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私と隊長の最初の出会いは私がまだ九つの時だった。
その日、我が家は一家揃って近くの丘へピクニックに出かけていた。
普段町中暮らしの私たちである。視界いっぱいに広がる空も、なだらかに続く青々とした大地も、とにかく気分が良くて大はしゃぎだった。
「サニア! 花束を作ってお母様に差し上げましょう」
ランチの後、私と姉は手を繋いで歩き出した。兄と弟はとっくに遠くへ遊びに行っている。
両親たちが寛ぐ場所から離れて花の密集する辺りへ到着した。
「サニアは白い花を集めてね。私はそれ以外にするわ。どちらがたくさん摘めるか競争よ」
競争と言われて私はむきになる。
実際その場には圧倒的に白い花が多かったので、姉は私を勝たせるつもりだったのだろう。でも当時の私はそんなことを考えもせず、ひたすら花を集めて直進していった。
そこへ、怪異が現れたのだ。
夢中で花を摘んでいた私の近くに、いつの間にかそれは立っていた。
見上げた高さは人より大きかった。くしゃくしゃに丸まったオレンジ色の頭。顔は真っ赤な仮面に覆われて、そこには目も鼻も口もない。体は人と言うより木の幹に近くて、全体が真っ黒に塗りたくられている。
ぱくぱくと息を飲んで動けなくなった私の肩に、大きな手が乗せられた。振り返れば、この場に同行していた我が家の護衛騎士が隣に移動して来ていた。
「大丈夫。珍しいものではありません。これは酩酊の怪異ですね。念の為騎士団を呼ぶ信号を打ちましたが、それまでに解決できるでしょう」
護衛騎士は素早く手引書をめくった後、私に笑いかけた。
生まれて初めて出会った怪異に震える私の背に手を添えながら、騎士は大人たちに向かって声を上げた。
「皆様! ありったけの酒類を差し出して下さい。あと、一杯の水のグラスを。この者がそれを飲んでくれたら終了です」
そんなことでいいのかと、緊張していた大人たちの空気が緩んだ。
……今から思えば。滅多にない『敵と対峙する』という状況に、騎士は少し舞い上がっていたのかもしれない。
持ってきたワインの瓶を怪異の前に並べた使用人たちがすぐに下がり、残された騎士は言った。
「さあ、君の物だ。好きなだけ飲むがいい」
その途端だった。
瓶に伸ばされるかと思った怪異の手が、騎士の体に向かって振り下ろされた。
彼の体はそこから吹き飛ばされてしまう。
次に怪異の近くにいたのは私だった。
殺される、と顔を手で隠した途端、誰かに襟首を掴まれて後ろに放り投げられた。
怪異の爪は私の腕をかすめていく。
そして私を放り投げた誰かが私の横をすり抜け、私と怪異の間に立ちはだかった。
「こいつは酩酊じゃない」
その人は言った。
魔術騎士団の制服を着た後ろ姿。でも、一瞬だけ見た横顔は、まだ少年といっていい年齢だった。
剣も構えず怪異と対峙したその人は、大きく息を吸い込むとこう言った。
「俺は絵画が壊滅的に下手くそだ‼」
僅かな間の後、彼はこちらを振り返る。
ほんのり頬と耳が赤い。大きな美しい目をさらに大きく見開いて、彼は私を見下ろした。
「……サニアタイラーか?」
何故、私の名を。
私は訳もわからないままただ頷くだけだった。
そして。彼の背後にいた筈の怪異が、音もなく崩れ落ちていくのを見た。
ちなみにこの日の怪異は羞恥の怪異と呼ばれるもので、姿は酩酊に似ているけれど、酩酊は自分のグラスを持参するのが特徴だった。羞恥の場合、その場にいた誰かが心の底から恥ずかしいと思う自らに関する情報を大声で告白すれば立ち去ってくれるらしい。
その時は、立ち去る前に怪異は消えてしまったのだけど。
私の血は怪異に取って毒になる。
そんな事実を知ったのはさらにその日から数年が経った時だった。
次に私が隊長と再会したのは6年後だ。
「令状です! サニア・タイラー伯爵令嬢に召喚を命じます!」
「なんで⁉」
ある日突然屋敷へ訪ねて来た魔法騎士団に、私は思わず素の顔で返してしまった。
「身支度は必要ありません、そのままこちらに同行して下さい」
それが必要かどうかを決めるのはこちらの権利なのではないかと思うけど、困惑する私に隣の母は言った。
「緊急なのでしょう。作法に関わることかもしれないわね。行っておあげなさい」
そう言って母は、私に侍女と護衛騎士をつけると外出の許可をくれる。
わざわざ私を指名すると言うことは、もしや私の知り合いが怪異に襲われているのかもしれない。友人を見たがる友情の怪異とか? そんな物がいるのか知らないけど。
ともかく覚悟を決めた私は迎えの人たちと共に転移魔法で場所を移した。
その中の一人をどこかで見たような気がしたのだけど、この時はそれを思い出す間もなかった。
現場はどこかの小さな町だったと思う。
町の外れの開けた場所で。真っ黒に汚れた髪の塊のような形をした怪異と、魔法騎士団の人たちが激しく戦っていた。
私が到着するとすぐ、女性騎士が駆け寄ってくる。
「タイラー伯爵令嬢ですね。申し訳ないのですが、貴女の血を、少しだけ貰います」
「⁉」
驚いた。
でも、すぐに私の前に立とうとしてくれた護衛騎士を私は止めた。
「私は、何をすればいいのでしょう」
「お手を」
言われるまま私は彼女に手を差し出した。
騎士が持つ小さな針が、私の指先をほんの少し傷つける。滲み出た血を次は矢尻に移していく。
怒鳴り出しそうな護衛騎士と泣きそうな侍女、ただただ困惑する私をそのまま放置して、くるりと体の向きを変えた騎士は怪異に向かってその矢を放った。
真っすぐに飛んで行ったその矢が体に命中すると。
騎士たちをてこずらせ、暴れに暴れ回っていた怪異はその場でどろりと溶けるように消え去っていったのである。
その後、私たちは王都にある騎士団本部に連れて行かれた。
案内されたのはまるで飾り気のない部屋だった。その頃の私はそのような場に出入りした経験がなく、罪人扱いでもされるのかと一瞬だけ慄いた。
その場に同席したのは魔法騎士団の団長レッド・スミス侯爵様、仕事先から呼び出されたらしいお父様、そして私と屋敷への迎えの中に混ざっていた隊長だ。
スミス団長は肩書の威圧感を感じさせない柔和な笑顔を見せた。
「やあやあよく来てくれましたね。まずは最初に。この度の貴女の協力に感謝します。おかげで部下を一人も失わずに済みました」
「……はい」
状況がさっぱりわからないので曖昧に答える私。そんな私をお父様は「お前何をしたんだ」的な驚きの目で見て来る。
「次に召集命令です。本日付けで、サニア・タイラー嬢は魔法騎士団の所属となります。これは騎士団法で定められた措置であり、貴方方に拒否権はない」
呆然とする私とお父様の前でスミス団長は言い切った。
その隣で、隊長が手を組んで体を乗り出す。
「事情は俺から説明しよう」
まあ。よく見たらこの人は随分と顔立ちがいい。
突然の意味不明な状況に、現実逃避を求めた私はその時どうでもいいことに注目していたように思う。
よこしまな私の視線を隊長は真っすぐ受け止めてくれる。
「俺は法則の魔術師だ。魔術においてこの結果を得る為には何をしたらいいのかという解決法がわかる能力を持っている」
「おお! 貴方が! いつか新聞で読みました。そうですか、こんなお若い方だとは……」
お父様は「とても高名な方なんだぞ」と私に耳打ちしてくる。
そう言われてどうしたらいいかわからなかったけど、とりあえあず「まあ!」と形だけ驚いてみせた。
隊長はこちらの反応は全く気にしていないように話を続けた。
「俺の仕事で最も多いのは怪異に関するものだ。俺が怪異の対処を解析すると、いくつかの作法が脳内に並ぶようになっている。……そしてそれらの一覧はいつも、『サニアタイラーの新鮮な血』という言葉で締められる」
「!」
飛び上がりそうになった私の手を、お父様の手がぎゅっと掴んで抑える。
「怪異の対処以外には出てこない。そして怪異であればどんな相手に対してでもその言葉が浮かぶ。通常怪異は回避の作法が被ることはない。だから俺はその文言を、法則の魔術としての結びの言葉のような、意味のないものだと解釈して無視していた。……だが、6年前」
隊長が私を見た。
……ああ。そうだ。思い出した。この、輝く大きな黒い瞳は。
「あんたの血に触れた羞恥の怪異が消滅するのを見て。それが一人の人間の名前だと知ったんだ」
「……そうか、君はあの時、娘を救ってくれた少年魔法騎士か!」
私に続いてお父様も気付いたようだ。
次に言葉を続けたのはスミス団長だった。
「つまりそういうことなんです。タイラー嬢。貴女の血は、怪異に対して凶器となる。この男はね。その重大な事実を長らくこちらに報告しなかった。これが世間に知られれば、一人の人間の人生が滅茶苦茶になると思ったんでしょうね」
滅茶苦茶、という言葉に私はぞっとなる。
「しかし今日、対応困難な怪異が出たことで、とうとう彼も腹を括ってくれました。あれは外道の怪異と言ってね、あれを帰すには百人の幼子の命が必要らしい。武力で消し去るにも、騎士の犠牲は避けられない」
「それでこの方は我が娘の力を使おうと思った?」
「ええそうです。おかげで騎士も町人も一人も死ななかった」
恨めしそうなお父様の言葉をスミス団長は悪びれずに肯定する。
そして隊長は、私と目と目を合わせた後、悲し気に眉を寄せた。
「すまない。一生黙っているつもりだったのに隠しきれなかった。あんたの人生を変えてしまったのは俺だ、あんたは俺を恨んでいい」
私は何も答えられない。
そんな隊長の肩をスミス団長が叩いて見せる。
「彼はね、元々は解析班としての採用だったんです。なのにある時から突然魔法騎士としてがむしゃらに鍛え始めた。それはつまり、どんな怪異も自分が武力で退けてしまえば、貴女を表に引っ張り出さずに済む、と、そう考えたんでしょう。そんな努力もあって今では立派に騎士団一の戦力にまで成長してくれましたよ」
スミス団長の言葉に隊長は苦々しそうに顔を背けてしまう。
……これは心象操作なのだろう。そんな事実を知ってしまったらお父様はこれ以上怒れない。
「と、いう訳でですね。彼が貴女の存在を知っていてこれまで黙ってたとなれば大問題になるんです。ひとまず、貴女方との出会いは今日が初めてということで口裏を合わせて頂きたい。よろしいですな?」
「それで通用するのですか?」
「6年前の記録は改ざんしておきましょう。あとは……そうだな、彼はつい最近になって誰かの噂話でタイラー嬢の名前を初めて耳にした、ということにでもしておきましょうか。……いいかい。調査の時にはそのように言うように」
最後は隊長に向けられた言葉だった。
隊長は何も言い返さず、ぐったりしたお父様は椅子にもたれて大きなため息をついた。
私はただただ隊長を見つめる。
……この人だったのか。
あの日、不可解な消え方をした怪異に首を傾げる私たちに、何も考えるなと告げて立ち去って行った少年魔法騎士は。
その日から何年もの間。ずっと私は、知らない内に、この人の覚悟に守られ続けていたのだ。
気付いた時には私はダルハン隊長に恋に落ちていた。
「わかりました。私は魔法騎士団に入ります。その代わり、お願いがあります」
腰を浮かせた私はテーブルに手をついた。
「私を! 是非ともニオ・ダルハン隊長のお側で働かせて下さい!」
この時の私は既にトラビスと婚約していたので、隊長とどうにかなると思っていた訳じゃない。でもせめて、思い出を残したいと思ってしまったのだ。
その後、何日かかけてやいやいと話し合ったりあれこれ調査をした結果、結婚するまでならという条件で私の願いは叶えられた。(結婚後は、この日のような緊急呼び出しに応じるという形で落ち着いた)
調査の結果、私の血の効果は私の体を出てからほんの短い時間しかないということがわかった。なので乳牛のような扱いはされずに済んだ。でも血液を増やすという食材は我が家に定期的に届けられることになった。
そして私には絵画の心得があったので、団長と一緒に現場へ出向き、未知の怪異の情報を描き取り、世界に伝えると言う仕事も同時に請け負った。実を言えば私の配属に最後まで渋っていた隊長が一番喜んでいたのは私のこちらの能力かもしれない。
それからの私は魔法騎士団に出入りして隊長の秘書の様な真似事をしたり、魔法薬剤局に出向いて自分の血を提供して研究してもらったりとそんな日々を続けていたのである。




