。
飛竜が通ったかのように裂けた大峡谷。
鈍い轟音を響かせながら、大地を揺らして歩く大亀。
先ほどまでいた東京都市は、
はるか遠く、小さく霞んで見えた。
「……すごいな」
「……ほんとね」
迅と紗良は、ただ黙って景色を見つめる。
「でしょ、でしょ!」
美咲は嬉しそうに振り返った。
「2人には、絶対この景色を見てほしかったんだぁ!」
「このあと、もう一回飛ぶからね!
思う存分、堪能して!」
サンダー・ボルトは、
そのまま大阪都市を目指して、空を進んでいく。
---




