第9話 それは予約ですか、求婚ですか
演習の後、補給係から、次の仕事の相談が来た。
定期的に、一部の昼食を納めてほしい。
全部ではない。
店の通常営業と、休む日を残せる数だった。
私は、帳面を広げた。
引き受けられる日。
必要な人手。
増やす道具。
ミラさんたちと相談して、返事を書いた。
店は、少し大きくなった。
私が一人で抱えるものは、少し小さくなった。
エドガー様は、最後に、もう一度来た。
今度は、父の手紙を持っていた。
『家へ戻り、商売は使用人へ任せなさい』
私は、短い返事を書いた。
帰らない。
今の暮らしを続ける。
母の形見については、もう他人へ貸さないでほしい。
「本当に、このままでいいのか」
エドガー様が訊いた。
「俺たちが知り合った頃の君は、こんな仕事をしたいとは言っていなかった」
「あの頃は、自分で決めることを知りませんでした」
彼は、机の上の帳面を見た。
「俺には、できないと思っていた」
「そうですね」
私は、否定しなかった。
彼は、それ以上言わなかった。
私も、彼が後悔する顔を待たなかった。
もうすぐ、次の仕込みを始める時間だった。
扉が閉まる。
私は、台所へ戻った。
行ってほしいと願った人が去った後に、私の仕事が残っていた。
*
ノア様が来たのは、閉店後だった。
手に、紙の包み。
私は、次の日の材料を書きながら、顔を上げた。
「今日は、焼き菓子ですか」
「違う」
彼は、椅子に座らなかった。
入口の横で、私を見ていた。
「話をしてもいいか」
私はペンを置いた。
帳面を閉じる。
「はい」
ノア様は、一度、息を吸った。
「毎日、君の料理が食べたい」
私は、少しだけ動きを止めた。
それから、机の引き出しへ手を伸ばした。
「定期のご予約ですか。お休みの日は、お受けできませんが」
「セレス」
名前を呼ばれて、手が止まった。
私も、本当は、分かっていた。
分かっていて、怖かったのだ。
「それは、予約ですか、求婚ですか」
声が、少し震えた。
彼は、私の前へ来た。
紙の包みを、机に置く。
中には、卵をのせたパン。
そして、別の小さな箱。
「求婚だ」
彼が言った。
私は、小さな箱を見た。
指輪があった。
「さっきの言い方では、お前が毎日作ることになる」
ノア様は、困った顔で続けた。
「だから、言い直す。毎日、君と一緒に食べたい」
私は、口元を押さえた。
「休みの日は、俺も作る。まだうまくないが、覚える」
「卵は、上達しましたか」
「殻は、落とさなかった」
私は笑った。
笑うと、涙も出た。
「店は、続けていいですか」
「続けてほしい。だが、やめたくなったら、それも一緒に考えたい」
彼は、私の手へ、まだ触れなかった。
「料理が作れなくても、君と暮らしたい。ここで一緒に食べた時に、そう思った」
私は、椅子から立った。
自分で、彼の手を取った。
「私も、あなたと一緒に食べたいです」
彼の顔が、変わった。
怖くも、困ってもいなかった。
うれしい顔だった。
「結婚してくれるか」
「はい」
指輪をつける時、彼の指が、少し震えた。
私は、その手をもう片方で支えた。
最初の包み焼きより、難しいものを、二人で持っていた。
「抱きしめてもいいか」
「はい」
彼の腕が、背中へ回る。
軍服の匂いと、焼いたパンの匂い。
私は、目を閉じた。
台所から、ミラさんの咳払いが聞こえた。
「店の鍵は閉めておくよ。パンは、冷める前に食べな」
私たちは、急いで離れた。
ミラさんは、見ていないふりをしてくれなかった。
大きな顔で、笑っていた。
パンを、半分にする。
今度は、だいたい同じ大きさ。
私の皿も、彼の皿も、温かいうちに空になった。




