5-7 骨
そっと撫でるようにアイの身体を登ってくる髪の毛は、アイのことを確かめるように触れながら優しく頬に触れていく。
庄司とゆずも、アイの身体に髪の毛が巻き付いている状況ではどうしようもないためか、険しい顔をしながらも成り行きを見ている。
そして、その片方で女の子の方に伸びていた髪の毛が、その胴に巻き付いて驚いた顔をしている女の子を持ち上げてそっとアイの近くに置いた。
「え?」
アイも女の子もキョトンとして見合っていると、双方に巻きついている髪の毛はスルスルと引いていって離れ際にお互いの背中をポンと押した。
「お姉ちゃん?」
女の子が不安げな声を出すと、初めて髪の毛以外に手を動かしたマザーは、女の子に向かって手を振った。
「私に……この子を託すって、こと?」
そうとしか考えられず、アイが口にするとマザーは表情のないままアイを見つめ、ぎこちない動きで頷いてみせた。
「マザーが……意思の疏通を?」
警戒こそしたままだったが、ゆずが驚愕の表情を浮かべながらうわごとのように呟いた。
ゆずにとってはそれだけ衝撃的なことだったということだろう。
「わかった。まかせて!この子は私が守って安全なところに連れていくから」
いずれにしても、こんなところに一人放置などできるわけもないのだ。アイがそう言うとマザーはもう一度頷いた。
そしてジリジリと後退りしていく。そして、ある程度離れると再びアイをじっと見て、ゆっくりと腕を上げた。
その腕の先端、手の部分は人差し指が伸びていて、その指はまっすぐにアイを指している。
「え?わたし?なにが……」
どういう意味なのか分からず、アイが動揺しているうちに、その腕は動いて今度はマザー自身の反対側の腕を指した。
「……?」
意味が分からず首を傾げるアイ。アイに限らずこの場にいる誰もマザーの行動の意味を理解できていなかった。
……この時までは。
自身の腕を指していたマザーは、そのまま自分の腕を掴むと一気に引きちぎったのだ。
「っ!」
誰もが驚く中、マザーは引きちぎった自身の腕をアイに見せ、ゆっくりと地面に置いた。
そして……
外壁を突き破って嚢腫格が倉庫の中に入ってきて、マザーの背中にしがみつくと、マザーは女の子に視線を向けてしばらく見つめると、その場から飛び上がった。
「お姉ちゃん?どうしたの、何があってるの!?」
「ちょっ!」
女の子は訳がわからずそう叫び、アイもマザーがいた所まで駆け寄ったが、人間離れした勢いで飛び上がったマザーは、一気に屋根の上に出たらしく、すぐに気配も物音もしなくなった。
「…………」
シンとした倉庫にさめざめと泣く女の子の声だけが聞こえる。
皆呆然としていた。マザーという存在は知っている者からすれば死と破壊の象徴みたいな存在である。既存のほとんどの武器を受け付けず、頑張って傷を負わせてもあっという間に癒えてしまう。
そうしている間に、その周りにある物や周りに立つ者の全てを薙ぎ倒してしまう。そんな存在なのだ。
ただ、アイは今までマザーとは遭遇したことがなかったし、さほど詳しく話を聞いたわけでもなく、マザーという存在に対しての恐怖度はそれほど高くなかった。
アイは、そのマザーにどうやら女の子を託されたらしいということは分かったが、どうしてもわざわざ自分の腕を引きちぎったのかが分からず、半ば呆然としながらも無意識のうちにマザーが置いた腕の方に足を進めていた。
「これは……」
しゅうしゅうと湯気のようなものをあげながら、マザーの腕はすでに原型をとどめていない。
溶けていっているのだ。
「マザーの身体は、たとえ一部を切り落としたとしても溶けてなくなる。そのせいでしばらくサンプルも手に入らずに、マザーの研究はほとんど進まなかった。カナタくんが……十一番隊がマザーと交戦するまでは」
マザーが立ち去ったことで、銃をしまったゆずがアイの方に歩み寄りながら話す。アイはそれを無言で聞いている。
「カナタくんが持っていた「桜花」という刀、それからヒナタが持っていた「梅雪」という短刀。姉妹刀であるこのニ振りで斬った時のみ、身体の一部を持ち帰ることができた」
しゅうしゅうと音と湯気を立てながら今も溶けている最中の腕を見下ろしながらゆずがそう話した。
つまり特別な刀で斬った時しか身体は残らないということなんだろうが……。
「なら、どうしてあのマザーはこんなことを……。自分の腕を引きちぎるなんて……」
ゆずを問い詰めても答えなどわかるはずもないのだが、アイはそう口にせずにはいられなかった。しかし、それに対して何かを言おうとしたゆずが片手でアイを制しながらマザーの腕の方を見た。
「ん?待って……。これ」
ゆずが目を見開いて見つめる先では、マザーの腕から出る湯気が収まろうとしていた。そして……
「アイ、マザーの考えていることなんかわからない。でも、これを渡したかったということだけは想像がつく」
マザーの腕が溶けてしまったものから目は離さずに、アイにそう言ったゆずの視線の先には、おそらくマザーの骨であろうものが残っていた。
本来であれば、骨も残らず消えてしまうはずだが、湯気がおさまった後には、白くまっすぐな棒状の骨らしき物体が確かに残っている。
「え?これ、骨?」
思わずアイがそう言ってしまうのも無理はない。そこにあったのは、人間のような形をしていたはずのマザーにしては、人間らしくない形の骨だったからだ。
伸びる髪の毛は別として、他の箇所は人と変わらなかったように見えた。
おそらく骨格やその造りも似たようなものと想定されるが、そこに残っていた骨には関節に当たる部分もないし、肘に当たる部分もない一メートルほどのほとんどまっすぐなものだった。
もうすっかり湯気もおさまっている、やや黄色味がかった骨らしきものをその場にいる全員が見つめるなか、カツカツとゆずが近づく。
「アイ。ぼさっとしてる暇はない。アイはマザーからその子を託された。アイにはその子を守る責任がある。きっとこれはその報酬……」
そう言いながら、マザーの骨の傍に座ったゆずは、慎重にその骨に触れた。
何度かつついて確かめた後、拾い上げて立ち上がるとまだ呆然としているアイの前に立つ。
「これはアイの物。マザーは未だ謎が多い、きっと狙われるから気をつけて」
まだ立ち直りきれてないまま、アイが手を出すとゆずはその骨を、アイの手の上に無造作に置いた。
「でも、骨なんかどうしたら……」
じっと骨を見つめながら、アイが小さくそう言うと、ゆずが少しだけ首を傾げて言った。
「……さあ?でもきっとその女の子を守るのに役に立つはず。研究資料にするか、あるいは……武器にするか」
「ぶき?」
ゆずが言った言葉に驚いたように聞き返すアイに、ゆずは目を閉じて首を振る。
「わからないけど……持った感じとか、長さとか。アイや……ヒナタが使ってた鉄パイプくらいだったから」
そう言われて、アイは鉄パイプを持つ時のように根本の方を持ってみる。
「はは……すごいしっくりくる。重さも長さも……握った感じも」
苦笑しながらアイがそう言って、ブンブンと軽く振り回し始めた。
そんなアイを見ながら、ゆずはまだ泣いている女の子の肩を抱いて立ち上がらせると、アイの元に連れて行く。
「アイ。もしかしたらあなたはものすごく貴重な物を手に入れたかもしれない。ちゃんと約束は守るべき。私は……私にはもうマザーという存在がよくわからない……」
女の子をアイに渡すとゆずは、嚢腫格が開けた壁の穴の方に歩いて行く。
心なしかその後ろ姿はとても小さく見えた。




