5-6 敵か味方か
その後も白いマザーは甲斐甲斐しく女の子にペットボトルに水を汲んできたり、女の子の周りから邪魔になる物を掃除したりしている。
ただ細かい動きが苦手なのか、掃除といっても伸びる髪の毛で地面を薙ぎ払うだけだ。掃除というよりも排除しているといったほうが近い。
それらの行いを、アイは呆然としながら見ていた。アイにとって感染者は人類の敵であり、見つかったら即座に襲いかかってくる存在だ。
そして、マザーはその感染者の上位存在だと思っていたし、耳に入る情報も全てそれを裏付けるものだった。
だが、今目の前で行われている行為に悪意は全く見られない。女の子が生きていけるように、少しでも快適になるように、マザーの行動はそれだけを考えているように見える。
ただ……時折女の子に向かって伸びた髪の毛が宙をさまよい、何かをしようとして躊躇しているように見えることが何度かあった。
それはマザーが敵だという認識があるアイから見れば、女の子を殺そうとしてためらっているように見えてしまう。
そして、またマザーの髪の毛が勢いよく女の子に向かって伸びて、少し前で止まって震えている。
「あなた……もしかして、その女の子を殺さないように耐えているの?」
その様子を見て思わずそう呟いたアイに、意外な勢いで顔を向けてきたマザーを見て、アイは自分の考えがそう間違ってはいないことを理解した。
マザーのことは詳しく知っているわけじゃない。なにしろアイにとっては、この真っ白なマザーが初めて見るのだから。
ごくりと唾を飲んだアイが恐る恐る近づいて、我慢するように震えている髪の毛にそっと手を触れる。
その時見たマザーの顔は、無表情なのに泣いているようにアイは感じた。
「あなたも苦しいのね?」
アイがそう呟くと、話を聞いてその内容を理解したのか、女の子が悲しそうにマザーを見た。
「お姉ちゃん……。私のせいでつらいの?」
マザーの髪の毛がふわりと女の子の頭を撫でる。その姿は慈愛すら感じる。
もし、マザーという生き物が人類を敵だと認識するようにできているのなら、今も目の前の真っ白なマザーは、本能と慈愛の狭間で苦しんでいるのかもしれない。
そのマザーと女の子の姿を見て、殺伐とした世界を生き抜いてきたアイには、それがとても尊いものに見えて、思わず涙していた。
すると、別の髪の毛が伸びてきてアイの頬を撫でる。慰めているのか涙を拭ってくれたのか……
わからないが、アイにはもうこのマザーを敵だと思うことができなくなっていた。
その時だった。
ドガン!
激しい音がして、出入り口を封鎖していた壊れた遊具や椅子が壁際まで吹き飛ばされた。
激しい煙と火薬の匂いが充満する。おそらく何か爆発物で封鎖してあった物を吹き飛ばしたのだろう。
「いたぞ!」
その煙の中から銃を構えて男が飛び出してきた。
「っ!アイ、そこを離れろ!」
飛び出してきた男、庄司がアイと真っ白なマザーを見て、ギョッとしながらそう叫んだ。
「まって!」
助かった。そう安堵する場面のはずなのに、アイの胸中に浮かんだのは胸が詰まるような苦しさだった。
自分を助けにきてくれたことはもちろん嬉しいし、ここから脱出できると考えただけで、全身の力が抜けてしまいそうな安心感もある。
しかし、しっかりとマザーに向けて構えられている庄司の銃を見ると、胸をぎゅうっと締め付けられたような感覚になる。
「まって!撃たないで!」
思わずアイは、庄司の構える銃の射線の前に飛び出した。マザーをかばうような格好で両手を広げるアイを見て、庄司が動揺している。
「アイ!何をして……危険だ、すぐにそこを離れろ!」
そう叫びながら、マザーに向けて射線を通そうと動く庄司に向かってアイは叫んだ。
「違うの!その、はっきりとはわからないけど……。このマザーは多分敵じゃないの!」
再びマザーをかばうように立ち塞がったアイを見て、庄司はようやく銃を下ろす。
「何を考えてるんだ!死にたいのか?今すぐそこから離れろ!そいつは多分マザーだぞ!?まだ、なりかけのようだが、今でも十分に強力なはずだ!」
それでもアイは動かない。それどころか壁を掴みながら移動してきた血まみれの女の子もマザーに抱きついてかばうような仕草をしている。
「……どういうこと?詳しく話して。」
庄司の後から姿を見せたゆずも、しっかりとライフルを構えたまま険しい顔でそう言った。
「は、話すよ!だから撃たないで!」
かつて、ゆず達十一番隊は、何体ものマザーと激戦を繰り広げた話はアイも聞いている。それだけにそう簡単に銃を下ろすようなことはなかった。
いつのまにかマザー側に立って、アイは必死に危険がないこと、女の子を守っていたことを話した。
「にわかには信じられない。たまたまじゃないの?」
話を聞いても、銃を構えたままゆずは半信半疑の様子でそう言った。
「この倉庫の外壁にくっつくようにして嚢腫格の姿も確認した。そいつは間違いなくマザー……。マザーの危険性は十分に伝えたと思う」
ゆずがそう言って鋭い視線を白いマザーに向ける。マザーは泣きながらしがみつく女の子をあやすように髪の毛を動かしている。
うまく言いたいことを伝えられないことに歯痒い思いをしながら、アイはゆずに懇願するような顔を向ける。
なぜ、ここまでかばうのか自分でもよくわからないのだが、なんとなくこのマザーを傷つけてはいけない。そんな気がしてならなかった。
「……言いたいことは理解した。そのマザーが今までその女の子を守ってきた?それも一応納得した。……でもそいつはマザー。今は良くてももう少し育ったらどうなるかわからない。わかってる?マザーがもたらす被害は数十人にとどまらない。数百、数千の人間を殺す。今おとなしいのなら、なおのこと今のうちに始末するべき」
険しい表情を崩さないまま、ゆずはそう言う。
やはり自分の言葉では、これまで実際に暴れるマザーを見てきて対峙してきたゆずを納得させることはできないのか……。
そう考えて歯噛みするアイに、そっと触れるものがあった。
「え?」
マザーをかばうように立っているアイの手を、マザーの髪の毛がそっと撫でる。
その顔を見上げると、気のせいかほんの少しだけマザーが微笑んでるような、そんな気がする。
アイの手に触れたマザーの髪の毛がスルスルと伸びて、アイの身体をのぼっていく。
「アイ!」
ゆずが叫んだが、アイは抵抗することなくマザーの髪の毛を受け入れた。




