1-1 厄災
車の窓に流れる景色に変化が見えてきた。
「海だ……」
アイは思わずそう口にする。アイが高校一年の時に「パニック」にあった。
目まぐるしい生活環境の変化に時間の概念もあやふやになっているが、多分今では高校三年生になっているはずだ。
奏 愛衣それがアイのフルネームだが、苗字などほぼ使うことはなくなった。「アイ」で何も問題ない。
「ようやくここまで来たわね」
背後から聞こえた声が、少し元気そうだったことに嬉しくなったアイは、にっこりと笑って振り返った。
「うん、もうすぐだよ。もうすぐ四国に行けるね、お母さん」
アイがお母さんと呼んだ女性は、青白い顔に儚げな笑みを浮かべてアイと景色を見ている。
「この辺は、車……少ないね」
アイ達が乗った車は、岡山県の大きいバイパスを走っている。
車が少ないとアイが言うのは、同じ車線や対向車が少ないと言っているのではなく、道路に放置された車両が少ないという意味だ。
「パニック」が起き、人々は混乱して乗るだけの荷物を車に押し込み逃げ出した。
その場から離れれば安全と思ってのことだったが、異変が起きているのは自分たちのところだけではなかった。
車の音に誘われて、ビルの影から、あるいは個人の住宅からソレは姿を現し迫ってくる。車が来てようが構わず道路に飛び出すソレを車ではねた車両が急ブレーキをかける。
すると、次々に現れるソレに群がられて、悲鳴をあげながら彼らの仲間入りをするのだ。
そこかしこで同じことが起き、またパニックを起こして事故を起こす者も多く、主要道路は放置車両で埋まった。
「……少ないと言うことは、……あまり良くないね。気をつけて行こう」
運転席からそんな声が聞こえる。
「お願い、ゼンさん。何かあったら私出るから」
アイが運転席に向かってそう言うと、運転している四十代くらいの男性は苦笑しながら「なるべくそうならないように気をつけるよ」と言った。
運転席にいる谷原 善三通称ゼンさん。面倒見がいい人で、博識。日用品を改造したり、武器の取り扱いまでできるオールマイティプレイヤーだが、戦闘と料理は苦手らしい。
ゼンさんは、安全運転を心がけながらも一定の速度は維持しながら運転に集中した。
「パニック」が起きて、たくさんの人が死んでしまった。なまじ人口が多い都市に住んでいたためか、ソレはあっという間にアイの周囲の人間を飲み込んだ。
両親をはじめ、仲が良かった友人。頼りになる先輩や、危険を顧みず市民を守ろうとしていた近所の交番のお巡りさん。
みんないなくなった。いや、いなくなったというのは語弊があるかもしれない。何しろ彼らは今も仲間を増やそうと、地元の方で彷徨っているはずなのだから……。
アイは当初、ソレをゾンビと称した。映画やテレビで出てくるゾンビそのままだったからだ。生きている人を見ると見境なく襲いかかり、噛みついてこようとする。
噛まれた人間は、出血が止まらなくなり高熱を発し、半日前後で彼等の仲間入りを果たす。
大量に出血して洋服を高く染め、唸り声をあげながら生者に群がるソレはまさしくゾンビそのものだった。
のちに呼び名を改めたが、アイの認識はいまだゾンビである。
「この辺りは放置車両も、建物の瓦礫も片付けてられてる。大きいグループがあるのかな?」
少し表情を曇らせながらアイが言った。アイがゾンビと呼んだソレは、ウイルスか寄生虫に感染しているらしく、「感染者」と呼ばれていることを、昔一緒の避難所に避難していた科学者に聞いた。
――あれから半年くらいたったのかな?ううん、もしかしたら一ヶ月くらいしかたってないかも……。基本的に時間を知るすべがないし、知る必要もそれほどなかったからね。
アイは、窓から見える風景をぼんやりと見ながら、当時の記憶に思いを巡らせた。
◆◆ ◆◆
「気をつけていくんだよ?けしてあきらめちゃだめだからね」
人の良さそうな年配の男性が寂しそうに言う。この時、アイ達は元々自衛隊の駐屯地だった建物を利用した避難所で生活していた。
だが、この施設は宗教かぶれした連中が支配しているらしく、たびたび避難民との間にトラブルを起こしていた。危険な物資の捜索は避難民たちにさせて、自分たちは駐屯地の一番頑丈な施設に引きこもって、怪しげなことをしている。
それでも元が自衛隊の駐屯地という施設だけに、避難してくる人も多く、実際守りも堅かった。
人が増えれば配られる物資の割り当ても減るし、トラブルは増える。
人数が増えたからといって、単純に物資回収の人手が増えるわけでもない。
避難民の代表みたいな立場の二宮という年配の男性は、なんとかしようとはしてくれているが……
配給は受け取るが、仕事をさせようとすると色んな言い訳を並べて動かない。もちろん駐屯地の外へ出て、危険な物資回収に名乗りをあげるなどとんでもない。
そんな避難民が増えてくると、避難民同士のまとまりもなくなってくる。
「私としては、ここにいれば安全だけは確保されているから、引き留めたいんだけどねぇ」
そう言って二宮さんは心配そうな顔をする。この人は本当にいい人だ。
信用できる人が少ない今の世の中で、二宮さんはアイにとっても信用できる少ない大人の一人だった。
「私も二宮さんや心優ちゃん達と離れるのは辛いけど……。美鈴ちゃん、大丈夫?」
二宮と一緒に見送りに来ている、この避難所でできた友人達。二宮さんの孫の心優ちゃんや、その同級生の綾香ちゃん。綾香ちゃんのお姉さんの美鈴ちゃん。
みんな泣きそうな顔をしているが、その中でも美鈴ちゃんはアイとの別れだけでつらそうな顔をしているわけではない。
「うん、ありがとうアイちゃん。私は大丈夫だよ。私たち姉妹は身寄りもないし、戦うことなんてもちろんできないし……何かの形で協力しないといけないからね」
そう言って、弱々しい笑みを浮かべる美鈴ちゃんはここ最近、この駐屯地を支配している集団の実験とやらに協力をして物資を受け取っている。
ネメシスとかいう宗教の集団は、美鈴ちゃんだけではなく複数の子供を使って何かの実験をしている。
なんの実験なのかは、美鈴ちゃんにも聞かされていない。
それがアイにも及んできたために、ここを出ることを決意した。もうアイにも家族はいないが、この駐屯地にたどり着くまでに知り合った人たちはいる。
博学でとても器用なゼンさん。とても優しくアイを包んでくれる「お母さん」こと、みゆきさん。
しかし、問題もあった。
ゼンさんは感染者にやられ片足を失っているし、お母さんは旦那さんと二人の子供を、目の前で感染者に殺され、しかもかつて家族だった人たちが感染して、家族だった人に殺されそうになったお母さんは、心を病んでしまった。
避難所の子供たち全員に好かれているし、料理や裁縫などの家事が得意で、洋服を仕立て直したり、そのままでは食べれない食品をアレンジした料理を振る舞ったりする、避難所の癒し的存在だけど、お母さんはとても体が弱く満足に動くことも難しい。
片足のゼンさんも言うまでもない。そんな二人と一緒にいるアイが頑張るしかなかったのだ。
アイはこの駐屯地であった事を自然と思い返していた。




