4-3 葛藤
「お前も知っているだろうが、あの嚢腫格は感染者を取り込んで複製する。複製された感染者は、それまでと違いその嚢腫格と共にあるマザーの支配下に入る。私はマザーを人の免疫機構と同じようなものと考えていた。体内に入ってきた異物を退治するために、その異物を取り込んで免疫を作る構造に似ているからだ」
それは、榊原から研究結果を譲り受けていた喰代博士からも聞いたことがあった。マザーは地球という惑星が作り出した免疫機構だと。喰代博士はbio defence(生体防御)という言葉を使っていた。
「そして、概ね間違っていないだろうと思っている。マザーは感染者という異物を排除するために感染者を取り込み、感染体を喰らっているのだ。そしてそれまで感染体が支配していた人間は複製して自分の兵隊にする。実に理にかなったやり方だ。マザーが存在している限り、いつの日かこの世から感染者は一掃されるだろう」
まるで何かの預言者のように佐久間はそう言った。
「まぁ、感染者が一掃される頃には人類も一掃されているかもしれんがな」
そしてそう言って、笑った。佐久間の笑った顔は初めて見た。
「マザーはどうして人類も襲うの?」
常々思っていた疑問をハルカはつい口にしていた。そしてそれを聞いた佐久間は今まで見たことがないほど愉快そうに笑った。
「どうしてだと?逆になぜどうしてなんて発想になる。どうして人類は大丈夫だと思える?」
そう言われてハルカは言葉に詰まった。別に確たる根拠があって言ったわけじゃない。漠然と地球が異物を排除するために作り出したのならば人類にとって味方になるんじゃないかとのイメージだった。
「ふっ、はははは!バカなことを言うな!人類が地球に対してやったことを考えろ。空気を、海を汚染し地球という惑星の寿命を縮めているだけではないか」
確かにパニックが起きる少し前から地球温暖化やCo2の削減などが叫ばれていたが、便利さや快適さ慣れてしまって思う程の効果はあげられていなかったように感じる。
「まあ私は別にエコロジストというわけでもない。その辺はどうでもいい。それよりもやるべきことは理解したか?」
そう言われ、ハルカはわずかに視線を逸らして顔を歪める。
「やり方はそれしかないの?もっと他に方法が……」
「ない。やるかやらんかだ」
言い募るハルカの言葉を遮って佐久間はハルカの言葉を否定した。
「どうした?今更怖気付いたのか?やるもやらんもお前の考え次第だ」
私はどっちでもいいのだぞ?そう言われ、ハルカは俯いて小さく言った。
「いいえ、やるわ」
その答えに佐久間は満足そうに笑う。
「その方が私としても面白い結果が期待できそうだ。もう行っていいぞ。この部屋を出たところに立っている男に言えば、持ち物や装備なども渡すようになっている」。
佐久間はそう言うと、もう用事は済んだとばかりに机に座ると、もうハルカなどいないもののようにしている。
「……行くわ」
それだけ告げると、振り向こうともしない佐久間を一瞥して部屋を出た。
するとそこに佐久間の言うように屈強な男性らしき白づくめが立っていた。
「あなたに言えば私の荷物が返してもらえると聞いたんだけど?」
ハルカがそう声をかけるとその白づくめは、顎をクイっと動かして、ついてくるようにという仕草をした。
--何とか言いなさいよ。
そう思ったがハルカは何も言わず白づくめの後に続いた。
十分後、ハルカの持ち物は全て返却されていた。
ハルカの刀である「晴香」さえ、そのままの状態で戻ってきた。
着ていたものだけは怪我の治療の際にきってしまったらしく戻ってこなかったが、ハルカとしてももう隊服に袖を通すつもりはなかった。
おそらく立ち位置としては、守備隊の敵ということになってしまうだろうから……。
ハルカはそこにある洋服の中から、涼しそうな青色のワンピースを選んだ。普段のハルカなら選ばないが、見ていると何となくヒナタを思い出して、気づけば手に取っていた。
--私にも似合うかしら。……かわいいって言ってくれるかな?
薄汚れた鏡に写った自分を見ながらそう思ったが、見て欲しい人はいまだ意識を取り戻していないし、その人のために今から自分は悪鬼になろうとしているのだ。
「かわいいなんて私には似合わないわね」
そう独り言を言いながら更衣室を出ると、先ほど案内してくれた白づくめが待っていた。
ハルカが出てきたのを見ると、近寄ってきた。
「ここから北に1キロほど行けば、ホームセンターがある。そこにはそれなりの数の避難民が住み着いているという情報が入ってきている」
それだけ言うと、元の方向に戻って行ってしまった。
「もう最後まで案内しなさいよ!私出口の場所も知らないんだから」
そう言ったハルカの言葉は、もう誰もいなくなった廊下に虚しく響いただけだった。
◆◆ ◆◆
しばらく建物の中を彷徨い、何とか外に出た。途中であった白づくめも、建物を出てきたハルカを見ているだけの白づくめからも咎められることもなくハルカは自由の身になった。
やや拍子抜けしながらも、「心は縛られてしまってるものね……」と、自嘲するように呟きながらハルカは北に向かって歩き出した。
教えられていた北に向かって歩き出す。佐久間は何かの工場を拠点としていたようで、周りにも似たような工場や会社の事務所らしき建物があるばかりで人が住むような建物はなかったが、それだけに見渡しがよく、細かい警戒がいらないせいでつい考え込んでしまう。
私は……何をしているのかしら。
仲間を裏切り、ともすれば人類をも裏切ろうとしているのかもしれない。
これまで仲間と共に歩いてきた道を、一人だけ逆方向に走り出した気分だ。
知らず知らずのうちに、唇を噛んでいた。正解はわかっている。
あのまま佐久間の言う事になど耳を貸さず、カナタと共にあの場所で斬り死にしていればよかったのだ。
しかし、佐久間の言ったことは、そんなハルカの覚悟をひっくり返して余りある魅力があるものだった。
あの時、カナタを死地に置いて帰ろうとした時にハルカは気づいてしまった。
カナタがいない世の中では、頑張って生きる甲斐がないと。
「カナタが望んでるわけないのにね……」
思わず口にしていた。
まだ間に合う。今からでも佐久間の所に引き返して、カナタを取り戻して逃げる。成功すればよし、失敗しても死ぬ場所が変わるだけだ。
そう考えてて、立ち止まったハルカは、振り返った。
遠くにだがまだ見えている佐久間のいる工場を見つめる。
しばらくそうしていたが、やがてハルカは歩き出した。
このまま悪魔の取引を成功させて、どこか知らない所に逃げてカナタと二人で静かに暮らす。
佐久間の話を聞いて、ハルカはそれを想像してしてしまった。
もしかしたら、生き延びることができたカナタは自分がしたことを許さないかもしれない。
もしかしたら、そんなことをした自分を捨てて仲間たちの元に帰ってしまうかもしれない。
--それでも、いい……。私は顔も知らないたくさんの「誰か」よりも、一人の「カナタ」が生きてる方がいい。
キュッと唇を引き締めて、ハルカは目的地に向かって、歩く速度を速めた。




