~三縁~
「夢についてお尋ねしますが、その大きな猫に見覚えはありますか?」
「それが一緒のことなので、見覚えもなにもあったものではないのです」
そうですか、と頷いた八朔日さんはすっと目を細めて口元に弧を描いた。
「ところで、随分と靴や裾が泥で汚れているようですが、ぬかるんだ道でも通っていらしたんですか?」
「はい、あの実は……」
私は、最近夜になると家の周りだけしとしとと雨が降り、それが朝まで続くことを話した。当然、いつ頃からかと尋ねられたので、
「二週間、前から……です」
何故だかばつが悪くなり、自然と俯いてしまう。その時、ごとりと箱の中で壷が動く音がした。
私がびくりと肩を震わせて箱を見ると、無意識に抱き寄せていたらしく、箱が傾いていた。恐らく、箱が傾いたことで中の壷が動いたのだろう。
ふと顔を上げると、因幡くんは私と同じように驚いた顔をしていたが、八朔日さんはじっと箱を見据えていた。私がどうかしたのかと問う前に、八朔日さんは箱から目を離し、私に向き直った。
「さて、先程からの質問でいくつか判ったこともあるので、それを治める為に話を進めましょうか」
「納める為?」
「はい、治める為に」
何のことだかよく分からなかったが、早くこれが手元から離れるならばその方がいいと思い、追及はしなかった。
「まず、下世話ではありますが、報酬の話を」
八朔日さんの話はこうだった。報酬と言うとあまり人聞きが良くないので、『代価』と言い換えていて、八朔日さんの働きによって『代価』を決める歩合制であること。
『代価』は金銭ではないこと。
「お金、ではないと?」
「はい。私は、この国が発行、製作する紙切れや金属の塊に興味はありませんから」
今までで一番爽やかな笑顔でさらりと言ってのける八朔日さんは、最早清々しい程だった。
「では、何をお渡しすれば……」
この時私は、土地の権利書などと言われるのではないかとびくびくしていたが、八朔日さんにはお見通しだったようで、
「あ、詐欺なんかではないんですよ? まぁ、『代価』は実際その時にならないと何とも言えません」
と、言われてしまった。しかし、不安は拭えず生返事を返すと、八朔日さんは困ったように笑った。
「いつもこの話をするのが難しいんです。訴えられかけたことだってあります」
それはそうだろう、とは言えなかったが因幡くんには分かったのか、にやにやとしていた。
八朔日さんはそんな因幡くんを一睨みするとですから、と続けた。
「今すぐどうこうとは言いません。私に依頼するしないは、少し考える時間が必要でしょう。話の続きは後日、ということで如何ですか?」
正直なところ、今日という一日で驚くことが多過ぎてパニックになりかけていたところだったので、八朔日さんの申し出を有り難く受けることにした。
八朔日さんは快く頷くと、因幡くんに声をかけた。
「光宏、何か書いて渡せる物を持って来てくれるかな」
「おう」
これは知らぬ間に置かれていたりなどしないらしい。拍子抜けしたが、今の私にはその方が有り難かった。もう摩訶不思議なものは御免だ。
因幡くんが席を立っている間、私は八朔日さんと二人きりだ。何も後ろめたいことなどないのに、何故か居心地が悪い。
どうしたものだろうか、と箱に目を落とした途端、八朔日さんが静かな声で問いかけてきた。
「堺さんは、動物は好きですか?」
「え?ああ、まあ」
単なる世間話だったことに逆に驚いた私は曖昧な返事を返していた。
「私は猫が好きなのですが、堺さんはどうですか?」
「猫ですか? いえ、それ程……」
「……そうですか」
何か言いたげな八朔日さんだったが、因幡くんが戻ってきたことでこの会話は終わった。
店の電話番号と八朔日さんの名前を書いた小さな折り紙程の紙を、粉薬を包む時に用いられていた折り方で折ると、私に渡した。薬包紙折り、というらしい。
「それでは、何かあれば連絡をください」
「はい、ありがとうございました」
「いえいえ、私はまだ何もしていませんよ」
まだ?と八朔日さんの言葉に違和感を感じたが、気にしないようにして店を出る。もう一度頭を下げる時に木菟の鋭い目と視線が合ったが、なかったことにした。
家に帰ると、いつもは夜になると降ってくる雨が、ざあざあと激しく降っていた。抱えている箱が、重たくなったような気がしたが、湿気を吸ったせいだろうと気にしないことにした。
「来るか? あれで」
「少なくとも連絡は来るよ」
「そうか?」
「来るしかないからね。一度ここに来たってことはさ」
「まあ、そりゃそうだけどな」
「ところでさ。あの猫、何だと思う?」
「……化け猫だろ」
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