1-9 滋賀崎舞衣
水筒からお茶を注いで渡し、自分は直接口をつけて飲む。
二口三口飲むうちに、マイも落ち着いてきたようだ。
「あの……わたし、昨日の夜目が覚めたんです。真っ暗な病室で……わたしが寝ていたベッドが一つだけあって。周りには見たことない機械がたくさん。……まぁもう動いていませんでしたけど」
視線を落としながらマイはポツリポツリと語り出した。
「たまたま近くに懐中電灯があって……部屋を出たんですけど、病院の中はどこも血だらけで荒らされてて……その、時間が経っている様子でした。わたし……だんだん怖くなって病院を飛び出したんですけど、ここがどこなのかもわからなくて。当てもなく歩いていたら、あなたに声をかけてもらえたんです!」
まるで助けてもらったかのような口調で、マイは言っているが、アイは武器を突きつけて動かないようにしただけである。
女の子が一人で歩いていたら、保護しようと普通は思うのだが、あまりにも違和感が強かったので、警戒が先に立ってしまった。
「わたしも自分でおかしいことはわかっています。病院の荒れ方や血痕を見ても時間が経っているのはすぐにわかりますから……」
黙って話を聞きながら様子を窺っていたが、やはり嘘をついているようには見えない。少なくともアイにはそう見えた。
これでいきなり周りを囲まれて「キャハ!嘘でした❤️じゃあ、とりあえず持ってる物出してもらいましょうか」なんて言われたら、もう人なんて信じられなくなる。
「あなたの言ってることがどうであれ、わたしにはどうしてそうなっているのかはわからない」
平坦な声でそう言うと、マイはピクッと肩を跳ねさせて俯く。
「そう、ですよね。ごめんなさい。アイさんの話によれば、わたしは一年以上眠ってたことになりますもんね……」
さらに俯いて、消えそうな声でそう言った。地面にポツポツと水滴が落ちていく。
まったくその通りだ。嘘はついていないとしても、説明がつかない。マイの話だと、最後の記憶はまだ平和な頃。多少のラグはあるにしても、入院した記憶もなければ感染者出現の話も知らない。
なのにきれいな服を着て、身体も毎日お風呂に入ってるような状態で最近目を覚ました。
……感染者の中にはタイムスリップの能力でも持ってるのがいるのかしら。
考えるのが面倒になってきたのか、アイはそんなことを考えだす。
元々そういう状況の整理だとか、物事に対して推測したりするのは得意ではないのだ。
マイはそれっきり口をつぐんで、声を殺して泣いているようだ。
得意ではないなら、得意な人に聞くにかぎる。
「よし、行くわよ」
そう言ってスッと立ち上がったアイを、ビクッとしたようにマイが見上げる。
せっかく生きて話をできる人と会ったのに、もう行ってしまうの?その目はそう言っていた。
すがるような、散歩に行くと思っていた主人が何もせずに家に戻る時の犬のような目だった。
「ふっ……」
アイは思わず笑ってしまった。なぜここで犬を想像したんだろう。危ない場所に行こうとする彼氏を見る彼女でも、知らない所に置いていかれようとしている子供でもいいのに……
「きゃっ」
少し笑ったアイは、マイの頭を乱暴に撫でた。なぜかそうしていいと思えた。
そして、羨ましかったきれいな黒髪が乱れたのを見て、少しだけ気分を良くしていた。
「どうせ行くとこないんでしょ?一緒にいる人に、そういうのに適切な推測?推論?とにかく考えるのが得意な人がいるから一緒に行くわよ?」
「え……」
マイはポカンとしたように見上げる。
「なに、行かないの?まぁ、無理にとは言わないよ」
「待って!行く……連れて行って!」
動かず何も言わないマイに、そう言って立ち去ろうという素振りをすると、マイは慌てて立ち上がってくる。
「ふふっ!うん、行こ!」
そう言って手を差し出すと、マイはおずおずと手を伸ばしてくる。その手をアイの方から掴んで引っ張ると、マイは嬉しいような恥ずかしいような、そんな笑顔をしていた。
――むう、かわいい。これはその辺の下半身に脳みそがついていそうな男どもには見せられないわね。
そんな決意をしながら、アイはマイを伴ってマイキーが停まっている場所に戻るのだった。
◆◆ ◆◆
「って考えてると遭うのよね」
そう言ってアイはため息をついた。
「えっ?何か言いました?あの人達お知り合いですか?」
今二人の周りには十人近い若い男がいる。皆おんなじような顔をして、ニヤニヤと見ている。
「そんなわけないでしょ……やめてよ」
嫌そうな顔をしたアイがそう言っていると、男達の中から二人が前に出てきて無造作に近づいてくる。
「そこで止まって!用件はなに?私たち急いでるんだけど?」
アイも久しぶりに同年代の女の子と一緒に歩いて、少し気が緩んでしまっていたのかもしれない。
クロスボウは背中にかけているし、周りを囲まれるまで気配に気づけなかった。
「つれないこと言うなよ。女の子二人だと色々大変だろうと思ってさぁ。俺たちが匿ってやろうって話さ」
足こそ止めたものの、男はまだこちらを警戒していない。周りにいる男達も、武器になるような物を持っているが、構えてはいない。
「いい?、隙を見て走るわよ。遅れないはぐれない。いい?」
声をひそめてそう言うと、マイはキョトンとした顔をする。
「え?助けてもらわないんですか?なんかお化けがいて危険なんですよね?女の子二人よりも、守ってもらったほうが……」
マイが警戒する様子もなく、そう言うのを聞いて周りの男達は一斉に笑い出した。アイは頭を抱える。
「そうそう!俺らが守ってやるから!ちょっとだけご奉仕してもらうかもしれないけどな?」
「そっちのおねーちゃん、怖くておかしくなってんのか?」
笑いながら一人の男は頭のところで指をくるくる回している。
「生きてる人も危険だって言ったでしょ?よってたかって乱暴されたいの?」
「らっ!」
アイがそう言うと、マイは目を丸くして口を押さえている。
これは教育が必要だとマイは肩を落とした。
「ほらほら、いいから行こうぜ。大丈夫、俺たちは頭がおかしくなっていても平気だからよ。見た目はかわいいしな」
そう言って近づいてきた男が無警戒にアイの肩に手を置いた。
「ふっ!」
何も言わずアイはその手を捻りあげる。後ろ手に極められた男が騒ぎ出す。
「イタタタ!てめっ……こんなことしてたっ!」
最後まで言い切ることはできなかった。
腕を極めたアイが、髪の毛を掴んで足をかけながら思い切り地面に顔面から叩きつけたからだ。
男の体が弛緩するのを感じながら、男が持っていたナイフを取った。
大型のサバイバルナイフ。
ろくな手入れもしていないようだが、鈍色の刃がギラリと光った。
「ああん?何してんだ手前!」
「ひっ!」
お約束のような頭の軽いセリフを吐く男と、後ろで息を呑むマイ。
こうなったら逃げるよりも戦うしかない。
そして、後ろで悲鳴をあげそうにしているマイを見て、思っていたより、ずっと厄介だったとアイは渋い顔をしていた。
「まて!待ってくれ!」
地面に尻をついたままジリジリと下がる男。すでに半数の男が地面に倒れ呻いている。
「何もしない、もう何もしないから!おっ、お前ら黙って見てんじゃねぇ!なんとかしろ!」
腰が抜けたのか、尻を引きずりながら男は自分の後ろにいる仲間達にそう言ったが、残っている連中はすでに逃げ腰になってしまっている。
「私達に何をしようとしてたのかしら?教えて欲しいのだけど?」
じわりじわりと距離を詰めながらアイが言う。最初に倒した男を除いて、四人の男を制圧したアイは、地面に転がしたあと潰していた……。どこをとはあえて言及しない。
「ひっ!おっ俺たちは、危険だから助けようと……うぐっ!」
後ろにいる男達が必死に言い訳をしようとして、言葉が止まった。
いつの間に現れたのか、迷彩服を着た男が襲ってきた男を無力化した。
アイが顔を上げると、三人残っていた男達は最後の一人がもう制圧されているところだった。
「ひいっ、仲間がいたのかよ。くそっ!」
地面に尻をついていた男は、後ろにいる仲間達がやられていくのを見ると、慌てて立ち上がって逃げようとした。
「あら、どこに行くの?お話、終わってないんだけど?」
駆け出そうとした男のスネを、アイの鉄パイプが強打した。
「があああっ!てめえっ!」
口汚く罵りながらスネを押さえて地面を転がる男のそばに、ゆらりとアイが立つ。
すうっと男の顔が青ざめる。これまでアイが潰してきたことが頭に浮かんだのだろう。ぎゅうっと内股になっている。
「もう、よせ。あまり追い込むとよくない恨みを買うぞ?」
いつの間にかアイの近くまで来ていた迷彩服の男が静かに言う。
バッと後ろに下がったアイはその男を見る。
自衛隊だろうか。迷彩服を着ているだけではなく、胸や腰のポーチにも軍用品らしきものが入っている。ホルスターに拳銃が入っていることまで確認して、マイを庇うような位置で鉄パイプを構える。
「おっと、悪かった。女性に対して急に近づくものではないな。大丈夫、俺はただの通りすがりだ」
そう言って迷彩服の男は何もする気がないと見せるためか両手を上げた。
その隙にアイがスネを砕いた男は、地面を這いずりながら逃げようとしている。
「…………」
無言で男の背中を見る。アイも迷彩服の男も。
今の世の中は弱肉強食といっていい。法も秩序もなくなってしまい、弱みを見せたらどこまでも追い詰められる。
アイが逃げる男に向かって足を踏み出そうとしたのを見て、迷彩服の男はそれを手で制した。
「なに?まさか止める気?襲われそうになったけど、まだ何もされてないじゃないかとか、まさかそんな事を言うつもり?」
アイが睨むと、迷彩服の男は困ったように笑う。
「いや、違う」
そう言って周りを見る。五、六人の男が股間を押さえて呻いている現状を見回して……
「トドメを刺すつもりはないんだろう?ならこれ以上余計な恨みを買う必要はない」
意外に冷めた目でそう言うと、アイに待てと合図してツカツカと逃げる男に近づくと、声をかける。
「おい、俺は自衛隊の庄司二尉だ。俺はこの先のサンシャインという建物にいる」
そう言うと重そうな軍用ブーツで男の後頭部を思い切り踏みつけた。




