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「ダルハン。怪異は今、どこにいる」
そんな隊長の下へ寄って来たのはこの屋敷の主人、ハッシン公爵様だった。
「屋敷の外周に迷路を作ったからそこを回ってる筈だ。時間稼ぎは小一時間ってところだな」
迷路ですか、いつのまに。全く気付かなかったよ、さすがは隊長だ!
「この怪異の正体と対処法はわかっているのだな」
「ああ」
そう言った隊長がちらりとこちらを見たので私はうなづいた。
パン! と大きく手を叩き、声を張り上げる。
「皆様ご注目を! 法則の魔術師ダルハン様よりご指示がございます! これは皆様自身が皆様のお命を守る為にやらなければならないことです、どうか一言一句聞き漏らさぬよう集中して下さいませ!」
会場中に、先ほどまでのひたすらの恐怖とは違うぴりりとした緊張が走る。
皆がこちらを見ているのを確認して、隊長は口を開いた。
「今夜この場に訪れたのは求婚の怪異だ。目を付けた獲物と問答し、独り身だとわかった相手を食らう。つまり奴との問答の時点で書面上の伴侶がいれば向こうは手が出せなくなる。正式な婚約をしている者も除外だ」
場内の多くの人たちがホウっと安堵の息をつく。
「残りは防衛が必要だ。今すぐ屋敷中のありったけの魔法誓約紙とペンを集めろ。それと使用人も含めた屋敷の人間全てもだ。誓約紙には『我々はここに夫婦となることを誓う』の文言を書き込め。そこに互いの署名をすれば教会を通さずとも怪異には効力はある。……なに、この場だけの契約結婚だ。後で互いの合意の下で簡単に解消できる。とりあえずこの場にいる者で男女の組み合わせを作っていけ」
隊長の説明が終わると一人のご婦人が扇を揺らした。
「お待ちになって。どうして結婚なのでしょう。婚約でもいいのではなかったかしら?」
「その場しのぎの契約だからな、婚約という形では少し弱い」
「この場に伴侶はいないが結婚している者はどうすればいいんだ!」
「伴侶がいる、と奴に告げればいい。連中は『わかる』からな。ただし死に別れや内縁は独身に勘定されるぞ、きちんと対処しろ」
「婚約者のない子供がおります! この子らも結婚を⁉」
「婚姻年齢に満たない者は聖典のその項目を怪異に示せ。これは一冊あれば使い回しが出来るだろう」
そうして隊長の指示通り、屋敷の人は一人残らず集められ、該当者は必死に婚姻誓約書を作った。
場内ではすんなり準備が整う人もいれば、同伴者とは別の相手と契約したいとごねる者や、パートナーが実は既婚者で誓約書が作れないなどの揉め事が起きている。その度周囲の人々が宥めたりなんだりで大変だ。
こんなことがなければ暴かれなかった事実もあるのだろう。人には伏せておきたい気持ちもあるのだ派の私は、少しだけ怪異を憎らしく思う。
「おら。お前も書け」
そんな私の所へ隊長が来た。そして渡されたのは片方に隊長の名前が入った誓約書だった。
私は目を丸くする。
「隊長。これは……!」
「婚約解消されて相手がいないんだろう? いいか、緊急避難的処置だからな、本気にするなよ」
「それでも! とても嬉しいです。この出来事を、一生の思い出にして生きていきます」
「するな」
そんな迷惑そうな顔をしなくても。
ちょっとだけ痛んだ胸を気付かなかったことにして、私は渡された紙に本日二度目のサインを書き入れる。
せめてこの文面を目に焼き付けておこう。
結局、この場では、4人の使用人の男性が余ることがわかった。
さすが公爵家に雇われるだけのことはある。この状況でも醜い夫枠の奪い合いは行われなかったようだ。
隊長は彼らの前に移動した。
「あんたらは今からメイナ教へと改宗してもらう。これは騎士団法の特例で許された処置だ」
「メイナ……とは……?」
「東にある国の宗教だ。性別問わず、5名までなら同時に婚姻できる」
ええ、と驚きの声がこぼれたけど、もたもたしている時間はないのだ。
私が婚姻誓約書を書き、隊長が改宗手続きを進めていく。
これは我が国の結婚の管理が国でなく教会だからこそ出来る荒業だ。
彼らには事が終わり次第教会に行って改宗し直してもらわなきゃならないという手間がつくけれど、それは仕方がないだろう。
……仕方がないんです、そこの使用人の人、本気で泣き出さないで下さい。
改宗が嫌だった? それとも結婚というものを神聖視していた人なのかもしれない。かわいそうだけど命には代えられないと思って下さい!
そんな彼を仲間たちが集まって慰め始めてしまったので、なんだかこちらがすごくひどい無体を働いたみたいになっている。
何故。
「……お前が気にする必要はないぞ」
「大丈夫です。隊長こそお気になさらず」
回避の作法が人々にとって耐え難いものである、という事態は偶にある。そういう時、救助者たちは、怪異本体よりもひどい指示を出して来た魔法騎士団の方を恨みがちなのだ。
なので私たちは嫌でもこういう状況には慣れてしまっている。だからって全く平気な訳ではないけどね!
そうして対応の準備が整った。
全員が息を詰め、誓約書を握り締めて会場の出入り口を見つめていると。
やがて、ゆっくりと表階段を上がって来る何者かの頭が見えて来た。
ズズッ、と。
静まり返ったこの場に重い衣擦れの音だけが響く。足音はない。
素材が全く不明な青みがかった銀色の布で覆われた全身。ベールの上部はほとんど口元までかかり、裾は床まで届いて引き摺っている。着ているのはトーガらしき物で、首から下は一切肌を見せない形式で体に巻きつけられていた。
少しずつ全体像が見えていく内に、わずかに覗いた怪異の肌が見知らぬ文字のような文様で埋め尽くされているのが見えてしまった。
ヒ、と声を上げかけた誰かに隊長は振り返りもせず言う。
「気を失うな! 問答に答えられなければ刈られるぞ!」
あちこちでパチパチと、自分のだか周りのだかの頬を叩く音が響いた。
階段を昇り切り、ホールに入って来た怪異は人々を背にして立っていた隊長の前で立ち止まる。
わずかに見えた口元が、ぱかりと裂けた。
「―――― 我ノ花嫁花婿ニナッテクレルカイ?」
男とも女ともつかない声。花嫁と花婿の言葉は同時に重なって聞こえた。
隊長は背筋を伸ばす。
「断る。俺は既に結婚している」
怪異は一瞬の間を置くと、次に隣にいた私に顔を向けた。
私はどきどきしながら答えた。
「お断りします。私は結婚しています」
怪異は軽く首を傾げて、ゆっくりと移動していく。
そこから、会場にいる一人一人との問答が始まった。
これで誓約書が効くと言うのは証明された訳だから、後は、もう、誰かがパニックになったりしないよう見守るだけかな。
私と隊長は視線を合わせてうなづきあう。
いやあ、しかし、さすがうちの隊長だ。これだけの準備時間でこれだけの人の命をあっさり救ってしまうのだから、これはまた特別褒章ものかもしれない。隊長の功績がたくさんの人に認められると私はとても嬉しくなるのだ。
そんなふうに一人でにやにやしていると。
「……何だ?」
隊長が呟いた。
隊長の視線の先では、丁度トラビスが怪異と向き合っている所だった。
「お断りだ! 何故なら私は結婚している、この素晴らしいアイラ殿とな!」
誓約書を突き出し、高らかに宣言し胸を張るトラビス。……そういう何者にも臆さない所はちょっと凄いと思っていたよ。
けれど。
「……ソレハ、嘘ダ」
突然に伸ばされた怪異の腕が、トラビスの首をつかんで持ち上げた。
最初から何か異変を察知していたらしい隊長が走り出す。
隊長が抜き放った剣で怪異の腕を切り落とすと、トラビスは床に転がり落ちた。
私は急いでトラビスに駆け寄り、持っていた誓約書を確認する。
すると。
「! アイラ様! 貴女のお名前がアイナ様になってます、急ぎ訂正して下さい!」
私が振り返ると、つい先程までそこにいたアイラ様は、こちらから離れて護衛騎士の後ろに身を隠していた。
「嫌よ‼」
アイラ様は叫ぶ。
「双方の合意がなければ契約が解除されないのでしょう? トラビス様が合意してくれる筈ないじゃない!」
「ええと? それは、トラビス様と結婚を成立させたくないというお話ですか。え、なんで、もともと婚約するつもりだったんですよね?」
「最悪の場合の備えに決まってるでしょそんな人! 誰がこんな女好きと喜んで結婚したいものですか! 私はね! もっとまともな相手を探し中なんです!」
気持ちいいくらい身も蓋もなくアイラ様は言い切った。
いやでも契約しないと自分の身も危ないんだけど……
思いながら目をやれば、トラビスは床に転がったままあんぐりと口を開けてアイラ様を見ていた。たった今怪異に殺されかけたショックよりもこちらの発言のダメージの方が大きいらしい。
無駄に自信だけはある人だからね……アイラ様の評価に天地が引っくり返った思いなんでしょう。
そしてこの状況をどうしよう。
いきなり始まった戦闘に悲鳴を上げた人たちがばたばた走り出していた。
「皆、正面扉の脇へ! 女性と子供を壁際に、男性を前にして並ぶのだ!」
公爵様の頼もしい指示で、右往左往していた人たちが1か所へと集まる。へたれたままのトラビスも誰かが引き摺って行ってくれたようだ。
隊長の下へは次々と騎士たちが集まり加勢してくれていた。
その間私はアイラ様の説得を頑張る。
「いいんですか! このままじゃ殺されるんですよ!」
「騎士が戦ってるじゃない! 最初からこうすればいいのよ、あんな化け物、さっさと片づけてしまって!」
「怪異を無理矢理消滅させるということは、この世界に歪みが生まれ、またどこか別の場所にもっとやっかいな怪異を出現させてしまうのです!」
「知らないわよ、今私たちが助かればそれでいいじゃない!」
「それが魔術師のいない貴女の屋敷の中でもですか?」
「我が家には騎士が大勢いるわ。もしそうなっても彼らが命懸けで守ってくれるでしょう」
しれっと言ったアイラ様に私は思わず拳を握り締めてしまう。
「……怪異一つを排除するのにどれほどの犠牲が出るかわかっておっしゃっているのですか」
「それをするのが彼らの仕事でしょう⁉」
ああ、駄目だ。私ではこの人の心を変えられない。
私は必死に考える。
……そうだ。この手の人は身分に弱い筈! 公爵夫人に命じて貰えばなんとかなるかも……
そう思った私が会場を見回そうとした時だった。
ドン、と激しい音がして、騎士の一人が壁に叩きつけられているのが見えた。
改めてそちらを確認すれば。
隊長が切り落とした筈の怪異の腕は何事もなかったかのように再生していた。
騎士の方々は既に全員がなんらかの手傷を負っていて、活路が見いだせないまま顔に焦りを浮かべている。
そして隊長が彼らに声をかけた。
「……少し抜けるぞ。時間を稼いでくれ」
騎士たちの返事を待って、隊長はその場から身を引く。
そして私の下へ来た。
「すみません、説得できませんでした」
「仕方ない、回避は諦めるぞ。……いいか」
「はい!」
隊長に言われて私は自分の左手を差し出した。
いつも武骨な隊長が、この時ばかりはまるで王女様に対するかのように恭しく、とても丁寧に優しくこちらの手を受け取ってくれる。
滅多にあることではないけれど、この瞬間はいつも不埒にどきどきしてしまう。
隊長が腰から取り出した短剣を、私の指先にぷつりと刺す。
滲み出たほんのわずかな赤い血が刃を染める。
それを確認した隊長はすぐに戦闘の場に戻った。
騎士たちに何かを支持すると、彼らがうなづく。
隊長の合図で騎士たちは左右に分かれて怪異の両手を一瞬封じる。
その瞬間、怪異の懐に飛び込んだ隊長はあの短剣をわずかに見える怪異の剥き出しの肌へと突き刺した。
隊長の短剣が食い込んだ途端、怪異の動きがぴたりと止まる。
直後に、一瞬だけ固まった怪異の体がもろもろと土くれのように崩れ落ちていく。
残骸は、跡形もなく床の上から消えていった。
会場を静けさが包み込んだ。




