4-2 悪魔との取引
「感染していても関係ないと言うのか。その男は自分の感染を知っていたことが、捨て駒になる決意の一助になっていただろうがな」
知ったようなことを言う佐久間をハルカは睨みつけた。
佐久間は怯んだ様子もなく、感情の感じられない視線をハルカに向けてくる。
「あなたにカナタの何が……」
ハルカが刀を握る手に力を込めて、一歩踏み出した。
「わからんさ。私はただ状況と推移を見て推論を話しているに過ぎない」
ハルカの踏み出した足に視線を向けたが、佐久間は構わず話を続けた。
佐久間の両脇には、血も汗も泥も付いていない真っ白な状態の白づくめが立っている。
おそらく護衛だろう。これまでの戦闘に一切関わっていないのが、その見た目から分かる。
そこまで護衛に専念しているのであれば、今からハルカが佐久間に斬りかかったとしても、おそらく佐久間に刃が届くことはないだろう。
皮肉にもその護衛の存在が、ハルカが盲目的に佐久間に斬りつけることを躊躇させていた。
佐久間もそのことはわかっているのか、一定の距離から近寄ってはこない。
せめてもう少し近づいてくれれば、佐久間を死出の道連れにはできるものを……
ハルカがそう考えているのもわかっているのか、佐久間は薄く笑った。
「ふっ、私を斬りたいか?まぁ、お前達の立場ならそうだろうな。残念ながら斬られてやるわけにはいかんが……一つお前が興味を持ちそうな話をしよう」
そう言うと佐久間は、地面に倒れ伏して動かないカナタを指した。
「その男の命を救い、感染の脅威からも解放できる手段があると言ったらどうする」
佐久間の言った言葉がハルカの脳に浸透していく。それと同時に警告を発していた。この男の言葉に耳を貸すな、騙されるなと、ハルカの本能が喚き立てる。
「信じるも信じないもお前次第だ。その男はかろうじてまだ生きているようだが、じきに生命活動は停止する。喰代の作った薬は、本質的な部分を変質させないままだろうからな」
やめろ、この男の話を聞くな。
耳を貸すな。
カナタと共に戦い、一緒に最後を迎える。私が望んでいたのはそれだけのはず。
そう考える一方で、もし喰代博士が考えている以上に感染についての研究が進んでいたら……
そう考えてしまう部分も確かにあった。目の前に立っている男は、人としては最悪なクズでも、その知識と技術だけは喰代博士も負けを認めるレベルなのだから。
「今更私がこんな話をしても、信じることができないのは理解している。今、私はマザーに注目している。感染者と同じ延長線上にあるものと思われていた」
なぜか唐突にマザーの話を始めた佐久間を、ハルカは訝しげに見た。
「お前も嚢腫格という存在を知っているはずだ。あの人の内臓のような存在は、攻撃手段どころかろくな自衛手段も持っていない。こんな世界においてそれは異常だと思わんかね?」
--異常なのは、あなたもでしょう。
そう思ったがハルカは口にはしなかった。今はただ少しでも体力を回復して、気を練っていた。
目の前にいる佐久間を斬ることができれば……道連れにできれば、向こうで再開したカナタが少しは溜飲を下ろすかもしれない。
それだけを考えていたのに、佐久間の話に耳を傾けている自分がいた。カナタが生きることができる。その甘美な提案は、ハルカにとってそれだけの価値がある。
ハルカが力を溜めていることも、心が動いていることも、全てわかっているのだろう。
佐久間はそのまま話し続けた。
「今お前は、提案の価値と私への不信感で天秤が動いているはずだ。正直に言おうか、私は別にお前達を助けたいとも救おうとも思っていない。ただ、今行っている研究にぴったりの素材がそこに転がっているだけの話だ。お前が死んだ後に、その男を持って帰ってもいいのだがお前の協力があればその研究がスムーズに動く。ただそれだけのことでこうして話しているだけにすぎん。だから極論私はどちらでもいい、お前が決めろ。残った時間は決して長くはない」
佐久間は言葉の通りに、ハルカの決断には対して興味がないのか、言うだけ言うとその場を離れて行った。
それを追うこともできなかったハルカには、もう佐久間を討つ機会は永遠に失われたことを表している。
ハルカの心の中では激しい葛藤が生まれていた。
理性変わらずガンガンに警告を発している。さほど冷静じゃなくても佐久間に与する危険性は十分に理解しているはずだ。
しかし……ハルカは、その手から相棒を手放してしまっていた。
カナタが生きることができる。それも半感染などといういつ爆発するかわからない爆弾を抱えることもなく。
ハルカもこのままカナタがNo.都市に戻れば、どういった扱いをされるかは想像がついていた。
そのことが、カナタがしんがりとして残ることを納得させる原因となっていたし、そんな都市に嫌気がさしていたのもあって、自分はカナタと最後を共にしようとここに戻ってきた。
その懸念がなくなるというのは、ハルカにとって仮にこの世から感染者が一掃されることと比べたとしても、魅力的だった。
武器を手放したハルカに、佐久間の護衛をしていた白づくめの一人が近寄ってきた。
ハルカは俯いたまま身じろぎ一つしない。緊張の糸が切れてしまった今、もう抵抗する力は残っていない。
白づくめはそっと「晴香」を拾い上げると、ハルカの腰に挿してある鞘に戻した。
もう武器を取り上げる必要もないということか……
ハルカは心の中で自嘲したが、もう逆らうこともしなかった。
やがて、その屈強な白づくめが楽々とハルカを担ぎ上げた。そしてもう一人の白づくめがカナタを担いで、先に行った佐久間の後を追った。
ハルカの意識はそれを最後に暗闇の底に沈んでいった。
◆◆ ◆◆
ハルカが目を開けると、見たことがない天井とツンとした薬品臭に気づいた。
そっと身体を動かしてみるが、拘束もされていない。むしろ怪我の治療までされていてあちこちが痛むものの、楽に動かすことができた。
「ようやくお目覚めかね?食欲はあるか?」
すぐ近くで佐久間の声がした。上半身を起こすと、かけてあったシーツが落ちて、自分の格好が見えた。
下着まで脱がされた上に入院着のようなものを着せられている。
無意識に入院着の前を寄せるハルカを見て、佐久間はなんの興味もなさそうに言った。
「安心しろ。治療のために脱がしたのだろう。ここは私の本拠地で研究室でもある。ここにいる者は、私の許可もなく被験者に淫らな行為をする者などおらん」
それをそのまま信じることは難しかったが、少なくとも身体に違和感はないし、治療は丁寧にされているようだったので、ハルカは一旦その考えを頭から追い出した。
それよりも興味を引く物が見えたからだ。
なんの装飾もない簡素すぎる部屋には出入りのための扉は一つしかなく、それも電子的にロックされているようだ。残りの三面のうち、二面は打ちっぱなしのコンクリートそのままで、残る一面には大きなガラスがはめ込んであり、その先に……上半身を起こした状態で寝かされたカナタがいる。
そして、少し離れたところにあったのは……
「……嚢腫格」
掠れた声でハルカは呟いた。マザーのいるところに必ず存在して、感染者を取り込んで複製して吐き出すことしかわかっていない謎の物体。
見た目は内臓を連想させるグロテスクな物で、今も表面を不気味に拍動させている。
「そうだ。アレをここに持ち込むまでに数百人単位の犠牲を出した。アレはマザーにとってもそれだけの価値がある物らしい」
まるで料金が数百円かかった。と同じトーンでいう佐久間に、嫌悪感を覚えたがハルカは何も言わなかった。
自分がここにこうしている時点で、佐久間を弾劾する権利は失われたと思っているからだ。
「先日榊原とも研究内容を共有して、私とは違う角度からのデータを得て、私の仮説はかなり真相に近づいていると見ている。感染者、それからマザーの存在する意味だ。しかしそれをお前に語っても何の意味もないだろう。今からお前にとって意味のあることだけを話す。よく聞け」
そう言って佐久間が語った内容は、ハルカを大きく揺さぶるものだった。




